ジョン・F・ドノヴァンの死と生
芸能人やアイドルといった、いわゆる僕らのいる向こう側の世界にいる人たち。
TVやスクリーンでしか見たことのない彼らに、なかなか会うことができず、また、思いも伝えることができず。
だから、もし彼らと会うことができたら、話をすることができたら、なんてことを子供の頃空想したこと、あるんじゃないでしょうか。
今となっては、アイドルに「会いに行ける」ことが当たり前になり、SNSなどを通じて芸能人や憧れの人に自分の気持ちを伝えることができる。
芸能人やアイドルとの距離感は、テクノロジーの進化や時代の変化によって、ものすごく縮まってきたんですよね。
その影響により、芸能人はプライバシーを見張られ、些細な言動にも注意深くなければいけず、何かはみ出そうものなら袋叩きにされてしまうこともしばしば。
なぜ芸能人はこちら側に伺いを立てるような行動をせねばならず、なぜ一般人は芸能人を干渉するような行動をしてしまうのでしょうか。
僕が思うに、こっちの世界と向こうの世界はルールが違うモノだって認識があって、ぶっちゃけ好きなことやっていい気がするんですよね。
だってそういう世界だもの。
なぜクリーンな存在でいなきゃいけないのか。
なぜいい子ちゃんでいなきゃいけないのか。
それってこっち側が求められることなんじゃないの?って。
スターはあくまで憧れの存在。
距離が近くなった分、余計に近づけないような存在でいてほしいと願うばかりです。
今回鑑賞する映画は、芸能界のスターと少年が「秘密の文通」で繋がるというお話。
カナダの異才が、どんな物語を描くのでしょうか。
というわけで早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
カナダが生んだ若き才能が、「『タイタニック』の時のレオナルド・ディカプリオにファンレターを出した」という、自身の幼いころに体験した出来事を基に描いた今作。
人気俳優の突然の死、その真相を知る一人の少年との回想をめぐりながら、美しきスターの光と影、そして監督自身が貫いてきた「母と息子」というテーマへと続いていく。
今回初の英語での作品に、人気急上昇中の俳優や名子役、レジェンド女優などがキャスティングされたことで、監督が持つ映像美がさらに美しく際立っていく。
監督の集大成に位置付けられている今作。
すべてが明らかになったとき、胸が熱くなる。
あらすじ
2006年、ニューヨーク。
人気俳優のジョン・F・ドノヴァン(キット・ハリントン)が29歳の若さでこの世を去った。
自殺か事故か、あるいは事件か。謎の真相の鍵を握るのは、一人の少年だった。
それから10年の歳月が過ぎ、ドノヴァンと当時11歳の少年だったルパート・ターナー(ジェイコブ・トレンブレイ)の“秘密の文通”が一冊の本として出版される。
今では注目の新進俳優となったルパートが、100通以上の手紙の公開に踏み切ったのだ。
さらにルパートは、著名なジャーナリストの取材を受け、すべてを明かすと宣言するのだが──。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのはグザヴィエ・ドラン。
これまでカンヌ国際映画祭でグランプリと審査員賞を獲得していますが、彼の凄い所は、この偉業をすでに20代で達成していること。
その冠をひっさげて、ようやく英語での制作作品を手掛けることになります。
舞台や場所が変わったところで、彼は姿勢を変えることはないでしょう。
現に今作も、監督・脚本・編集・プロデュースと、いつも通り自分のビジョンを目指しているのがうかがえます。
彼の作品の良さは何といっても映像から沸き立つ美しさ。
「マミー」の時はスクリーンに映し出される画角を変えることで、登場人物の心理状態を浮かび上がらせる画期的な手法で描き、「たかが世界の終わり」では徐々に情熱迸っていく被写体を近距離でとらえ、美しくも切ない夕陽が印象的でした。
技法的な面も素晴らしいですが、、彼が描くテーマ性も注目したいことろ。
基本的には今作同様「母と息子」をメインに描く作品が多く、親子という関係がゆえに歪んでしまう愛や、それらによって生じてしまうすれ違いなど、自分たちが経験してきたようなもどかしい気持ちが随所に見て取れる気がします。
そして自身もゲイであるという部分から、マイノリティとしての生きづらさも交えつつ、それが個性であることを強く示す、または伝える姿勢が作品から読み取れるかと思います。
よって、時代がいま求めている才能であることは間違いなく、今作をきっかけにさらなる飛躍が望めるのではないでしょうか。
監督に関してはこちらをどうぞ。
一応彼、俳優もこなす多彩な顔を持ってるんですが、ちゃっかり「IT チャプター2」に出演してたの気づいた方おりますでしょうか。
なぜ出演したのでしょう…
キャスト
今作の主人公、ジョン・F・ドノヴァンを演じるのは、キット・ハリントン。
すいません、誰だか全然知りません…。
まぁバチクソイケメンなので、いい作品に巡り合えればもっと彼を見かけることになるんでしょう…と思ったら「ゲーム・オブ・スローンズ」出身ってことで、あ、俺がちゃんと世界を見てなかっただけか…と反省。
映画出演で言えば、「サイレント・ヒル:リベレーション3D」を皮切りに、「ポンペイ」、「ヒックとドラゴン2」以降で声の出演をされてるよう。
とりあえず今回初めてお目にかかるので、彼の佇まいから何から堪能したいと思います。
他のキャストはこんな感じ。
ジョンの真相を知るルパート・ターナー(青年期)役に、「スノーデン」、「ウォークラフト」のベン・シュネッツァー。
ルパートの母、サム役に、「ブラック・スワン」、「ジャッキー/ファースト・レディ 最後の使命」のナタリー・ポートマン。
バーバラ・ハガーメーカー役に、「ミザリー」、「リチャード・ジュエル」のキャシー・ベイツ。
ルパート・ターナー(子供時代)役に、「ワンダー 君は太陽」、「ザ・プレデター」のジェイコブ・トレンブレイ。
オードリー・ニューハウス役に、「幸せのちから」、「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」のタンディ・ニュートン。
ジョンの母、グレース・ドノヴァン役に、「テルマ&ルイーズ」、「デッドマン・ウォーキング」のスーザン・サランドン。
ダイナーの老人役に、「ハリー・ポッター」シリーズのダンブルドア教授でおなじみ、マイケル・ガンボンなどが出演します。
スターならではの苦悩、そこから2組の母と息子の物語も重なってくる物語。
ドランらしさが透けて見えてきますが、果たして。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
そこまでドラン作品を見てないけど、これは正直上手な映画とは思えない出来。
2つのストーリーラインという複雑さが仇になってしまったか。
以下、ネタバレします。
これは巧いのか?
少年とスターの秘密の文通を軸に語られる死の真相を、大人になった少年の回想から膨らませていく物語は、生い立ちや環境、過去やセクシャリティなどによってうまく生きていけない2人の共通項で点を作り、そこに母親の存在や関係性を加えることで、ドランがこれまで一貫してきた「母と子」の物語をさらに増幅させた作品へと進化させたが、2つ存在する物語が絡むようで絡まない歪な構造や、突発的に訪れるエピソードの沸点が乱発することで、受け手の感情をスムーズに運ばせてくれないなど、才能が効果的に発揮されていない完成度になっており、少々残念な作品でありました。
普段感想の頭には、概要や作品の素晴らしい点をザックリまとめて書くんですが、今回ばかりは監督に失望してしまったことへの鬱憤を吐いてしまうような書き方になってしまいました。
こう思ってしまった要因の多くは、題材やテーマ性はいつも通りのドランだからそれなりの期待はあったものの、主人公が二人、しかもルパートは少年期と大人と、正確には3人の視点という、追わなければいけない人物の多さの時点で複雑で、さらには物語の構成が非常にややこしい点から、見る側に不親切な物語になってしまっていることなのではないかと。
この手の映画ってやっぱり別々にあるエピソードが話が展開するにつれて纏まっていき、最後に1本の道筋になるから、見てるこっちも清々しくなるんだけど、途中でクライマックスのような劇的な展開が出てしまったり、そこで終わらずにまた新たなシーンが続いていくという、「終わる終わる詐欺」のような流れが幾度も出てきて、なんてめんどくさい映画なんだろうと何度も思ってしまったわけです。
いや、言いてえことはわかる。
親によって新棚場所でのスタートをせざるを得なくなった少年が、母親のためを思って役者になり奮闘するけど、その母親は自分が抱えている葛藤を理解してくれない。
そんな中でこっそり始まったジョンとの文通が唯一の支えだったと。
そこだけがルパートにとっての「希望」で、誰にも邪魔されない唯一の「世界」で、だから頑張って生きていけるはずだったのに、現実はそうはさせてくれないわけで。
クラスメートにいじめられ、自分の唯一の希望を現実で披露しても誰も信じてくれない、母親にもウソ呼ばわりされ、凹む一方。
ジョンもスター街道を登っていく半面、ルパートの文通とセクシャリティという隠したい部分があり、人前での自分と本当の自分の差が開いていくことで葛藤し、本当の自分を恥じていく。
そのモヤモヤは母親や親族に怒りとしてぶつけ、さらには共演者にまで手を出してしまうほど追い込まれていく。
新進スターの光と影を、大人になったルパートが真相として語り出すことで、ジョンもルパートも孤独から解放された先の素顔を見せ、結果支えてくれたのはまぎれもない「母親」であったのだということ、そして自分に嘘をつくことがどれだけ自分を苦しめていくのか、如何に本当の自分をさらけ出すことが生きていく上で大切なことか、ってのがこの映画の言いたかったことなのかなと。
ジョンFドノヴァンの生と死、というタイトルでなく、死と生、ってのは、スターとしての偽りの自分は死に、本当のジョンが生まれたことを意味するタイトルなのかなと。
こうすりゃ良かったのに。
だからこそもっとジョンとルパートが回想の中で文通をする過程を見せ、こちら側が入り込みやすい脚本を作ってほしかったし、母親とのわだかまりも背景をもう少し見せるとか深いやりとりをやってほしかったなぁと。
というかルパートの少年と大人だけに話を絞って、ジョンという人物が一体どういう人物かを映像で見せずに、こっちが想像出来るような構成の方がシンプルで良かったのかも。
そうすることでルパートの母親とのエピソードがもっと作れるし。
それか、ジョン主体の物語にして、ルパートはもっと出番を減らす、大人のインタビューの部分も無くすことで、スターの光と影や死からの再生メインの、それに感化されるルパートくらいの方がスマートな気がするんですよ。
まぁ自分で言っといて、いざその通りに出来上がったら違う!とか言いそうですけどw
なんてワガママな俺w
実はですね、悪い癖で鑑賞前に「きっとこういう物語だろう」、とか「こういう物語だったらいいな」って妄想したり予想したりする癖がありまして。
今回ももちろん妄想をして臨んだわけです。
で、一体どんな妄想をしていたのかというと、
実はジョンはルパートと文通をしていなかった、ではルパートは誰と文通をしていたのか、それは母子になってコミュニケーションが疎かになってしまっていた母親だった。
大きな嘘に落胆するも手紙を読み返すことで、母親の存在や思いに改めて気づき関係を修復していく。
ジョンもルパートが自分と文通している報道に戸惑うも、遠くの国で自分を糧に生きてきた少年の存在に気付き、荒れていた生活を改め沈んでいた俳優業に再び精を出す、みたいな。
こんなお話だったらオレ泣いちゃうかなぁ~なんて思ったら全然違ったっていうw
凡人はこの程度の物語しか空想できないし、ある意味ドランの偉大さを感じた作品でもあったなぁというのは大きな収穫だったということでw
凄さもちゃんとあったよ。
そもそもドランの凄さってのは何もテーマ性やら題材やら物語性だけではなく、映像の美しさだったりセンスだったりってのがあるのかと。
今作もいきなりジェイコブくん演じるルパートのドアップと、お母ちゃん演じるナタリーのドアップで始まるんですけども、これがまぁスクリーンに丁度いい塩梅に埋まる顔の近さで、またその前にもコーヒーを作っているシーンを的確な角度で映し、細かくカットを入れるのになぜかおいしそうなコーヒーを作っているように見えてしまうマジック。
さりげなく緑色のインクが付いている母ちゃんの指を見せることで、あれ?なんで母ちゃんの指にインクが?という物語の疑問を生む見せ方。
そこからスローモーションでジョンの死のニュースを食い入るように見てしまうルパートと、その姿を人込みから覗いてしまう母ちゃんの困惑した表情を、斜め向かいで座っている別の人物の角度から捉えるショット。
からの!NYマンハッタンの街を海から映すと同時に、黄色いマジックで手書きで書いたタイトルバックと、主要キャストの文字!
それに乗せる曲はアデルの「Rolling in the deep」!
ジョンとルパートの「心の奥でうごめくもの」がこれから描かれることを想起させる非常に巧い選曲だったように思えます。
他にもリバーフェニックスオマージュということで「マイ・プライベート・アイダホ」のシーンをコピーしたり、その前には彼が出演していた「スタンド・バイ・ミー」のカバー曲をルパートと母ちゃんの雨の中の再会で流したりってのも効果的。
この雨の中の再会シーンも、スローモーションで流し人込みを掻き分けて抱擁する件はここだけ切り取ってもいいほど美しい。
映像もどこかレトロな雰囲気を醸し出すフィルム的映像にし、NYの喧騒や居心地の悪さ、不快さを外の風景や雨をいれることで温かみを消し、それに反してジョンが最後に暮らしていたアパートの玄関やルパートママが髪乾かしている時の照明が青だったり、ジョンの実家の食事の風景や、ルパートが母親と衝突してしまう時に照明を強めの赤にしたりと、外と中のシーンを色で対照的にする工夫。
撮影も引きと寄りを多用することで、ドランらしさが窺える良さが出ていたように思えます。
あとなんだろなぁ、ジョンがお母さんとお兄ちゃんと風呂場でゲームしながらお気に入りの曲を熱唱するシーン。
あれ自分が同じことして、誰かに話したら気味悪がられそうだけど、見てる分にはすごく素敵な風景なんですよね。
子供の頃やっていたことを大人になった今やるってのはなかなか抵抗あるんだけど、ジョンが色々心の整理をした結果、本当の自分と向き合う決心をして、それに対し、ウエルカムバックと祝福する母と兄、みたいなのってめっちゃステキやんて。
この時でも誰の曲がちょっとわからないんだけど、ジョンがリスタートするうえでの今の心境が見事にマッチした歌詞でしたよね。
最後に
主題歌にもなっているThe Verveの「Butter Sweet Symphony」ですけど、まさに苦悩と幸福が奏でていく交響曲という名にふさわしい作品だったのではないでしょうか。
ジョンもルパートも苦悩を抱えていたわけで、ルパートは現実の辛さをジョンという現実逃避で幸福を満たし、ジョンは表で見せていたジョン像に苦悩し、ルパートとのやり取りや男性と心を通わせることで幸福を満たしながら、生きていく上でバランスを取っていたわけで、その苦悩と幸福がどんどん近づいていくにつれて崩壊寸前まで追い込まれていく。
でもリピートされるフレーズ「I can change」と歌われるように、二人は変わろうとするし元の自分に戻ろうとするわけで、こうやって振り返るとベストマッチな歌だよなぁと。
こんな感じで上手なカットや映像美、選曲などセンス抜群だったわけですが、肝心のお話に関してはうまく機能していたようには思えない作品でした。
前作も正直そこまで好みの映画出なかったし、役者の顔の圧がくどくて、あまり巧いなぁとも感じなかったんですよね…。
「マミー」の時のような完成度というか、あの時感じた心のざわめきをもう一度感じたいですよ、ドラン。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10