モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「波紋」感想ネタバレあり解説 人を呪わば穴二つ。ぶつけた怒りは自分に返ってくるのです。

波紋

人は現実で何かつらいことがあると、拠り所を探す。

いわゆる現実逃避というものでしょうか。

おそらく自分が没頭しているこの「映画鑑賞」という行為もまた、辛い現実から遠ざかるための「逃げ道」なのかもしれません。

 

決してそれ自体を悪いとは思ってません。

そうやって「今」を忘れることで正気を保ち、現実という荒波に再び立ち向かえてるわけですし。

 

ただ僕のような者とは違い、本当に現実逃避しなければならないほど、何かに縋らなくては苦してくて生きていけない人もいる。

 

今回観賞する映画は、そんな息苦しいゆえに「新興宗教」にはまった主人公の女性が、次々と巻き起こる問題に理性と感情のはざまで揺れ動く姿を描いたお話。

 

彼らが本気で編むときは」以降、「女性」や「生死」といった問題を根底にユーモアあふれるドラマを紡いでく荻上直子監督。

これおそらくですけど、今までで一番エッジの効いたドラマになってそう。

早速観賞してまいりました!

 

 

作品情報

世界がジェンダーギャップを無くすために様々な取り組みをしている中、いまだ男性中心社会、家父長制のコミュニティが根付く日本に対し、女性の息苦しさをブラックユーモアを込めて描いた、「川っぺりムコリッタ」「かもめ食堂」の荻上直子監督の最新作。

 

好き勝手生きる家族たちに嫌気がさし新興宗教に没頭する主婦だったが、さらなる絶望が押し寄せることでとうとう爆発してしまう姿を、皮肉と風刺たっぷりに描く。

 

キャストには「淵に立つ」「よこがお」の筒井真理子や、名バイプレーヤーとして存在感を放つ光石研、「ヤクザと家族」や「東京リベンジャーズ」、「最後まで行く」など若手筆頭俳優として輝く磯村勇斗らを主要に、木野花、安藤玉恵、江口のりこ、平岩紙、柄本明、キムラ緑子など一癖も二癖もある俳優陣が並ぶ。

 

また本作は、現代社会の闇や不安と女性の苦悩、そして放射能、介護、新興宗教、障害者差別といった、誰もがどこかで見聞きしたことのある現代社会の問題に次々と翻弄されるなど、一つの家族を通して社会の縮図を映す。

 

この国で女であることが息苦しくてたまらないと漏らす監督が、いま日本中に「波紋」を広げる問題作。

果たして、絶望を「笑う」ことはできるのか。

 

 

川っぺりムコリッタ

 

 

あらすじ

 

須藤依子(筒井真理子)は、今朝も庭の手入れを欠かさない。

“緑命会”という新興宗教を信仰し、日々祈りと勉強会に勤しみながら、ひとり穏やかに暮らしていた。

ある日、長いこと失踪したままだった夫、修(光石研)が突然帰ってくるまでは—。

 

自分の父の介護を押し付けたまま失踪し、その上がん治療に必要な高額の費用を助けて欲しいとすがってくる夫。

障害のある彼女を結婚相手として連れて帰省してきた息子・拓哉(磯村勇斗)。

パート先では癇癪持ちの客に大声で怒鳴られる・・・。

 

自分ではどうにも出来ない辛苦が降りかかる。

依子は湧き起こる黒い感情を、宗教にすがり、必死に理性で押さえつけようとする。

 

全てを押し殺した依子の感情が爆発する時、映画は絶望からエンタテインメントへと昇華する。(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

 

感想

きっついなぁ色々・・・。

多分男は皆光石研目線か磯村勇斗目線で見るんだろう。

母や妻という役割。そして迫りくる更年期・・・。

波紋を広げる怒りは、こういうもんだと割り切って生きようという提案、と見た。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

本作の本質はどこに。

震災によって原発から放射能が漏れてしまったことで、揺れる日常。

夫はそれに本気で心配して家を飛び出し失踪。

新興宗教に入れ込む母を見てられず、遠くの大学に入学する息子は、数年後に聾唖の女性を連れてきては「結婚する」と言い張る。

 

パート先のスーパーでで毎日やってくる老害のクレーマー。

枯山水の庭を荒らすネコを飼っている隣人。

 

毎日緑命水なる水を飲み、体を清め心を鎮める毎日を送る主婦の平穏とした毎日に次々と降りかかる災難。

その怒りは心に「波紋」を広げ、他者にまで影響を及ぼしていく。

 

「人を呪わば穴二つ」。

誰かに波紋を与えれば、それは自分に帰ってくるということわざの通り、自分が放った怒りはやがて自分に跳ね返り、さらに自分を苦しめていく。

そんな答えに気付いた主人公が、ラストで華麗に踊るフラメンコは圧巻でございました。

 

 

さて、本作は「原発問題」に「新興宗教」、「障碍者差別」、そして「女性」といった様々な問題を孕んだ内容でして、こうした最近のトレンドにもなっている社会問題を、萩上監督はどうぶった切っていくのか楽しみにしておりましたが、正直どれもこれも中途半端でした。

 

冒頭、スーパーの特売の水を大量に購入してまで「水道水に放射能が混入されている」というデマを信じる主人公の依子。

スマホで色々情報収集する息子を横目に、デマだと言い張る旦那もまたそうした情報を信じ込んでおり、結果、庭に水をまきながら降り出した雨に恐れ戦き、失踪してしまうのであります。

 

あの日から約10年の月日が流れましたが、未だ原発は稼働しておらず。

その影響もあって今や電気代がバカ高いことになってしまい、お財布事情をより苦しめておりますが、そうした原発に関しての言及やメッセージ性は、本作には一切ございませんw

 

明らかに記号的なモノとして取り入れてるだけでございます。

一応「水」という部分だけを残し、新興宗教がやたら推している「緑命水」なる水で体を清めるというある種のきっついギャグになってましたけども。

水道水は飲めないが、緑命水は飲めるっていう。

 

また新興宗教に関しても、依子は旦那がいなくなって以降どっぷり浸かっていましたが、決してそれが家庭をぶち壊したり、金をいっぱい搾取されるような描写はございません。

一応息子がおりますが、決してどっぷり浸かって家庭をぶち壊した怒りを、新興宗教と裏で繋がっていたという一国の総理大臣を狙撃しようなんて描写も一切ございませんw

 

ここに関しては、旦那もいなくなって息子もいなくなって、一人で拠り所無く暮らす中年が、これからどう生きるかみたいに心が不安定な状態だったら、こういうのに縋るのも全然悪くはないとは思うんですよね。

あくまで他人に迷惑をかけら蹴ればの話ですけど。

実際依子は、どれだけの蓄えがあるか知りませんが、義父の遺産もたんまりあったんでしょうし、息子の大学費用をむしり取るような額を上納してるわけでもなさそうですし、あくまで「趣味」の一環(といっても結構ないれこみですけどw)程度のものにみえるというか。

 

また息子の彼女が聾唖の女性ということで、再び波紋が広がってしまうわけですが、これも正直デリケートな問題ではありまして、どんなブラックユーモアをぶち込んでくるかと思ったら「息子と別れてくれ」っていうね・・・。

彼らが日常を生きる上で不便極まりないことだらけの世の中で、それに対して我々はどう在るべきかってのはもう言わずもがななわけですけど、依子が漏らす不満て確かに一理あるというか、ある種切実な事だったりするというか。

 

劇中では「彼らを蔑視するわけではないけど、なぜうちの息子は彼女を選んだのか・・・。」っていうセリフを言うんですけど、そうだよなぁ…なんでわざわざ…って母親目線で考えるとまぁ困るよなぁと。

これ別に聾唖って障がいを持った人だけではなくて、連れてきた相手が例えば性格が合わないとか非常識なやつとか礼儀知らずとかでも当てはまるというか、「なんでうちの息子はあんなのを選んでしまったのか」ってなるんですよね。

 

でもそこを敢えて聾唖の女性にすることで、実は皆心の中で「差別意識」を持っているっていう人の奥底に眠るマウント的な思いを浮き彫りにして、そこに意固地になって怒りの波紋を広げるんじゃなくて、「まぁいいじゃん」と割り切って生きる方がいいよねっていうことなのかなと。

 

 

あとはまぁ「女性」にさせてもらえない怒りといいますか。

旦那は無意識に妻という役割を押し付け、息子は無意識に母という役割を押し付ける描写が多々あるわけです。

これはもう自分でも非常に心当たりがあるわけで、実家で過ごした時期は飯を作るのも掃除をするのも洗濯をするのも、学校行事の準備やらなんやら全て「母」がやるものだという「甘え」の環境で育ってきたわけで、磯村勇斗演じる息子が、飯の準備もせずにずっとソファーでスマホいじってる姿は自分とものすごくダブるわけです。

 

また旦那も自分の親父の介護をせずに妻に押し付け、ただただ放射能がどれだけ漏れているかという自分に心配ばかりするわけです。

 

これにずっと我慢をしながら家族を支える女性・依子が、旦那がいなくなって義父が施設に移ってから新興宗教にハマるわけですが、たかが外れたかのようなことだったんでしょう。

どいつもこいつも身勝手で怒りの波紋を広げるのをずっと抑えていた。そのせいで心が汚れてしまったのでしょうか。

緑命水は、そんな依子の心を鎮める鎮静剤のようなものだったわけです。

 

しかしふたを開けてみると、男性一同も心の中で徐々におかしくなっていく依子をあざ笑ったり恐怖を感じたりしてたことが明るみになるわけで、依子の波紋は先ほどの「人を呪わば穴二つ」の如く、互いに波紋を跳ね返し続けていくって構造だったんですね。

 

 

僕は結局この映画、ある年齢になると症状が出るっていう更年期を迎えた女性の事を描いてるのかなって印象を強く持ちました。

突然噴き出る汗だったり突発的に苛立ちを募らせる姿だったり、そういった時にどう対処すればいいかわからなかったのかなと。

だから新興宗教に縋ることで、更年期を乗り越えられるのかなと。

 

だけど結局それで治るようなものではなく、今後もいつ症状が出るかわからないわけで。

やはり劇中で記号的に出てきた問題と同様に、「こういうもんだと割り切って付き合う」こと、無理に悩まないことが大切なのかなと。

 

キャッチコピーが「絶望を笑え」というものでしたが、僕の考えからするとこの「絶望」というのはそうした問題に怒りを露わにして波紋を広げるようなことをするのではなく、割り切って付き合うことで人生が少し豊かになればいいという教訓的な作品だったんじゃないかなと。

 

ぶっちゃけ何も解決してないようなこと言ってますけど、ラスト、降りしきる雨の中喪服姿で枯山水の砂を蹴り飛ばしてフラメンコを踊り、外に出るという依子の姿から、彼女はまさに「絶望を笑う」ことで救われていったのではないかと。

新興宗教とも縁を切り、別の何かに縋る。

もっと健全なモノに。

 

 

最後に

パート仲間の女性が「震災をきっかけに家を片付けられなくなってしまった」ことや、「息子を亡くしたことで亀にを育てることが心の拠り所になっている」こと、そうしたカミングアウトによって依子と距離を縮めていくわけですが、人を拠り所にすることことが痛みや苦しみから解放される手助けになるのではと謳った作品かもしれません。

 

新興宗教の言葉を借りるとするならば、まさに「切磋琢磨していきましょ」です。

 

前作「川っぺりムコリッタ」はもっとユーモア性のあった死生観を謳った作品でしたが、それと比べると表層的な社会問題の影に隠れたテーマ性になっていて、色々な解釈が出来たり、その表層的な問題を疎かにした浅い作品に見えがちな、色々と見にくい構造の作品だったような気がします。

 

新興宗教のヘンテコな踊りや、サウナ室での男性蔑視にいそいそと退室する男性陣などクスッと笑えるシーンはいくつかあったものの、荻上作品の中ではそこまでユーモア性が突出した作品ではなかったかなぁ。

 

というか筒井真理子さんがもう素晴らしい。これに尽きるよこの映画のいいところはw

 

あ、ムロツヨシ出てましたね。

ホームレスに扮してました。

メスのカマキリはオスのカマキリと交尾した後殺すとか言って、旦那の光石研を遠回しに脅えさせてましたねw

だから岩の上にいたカマキリを水で追い払おうとしたんでしょう。

殺されたくなかったんでしょう、どの種族も女を敵に回してはいけないという教訓を受け入れたくなかったんでしょう。

その結果がどうなるか、何とも皮肉なw

 

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10