ブラインドスポッティング
「ルビンの壺」という絵がある。
普通に見ればただの壺だが、よく見ると顔が向かい合っているという、いわゆるトリックアート。
1枚の絵で二つの見方ができるこの絵ですが、この絵、壺と二つの顔、同時に見ることはできないんだそうです。
試しに自分もやってみたけど、確かに同時に見ることはできない。
だからと言ってパッと見で見ても、全てをきちんと把握できない。
人間てなんて不器用なのか。
今回鑑賞した映画は、そんな一つの見方をすることしかできない人間の盲点となってしまう部分に着目した2人の白人と黒人のお話。
舞台はオークランドという街。
カリフォルニア州の都市として栄えた街を地元とする黒人のコリン(ダヴィード・ディグス)は、ある犯罪を犯した罪で保護観察処分を言い渡され、少年時代から仲はいいが、何かと問題児の白人のマイルズ(ラファエル・カザル)と引っ越し業者として真面目に働いていた。
その期間があと3日と迫り、晴れて自由の身となるはずだったのだが、宿舎に帰る途中、逃げる黒人を発砲する白人警官と鉢合わせてしまう。
この日を境に、彼の中でずっと抱え込んでいたものが浮き彫りになることで、マイルズとの関係に小さな亀裂が生じたり、オークランドという街で今起きている環境の変化に苛立ちを募らせるマイルズに面倒を掛けられたりと、コリンに様々な試練が訪れていく、というもの。
白人と黒人の幼馴染。肌の色は違えど、育った環境が同じこともありずっと仲良く友人関係を続けてきたわけですが、実は「見ていた景色」も「価値観」も大きく異なっていたことに気付いてしまったことが、物語の核心へとむかっていくのであります。
まず率直な感想。
今年、黒人警官が白人に成りすましてブラックパワーで事件解決を試みる「ブラック・クランズマン」という映画が公開されました。
僕、クライマックスでの現実に戻されてしまう映像を素直に受け入れることが出来なくて、大きな満足を得られることができなかったんですね。
でも今作は黒人に深く刻まれている人種差別を扱いながらも、今の貧困層の白人の立場もしっかり描いてたことや、今アメリカで起きている出来事にスポットをあてていることや、エンタメ要素としてバディモノとしても面白おかしく描かれていたので、比較するのは違うと思いつつも、単純にこっちの方が好きだなぁと。
保護観察の身として1年間頑張って悪さもせず真面目にお仕事したり生活してきたコリンなのに、あと3日ってところで、自分の心を揺さぶってしまう発砲事件に出くわしてしまう。
気が気じゃないのに相棒は何の気なしにやんちゃをしでかすから、このままじゃ期間延長になっちゃうんじゃないのかと不安にさせる要素もありながら、この二人のユーモアな掛け合いや、それが飛躍した結果、二人が抱える葛藤、それが物語の根幹へと導くという、なかなか面白い話だったなぁと。
で、一体この映画が何を示しているのかってのをざっくり書いていこうかと。
黒人のコリンは、白人警官が黒人に向けて銃を突きつけ、終いには撃たれて死んでしまった場面に遭遇してしまうことで、大きな不安を抱えていくんです。
何が不安かってのは、無抵抗にもかかわらず黒人だからということで白人警官は自分に向けて銃を発砲してくるのではないか、ってこと。
最近の映画でも「フルートベール駅で」とか「デトロイト」とか、あと今年だと上で書いた「ブラック・クランズマン」、「ビール・ストリートの恋人たち」でも白人至上主義による警官たちから、暴行を受けたり不当な扱いを受ける黒人の姿を描いてましたが、コリンにもその映画の黒人たちと同様の恐怖を味わうわけです。
その光景を見て自分が何かしたわけではないけど、あいつらはなりふり構わず撃ってくるぞ、どうする俺、みたいな恐怖。
実際彼はマイルズとともに白人に暴行を加えたことで捕まり、保護観察の身にありました。
友達の白人マイルズはお咎めなしだったのに、自分だけ罪を着せられる。
そういった現実を体験しているのに、目の前で起きた事件を見て恐怖を感じるんですね。
彼が抱えた問題は、元カノの一言などによってどんどんその強さを増していき、クライマックスでは溜まった膿を出すかのように思いをラップで表現するシーンは圧倒されます。
で、ぶっちゃけこういう黒人が抱える不安とか不都合といった部分だけを深堀したお話なら、ほかにも面白い映画やタメになる、考えさせられる映画があるんですが、この映画はそれだけではないんですね。
白人が抱える不安や不都合もちゃんと描かれているんです。
マイルズは白人でありながら、黒人たちによって築き上げた街オークランドで生まれ育った「地元のヤンキー」。
白人だから保守的、というわけではなく、相棒のコリンとは仲がいいし、奥さんも黒人。
と、普通に黒人たちと和気あいあいしながら楽しく過ごているんですが、彼も心の中で沸々と苛立たせる案件が存在するんですね。
それがオークランドに越してくる意識高い系富裕層ども。
かつてオークランドは「西のハーレム」と呼ばれるほどアフリカ系アメリカ人の町として盛んだったそう。
そこからさまざまな運動をしたり、貧しい黒人たちに救いの手を差し伸べたりしてきたことで、黒人人種同志の仲間意識が高まり栄えていった歴史があるんだそうですが、そこで生まれたマイルズは、肌の色が違いながらも「ここは俺が生まれ育った町」として誇りを持っているんですね。
だからでしょうか、「今、オークランドがアツい!」とにぎわせているIT系やら金持ち集団がこぞって街に流れ込み、自分が慣れ親しんだ街の慣習やら景色やら社会、環境、経済までをもぶち壊してしまうことに腹を立てているんです。
この、元々住んでいた低所得層があふれる街に高所得層が流れ込み、街に活気があふれ発展を遂げていく一方で、それによる家賃の高騰により困窮する人々が増えてしまい、かつてのコミュニティが失われていく現象を「ジェントリフィケーション」と呼ぶそうで、マイルズが抱える悩みや葛藤は、まさにこの現象のことへのものなんですね。
かつて黒人たちが築き上げ強い絆で結ばれた街は、今では表向きこそ寛容に接しているけど、昔から住んでいる人種からは非常に厄介な存在であることを、この映画で描いているというわけです。
さらにマイルズに焦点を当てると、彼は数少ない白人男性としてこの町で育ち、黒人たちと距離を縮め今のポジションを手に入れた実績を持っているからこそ、この町の人間として自信と誇りをもって暮らしてきたのに、金持ちのよそ者が増えたことで、普段触れない音楽や食べ物飲み物があふれることに、心底腹が立っているんですね。
注目したいのは、劇中ではオークランドに越してきたIT系の金持ち野郎のパーティーに行くシーン。
マイルズはこの町の人間だから、慣れ親しんだ言葉、黒人が使う言葉を今までと同じように使いながらパーティーに参加した黒人と会話するんですが、新しく越してきた人間は、彼が白人だから黒人のような振る舞いや言葉を使うことに違和感を覚えるんですね。
あいつ白人なのに、何無理してんだと。
これを言われたことでマイルズはとうとう堪忍袋の緒が切れてしまいます。
お前らに俺の何がわかるんだ、勝手にノコノコやってきて簡単にこの街を語るんじゃねえ、何がビーガンバーガーだ、何がクラフトビールだ、何がオーガニックだ、ふざけんな!と。
また、ここの家主がですね、オークランドで長く育った大木を切って作った切り株のテーブルを自慢する件があるんですよ。
街に新しくやってきた者たちは、そうやって何の気なしにこれまでの歴史や環境を壊して、さも自分たちが新しい街に変えてやった、みたいな気持ちでいる、そんなように見えました。
なんというか先人に対して礼儀を欠いた姿というか。
そりゃあマイルズも怒るよなぁと。
でもこれ、この映画のテーマでもある「盲点」として別の視点で考えてみると、白人が黒人に対し暴力をふるっている、という構図にも見て取れ、結局その場で捕まることなく逃げる白人てのが、コリンがおびえる問題がいまだ解決できていない、ってことを言っているように見えます。
まだマイルズの話になるんですが、彼は黒ばかりがいる中で一人白だったことから、黒になりたかったんじゃないかなぁと。
奥さんも黒人、友人も黒人。
黒人たちが使う言葉や格好をすることで、彼らに近づきたい、彼らになりたいという思いはきっとあったように思えます。
コリンが保護観察だからか大人しい姿ってのもありますが、いつもイキってるような感じで。
もちろん相棒とは真逆の対象っていう映画の設定もあるんでしょうが、マイルズは拳銃を持ち歩き、「ヒップスターを殺して街を守れ」という過激な文言のTシャツを着て、仲間からニガーと呼ばれたがっている。
それはもうかつてよそ者だったり白人至上主義からオークランドのコミュニティを守るために仲間の絆を大事にし、運動を起こしてきた黒人そのものというか、彼が考える黒人の姿というか。
なんか真面目な話になりがちな文になってますが、コリンとマイルズの掛け合いも面白く、冒頭で拳銃買っちゃう件とか、こんな青汁誰が飲むんだよ!と怒るマイルズに対し、試しに買って飲んでみる、結果ハマるというコリン。
ここの件は、新しいものに不寛容なマイルズに対し、寛容な態度をとるコリン手構図になっていて、それがお母さんの再婚相手の人種にもつながってくるのが面白いですね。
あとは、ヘアアイロンを美容室に持っていって安値で売りさばこうとするマイルズとか、青汁をあれだけ毛嫌いしていたマイルズが、ブチ切れたコリンを宥めるために青汁を飲んで場を盛り上げる姿なんか、これぞ友情というか、物語で一番言いたい部分にもなっているというか。
白人と黒人。
ずっと一緒に育って来たのに、価値観や見ている景色は同じではない。
あの事件以来コリンが抱えていた恐怖など理解できなかったマイルズ。
変わっていく環境にこれほどまで苛立っていたことなど知らなかったコリン。
どちらも知ることで新しい視点が生まれる、という「見方」の話であり、今のアメリカを知ることができる、非常にお勉強にもなる映画。
あくまで白人と黒人の話にフォーカスを当ててますが、実際には出たり入ったりを繰り返す人々の姿を見ることで、社会がいかに複雑な構造によって成り立っているか、またその裏でどれだけの人が抑圧されているか、みたいなことも含んだお話だったと思います。
差別自体は頭では理解していても無意識にしてしまっているもの。
とっさの一言や行動で、別の視点から見ると全く違うように見える。
物語には二面性がある、と「ワンダー 君は太陽」で言ってましたし、異なる証言をベースにいくつもの視点で物語を構築した「羅生門」もそれにあたると思いますし、映画じゃそういうことできるけど、現実ではなかなか別の視点を一気に把握することは難しいってことで。
人間は不器用だなぁ。
今作を監督したカルロス・ロペス・エストラーダさん。
今回が初の長編映画作品ということで、すごく意欲的で刺激のある映画を作ったなぁと。
ただやはりキャリアがまだ少ないということもあってか、まだ未完成感がある映画にも見えました。
特にカメラのカットとか物語自体をもと盛り上げるような工夫が足りないなぁとか。
それでもお話はすごく面白いと。
オバマ前大統領も去年のベスト10に入れたってことが話題ですが、それ以前に面白いなぁと。
ちょっと今回時間の都合でイントロダクションとか省いたんですけど、たまにはこういう形のもいいかなぁと。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10