嵐が丘

よく三大○○なんて言葉ありますよね。
三大映画祭、三大料理、三大美人、三大博物館、三大テノール、そして三大疾病…(みんなも気をつけようね)。
とにかくどの枠でも3つが基本なんですね。
やっぱり四大より三大の方がしっくりくる、うん。
で、今回鑑賞する映画、なんと世界の三大悲劇の一つと呼ばれる小説を映画化した作品。
地主に拾われて「嵐が丘」にやってきた孤児ヒースクリフと地主の娘キャサリンが、互いに惹かれあいながらも、深すぎる愛ゆえに憎悪が渦巻いていく悲恋を超えた愛憎劇です。
世界中のあちこちで映画化されるほど有名なお話のようで、僕も今回のために「ローマの休日」でおなじみウィリアム・ワイラー版、「バード ここから羽ばたく」のアンドレア・アーノルド版、そして!松竹ヌーベルバーグの一人吉田喜重版の3作を見ました。
原作に忠実なダイジェスト風のワイラー版、終始ヒースクリフの視点で愛と憎悪を映すアーノルド版、そして鎌倉時代の祭祀という設定で描く奇想天外な吉田版と、どれも流れは同じでも差別化を図ったかのような見せ方や語り方となっており、大変楽しく鑑賞できました。
中でもアーノルド版はかなり好みで、自然光や風の音で主人公の世界を構築し、彼が見たもの触れたもの聞いたものすべてが愛憎を引き出す思い出となっている作りなのが、とても映画たらしめていてよかったです。
大体彼ら、普通に考えたら血のつながってない兄妹なんですよ。
その辺を強く意識したのが吉田版だったなってのもあって、描き方ひとつで悲劇の捉え方って変わるんだなと、それなりに学びもありました。
そんな嵐が丘。
今回の監督、正直そこまで好きではないです。
恐らくヒースクリフの視点ばかりが目立ったこれまでの作品とは違い、相手のキャシー目線で描かれるんだろうなと。
それもありっちゃありだけど、「女の子に夢見させるような寓話」みたいな描き方はしないでほしいな…
というわけで早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
世界の三大悲劇と評され、映画や戯曲、音楽など様々な形で語り継がれているエミリー・ブロンテが生涯唯一記した1847年の小説「嵐が丘」。
この名作を、ファッションアイコンでありながら大きな瞳で喜怒哀楽を表現するマーゴット・ロビー製作・主演、そしてカラフルでエネルギッシュな映像表現に現代の重要なテーマを乗せるのが特徴でもある「プロミシング・ヤング・ウーマン」のエメラルド・フェネル監督の手によって映画化。
イギリス北部ヨークシャーの荒涼とした高台「嵐が丘」を舞台に、令嬢キャサリンと地主の計らいで孤児としてやってきたヒースクリフが、互いを愛しながらも身分の違いや社会の慣習によって引き裂かれ、やがて狂気を孕んだ愛憎へと進んでいく姿を、「バービー」のジャクリーヌ・デュランによるゴシックながら色鮮やかなファッションと、「ラ・ラ・ランド」でアカデミー賞撮影賞を受賞したリヌス・サンドグレンによるフィルム撮影によって、霧に包まれながらも濃密で官能的な二人の愛の物語を映しだした。
10代の頃に読んで夢中になったというエメラルド・フェネル監督。
本作はそんなゴシック小説の名作を、監督は誰もが支配的でパワープレイになりがち人たちが登場していると解釈。
そこにサドマド的な関係性や破滅的な愛を描くうえで欠かせない表現を取り入れたという。
これまでの作品で一番刺激的な嵐が丘になっているのかもしれない。
そんな破滅的な愛に落ちていくキャサリン役を、「バービー」、「バビロン」のマーゴット・ロビーが演じる。
プロデューサーも務める彼女は本作を「こじれてて、挑発的で、ロマンティック」と表現し、これこそが作りたかった「新たな『嵐が丘』」であると熱意たっぷりにコメントしている。
その相手となるヒースクリフ役には、監督の前作「ソルトバーン」や「フランケンシュタイン」で第98回アカデミー賞助演男優賞にノミネートしたジェイコブ・エロルディが演じる。
他にも、二人の思いを知る使用人ネリー役を、「ザ・メニュー」、「ザ・ホエール」のホン・チャウ、アーンショウ家の近くに住みキャシーに結婚を申し込むエドガー役を、「きっと、それは愛じゃない」のシャザド・ラティフ、その妹イザベラ役を、「オーダー」のアリソン・オリバーが演じる。
身分違いの恋に苦しむ物語といえば「タイタニック」が有名ですが、それに匹敵する悲恋の物語になるのでしょうか。
ソルトバーンでもかなり刺激的で官能的な描写が多々ありましたが、本作の度数は果たして。
あらすじ
「あなたは私のすべて。君は僕のすべて。」――物語の舞台はイギリス・ヨークシャーにある広大な高台<嵐が丘 (Wuthering Heights)>。
この“嵐が丘”に佇む、アーンショウ家の屋敷に住む美しい令嬢キャサリン(マーゴット・ロビー)と、屋敷に引き取られた孤児ヒースクリフ(ジェイコブ・エロルディ)の身分の違うふたりは、幼少のころより心を通い合わせる。
やがて大人になった二人は、互いを求め激しく惹かれ愛し合う。
だが永遠を誓った愛は、身分の違い、周囲の境遇、そして時代の渦に飲み込まれ、予期せぬ道をたどる。
“嵐が丘”を舞台に、心赴くままに愛し合う二人を待ち受ける衝撃の運命とは・・・?(公式より抜粋)
感想
#嵐が丘 鑑賞。愛憎劇なんかでなく支配欲とかサディズムマゾヒズムみてえな話。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) February 27, 2026
過去の作品から比べ物にならないほど話が薄っぺらく、その癖色味や官能的な描写で刺激的にコーティング。… pic.twitter.com/xbxYbUKNfd
これただの欲望に抗えない「不倫」の話に成り下がってんじゃん。
ヒースクリフによる呪いじみた愛憎から、キャサリンが支配したい物語に。
不謹慎かもだが、フェネルの深くに根付く支配欲が見えた気がした。
以下、ネタバレします。
なんのために予習したのか…。
冒頭でも書いたように、ワイラー版、アーノルド版、吉田版と本作を楽しむために、あるいは本作を分析するために3本の映画を見て臨んだわけですが、予習したことが裏目に出てしまいました。
だったら原作読んだ方が良かったんじゃないかと思いましたが、どうも海外では原作ファンからボロクソ叩かれてる様子。
本作は1930年代あたりの様式美を意識してプロダクションデザインや美術を施したらしく、キャサリンが着る服は強めの赤を基調とした服や、胸元がザックリ開いたドレスばかりが多かった。
エドガー家も、嫁いできたキャサリンを喜ばせようと、彼女の部屋の色をそばかすを隠すためのチークと同じ色にしたり、床も真っ赤、今は真っ青で、エドガーの部屋は緑と、ビビッドな配色にすることで、簡素な時代とはまるで違うメルヘンでオシャレな内装になっていました。
どうもこれが気にくわないよう。
原作が書かれたのが1840年代で、舞台設定はさらに前の時代らしく、それと比べるとファッションや内装が明らかにおかしいと。
これはもう作り手の願望でしかなく、今を時めく女性たちに見てもらうには、その時代に生きた女性の周囲もガーリーにしなくちゃ、みたいな思惑があったんじゃねえかと。
俺的にはその辺特に気にはしないけど、気になったのは中盤以降から一気に増える性描写ですね。
レーティングを気にしてか、ヌードは一切ないモノの、ヒースクリフもキャサリンも欲望の歯止めが効かなくなって抱いてHOLD ON MEを幾度も繰り返す、まるで盛りの付いた犬のよう。
これまでの嵐が丘ではここまで直接的な描写はなく、吉田版はヌードはあったもののどこかおどろおどろしくエロティックとは程遠いものが見えました。
逆にアーノルド版は、直接的な性描写はないものの、泥にまみれたりヒースクリフの背中の血をなめたりと、エロスを連想させる刺激的なシーンはありました。
特に僕が気に入ってるアーノルド版は、相手を汚すことで恍惚になる快楽や触れたい思いをメタファーのように描写してる辺りがシネマティックだと感じ、良い映画だなと思ったわけです。
だから本作のように、直接的な描写を見てしまうと、どこか品がなくそうやって描くことしかできない=芸がない映画に見えてしまうんです。
そして過去作と決定的に違うのは、愛憎劇だったり復讐にも似た狂った愛の物語なのではなく、ただただわがままな女が男を支配したいがための不倫の話になってんじゃねえかと。
もちろん物語はそれまでの映画と同様、アーンショウ家に連れてこられたヒースクリフが、おてんば娘のキャサリンに惹かれていくけど、隣人リントン家がやってきたことで、階級に目がくらみヒースクリフよりもそっちを選ぶと。
本当は愛しているのに体裁を選んでしまったことが、ヒースクリフとの間に亀裂を生み、彼は家を出てしまう。
嫁いで子を身ごもったタイミングで、裕福になったヒースクリフが現れ、二人は旦那に隠れて逢瀬を重ねる。
しかし、エドガーとの間に子を身ごもったことを知ったヒースクリフは、エドガーの妹イザベラを嫁に招くことで、キャサリンを苦しめていく。
それを境に徐々に体調を崩していくキャサリンは、ヒースクリフと結ばれることなく死んでしまうのだった、って結末になります。
過去作はヒースクリフとキャサリンが対等に描かれてる印象を受けましたが、本作は飽きたかにキャサリン主導の物語。
とにかく気が強く、ヒースクリフを好きと分かっていながらそれを認めない、面倒な女になってました。
序盤のこの辺の拒み様が自分にはピンと来ず…というか展開が全く進まないのでぶっちゃけ眠気が…w
一応テーマとしては、サディズムとかマゾヒズムといった男女関係におけるイニシアチブや支配欲みたいなものがあったと思うんです。
キャサリンには兄がいるんですが死んだことになっていて、アーンショウ家の主が威張り散らしてる設定。
ギャンブルで金を使い果たし落ちぶれていくんですけど、そのくせプライドは一丁前。
男勢がいないってのもあって、とにかく女の前で威張り散らしたり、DVも容赦ない。
それもこれも家族を支配したいという想いがあったのではと。
もちろんヒースクリフにも支配欲が芽生えてくるわけで、エドガーの妹イザベラに「お前に一切手は出さない、全てはキャサリンのため それでも良ければ俺のそばにおいてやる」などといいぬかし、ヒースクリフに惚れている気持ちを利用して結婚し、字が書けないヒースクリフの代わりにキャサリン宛ての手紙をしつこく書かされ、挙句の果てには首輪をつけられ鎖に繋がれるというみじめな姿に落ちぶれていきます。
悪魔的に変貌を遂げる彼も嫌ですが、それ以上にキャサリンの方が僕は受け付けられない。
あれだけヒースクリフの気持ちも知っておきながら、自分の気持ちにも嘘をつき、このままだと実家が破滅するから金持ちの家に嫁ぎ、好きなのは人ではなく家柄!みたいにエドガーと結婚し、いざ金持ちになったヒースクリフが現れたら「ゴメンあたし自分に嘘ついてたぁ~好き好きちゅっちゅ」と堂々と不倫するという。
別にさ、映画だから、どれだけキャラがクソ野郎でも関係ないわけですよ。
そこに没頭するほど我を忘れて映画を見てねえよと。
でもさ、これだけのワガママな不倫女を、憎たらしく演じてねえんだよマーゴット・ロビーが。
どのシーンを切り取っても、「こんな私○○」みたいに見えるんですよ。
気持ちに嘘をつく私、サイテー
優雅な生活を送る私、ステキ
カッコよくなって金持ちになったヒースクリフに想いを告げた私、ショージキ
彼の心を傷つけてしまった私 サイアク
もうさ、少女コミックの主人公なわけよ
あんま知識ねえけど、矢沢あいの「NANA」の小松奈々なのよ。
だからね、マーゴット・ロビーの芝居が悪いんでなく、こういうキャラを書き上げたフェネルが悪い。
てか、フェネルが嫌いになった。
そもそも彼女の作品て、男に支配されたことに腹立って命を懸けて復讐するって話だし、ソルトバーンも階級差別を壊して支配する話だし、本作も相手を支配する物語なんですよ。
彼女の作品の特徴の一つに「支配」がついて回るってのが本作でようやく理解できたのはいいけれど、今回はなんか悲劇のヒロインを作り上げながら自分で酔いしれてる気がして。
彼女の人間としての欲望の中に、こういう支配欲みたいなものが絶対あるんだろうなと。
別にそれを否定するわけじゃないけど、俺は男女関係ってそういうものじゃないって思ってるし、だからこそなんか近づきたくないなっていう想いが、本作を見て強固なものになりましたね。
プロデューサーでもあるマーゴット・ロビーもこの脚本を容認、もしくは注文したんだろうから彼女も共感したんでしょうけど、それにしてもフェネルの色が出過ぎててマーゴット・ロビーの良さって本作にあったんだろうかと複雑な気持ちになりましたね。
もうさ、190センチもある男を上半身裸にさせて抱くシーンだったり、終いには人妻の家に夜な夜な侵入してリビングでコトをするって、妄想が過ぎるって。
で、こういう批判をするとフェミニストが黙ってないんですよ。
男だって自分の妄想で女を良いように描いてるじゃない!それのどこが悪いの!?ってお叱りのコメントが来るんですけどね、俺はそこに怒ってるんじゃないの。
それやってもいいから、やるんだったら「オリジナル」でやれっつってんの。
わざわざ世界の三大悲劇の原作を使ってテメェの妄想を役者使って掻き立ててんじゃねえよって話。
原作にそんなシーンはねえだろ(読んでないけどw)。
最後に
今回のお話、キャサリンの兄ちゃんが出てこない、ネリーのキャラ設定がおかしいなど、色々改変が多かったのも目立ちます。
特にネリーは、本来互いの思いを知りながら二人をフォローしたり見届ける立場にあるんですが、「支配欲」をテーマにした本作だけに、彼女も「幸せを願うこと」と同等に「今いる立ち位置を守る」ために動いてた節が見て取れます。
キャサリンがヒースクリフと密会を続ければエドガーから追い出されて貧しい生活をしなくてはいけないだろうし、そもそもネリーの判断は不倫をやめろってことなんで正しいっちゃ正しいんだけどね。
あのキャラはそういう使い方でいいのだろうかと疑問はありました。
またヒースクリフも幼少期から差別を理由としたいじめを受ける姿が極端に少なく、体罰もキャサリンを守るために代わりに受ける姿のみ。
原作がどうかは知りませんが、過去作では幼少期に受けた虐待や差別が「裕福な奴に対する憎悪」に変わっていくので、そこもばっさり切ってましたね。
これを省いたからキャサリンと対等になってない気もする。
全体的にも物語のトーンが均一的で波の無い展開がかったるくてしょうがなかったですね。
風景とかにも力を入れたんでしょうけど、それ、嵐が丘においてマストですから。
とにかく、今後追いかけるのを考えようとさえ思ってしまいましたw
とりあえず次回作は見ますけど。
そういや、ソルトバーンでバリー・キオガンが墓を掘って死体と性行為するシーンがありましたけど、あれって嵐が丘から来てるらしいですね。原作でそんなシーンがあるのか?吉田喜重版にはありましたけど。
それだけ好きな原作を、自分のやりたいように描けたって最高でしょうね。
僕はダメでした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10



