フランケンシュタイン

フランケンシュタインと聞いて皆が思い浮かぶのは、でかい図体と顔に縫合のあと、こめかみにボルトの入った青白い怪物。
怪力だけど心はちょっと優しい、みたいな感じでしょうか。
やはり子供のころに見たTVアニメ「怪物くん」のフランケンのビジュアルが未だあるんですよね。
恐らくそのビジュアルの原点も、ユニバーサル映画が製作した「フランケンシュタイン」なんでしょう。
でもどうやら僕らは間違った認識をしているようです。
怪物を作ったのがフランケンシュタイン博士で、怪物にはこれといった名前はついてないんだそう。
また怪物のビジュアルも、「薄く光る眼、黒っぽい髪と唇、目立つ白い歯、醜い外見で半透明の黄色い肌をしており、動脈と筋肉の動きはほとんど見えない」んだそう。
今回鑑賞する映画は、怪獣好きで知られるギレルモ・デル・トロ監督が、フランケンシュタインの原作を映画化したもの、とのこと。
今回、ネトフリ作品を劇場で上映してくれるとのことなので、早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
近代科学と人間の過信を描いた最初期のSF文学として知られ、映画史にも多大な影響を与えてきた女性小説家メアリー・シェリーによる原作「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」を、「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞作品賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督の手によって実写映画化。
生命創造という禁忌に手を染め怪物を生みだしてしまう主人公と、人間社会との接触を通じて言語と知性を獲得し、次第に自我と怒りに目覚めていく怪物の視点を交錯して描く物語を、圧倒的な美術と生々しい容姿など、徹底したビジュアルで映し出す。
「クロノス」から「パンズ・ラビリンス」、「ヘルボーイ」に「シェイプ・オブ・ウォーター」など、デル・トロ監督の作品には常に異形なクリーチャーたちが存在する。
幼少期にユニバーサル映画の「フランケンシュタイン」を網羅していた監督にとって、本作の製作は「北極星、つまり目標だった」だと語る。
自らのエゴを追求する創造者フランケンシュタイン博士を演じるのは、オスカー・アイザック。
「スターウォーズ」シリーズや、「DUNE:砂の惑星」、マーベルドラマシリーズ「ムーンナイト」などで知られる彼だが、ジュリアード音楽院卒業生の実力を発揮した「インサイド・ルーウィン・ディヴィス」や、「エクス・マキナ」での怪演など、底知れぬポテンシャルで役を表現する持ち主。
本作でも、「マッドサイエンティスト」故の狂気を見せつけることだろう。
他にも、怪物役に「ソルトバーン」、「嵐が丘」のジェイコブ・エロルディ、エリザベス役に、「Xエックス」、「Pearl パール」、「MaXXXine マキシーン」のミア・ゴス、武器商人ハーランダー役に、「イングロリアス・バスターズ」のクリストフ・ヴァルツ、マッツ・ミケルセンの兄でドラマシリーズ「アソーカ」のラース・ミケルセンなどが出演する。
ゴシックホラーの雰囲気たっぷりの世界観で描かれる怪物の本質。
現代にも通じる物語にしたというデル・トロの意図とは。
あらすじ
才能豊かな科学者ヴィクター・フランケンシュタイン博士(オスカー・アイザック)には、傲慢な一面があった。
彼は頭の中で形になったアイデアを実現することに心血を注ぎ、恐ろしい実験の末に、怪物に命を吹き込むことに成功する。
しかしそれは、博士と怪物の破滅の道の始まりだった。(映画ナタリーより抜粋)
感想
#フランケンシュタイン 鑑賞。創造主と怪物が相互理解するまで。興味深い話だった。親子の話であるし科学の話にもクリエイティブな話にも置き換えられる。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) October 24, 2025
果たしてどちらが怪物なのかを巡るのではなく、世代間による負の連鎖をどう断ち切るかに言及していくデルトロの想いが溢れていた。 pic.twitter.com/njytkOdLmt
150分飽きることなく堪能できたデルトロ渾身の1作。
父と子の話であり、科学者と新種の話であり、エンジニアとAIの話でもあり、暴力の連鎖を断ち切るための対話でもある。
現代的解釈もあるだろうが、こんな物語がずっと昔にあったことが興味深かった。
以下、ネタバレします。
実は分かりやすい話。
父親からのプレッシャーを受け過ぎたせいで、母親を早くに亡くしたせいで、たっぷり愛を与えられず育った男は、やがて狂気を孕み怪物を作ってしまう。
しかしそんな男も、父親から受けた暴力と同じように自分が生んだ怪物にも怒りをぶつけてしまう。
そして生きながらえた怪物は、優しい人間から生きる上で必要な言語と教養と避けられない対立を学ぶ。
そしてあいまみえた親子は怒りと怒りをぶつけ、やがて相互理解を深めていく。
創造主であるヴィクターが親から受けた歪な愛情を描く第1章、歪んだ価値観で神になろうと必死になる第1部、そして怪物として生きる上での発見と死ぬことができない自分を呪う第2部を、150分かけて丁寧に描写した力作でした。
デル・トロ監督はインタビューでいま必要なのは赦し以上に、受容だと語っていました。
本作を見てその意味が十二分に理解できたと思います。
なぜ人間は対立するのか、それはお互いの正義があるから。
その正義のせいで互いが主張することしかできず、相手を受容することを忘れてしまっている、と。
それが平行線をたどると、結局は武力や暴力で解決を試みる。
支配こそが正義、なのか。
服従させることが正義なのか。
何百年もそんな状態が続くのに、一向に戦うことでしか解決できない人間たち。
劇中では狼によって家畜が襲われてしまうが故に、武力で解決しようとする人たちの姿が描かれます。
それは生きる上で仕方のないことなのだと怪物は学びます。
身を守るため、生きていくため、人は時にはそれで解決することしかできない事態があるということ。
実際問題現代でも領土を拡大するための侵略があるし、食糧危機や資源の不足が進行すれば、自国を守るための争いは避けられないでしょう。
広く考えていくとそうした問題に行きつくし、ミニマムなコミュニティで考えれば本作の様な親と子の物語にもある。
またジュラシックパークのように、恐竜を蘇らせることだけに没頭し、産んだら生んだ出後先考えない「親」の愚かさも透けて見える。
もっと言えば利便性だけを求めて生まれたAIが、もし人間を凌駕するほどの知能を身に着け我々を支配しようとしたらだれが責任を取るのか。
産んだ後の事を全く想像せず生み出した「子供」が、想像を超える事態を起こした時、親はどう責任を取るのか。
そんな物語でもあったように思えます。
そうした問題を突きつけながらも、本作は異形への愛を忘れない監督の優しい眼差しが溢れていて、終盤は泣きそうになるほど美しい結末へと着地していく物語でした。
150分もあるので、正直もっと端折ってもいいなとは思いました。
特に怪物が生まれるまでのエピソードをもう少しダイジェストで説明しても良かったように思えます。
ですが、そこはNetflix。
クリエイターファーストだからしっかり監督がやりたいように物語を順序よく丁寧に見せていったわけですね。
そのせいで「だいぶわかりやすすぎて、置きに行ってる気もする」感じもしましたけどもw
実際問題、ヴィクターと父親との話はもう少し短くても良かったよなぁと感じました。
決して150分もの時間を要する話じゃないよな、ということではなく、後半描かれる怪物のエピソードが少々短くはないか?という疑問です。
結局のことろ、本作は怪物の物語ではなく、フランケンシュタインという本当の怪物が人間として受容するまでの物語に帰結していくので、ヴィクターのエピソードが長くなってしまうの必然ではあるんでんすよね。
でも見ていくとヴィクターの狂気ぶりをたっぷり見せるよりも、怪物が人間界に適応していくまでの難しさと辛さの方が感情移入できるんですよ。
そこはやっぱりデルトロの優しさと良さが出ていたから勿体ないよなぁと。
その辺が不満点とも言えるのですが、とにかく良い映画を見せてもらった、気持ちよく家に帰れることができた映画でしたね。
何故怪物は生まれたのか。
冒頭、北極海あたりで氷の陸に突っ込んでしまい身動きが取れない船乗りたちの姿が映る。
船乗りたちは寒さや飢えに耐えながら必死で氷から船をかきだそうと必死だが、皆の気持ちは「このまま故郷へ帰りたい」という気持ちだった。
しかし、船長は「前進あるのみ」と下っ端たちの気持ちを汲む事すらしない。
そんな中3キロ先で爆発が起きる。
何人かを率いて現場へ向かうと、そこには犬ぞりとテントが燃え盛っていた。
そこから数メートル先に義足の取れた男が重体で横たわっていた。
すぐに運び出して救助しようとするが、背の高い不気味な図体の人間が行く手を阻む。
すぐさま応戦したことで男を救出できたものの、怪物は船の上まで登ってきて次々と水平たちを力ずくで攻撃していく。
何とかチカラ押しで船から降ろすことに成功したが、今度は怪物が力ずくで船を倒そうとする。
すかさずラッパ銃で反撃するが、弾は残り1発。
船長は氷めがけて発砲し、怪物はそのまま海の中へ沈んでいくのだった。
こんな冒頭から始まる本作。
船長にあの怪物との経緯を語る上で、回想形式で物語は運ばれていきます。
ヴィクターは医師である父親と貴族階級である母親との間に生まれ、家業を継ぐために厳しい教えを乞う父親と、母親からの愛情を求めていました。
しかし弟が生まれる際に母親は命を落としてしまいます。
父親は弟に懸命な愛情を注ぐ一方、自分には相変わらず医学を体で叩き込まれるというスパルタ教育を受けたことから、徐々に歪な野心が芽生えていくのであります。
そもそも自分に完璧を求める癖に、なぜ父親は母親を救うことができなかったのか。
それならば自分が「死を克服」する術を生み出せばいいという考えになっていくのであります。
父が死んで以降、弟と離れ離れになったヴィクターは、さらに医学の道を突き進み、ついに審問で教授に、死からの克服=神としての創造を目の前で見せつけるのであります。
モラルを逸脱しているからか、単純にペテンを見せられてるのか、教授たちは立卵なしにヴィクターを批判しますが、彼の神業に魅了される男が一人現れる。
それが後の弟のフィアンセの叔父であるハーランダーです。
彼は武器商人として財を成す一方写真にも興味を持つ男で、ヴィクターが「死からの克服」をテーマにした新たな人間の創造に対し、資金提供を持ち掛けます。
ヴィクターは屋敷と研究に必要な資金と資材を提供されることで、黙々と作業に没頭しますが、彼の姪であるエリザベスに心を奪われていくことに。
彼女はヴィクターに対して嫌悪感を抱きますが、彼との時間は決して悪くないどころか、徐々に惹かれていくことに。
しかし、彼の内面に潜む狂気に抵抗心を持っており、結局弟のところに嫁ぐ決心をしていきます。
そしてハーランダーは梅毒を患っており、資金提供の見返りとして自分に新たな体を与えるよう求めていくことに。
これまでただただ新たな生命を生むことに没頭したヴィクターは虚を突かれたせいか、頑なにそれを拒否。
そのやり取りの最中、足を滑らせ下へ続く穴から落ち命を落としてしまうのでした。
慌てるヴィクターでしたが、電気を供給する雷を一刻も早く吸収し、命を与えるための作業を急ぐことに。
そしてついに怪物が誕生するのであります。
ヴィクターがどんどん凶器を孕んでいくマッドサイエンティストぶりを見て、果たして本当の怪物はどちらなのかを、我々はジャッジすることになっていくし、そうなった最たる理由は父からの愛が欠乏していたことが理解できると思います。
最後に
全てを語ったヴィクターの前に再び現れる怪物。
後半は彼が語り手となり、なぜ彼があれだけ「ヴィクター」しか言えなかったのに語学を習得し教養を身に着けたのかが明かされていきます。
その理由は視力の無い老人との触れ合いがきっかけでした。
見た目からの先入観がない老人と出会えたからこそ、彼は人間に必要な能力を身に着けることができたし、その力で再びヴィクターと対峙することができた。
そしてエリザベスとの心の触れ合いは、シェイプ・オブ・ウォーターの延長ともいえる交流を映しており、異形の見た目ではなく心を通わせることが如何に必要かを示した描写だったと思います。
暴力での解決は、再び憎しみを生むだけ。
そんな問題提起を物語の中に取り入れながら、デルトロは「赦す」ことと「忘れること」を提示していく。
しかし怪物自体、なぜ自分は生まれたのかやなぜ死ぬことができないのかに悩みもがき、そして人間からの暴力を受け、その怒りをヴィクターにぶつけていく。
そしてたどり着いた答えは、相互理解という名の「受容」だったわけです。
怪物の受け入れる姿勢に感銘を受けると共に、狂気という鎧を脱ぎ捨てたヴィクターの本心が吐露されるラストは感涙のシーンでした。
徹底した時代描写から豊富な資金で作られたであろう屋敷内の美術、そして炎に包まれながら倒壊していく屋敷のダイナミックな演出など、ネトフリだからこそできた美しさがありました。
もちろん怪物のキャラクターデザインもデルトロらしい美しさとグロさ。
縫合跡の曲線ひとつとってもセンスが見えたデザインでした。
デルトロ自身、父親になって色々な葛藤があったそうで、きっとこの物語に彼の息子たちに対する思いが反映されているのだと思います。
本当にいい映画でした。
何よりも、淀んだ心が洗われたましたし、今後もこういう映画を見て心の汚れの除去作業を定期的に行いたいなと感じた1作でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10

