箱の中の羊

今回鑑賞する映画は、最新のテクノロジーで息子を蘇らせ、共に暮らす家族の物語。
最近亡くなられた方を最新鋭のCGで蘇らせてみたいなニュースをちょくちょく見かけますが、個人的には軽蔑するくらいNOです。
なんでってそりゃ、生きてる人のエゴでしかないからですよ。
CGだろうがなんだろうが、それは故人の意思じゃない。
著作権とか法的にどうだとか以前に、故人はそれを決断できないわけですよ。
確かに悲しくてつらいときに、CGで蘇らせたじいちゃんばあちゃんと会話できる機能があったら、心が晴れるかもしれない。
でも会話の内容はすべてAIが考え、依頼主が喜ぶようなことしか返事しないし話をしないわけよ。
絶対「あんた、こんなことして悲しさ紛らわしても意味ないよ」みたいな否定的なこととか、それこそ説教みたいなことは言わないと思うのね。
あとさ、亡くなった愛犬の悲しみを埋めるために、新しい犬を飼う人間もどうかしてると思うんよね。
他人のことなんかほっとけって話なんだけど、愛されて亡くなった犬の代わりなんていないわけですよ。
これもさ、残った側の人間のエゴだよなぁと。
別に絶対飼うなって話じゃなくて、ある程度の期間というか喪に服す期間はとるべきでしょと。
…まぁお気持ち表明はこれくらいにして、ヒューマノイドと暮らす家族の未来を映した本作が、鑑賞する私たちにどんな気持ちを芽生えさせるのか。
カンヌ国際映画祭では酷評だったみたいですが、楽しみです。
早速鑑賞してまいりました!
作品情報
『誰も知らない』では主演・柳楽優弥が最優秀男優賞、『そして父になる』では審査員賞、『万引き家族』では最高賞パルムドール、『ベイビー・ブローカー』ではエキュメニカル審査員賞と主演のソン・ガンホが韓国人俳優初の最優秀男優賞、『怪物』ではクィア・パルム賞と脚本家・坂元裕二が脚本賞を受賞。
カンヌ国際映画祭と縁が深い是枝裕和監督によるオリジナル脚本の新作は、最新のテクノロジーで<亡き人を蘇らせる>という発想のもと生まれた、新しい家族のカタチを映す。
息子の姿をしたヒューマノイドを、夫や妻、そして周囲の人たちはどう受け入れるのか、そしてヒューマノイド自身は家庭をどう受け入れるのかを映しながら、死者に対するそれぞれの思いが浮かび上がっていく様を描くSFヒューマンドラマ。
死者の蘇りがテーマだと語る是枝監督。
2年前に中国で生まれた“パソコンの画面上に死者を蘇らせる”という技術に興味を持ったところからスタートし、AIならではの学習能力と予想を超えたクオリティに驚いた一方で、生きた人の都合で故人の人格をコントロールできてしまうことに大きな危険を感じたそう。
そうしたテクノロジーの進化と倫理的な面とを天秤にかけながら。本作は妻と夫の心情の祖語、家の素材であるガラスと木といった二項対立を意識しながら、新たな家族のカタチを模索する。
建築家の妻・音々役には、「海街diary」以来の是枝作品出演となった綾瀬はるか。
そして音々の夫で工務店の2代目社長役を、お笑い芸人「千鳥」の大悟が演じるという、異色の組み合わせとなった。
ほかにもヒューマノイド・翔(かける)役に本作のオーディションで抜擢された桒木里夢(くわき りむ)、音々の妹・亜利寿役に「キングダム2遥かなる大地へ」の清野菜名、工務店の従業員・日高玄役に「爆弾」の寛一郎、ヒューマノイドリーダー・今野詩季役に「怪物」の柊木陽太、一戸建て顧客夫婦の夫・羽野潤一役を「怪物」に続く是枝作品出演となったコント師・東京03の角田晃広、その妻・佳澄役に同じく「怪物」に続く是枝作品出演となった野呂佳代、RE birth Ltd.で出会う樹(少年のヒューマノイド)の母役に「空気人形」の星野真里、RE birth Ltd.エンジニア役に「偶然と想像」「ナミビアの砂漠」の中島歩、そして音々の母・信代役を「ディア・ドクター」の余貴美子が演じる。
また本作の音楽を、クラシックからポップスまで幅広く音楽を手掛ける坂東祐大が担当。
実際に撮影現場へ足を運び、現場の空気感や俳優たちの演技を体感しながら作曲を進め、さらに坂東が提示したテンポが自在に変化する楽曲に合わせ、監督自らが映像の尺を伸ばしたり、編集を変えたりするという、通常の映画制作では極めて珍しい「音楽主導の編集」が行われた。
そんな異例の制作プロセスによって生まれた本作。
人間とヒューマノイドにどんな未来が待っているのか。
あらすじ
息子を亡くして2年、建築家の音々(おとね)と工務店の二代目社長を務める健介の甲本夫婦は、息子・翔(かける)の姿をしたヒューマノイドを迎え入れることになる。
彼が到着した日、「おかえり」と駆け寄り喜びを隠さない音々と、戸惑いを隠せない硬い表情の健介。
「パパだよね」と問いかけられた健介は、「おじさんでええよ」と答えるのだった。
少しずつ動き始める家族の時間。
静かに広がっていく波紋。
ほどなく予期せぬ事態が起こり、夫婦がそれぞれに抱く息子の死への想いが露わになっていくのだった。
夫婦とは?家族とは?彼らは大きな決断に迫られる。
そんな中、ヒューマノイド翔は密かにヒューマノイドの仲間たちとつながり始める──。(公式より抜粋)
感想
#箱の中の羊 鑑賞。カンヌで酷評だったから不安だったけど、ちゃんと是枝ブランドで安心した。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) May 29, 2026
人間とAI、木とガラス、女優とお笑い芸人。
二項対立を意識しながら共存を建築していく、静かで温かい映画だった。
言いたいこともあるけれど、大悟で泣いちまったので観てよかった。 pic.twitter.com/C6GaTyyB9c
きっとこうなんだろうなと予測していたこと以上の展開に唖然。
人間側でなくヒューマノイド側の視点を入れながら、
心の喪失と再生を「木」で表現するというなかなか面白い試みだった。
以下、ネタバレします。
やっぱ人間の都合でしかない。
物語の中でぼかして語られていたので自分なりに整理して感想を述べたい。
そもそも音々と健介の息子・翔は死んでしまったのか。
それは突然やってきた音々の母のせいで、代わりに迎えに行くことになった健介が、パチンコの大当たりのせいで時間に遅れてしまったこと、翔本人は迎えが遅いせいで、知らない人についていってしまったのではないかという連続で発生している子供の失踪事件に関連したのではないかという疑惑も含め、ただの事故で亡くなったのではなく事件の可能性も孕んだ死因として描かれている。
こうした背景から、この夫婦はどちらも「自分のせいで息子を失ったのかもしれない」という面が見え隠れする。
健介はそれに対し「言いたいことが言えない」気持ちが腹の中にあり、音々には「ママを辞める」という音々の母が自分に言ったことと同じ行動をとってしまったという後悔が根底にある。
そんな最愛の息子の死に対して後ろめたさが大きすぎる2人の前に現れた、翔の姿を下ヒューマノイドと暮らしていくことで、二人が喪失にどう折り合いをつけていくかが焦点となっていく物語、である。
カンヌ国際映画祭常連の是枝監督作品。
パルムドールは取らずとも何かしら爪痕を残して日本に凱旋するだろう、そんな気持ちで期待していたが、星取表がまさかの酷評連発で驚き。
批評を覗いてみると、どうやらAIの是非という問題から避けているとか、結末に対する消化不良とか色々言われてるようで、それってそもそも解釈の違いとか誤読とかなんじゃないの?と疑っては見たモノの、正直少々不安だったのであります。
しかしいざ鑑賞してみると、いつもの是枝節炸裂。
パラサイト半地下の家族に出てきたようないかにも富裕層が好みそうな普通とは違うカタチの家を、荷物を配達するドローンの視点で空撮で捉えたり、大船と鎌倉あたりをキックボードで移動するという「少し先の未来」をさりげなく演出。
そう、遠くない未来は、何もかもがSF映画のようにはならず、普通に日本家屋が並び、海や山の景色も変わらず、江ノ電がばりばり走ってる中で、小さな変化がある程度なんだよ。
ある種のテンプレ感ではあるけれど、日常にそういったIoTが溶け込んでるあたりがもう是枝っぽい。
そして中身は父性や母性、疑似家族も孕んだ、家族の形に拘るあたりや、やっぱりヒューマノイドを死んだ子供の代わりに迎えることに否定的な面を見せる辺りは、過去作から一貫してる是枝監督の作風に通じる。
そうした家族の風景を、屋内でも屋外でも光度や陰影のグラデーションをちゃんと意識し、坂東祐大が手掛けた音楽であるチェロと多重音声、オーケストラの3つのBGMで区別しながら、隙間には風の音や生活音も忘れず取り込むあたり、やっぱり映画作りが巧いなと感心する。
つまるところ、自分はヒューマノイドを息子の代わりに迎える点に関して、当初の健介と同じ立場であることに変わりはない。
RE birthを訪れた音々が食い入るように夢中になっていく姿を見て、俺も健介のように引いてしまった。
健介のように他人行儀になるし、息子の名前で呼べないし、自分のことをパパと呼んでほしくない気持ちはめちゃめちゃ共感する。
だから、朝から晩まで翔の姿を下ヒューマノイドにべったりな音々を見て、また気分を悪くする健介の姿は、ホントに良くとらえてるなぁと感心すると共に、俺の中で大いに共感した。
大前提として死んだ人は戻らないし、代わりはいない。
そこに悲観してばかりではいつまで経っても前には進めない。
だから前を向いて歩くために、死別した人に対する喪失に踏ん切りをつけないといけない、折り合いを付けなくてはいけない。
それが生き残った人の使命だと思う。
しかし、全員がそう簡単に次のフェイズに行けるとは限らない。
健介だってきっと受け入れたくはなかったんだろうけど、家族と過ごした日々を映したアルバムを見て、音々の笑顔が戻るならと決心したに違いない。
夫がすべき行動をとった健介は偉いと思う。
とまぁだいぶ健介に感情移入した俺は、健介が「息子は事件に巻き込まれたに違いない、犯人がきっといるはず」という固定観念から抜け出すことができず、つい翔の姿をしたヒューマノイドと事件現場を訪れてしまうシーンは泣いてしまった。
妻がヒューマノイドに没頭する姿にそれなりの嫌悪感を示していた健介だったけど、江ノ電の停車駅を全部言えるヒューマノイドに距離感を縮める辺りから、頭で否定しつつも心は動いていたと動揺を隠せなかったし、突然の別れをすることになってしまった息子の「記憶」であるヒューマノイドを通じて、ちゃんとお別れと謝罪ができるのではないかという健介なりのけじめを果たそうとした行動、それによって引き出された言葉に思わずグッと来てしまった。
あそこのショットで素晴らしいなと思ったのは、翔の姿をしたヒューマノイドのお腹にしゃがんで頭をくつけながら、カメラは健介とヒューマノイドの体しか映さなかったこと。
あの謝罪シーンは決して翔の表情を映してはいけなかったと思う。
映さなかったから健介の謝罪が活きたように思う。
具体的な説明は難しいけど、あれが正解だったなと思った。
後半が意外過ぎた。
冒頭でも触れたけど、生きてる人のエゴでしかない死者の代わりを描いた本作。
本作はそうした一面をしっかり映しつつも、共存を図ることもできるのではないかという面も覗かせた映画だったように思います。
監督のインタビューでも言ってたけど、本作は木とガラスを始めとした二項対立を意識していて、相反するものがどうすれば「家」という箱の中で暮らすことができるか、みたいなことを目指した物語だったと思うんです。
音々が家の模型を作る際心がけている「木とガラスという全く違う素材をどうやって組み立てれば家を作れるか」が、音々と健介という人間、翔のヒューマノイドという対立から「家族」の形を模索していたし、映画づくりの観点で言えば、演技を本業とする女優と笑わせることを生業とするお笑い芸人というフィールドの違う二人を夫婦にすることでどういう化学反応が生まれ、映画を建築できるかに挑んでいた。
どう折り合いをつけるかで物語を畳んでもよかったが、物語はまさかの展開へ向かっていく。
それはヒューマノイド側の視点も忘れていないということ。
人間がどう折り合いをつけるかで畳んでしまったら本当に人間のエゴだけで話が終わってしまう、それではだめだ、しっかりヒューマノイドの視点を入れなければというある種の優しさ、平等さみたいなものが是枝さんらしいなと。
公園で突然声をかけられた少年と頻繁に会う翔。
GPSを外すことで「自由」を手に入れた翔は、人間の都合で捨てられたり暴力を振るわれたヒューマノイドたちと親密になっていく。
中には親から暴力を受けていた人間の子供も交じっており、人間にしかできない役割があると仲間に入れた一同は、自分たちの住処を探す計画を立てていた。
翔は工務店の社長である健介から、そして建築家である音々から自然と建築を学び、自分たちの住処のデザイン図を設計、二人から離れてヒューマノイドたちと森で暮らすことを告げる。
木は死んでも生きていると、田中泯演じる工務店の古株従業員から教わる翔は、ヒューマノイドとしての死を意識しつつ生きるとはどういうことかを見つめていく。
翔のヒューマノイドと暮らすことで負い目から解放されていく夫婦は、妹の「養子」への捉え方がヒントになったのか、翔という存在ではなく別の子供として共に暮らす決断をしたが、感情の無いヒューマノイドは怒ることも悲しむこともできないことを踏まえ、人間と暮らし続けることは困難だと悟ったのかもしれない。
なんか「ヒューマノイド」たちが森で暮らすって着地がスピルバーグが考えるSFっぽさがあったり、その中に人間の子供も交じってるってのが是枝っぽかったりするんだけど、確かにある点から見れば問題から避けているようにも見えるよなぁ。
でもやっぱりそこはヒューマノイドによって喪失とどう向き合うかっていう二人にとってのグリーフケアの段階の一つの物語になってたし、それだけでは不平等だと感じた是枝さんらしいヒューマノイドとしてのある種の決断の話にもなっていて。
しかもただの決別ではなくて離れていても繋がっているように持っていったのも、ファンタジーや寓話で片づけてしまえばそれまでだけど、映画なんだから別にいいじゃねえかっていう。
なんか、森へ帰るとかC.W.ニコルを思い出すなんて想定してなかったけど、面白い着地だったなぁと。
最後に
とはいえですよ、俺はどうしても綾瀬はるかと大悟のような二人が夫婦になったのかの背景が全く見えてこないのと、最愛の息子を亡くして2年しかたってないとはいえ、夫婦の距離感がいくらなんでも遠すぎやしないかと違和感はありました。
大悟をを撮影した監督が「たけしみたい」とか言ったみたいで、それは俺も雰囲気は感じたんですよ。
だけどあの大悟は、まだ映画畑に慣れてないよそ者の大悟にしかみえないだけのぎこちないお笑い芸人の一人にしか見えず、勝手に監督に北野武を重ねられた芸人にしか見えなかったんですよね。
一応怒ると広島弁だか岡山弁が出てしまう綾瀬はるかと口論をする大悟のシーンは、自然と感情が高ぶってしまう2人のアンサンブルが出てたんですけど、それ以外の夫婦の距離感がやっぱり酷い…。
何でこう思ったのかというと、合間合間に登場する東京03角田と野呂佳代の夫婦の演技が巧すぎるんですよ。
逆にあの二人が芝居がかってるといえばそれまでなんですけど、夫婦として演技するにはあの間の取り合いだよなと思うんですよ。
あの間が綾瀬はるかと大悟にはない。
決してどちらが悪いわけはないんだけど、二人はワークショップを受けた方が良かったのではとさえ思った。
ちなみに俺はそう遠くない未来に、死んだ人の代わりをヒューマノイドが担うってことはない気がします。
それは倫理的な面もあるし、なにより相当デカい企業が開発したとしても購入者側の維持費が半端ないから、富裕層にしか需要がない。
仮に翔と1年過ごしたらですよ?8歳になった翔のヒューマノイドを購入しなきゃいけないわけですよ。
ロボットは人間のように体が大きくならないですからね。
そんなのビジネスとしてあまりにも難しくないすか?
一生一緒にいてくれやって三木道三の歌じゃないんなら話が別ですよ?1年限定の契約しかできないとか。
とにかくカンヌの星取表の様な感想や批評にはならなかったんで安心。
しかしお芝居というか夫婦のアンサンブルには違和感でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10
