モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「Dear Stranger/ディア・ストレンジャー」感想ネタバレあり解説 結局男の自己満足なんじゃない?

Dear Stranger/ディア・ストレンジャー

NYが舞台の映画って個人的にはそんなにハマッてない。

過去には「ゴースト/ニューヨークの幻」や「スパイダーマン」シリーズ、「星の王子ニューヨークへ行く」や「ゴーストバスターズ」など思い入れの作品は探せばいくらでもあるけど、やっぱり俺が思うアメリカ映画はLAなんだよなぁと思う今日この頃。

 

何でも、今回鑑賞する映画は、日本の監督がNYを舞台に映画を製作したっていうから見逃すわけにはいかない。

そもそも日本人が海外ロケやるだけでも予算がハネ上がるわけだし、勝手もわからないわけだから相当苦労したと思う。

 

そんなNYで、子供を誘拐されたことをきっかけに親たちの不協和音が鳴り響くという、なかなか斬新なお話。

最近、真利子哲也って何してんだろうと思たったら、こんなもの作ってたんですね。

早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

ディストラクション・ベイビーズ」や「宮本から君へ」の真利子哲也監督が、2019年4月より新進芸術家海外派遣制度により1年間、アメリカ・マサチューセッツ州ケンブリッジに留学した時の経験を基に生まれた意欲作。

 

息子を誘拐されたことをきっかけに、それまで抑えていた想いによって不和が生じていく一組の夫婦の物語を、普段イメージする街ではなく薄暗く閉塞感漂うNYの景色に重ねて映し出していく。

 

暴力から放たれる躍動と刹那を哲学的に魅せてきた真利子哲也監督。

本作は海外留学で得たものや見たものをアイディアに、母国語の違う二人の夫婦が共通言語である英語を使用することでコミュニケーションの「ズレ」を作り、夫婦を通じて愛とは何かを問う作品を目指した。

 

NYの大学で建築の研究をするも、過去の震災の記憶によって廃墟に憑りつかれる大学教授・賢治役を、「きのう何食べた?」、「首ーKUBI-」、そして「ドライブ・マイ・カー」で全米映画批評家協会賞主演男優賞を受賞した西島秀俊が演じる。

 

今回全編英語のセリフに挑戦した西島は、流ちょうに英語を使う相手役のグイ・ルンメイに身を委ねながら、映画という共通言語を使って役に挑んだとのこと。

アメリカのエージェントと契約したこともあり、今後の海外進出の足掛かりになりそうな予感が漂う。

 

台湾から移住し、父の介護や子育てに苦労しながらも、人形劇団のアートディレクターの仕事をしている賢治の妻・ジェーンの役を、『GF*BF』、「薄氷の殺人」のグイ・ルンメイが演じる。

 

日本語からの英訳になっていた脚本を読み、微妙なニュアンスである日本語を深く理解しながら臨んだルンメイ。

今回人形劇を通じて身体的表現を見せる彼女に演技にも注目だ。

 

遠く離れた異国で出会った母国の異なる二人は、何故すれ違い隔たりを生んでしまったのか。

言語ではなく心で通じ合うことで見えてくる愛に、果たして二人は再生できるのか。

 

 

宮本から君へ

 

あらすじ

 

ニューヨークで暮らす日本人の賢治(西島秀俊)と、中華系アメリカ人の妻ジェーン(グイ・ルンメイ)は、仕事や育児、介護と日常に追われ、余裕のない日々を過ごしていた。

 

ある日、幼い息子が誘拐され、殺人事件へと発展する。

悲劇に翻弄される中で、口に出さずにいたお互いの本音や秘密が露呈し、夫婦間の溝が深まっていく。


ふたりが目指していたはずの“幸せな家族”は再生できるのか?(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

感想

結局男と女で価値観は違うわけで、わざわざ共通言語を英語にしなくともできる話。

ショットもルックも日本的でどこか気味が悪いと思ったら、西島秀俊の「どうせ俺なんて」な価値観も気味悪い。

凄くカッコ良さそうに見えてダサい。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

どこから面白くなるのかと…

NYで暮らす日本人と台湾系アメリカ人の妻。

一件仲睦まじい姿を見せているかと思ったら、家事に介護に仕事に育児と四重苦の妻の苛立ちは募るばかりで、夫は仕事優先で手が空いたら「良きパパ」を演じるダメっぷり。

ある日、妻の母の店に強盗が侵入したことがきっかけで、闇市場で仕入れた拳銃を車に忍ばせることに。

 

その後、車の落書きを消してもらおうと、夫は知り合いの整備工場に車を持っていく。

そこで働く工場主の娘の彼氏ドニ―と対面。

使い物にならないドニ―に叱責する工場長を見て、たしなめる夫。

 

そして事件は起きる。

夫と口論になった夜、妻は人形劇で使う人形が破損した連絡を受け、こっそり稽古場に出かける。

息子カイに起こされた夫は、勤め先の大学にカイを連れていき、学長と面会を行うことに。

 

その間、一人で大人しくしていたはずのカイがいなくなる。

大学中どこを探しても見当たらないことに焦りを感じた夫は、妻に連絡。

家に刑事を呼んで捜索願を出すことになる。

 

刑事からの職務質問を発端に再び口論に発展する2人。

たらればのつきない2人に刑事は個別に聞き取りを開始。

徹夜と心労が重なり倒れ込む妻を介抱し、夫は刑事に帰るようせっつく。

 

カイは一体どこへ行ってしまったのか。

そして二人の間に、これまで息子に明かしてこなかった問題が降りかかる・・・。

 

 

というのがざっくりしたあらすじです。

 

正味140分の物語。

全体的に暗いルックのせいか終始息が詰まるような、丸で見たことのないNYの景色に違和感を持ちながら鑑賞することになる本作。

 

日本人と台湾人という母国語の違う二人が、共通言語として「英語」を使わざるを得ない状況が、既に母国語=本音を言い合えない、建前でしか通じ合えない距離感を示してるというアイディアに興味を持った。

 

だから外も中身も洋画のふりをした超日本映画になってる時点で、その違和感を拭うことはできない…と思ってた。

 

恐らく本作は、誘拐事件の顛末ではなく、夫婦間の不和を浮き彫りにすることを重視した物語になるんだろう、そう思ってた。

 

しかしふたを開けてみるとそうではないことが見えてくる。

 

途中で書くのをためらったが、核心に触れないと感想を書けないので明かすとしましょう。

結局カイは賢治とジェーンの間に生まれた子供ではなく、ジェーンとドニ―の間に生まれた子供だったこと、そして誘拐したのは、賢治と会ってしまったことで怒りが暴発したドニ―とその彼女の犯行であったこと、さらに拳銃を発砲され命を落としたドニ―は、不本意とはいえカイが行ったことかもしれないなど、後半はこちらが想定していたテーマが大きく外れ、前半の夫婦間の不和以上にヒリヒリする展開となっていく。

 

夫婦間による言い分は、おそらく万国共通などこにでもあるような問題。

どこか他人事な夫に対して、全てを押し付けられてるような感覚に陥る妻。

育児に対する意識の差が引き金となって、口論はエスカレートしていくわけです。

 

ここである疑問が浮かぶ。

仕事で子供の面倒に手が回らないのがネックなのであれば、ベビーシッターを雇うという発想はこの映画にはなかったのかと。

 

映画でしかアメリカを知らない自分からすると、どうやらアメリカでは子供一人をお留守番にしたら罰せられるそう。

だから2人は交互に子供の面倒を見ながら仕事をしていたわけだが、もしベビーシッターがいたら少しはお互い楽になれたのではないだろうか。

 

ジェーンの父の介護ができる人材を探せていない時点で、恐らく人を雇える程度の費用は出せるはず。

寧ろベビーシッターなどティーンズにとって手軽に稼げるアルバイトとしてうってつけだと言われる程度の費用なのだから、決して悪くない提案だと俺は思う。

 

それを無視してる辺りが、ものすごく洋画の皮を被った日本映画だなと思った大きな理由の一つ。

 

また、カイが通うプリスクールの様な幼児クラスでのシーンで、警察に言われたことがネックとなって疑心暗鬼にかられていく賢治にも違和感。

学校としてはメンタルケアの意味も兼ねて幼児クラスに通うのではなく、家で安静に過ごした方が得策なのではないかと提案するが、賢治がそれを引き金にさらに激昂してしまう。

 

この構図を見ると、案件が案件故にデリケートだからこそ優しく提案する学長の態度が理解するが、アメリカはどちらかというと親よりも学校の方が立場が上なのが一般的だと思っていたので、この辺の描き方も不正解とは言わないが、日本人が描きそうな構図だなと思えてしまった。

 

 

とにかく全体的に違和感なしでは見られない本作。

極めつけは賢治の落とし前。

ドニ―を殺したのはもしかしたらカイかもしれないという疑惑。

カイがドニ―の子かも知れないことも警察に言えないジレンマを抱える賢治は、どんどん自分を追い込んでいき、ジェーンから離れようと試みていく。

 

それまで自分の忙しさに駆られて衝突ばかりしていた夫にようやく向き合うジェーンに対し、賢治は態度を変えようとしない。

それまでジェーンから見れば他人事のように育児してきた賢治だったが、ここへきて急に「父親ヅラ」を始めていくのが気味悪かった。

 

確かに血は繋がっていないし、ジェーンと添い遂げたいということはカイを受け入れる=父親になるということ。

そういう決心をしたにもかかわらず、ここへきて向き合おうとせずてめえで勝手に落とし前を付けようとする態度。

 

邪魔者が消えたのに残っていて仕方ない存在=廃墟と同等のものになってしまったことから、ようやく色々気づかされる賢治は、ラストで自首をする。

 

過去的にも未来的にも賢治にとって恥と怒りだと主張する日本建築。

それを原動力に突き詰めたどり着いた廃墟への執着は、震災を経験した賢治にとって「生と死」を意味するものとして扱われる。

本音=母国語を使えないこの街で、幾ら演じてもそれから逃れることのできない賢治は、今回の一件を経て自首することで「解放」されたのだろうか。

 

また、ジェーンに至っては人形を通じてしか自分の本当の気持ちを投影できない。

人形劇の最中アイスクリームを子供に与える父親、それを喜んで頬張る子供、それを取り上げる母親のシーンがあったが、まるで自分たちの家庭の姿を反映させたかのようなエピソードに、賢治が席を立ってしまうのが印象的だった。

 

2人とも「何か」を通じてでしか表現できない、依存してしまう背景に、やはり母国でない国で生活することに対する息苦しさや閉塞感のようなものが充満した映画でもあったように思う。

 

それは誘拐したドニーにも言えることで、俺の権利と主張したとしてもそれが誰かに届くわけでもなく、願いが叶うわけでもない。

誘拐した所で父親らしいこともできないし、居場所を作れるわけでもない。

 

 

 

とまぁ、色々考えて見れば出てくる本作の解釈ですが、一向に面白くならないのが無念。

本作で物語が動くのは「カイが誘拐」されてから。

そこに至るまでに既に夫婦間の不和は浮き彫りになっていて、その浮き彫りになる過程がやたら長い、というか面白くない。

 

上手く取り繕う賢治に対しどんどん不満を募らせていくジェーン。

賢治はこっそり廃墟に向かって過去(震災で自分が死ねばよっかったとかジェーンと出会った頃に戻りたいとか)と向き合い、ジェーンはジェーンで人形劇の練習に没頭しながら、息苦しさを表現していく。

 

この辺の説明がほぼないせいで、映像で受け取るしかないんだけど、そもそも論としてこれら含めた各々の葛藤とか内面、そして家庭内不和を誘拐後に浮き彫りにさせることはできなかっただろうかと疑問を感じます。

 

序盤から嫌な雰囲気を醸し出すのではなく、誘拐をきっかけに突発的に湧き上がるから劇的なわけで、そうしたがらりと変わる瞬間がこの映画にはなく、ただただダラダラと引きずっていく感じが面白みに欠けるというか。

 

そして自分が当初想定していた展開ではなかったことによる「思ってたんと違う!」内容に、どんどん興味が薄れていく始末。

 

ヒューマンとはいえ一応サスペンスなのだから、もっと引っ張るような内容にした方がハラハラして面白いんじゃないの?という根本的な所に行きついてしまうわけです。

ぶっちゃけ日本人がアメリカで外国人と結婚して、他人の子供の父親になることに独りよがりな葛藤を見せられて、しかも奥さんがやっと向き合うことの大切さに気付いたのに勝手にけじめとか落とし前とかつけようとする「妙なカッコつけかた」がなんかダサくて見てられんのですよ。

 

監督の前作「宮本から君へ」もそうした男たる者、みたいな部分があってモラル的な面で賛否を読んだ作品だったと思うんですけど、本作の様なウジウジっぷりはなかったように思うんでんすよ。

0ではないけど、もっとこうがむしゃらに壁にぶつかってる感じが個人的には好感を持てたんですけど、こっちはそうじゃないでしょう。

 

 

最後に

奥行きのない映像に、終始「廃墟」に引きずられた暗いトーンと演者主体の構図。

俺的に全然好きじゃないルックに悩まされるし、内容も俺向きじゃない、寧ろ興味のない題材だったことから、全然受け付けなかった本作。

 

あと編集ですかね、もっと切れるでしょ。

140分かけてやる内容じゃないですよ。

 

とまぁ色々箇条書きしてしまい読みづらいかと思いますが(毎度の事w)、すごいすごくない、面白いつまらない以前に、好きじゃない映画でした。

1年留学して気づいたことがこの映画の中にあるんでしょうが、監督が進化したようには思えません。

題材的に好きではないけど、インパクトだけでも「ディストラクションベイビーズ」のような暴力性を秘めた作品の方が面白いです。

 

次回作は原点に戻ってバイオレンスが引き起こす人間の性を追求した作品をお願いしたいモノです。

まぁ今回もバイオレンスが全くなかったわけではないですが、もっと前面に押し出したモノが良いですね。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10