モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「HERE 時を越えて」感想ネタバレあり解説 時代のコラージュが多すぎてついていけない。

HERE 時を越えて

ロン・ハワードデヴィッド・フィンチャー、そしてロバート・ゼメキス

みんな大作を作ってきた大物映画監督です。

 

ですが彼らの作った劇場映画に、全く客が入らない。

どうしたことか。

フィンチャーはNetflixに逃げちゃうし、ロン・ハワードも新作は配信だったりする。

そしてあのゼメキスも劇場公開されたとしても客が来ないという。

 

悲しいですね、かつては「監督〇〇」だけで客が呼べたのに。

今じゃスピルバーグでもイーストウッドでもスコセッシでも呼べない、ヒットしない。

ギリギリ客が呼べる監督ってノーランとタランティーノだけじゃないか?

 

今回鑑賞する映画は、ロバート・ゼメキス監督による久々の劇場公開作。

あの「フォレスト・ガンプ」の主演俳優と女優が揃ったことも話題ということで、早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

20か国以上で翻訳され、最も素晴らしいグラフィック・ノベルの一つと絶賛されて2016年にアングレーム国際漫画フェスティバル最優秀作品賞を受賞した、リチャード・マグワイアの同名作品を、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ、「キャスト・アウェイ」のロバート・ゼメキス監督の手によって映像化。

かつて手掛けた名作「フォレスト・ガンプ」の脚本とキャストが30年の時を経て再集結し、壮大な時間旅行をひとつの舞台でのみ描くという、未体験の物語を作り上げた。

 

地球上のある地点に置かれた定点カメラを視点に、恐竜が生息した太古の時代から現代に至るまで、その場所で暮らした幾世代もの家族の姿を、監督の代名詞ともいえるVFX技術によって映し出すことに成功した、記憶と希望の物語。

 

数百年前に泊った家を眺めたことが本作のきっかけとなったと語るゼメキス監督。

これまで過去や未来をタイムトラベルしたバック・トゥ・ザ・フューチャーや、一人の男の人生を走馬灯のように駆け巡ったフォレスト・ガンプなど、映画で「時間」を操作することで物語をドラマティックに描いてきた。

一つの場所での「歴史」を描く本作は、彼にとってある種の集大成的な意味合いを持つ映画なのかもしれない。

 

そんな作品に出演するのは、ゼメキス監督作品にはかかせないトム・ハンクス、そしてそんなハンクスと「フォレスト・ガンプ」以来の競演となったロビン・ライト

二人は、若年から老齢まで演じる難役をこなした。

他にも、「アベンジャーズ」シリーズのポール・ベタニー、「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」のケリー・ライリー、TVシリーズ「ダウントン・アビー」「ジェントルメン」のミシェル・ドッカリーが出演する。

 

VFXと本作のために開発されたレンズで見せる革新的な映像。

そこに宿るのは、様々な時代の人たちが「ここ」で過ごした証と、歴史の重み。

きっと誰もが、自分が暮らした部屋を思い出し、次の世代を思うだろう。

 

 

 

 

あらすじ

 

時は流れ、緑が芽吹き、オークの木が育ち、ハチドリが羽ばたき、先住民族の男女が出会う。

さらに時を越えて、オークの木が伐採され、土地がならされ、1907年に一軒の家が建つ。

 

そう、この物語の舞台となるのが、この家のリビングだ。

 

最初にこの家を買ったのは、ジョンとポーリーンの夫婦。

やがて女の子が生まれるが、予期せぬ運命に見舞われ引っ越してゆく。

 

次にレオとステラというアーティスティックなカップルが入居し、個性的なインテリアで部屋を生まれ変わらせる。

約20年間、仲良く暮らした2人は、ある“発明”に成功し、新たな世界を求めて旅立ってゆく。

 

そして第2次世界大戦が終結を迎えようとしていた1945年、この物語の主人公となる男の両親が登場する。

戦地から負傷して帰還したアル(ポール・ベタニー)と妻のローズ(ケリー・ライリー)だ。

ローズから妊娠したと知らされたアルは、予算を上回っていたが、思い切って家を購入する。

やがて長男のリチャードが生まれ、続いて長女のエリザベス、次男のジミーが誕生する。

 

高校生になったリチャード(トム・ハンクス)は、絵描きになることを夢見ていた。

そんな中、別の高校に通うマーガレット(ロビン・ライト)と出会い、2人は恋におちる。

マーガレットは、高校卒業後は大学に進学し、弁護士になることを目指していた。

だが、マーガレットの妊娠が発覚し、リチャードと10代で結婚することになる。

 

感謝祭、クリスマス、家族のバースデイ──楽しい時が過ぎてゆく。

 

ヴァネッサの反抗期、夫婦げんか、家族の病気──悲しい時も過ぎてゆく。

 

そして、マーガレットが50歳を迎えたその日、
2人の人生は思いもかけない時へと迷い込んでゆく──。(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

感想

「ここ」に歴史とドラマあり。

ジュラ紀からコロナ禍までを行き来しながら、とある家族にスポットを当てた異色の「定点カメラ」映画。

はっきり言ってカメラが動かないと飽きるので実験失敗だと思う。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

「ここ」でしか見れないドラマ。

恐竜が暴れ員石器の落下と共に氷河期を迎え、雪解けを迎えたと共に緑が生い茂り、同部鬱を狩る種族が現れ、やがて新たな民族が開拓をしていく。

アメリカという土地ならではのフロンティアな歴史を垣間見せながら、作品の多くは、云十年前に建った家に住む人たちを描く。

 

全体的な内容を語ると、定点カメラで映し出された風景の中に、いくつもの小窓が現れ、そこから別の時代へとタイムスリップしながら、その時代のドラマをコラージュしていく作り。

そのほかにも、キャラクターを自由に動かして奥行きを出したり、人を増やして余白を埋めたり、その都度起きる出来事を数分で語っていくといった、定点カメラ故の弱点を克服するような配慮と、飽きさせない工夫が詰まった作品でした。

 

そこで描かれるのは、生命の誕生や他人と結ばれ家族を築くことで起きる複雑な事情、家族が増え、成長していく度に起きる摩擦、それらを乗り越えて振り返る家族の末路など、生と死という喜びと悲しみを繰り返しながら強固になっていく家族の絆を、希望を込めて描いた物語だったように思えます。

 

 

とある家族は、リクライニングチェアを開発しながら優雅な暮らしをし、またとある家族は飛行士を夢見て家を担保に飛行機を購入、危険な趣味に妻は脅えるも、夫はそれが原因で死ぬのではなく、インフルエンザで命を落とすという笑ってはいけないのに笑ってしまうようなエピソードが、スピーディーに流れていく。

 

また黒人家族は息子に警察官に職務質問された時の対処を教え、コロナウィルスによって命を落としてしまうという、つい最近の出来事を盛り込んだエピソードも垣間見える。

 

 

そしてメインとなるリチャード一家とその両親のエピソード。

退役軍人である父アルと、妻ローズは、妊娠を機に今の家を購入し、仲睦まじい姿を見せていく。

耳が悪いせいか少々怒鳴り気味のアルだが家族には優しく、ローズもそんな夫に支えられながら子育てに奮闘していく。

 

物心ついたときから絵を描くことに没頭していたリチャードは、思春期真っただ中にマーガレットという彼女ができ、家族に紹介しながら仲を深めていく。

弁護士になりたい夢を持つマーガレットだったが、若くして妊娠が発覚。

画家を夢見ていたリチャードと共に夢を諦め、家族を養うために保険の営業として働くことになっていく。

 

国は違えどよくあるホームドラマとして親近感がわく内容だった本作。

やはりどこの過程も子育てに奮闘するし、仕事に追われたりリストラされそうになったりしながら、すくすく育つ子供の成長に喜ぶ姿が印象的。

 

そう、本作を見ながら思い出すのは自分が押さなかった時の家族の風景だ。

もちろん子供が悪さをすれば親は怒るし、何かサプライズを仕掛けようものならば、親はそれにちゃんと乗っかる。

笑顔の絶えない景色が、どの家族にもあったことを思い出させてくれる。

 

やがて子供が大きくなるにつれて、夫婦の問題も増えてくる。

特にマーガレットに関しては「引っ越したい」という思いが強く、幾度もリチャードに相談を持ち掛けるが、リチャードは二言目には金の話ばかり。

税金がどうだ、貯金がもう少しでたまりそうだと巧くスルーしてばかり。

 

その間義母ローズが脳卒中で倒れ、介護もしなくてはならず、さらに義父アル病魔に襲われていく。

 

結果的に、弁護士の夢を掴むことができなかったことから積み重なった苛立ちがマーガレットを襲い、別居生活する羽目になっていく。

 

笑顔の絶えない家族の風景が続いた前半とは違い、後半はそうした年齢による現実的な問題が降りかかり、一筋縄ではないかない事態へと展開していく。

 

2世帯生活できるほどの広い一軒家にも拘らず、一つの家族として暮らしたいというマーガレットの思いは、個人的には非常に理解ができるし、逆に親の面倒を一緒に見ることができるという点ではリチャードの気持ちも理解できる。

 

こうした家族内の問題に、たくさんの世帯が壁にぶつかり妥協しながら乗り越えてきたことを考えると、本作は見る人によっては思い出したくないことまで思い出す羽目になるかもしれない。

 

しかしクライマックスでは、そうした苦難を乗り越えてきたリチャードとマーガレットが、「ここ」で起きたすべての事に感謝を述べる姿で幕を閉じる。

様々な選択を余儀なくされながら、たどり着いた場所。

別の景色があったかもしれないが、今こうして二人肩を並べて座って笑みをこぼせるのは、そうした様々な出来事があったからだと振り返る。

 

自分はリチャードのような人生を歩んでないし、まだ両親も健在だ。

しかし今後どんな奇跡や問題が起きるか見当もつかない。

両親がいなくなった時に実家をどうするのかも考えていない。

それらをすべて乗り越えたとき、自分はリチャードとマーガレットのように喜びながら振り返ることができるのだろうか。

 

それはまだ先の話・・・。

 

しかし面白みに欠けるな…。

なんかコラムみてえな書き方をしてしまいましたが、個人的には今回のゼメキスの実験は成功とは言い難いなぁと受け止めました。

 

原作からの意図や創意工夫など、なぜこのような作品にしたのかはある程度理解はできますが、それが果たして面白く機能していたのかと言われると、素直に頷けない部分は多かったです。

 

そもそも恐竜の時代とか必要だったのでしょうか。

先住民が子を授かり、子供が成長して親が死んでいく、その時にしていた首飾りが時代を経て発掘される、そんな繋がりを見せていくので、先住民時代は必要だったと受け止めました。

しかしウィリアム・フランクリンがかつて住んでいた家のエピソードはそこまで必要だったんでしょうか。

設定ではリチャード邸ではなく、窓の奥に映る家が彼の家ということで、歴史的建造物として話題にあがりはするモノの、本筋にそこまで絡む内容とは思えず。

アメリカが建国するうえで重要な部分なんでしょうが、だったら彼のエピソードが時代を超えて絡むような内容にしないと、必要性に乏しいのかなと。

 

 

また、アル夫妻とリチャードの夫妻のエピソード以外にも、その家に住んだ家族のエピソードが盛り込まれていくわけですが、これが物語をややこしくさせているのも事実。

 

上でも書いたように、画面上にいくつもの小窓が現れ、別の時代へスライドする役目になっていくんですが、いつの時代のエピソードなのか思い出すのに一苦労する。

キャラクターもかなり登場するし子供が成長するので、今度のエピソード?となり、物語を追うのが非常に大変。

 

10秒後に何とか思い出せるものの、その前に何が起きたっけ?と記憶を辿らないといけない仕組みになってる点で、100分という比較的短い尺にも拘らず結構疲れる。

 

確かにアメリカは日本と違って中古住宅を幾度も引っ越して暮らすのが主流だし、購入したら家ごと引っ越すようなお国柄。

だから本作は「ここ」に拘ることで、その家にたくさんの歴史があることを解らせるんだけど、わざわざ時系列をバラバラにして、さらに時代を行き来させながら物語を組み立てた意味って何だったんだろうと。

ただただ複雑な仕組みにしてるだけとしか思えなかったんです。

 

誰かが死んだタイミングで別の時代の誰かが死ぬ、それとは逆に誰かが生まれた際に重ねたエピソードにしていくのは理解できるけど、そこ以外のエピソードに関してはさっぱり。

特にリクライニングチェアを発明した夫婦のエピソードは、一体何だったんだろうと。

彼らがあの家から去った理由って描かれてましたっけ?

もう色々思い出せないくらい情報量が多い映画でしたね・・・。

 

 

そもそも本作はエピソードを詰めに詰めた上に、100分に収めてる事もあって、物語が休むことなく続くのがきつい。

数分も描かないシーンの連続に、余韻もなければ余白もない。

しかもカメラが定点のため、画に動きがなかなかないのも飽きが来る。

 

人を動かすことで事なきを得てるようで、そこまで動くというわけでもない。

ソファが変わったり、クリスマスツリーがあったりなかったり、ハロウィンや感謝祭で家族が集う温かさもあったけど、何故そんな手前にテーブルを置くのか。

またアルが寝たきりになった際も、なぜかリビングでソファを使って寝ている。

自分の部屋は?

とにかく定点カメラの前でなければならないために、半ば無理矢理その場で出来事を起こさないといけない作りになっているのも、正直不自然と感じました。

 

どこかで誰もいない風景を挟むくらいの小休憩は考えなかったんだろうか。

それくらい忙しい映画でした。

 

 

最後に

VFXでデジタルメイクを施したトム・ハンクスとロビン・ライトの若かりし顔は、なんとか見れたけど、声をどうにかできなかったモノか。

どれだけピチピチの肌で「父さん、僕のガールフレンドだ」ってトム・ハンクスが登場しても、声はめっちゃダミ声なんですよ。

 

なんだったら貫禄さえ感じる。

 

その点ポール・ベタニ―は声がこもってないし、若かりしときから怒鳴ってるのもあって違和感はないんだけど、どうしても主演二人の声の老けっぷりは大いに目立ってましたね。

この辺もデジタル処理するべきだったのでは?

 

太古の時代から描かずに、アル夫妻とリチャード夫妻の2世帯住居生活のみを、時系列順に見せていく手法の方が上手くいったように思えました。

結局知りたいのはその家族の物語だけでしたから。

 

ただゼメキスの映画を劇場で見れたというのは非常に感慨深く、彼らしい実験を堪能できたのも良かった。

今回は個人的に満足いくものではなかったけど、彼の新作を再び映画館で見たいモノです。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10