CUBE/一度入ったら、最後
「裏窓」や「ダイヤルMを廻せ!」をはじめとするヒッチコック作品や、名作「十二人の怒れる男」など、密室状態の中で起こるサスペンスは、昔から数多く存在します。
限られた空間に置かれた人物の会話がメインとなるこのジャンルは、緻密な脚本によって完成され、心理戦や驚くような展開から緊張感と高揚感を生み出し、観る者に高い満足を与えています。
最初に挙げた作品群は、いわば王道ミステリーモノとして扱われると思いますが、近年ではホラー映画やスリラー映画で用いられるパターンがよく見受けられ、グロ描写やゴア描写といった視覚効果や、過剰なまでのハプニングを取り入れたパニック要素を加えることで、さらに面白い作品に仕上がっている気がします。
今回鑑賞する映画は、そんな密室スリラー映画史に新たな1ページを刻んだ「CUBE」を、オリジナル版の監督公認で日本でリメイク。
謎の立方体に閉じ込められた男女が脱出を試みるが、様々なトラップによって命の危険にさらされていく密室スリラーです。
オリジナル版は当時めちゃめちゃ流行ったんですよね。
まだ映画なんて全然見てなかった自分もレンタルビデオ店で(VHSで!)借りてみたほど。
今回おさらいしてから鑑賞してまいりました!
作品情報
密室サスペンスの先駆けとして、世界的にカルト映画として認知された、1997年公開の「CUBE」を、日本を代表するキャスト陣を迎え、オリジナル版の監督であるヴィネンチェンゾ・ナタリ公認でリメイク。
謎の立方体=CUBEに閉じ込められた男女6人。
ここがどこなのか、なぜ閉じ込められたのか、どうやって脱出するのか、そして生き残ることができるのかも、全くもって不明。
恐怖心に駆られる中、ひたすら「生きる」ために進んでいく姿を描く。
劇中で登場する様々な罠は、内臓を揺さぶるような危険度の高いものとなっており、観る者も知らぬ間にCUBEに閉じ込められる錯覚に陥ることだろう。
果たして、立方体は何を意味するのか。
閉じ込められた6人から何を見出すか。
不条理しかない環境で、彼らは悩みもがきながら、進んでいく。
あらすじ
目が覚めるとそこは謎の立方体=CUBEの中だった—
突然閉じ込められた男女6人。
エンジニアの後藤裕一(菅田将暉)、団体職員の甲斐麻子(杏)、フリーターの越智真司(岡田将生)、中学生の宇野千陽(田代輝)、整備士の井手寛(斎藤工)、会社役員の安東和正(吉田鋼太郎)。
年齢も性別も職業も、彼らには何の接点もつながりもない。
理由もわからないまま、脱出を試みる彼らを、熱感知式レーザー、ワイヤースライサーや火炎噴射など、殺人的なトラップが次々と襲う。
仕掛けられた暗号を解明しなくては、そこから抜け出すことは絶対にできない。
体力と精神力の限界、極度の緊張と不安、そして徐々に表れていく人間の本性…
恐怖と不信感の中、終わりが見えない道のりを、それでも「生きる」ためにひたすら進んでいく。
果たして彼らは無事に脱出することができるのか?!(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、清水康彦。
斎藤工と芸人・永野らによって製作された「MANRIKI」で長編映画監督デビュー。
「チーム万力」というプロジェクトに参加した縁もあってか、再び斎藤工プロデュース作品で、ラジオ番組とカレーが家族の絆をつなぐ物語を、リリー・フランキーの一人芝居で描く「その日、カレーライスができるまで」も手掛けています。
これまで数々のアーティストのMVや、大手企業のCMなどを手掛けてきた手腕が、本作でも発揮されるか注目です。
登場人物紹介
- 後藤裕一(菅田将暉)・・・東京都出身。職業はエンジニア。家族構成は父親と弟の博人。頭脳明晰で、謎の部屋に閉じ込められたことを冷静に受け入れ、脱出の糸口を探る。5人に平等に接するが、中学生の千陽には特別な感情を抱くも本人は気づいていない。時間が経つにつれ、過去のトラウマと向きあうこととなる。
- 甲斐麻子(杏)・・・出身地不明。職業は団体職員。家族構成は不明。非常に冷静沈着な性格で、自分のことはほとんど語らないので、一見何を考えているかよくわからない。冷たく見えがちだが、5人を見守ってる様子も垣間見える。
- 越智真司(岡田将生)・・・千葉県出身。職業はフリーターでコンビニ勤務。家族構成は両親と妹。人見知りせず、人懐っこい性格ではあるが、パニックになりやすく変化に弱い。閉じ込められたことをなかなか受け入れられず、またそれを隠すこともできないので騒ぎ立てる。自分が世間から虐げられているという意識が強いので、権力者や年上が嫌い。
- 宇野千陽(田代輝)・・・神奈川県出身。職業は中学生。家族構成は両親と弟。元々は明るい性格だったが、中学校で壮絶ないじめに遭い心を閉ざす。誰のことも信用せず、特に助けてくれない大人に強い嫌悪感を示す。後藤のことも最初は拒否していたが、少しずつ変化が起こっていく。
- 井出寛(斎藤工)・・・福岡県出身。職業は整備士。家族構成は妻。責任感が強く、リーダーシップを取っていくタイプだが、時々暴走しがちで短絡的。6人の中で唯一部屋に閉じ込められる前の記憶があり、瀕死の妻のために出口を探すが、時間がなく非常に焦っている。
- 安東和正(吉田鋼太郎)・・・愛知県出身。職業は広告代理店役員。家族構成は妻と娘。業界を渡り歩いてきたやり手のサラリーマンだが、出世するためには手段を選ばないため、敵も多い。心の奥底には罪の意識を抱えている。がむしゃらに働いてきたので、やる気のない若者や子供が嫌い。
(以上HPより)
オリジナル版と、どう違うトリックになっているのか。
素数とは、デカルト座標とは、フラクタル図形とは?
数学苦手なんでその辺無視して楽しみますw
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
#映画CUBE 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2021年10月22日
なんなんこれ?
一度入ったら最後ですよホント。 pic.twitter.com/8pfEsOg5Wg
部屋狭すぎだろこれ。
怖くもないし、ドラマ要素無駄だし、話止めるし。
久々に駄作に巡り合えました。
以下、ネタバレします。
大人として生きていくために。
謎の立方体に閉じ込められた男女の6人が、様々なトラップや閉鎖された空間で神経を削りながらも前へ進んでいく姿を、オリジナル版とは違うトラップや差別化を図るためにドラマ要素を強く取り入れた意欲は買うが、あまりにも狭い部屋に不自然な立ち位置による構図など、明らかに空間を意識してない撮影方法に飽きる絵面、さらには緊張感を失ってでも話を止める進行など、日本映画特有の悪い所満載の久々の駄作でございました。
オリジナル版「CUBE」は僕にとってめちゃめちゃ面白い部類の作品だとは思ってないが、あの時代にあれだけ画期的なプロットを作り出し世に放ったことで、後に続くスリラー作品が出てきた功績は大きい。
人種や性別の異なる男女が謎を解明しながら迷路を彷徨っていくうちに、ステータスも体裁も剥がされ、人間の本質だけが浮き彫りになっていく。
ある者は希望を胸に、ある者は怒りを、そしてある者は自己犠牲と、謎の立方体の中で最初とは違う一面を見せていき、トラップによる恐怖以上に「人間」自身が恐怖そのものになっていく展開は非常に面白かった。
しかも話しを止めることなく進行しながら、およそ90分間でスリリングに見せていく。
当時20代に差し掛かる手前で見たオリジナル版を、この歳になって改めておさらいしたが、よく出来た作品だった。
そして本作である。
…びっくりした。
何がビックリしたって、オリジナル版の良さを完全に損なった作品になっていたことに。
愚痴はおいおい書くとして、まずは本作の物語の根底にあったモノは一体何だったのかを紐解いてみる。
エンジニアの後藤、団体職員の甲斐、中学生の千陽、フリーターの越智、井出、安東の6人が今回のCUBEの餌食。
無策で進んでいく井出についていきながらも、扉越しに打ち込まれた数字の規則性を見つけた千陽と後藤の力によって「素数」のない部屋にはトラップがない事に気付く。
しかし、元いた部屋に戻ったことで、6人は足を止め絶望に苛まれていく。
それでも進む井出にワケアリな部分を感じ始めたことで、物語は6人(正確には5人)の社会的地位や身分、大人と子供といった世代間の軋轢などにシフトし、「外に出たとしても何も変わらないけど、それでも前に進む」という答えにたどり着いていく。
物語の後半、井出が死んだことでそれぞれの気持ちに暗い影が襲ってくる。
そうなると誰しもが「前に進む」ことよりも、この状態を誰かのせいにし、怒りをぶつけてしまう。
今の自分がこんなみじめで情けなくて、金も地位も何もかも恵まれていないのは、自分のせいではなく、世の中のせいだ。
よく耳にする言葉だし、自分も時にこの答えにぶつかるときがある。
これまで大人たちが自分たちの好きなようにやってきたから、下の世代が育たない。
大人たちが子供たちの未来ではなく、自分たちの未来しか考えてないから下の世代がくすぶってしまっている。
政治家にしたって、国会で寝てばかりの老人政治家たちばかりが座席を保持し、若く有望な世代にその座を譲ろうとしない。
いつになったら社会は子供たちや若い世代に暮らしやすい環境を作ってくれるのか。
逆に大人は若い世代に「それは世の中のせいではなく自分のせいだ」と語る。
今の自分がこうして豊かに暮らせるのは社会がそうさせたからではなく、自分で道を切り拓いたからだ。
下から這い上がってきた経験があるからこそ、そう言い切る。
自分ができたのだから、お前もできるはず。
成長できないのは、お前が怠けているからだ。
若い奴らはそれを自分のせいにせず、大人が、社会が悪いとぬかす。
だから大人は若い奴らが嫌いで、若い奴らは大人が嫌いだ。
どちらの意見も理解できるし、どちらの意見も何かを見失っている気がする。
本作はこの両方を登場人物に設定することで、現代社会で起きている世代間や格差による分断を取り入れている。
安東はフリーターである越智が何もできないでいることから、ステレオタイプで決めつけ罵倒する。
怒りをぶつけられた越智は、指の爪をこすり出すことでストレス状態になり、全ての憎しみの矛先を安東へむけていく。
結果越智は、なんでもかんでも威張って圧力を与える大人が大嫌いだと怒りをあらわにし、ダークサイドに墜ちていく。
オリジナル版に登場した黒人の警察官同様、暴力で皆を恐怖に陥れていく。
後藤と千陽にもドラマがあった。
後藤には自殺した弟がいたことが明かされる。
父親によるDVから逃れることができず自殺してしまうのだが、兄である後藤はその場にいたにもかかわらず、「俺みたいに頑張れ」と説得したことが逆に後押しになってしまい、弟から「兄ちゃんにはそんなこと言ってほしくなかった」と言われたことから、差し出した手を引っ込めてしまう。
後藤にとってこれがトラウマとなっており、CUBEの可視化機能によって後藤の過去を見せられた千陽は、何故手を引っ込めたのかを強く求めてしまうのだった。
千陽も正確に明かされたわけではないが、左腕にあざがあったことから誰かに暴力をされてたことが窺える。
助けようとして手を引っ込めた後藤の姿を見て、結局大人は誰も助けてくれないと改めて思うようになってしまった。
子どもたちや下の世代に「頑張れ」と声をかけることは、彼らの励みにはなってない。
頑張れない人たちの気持ちを考え手を差し伸べることが、人間として成長を与え、よりよい社会へと変化していくことなのではないか。
そんなことをこの「CUBE」は伝えたかったのかもしれない。
物語は、手を差し伸べてくれた大人は一人もいないわけではないと悟った千陽が、未だ何も変わらない社会で生きていくために一歩踏み出すところで幕を閉じる。
この後にCUBEの黒幕が明かされるが、黒幕は彼らのように社会や格差を感じている者を選別し、立方体の中で実験を繰り返しているのかもしれない。
社会を、世の中をよくするために。
しかしつまらなかったね~。
とまぁ、色々こねくり回して物語の核たる部分を自分なりに解釈してみましたが、それにしても全然おもしろくありませんでしたね~w
オリジナル版の監督さんがアドバイザーとして色々提案したり言及したりしたそうですが、恐らく今の日本人が抱えている問題に焦点を充てた物語にしたことは容認し、自分が採用しなかったトラップを今回使ってみてよ!くらいのモノだったのかもしれません。
でなければ、もっとツッコんでいたはずだし、ツッコんでくれないとあなたの信用問題にも関わるのではないですか?と思うほど、ヘンテコな映画でした。
まず第一に、CUBE自体が狭すぎます。
オリジナル版も6人で、それなりに距離をとったように見せていたんですよ。
しかもカット割りや構図を色々考えて撮影したこともあって、恐らくそこまで広くはないであろう部屋に奥行きが生まれ、立派な立方体として見せていたんですよ。
でも本作の場合、距離は近いわ、変な配置で立ってるわ、誰かがひそひそ話してるのに、明らかに聞こえそうな場所に居たりとか、相変わらずカメラ目線でsyバエり出すとかするせいで、せっかくの立方体が長方形にしか見えないんですわ。
なんですかこれは、下北沢の小劇場ですか?
「あなたもCUBEの中に入っているように見えます」なんてお世辞でも言えません。
改めて空間を作るのって難しいんだなと勉強になりました。
他にもトラップに関しては、これといった恐怖感はありません。
レーザービームや下から檻が出てくる部屋、壁の色が登場人物の感情によって変化する部屋など、オリジナル版にはない仕掛けが多数出てきましたが、別にそれが恐怖を与えるようなものではないし、その部屋で劇的なことが起こる、または物語に変化が生まれるようなことはありませんでした(一応井出が死ぬのはレーザービームでしたが)。
恐らくレーティングの関係でグロい描写はできなかったことが原因かもしれません。
それは仕方のない事ですが、工夫すれば怖いモノを見せられると思うんですよ。
どこのシーンを見ても、「あ、終わった・・・」と思うようなトラップはないし、妙にギリギリ回避するシーンが多発し、怖さが微塵にも感じられない。
高所恐怖症だからか、壁の外側の景色はゾクゾクしましたけどw
一番よくないのは、いちいち話を止める所ですね。
後藤と千陽の関係性を強めるために、越智や安東の対比を作るために、妙に時間を取って部屋で待機する場面が多々ありました。
どうもこの場面になると、シラケてしまうのです。
尚且つ、誰も焦ってない。
一番セカセカしなくてはならない設定の井出まで、部屋の隅で壁を見て突っ立っているのです。
何なんだこの時間は。
別にタイムリミットがあるわけでもないですけど、本来ならあの箱の中でこの先どうなるかわからないのであれば、もっと焦燥感に駆られてじっとり汗がにじみ出たり、苛立ってみたり、テンパったり諦めたりする人間描写があって良いはずです。
素数の計算にしたって、オリジナル版でも同じことやってるから驚きはないけど、第一の関門突破という歓喜も薄いし、一つ目の希望を見せるような演出も弱い。
きっとドラマ要素を強めるためには、恐怖感や緊張感を削いででも描きたいことがあるという取り組みだったのかもしれません。
しかし、「一度入ったら、最後」と銘打ってるのであれば、ドラマと並行して緊張感を保たせる必要のある題材だと思うのです。
どうもこの辺を蔑ろにして製作しちゃってるのが、オリジナル版に対してのリスペクト間が無いよなぁと思ってしまうのです。
さらに過去の映像を可視化するシーンだったり、後藤の過去がフラッシュバックするといった「CUBE外での出来事」を見せるのも、脚本的にいかがなものかと。
閉鎖された空間で起きる密室スリラーなのだから、人間同士の会話だけで成立させないと。
後藤のフラッシュバックのシーンは、普通なら我々観衆が会話の内容を聞いたうえで想像する部分。
なのに見せてしまうんですもの。もっと信用してください我々を。
あとなんですか、AIみたいなのがCUBEを操作してるCG描写。
あれも微妙ですよ。
あんなの見せたらせっかくの「謎の立方体」に恐怖感が漂わなくなっちゃうじゃないですか。
一体誰がこんなものをといった「裏側」なんて見せなくていいんですよ、この映画は。
オリジナル版がそうなのに。
最後に
物語のテーマやメッセージには「日本的」な所があって良かったのかもしれません。
しかしこの映画を観たいと思ってる人の大半は、「怖さ」とか「スリリング」を求めるように思えるんですよ。
寧ろああいうテーマやメッセージにしたいのなら、箱の中を移動する必要もなくて、あの閉鎖された箱一つで出来る事なんですよ。
それだけの舞台で話できますって。
何なら途中で書きましたけど、小劇場でできます。
オリジナル版のように、閉塞感によって人間の本性が浮き出て、トラップなんかよりも人間の方が怖い!みたいな方がよっぽど面白いよ。
一応一人出てくるけどさ、理由がなんか強引だよ。
演者は特に悪くはございません。
全員良かった方だと思います。
吉田鋼太郎は役者だなぁw
とにかく僕はこの映画、非常に残念だと感じた映画でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆★★★★★★★★2/10