異端者の家
「ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今」で、無事生還を果たし再登場したダニエル役のヒュー・グラント。
3作目で「この歳で女たらしの役を演じるのはつらい」といって降板した彼が、当時のキャラクターのまま復帰してくれたのは感激でした。
そう、ヒュー・グラントといえばやっぱり「ロマコメ」の人。
「ブリジットジョーンズの日記」や「ノッティング・ヒルの恋人」、「トゥー・ウィーク・ノーティス」そして「ラブ・アクチュアリー」とロマコメの帝王と呼ばれるほどイギリスのロマコメ映画には欠かせない存在でした。
そんな彼が今回鑑賞する映画で演じるのは「怖い人」。
家に招いたシスターを監禁して恐怖に陥れる謎の紳士を怪演するということで、非常に気になっております。
「パディントン2」でも悪役を演じましたが、いやな奴ではあったけどどこか憎めない可愛らしさがありました。
本作ではそんな可愛らしさなど1ミリも出ていないことでしょう。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
『クワイエット・プレイス』の脚本で注目を浴びた監督が、『ミッドサマー』や『LAMB/ラム』など規格外の狂気を提示し続けてきたA24製作によって新たに仕掛ける、信念を試す異端の脱出スリラー。
宗教の布教活動の一環で、一見優しい紳士が住む屋敷を訪れた二人のシスターが、侵攻を揺さぶられながら悪夢のような体験をしていく姿を、様々な仕掛けが張り巡らされた屋敷を裏の主役のように見せながら、観る者を翻弄させていく。
監督のスコット・ベック&ブライアン・ウッズは、常々「宗教」に関心を持っており、本作を製作する前にとある映画を製作した地が「モルモン教」の聖地だったこと、そこからあまたのカルト宗教について学ぶ機会を経て、本作の製作にたどり着いたそう。
主演は、これまでロマコメの帝王として君臨してきたヒュー・グラント。
近年では「パディントン2」や「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」などコミカルなキャラで観衆を楽しませてきた彼が、恐ろしい知性を武器に不安を掻き立てる役を完ぺきにこなし、本作でゴールデングローブ賞にノミネートを果たした。
他にもシスター・バーンズ役に「ブギーマン」のソフィー・サッチャー、シスター・パクストン役に「フェイブルマンズ」のクロエ・イーストが出演する。
音を立てたら即死というアイディアでヒット作を生み出したクリエイターが、今回どんなアイディアで我々に恐怖を与えるのか。
あらすじ
シスター・パクストン(クロエ・イースト)とシスター・バーンズ(ソフィー・サッチャー)は、布教のため森に囲まれた一軒家を訪れる。
ドアベルを鳴らすと、出てきたのはリード(ヒュー・グラント)という気さくな男性。
妻が在宅中と聞いて安心した2人は家の中で話をすることに。
早速説明を始めたところ、天才的な頭脳を持つリードは「どの宗教も真実とは思えない」と持論を展開する。
不穏な空気を感じた2人は密かに帰ろうとするが、玄関の鍵は閉ざされており、助けを呼ぼうにも携帯の電波は繋がらない。
教会から呼び戻されたと嘘をつく2人に、帰るには家の奥にある2つの扉のどちらかから出るしかないとリードは言う。
信仰心を試す扉の先で、彼女たちに待ち受ける悪夢のような「真相」とは——。(HPより抜粋)
感想
#異端者の家 観賞。宗教のこととかよくわかんねんだけどむっちゃ面白かったー!
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) April 25, 2025
宗教オタクによる宗教の盲点や信仰の穴を指摘され論破されてお手上げ状態のシスター2人がやられっぱなしにならずに挑戦するディベートスリラーとでもいうのか?
まあいいやクリープの使い方最高。 pic.twitter.com/wlOQWg5Q90
あぁ~顔のシワってそうやって使うと怖いよね~。
全ての宗教の矛盾と盲点を突くオタクなおっさんに、信仰心を揺さぶられるシスターがどう「挑戦」するかを描く会話劇中心の本格スリラー。
宗教なんてわからなくても「神なんかいねえ」って思ってれば絶対楽しいはず。
結末のショットは何を意味するのだろう。
以下、ネタバレします。
信じる?信じない?どっち!?
冒頭シスターによる「コンドーム」の話。
人がどう信じてしまうかは「マーケティング」によるものだと語る2人。
確かに、我々は知らぬ間に宣伝や口コミといった評判を鵜呑みにし、勝手に「信じてしまう」傾向がある。
その商品に対する背景や検証をしてこそ「信じられるかどうか」ではないだろうか。
そんな下ネタ話が飛躍し、「神は存在する」というよくわからん着地に降り立ったシスターの会話が、実は本作に重要な意味をもたらした作品だったと思います。
あらかじめ教会にリード邸を訪ねることを知らせておいたシスター二人は、道中ガキンチョに「魔法の下着」とイタズラされながらも辿りつき訪問。
モルモン教徒としてしっかり勧誘するために、用意した文言を流ちょうに語るシスター。
どうやらモルモン教は、男しかいない家には入ってはいけない掟があるようでしたが、妻がいるから安心だと、ちょっとしたジョークを挟みながら招くヒュー・グラント。
家に入ると小奇麗にされた空間とシンプルなインテリアが、暗めの照明によって浮かび上がっていく。
モルモン教に関心があるってことで、早速本題に入ろうとするリード。
最初こそ相手の話に耳を傾けつつ経口を叩くリードが、メガネをかけた瞬間モルモン教の盲点を突き始める。
「オタクんとこの宗教、一夫多妻制やってたよね?あれ、何で廃止にしたの?」と。
今から100年以上前の話で、実際にこの一夫多妻制が物議をかもしたそうでしたが、末日聖徒イエス・キリスト教会通称モルモン教の設立者、ジョセフ・スミスは「神から啓示を受けた」といって撤廃したんだそう。
リード曰く、それって物議をかもしたことで信者が減っちゃうから、自分で勝手に撤廃しただけなんじゃねえの?と言いがかりをつけてくるわけです。
全く知らない俺がシスターの立場なら、反論する余地もないので「いやもう~リードさん中々鋭い所をついてきますね~御見それしました!で、どうです?うちのモルモン教」なんてスルーしますけど、弱気なパクストンに対し信仰心の強いバーンズは反論に打って出ます。
この議論を発端に、リードは彼女たちに不穏な空気を与え家に閉じ込め、さらに「君たちの信じている宗教はこんなにでたらめなんだ、それでも信仰するのかい?」と揺さぶってくるのであります。
この序盤では玄関から入ってすぐの居間でテーブルを挟んで行われるのですが、演者の表情の切り返しをしながら、徐々にカメラを寄りで捉えていく手法で緊張感を高める演出をしており、相当学習してこの場に臨んだんだなと感じるリードのヤバさを強調させ、それに対して反論するのが難しいこと以前に、おいおいただの勧誘だと思ってたのにこのおっさん手ごわすぎるだろ出直そうぜ、その前に奥さんのブルーベリーパイまだかよと、議論以前にビビリ散らかす表情をしっかりみせることでスリリングな展開へと持っていきます。
やがて隙を見てお暇しようと画策するも、玄関は開かない、他に出口はない、形態の電波もないのないない尽くしで、あわてふためくシスター二人。
しかもチャリ鍵が預けたコートの中に入ってることに気付いたため、奥の部屋で待っているリードの元へ行かざるを得ない状況に。
奥の部屋に入ると、沢山の書物やレコードがラック一杯に敷き詰められた書斎に入るシスター。
教壇の横には二つの扉があったり、奥には鹿威しまである奇妙な空間で、シスターは「帰りたい」と懇願することに。
しかしリードは、「帰る前に俺の話聞いて~」と再び数多の宗教の穴を指摘してくる。
見てるこっちはか弱い女の子が帰りたいって言ってんだから、帰してやれやおっさん!どこまで宗教マウント取ったら気が住むんじゃ!と少々苛立ちを募らせたのですが、当事者であるシスターは脅える一方。
リードはとある曲を流し始めながら、キリストよりも前に存在した神話が、キリスト誕生について非常に酷似していることを指摘。
さらには、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の宗教ビッグ3をモノポリーに例えて、全ては「反復」によって新たなモノを生み出しているという独自の証明を突き付けてくる。
具体的にどういうことかというと、我々が良く知るモノポリーにはオリジナルがあり、そのオリジナルを盗作して大々的な宣伝によって世間に浸透したせいで、モノポリー自体がオリジナルだと錯覚してるだけだと。
実際オリジナルとされるユダヤ教の信者は世の中の0.2%しかおらず、何故キリスト教のほいウが信者が多いのかは、そうした宣教師による宣伝の有無によるものではないのかという言い分なわけ。
徐に流し始めた曲も、ホリーズが1973年に発表した楽曲「The Air that I Breathe」だったが、俺はその曲を聴いて「あれ?これレディオヘッドのクリープのカバー?」と思ったが、実はクリープ自体がこの曲の盗作なのでは?と物議をかもしたことがあり、これらを例に挙げ、結局お前たちが信仰するモルモン教は、そうした反復によって生み出されたものなんだ、だから神から受けたお告げだの啓示ってのは、ぜ~んぶ嘘!でたらめなのだぁ!とふっかけてくるのであります。
もうね、ぐうの音も出ません。
全てはオリジナルをかき集めただけのものに過ぎない=反復だという言い分に対して、俺の様な脳みそ数%しか機能してない下民は何も言い返せません。
如何にして相手を傷つけないように持ち上げ、なるほどと一旦受け止め、どう話題を変えてこちらのペースに持ち込むか、ディベートのデの字も知らない俺がやるとしたら「回避」することしか思い浮かばない。
でも信仰心が強く頭がキレるバーンズは、頭でっかちのリードの矛盾点をすぐさま見つけ反論するのであります。
あなたが言ってることは上っ面だけ、ユダヤ教が少ない理由の一つに迫害されたことが入ってない、イスラム教だって一側面からしか物事を捉えてないと。
思いもよらない反論になぜかフリーズしてロウソクの火ばかり見つめるリード。
何だよお前言い返されたら黙っちゃうのかよwwと思わず笑ってしまいましたが、徐々にヒートアップしてく議論は、二つの扉を選ぶ選択を余儀なくされたシスターの行く末によって、別の映画へと姿を変えていくのです…。
リードが指摘した反復に関して、もうすべての創作物に「オリジナル」など存在しないという指摘は俺も同感です。
これまで語り継がれてきた神話を寄せ集めて生まれたのが、我々が娯楽として消費する「映画」ですし、リードが例えたように「スターウォーズ:ファントムメナス」で不評だったキャラクター、ジャージャー・ビンクスが1000年後に神の代わりになってる可能性もなくはない。
音楽に至っても、あらゆる発明をしたビートルズの楽曲にインスパイアされて生まれた楽曲が数知れずだし、俺が敬愛してやまないミスチルだって、そんなビートルズやピンクフロイドのフレーズをパクりまくって「深海」というとんでもない名盤を生み出したのも事実。
ただ、文化も宗教も、そうやってオリジナルを模倣して新たなモノとして世に出していることの、何が悪いのかって話なんですよ。
私は好きだから信じてるから、それ以上の理由に勝てるモノなんてないんですよ。
しかしリードは、彼女たちに「俺はとうとう見つけてしまったんだよ、唯一絶対の宗教を」と語り始め、それを証明するために彼女たちを地下に閉じ込め「奇跡」を目撃させていくのが後半のメインとなっていきます。
ヒュー・グラント怖いって。
本作の一番の強みは、宗教に対する矛盾にどう抗うかという、不信仰者VS信仰者のディベートバトルではあるんですが、それに匹敵するほど魅力的なのが、これまでロマコメの帝王として君臨したヒュー・グラントがとんでもなく怖いということ。
最初こそ紳士的な振る舞いで、レディたちの緊張をジョークで解しながらも、徐々に自分のペースに持っていく術に震えます。
賢い人ってこうやってマウントとって満足してるんだろうなぁ、そんな風に思わせる「上から目線」のおヒュー様。
徐々に表情を寄りで捉えていくと、20年前はあんなにブリティッシュイケメンダンディだったおヒュー様にも、加齢によって刻まれた多くのしわが目立つんです。
でもそのシワが、薄暗い照明によって作られた影によって、恐怖のシワへと変貌を遂げているではありませんか。
語り口だって普段のおヒュー様と特段違うわけではなく、滑らかなセリフ回しが心地よい、いつものあの感じなんです。
なのに怖い。
やはり盲点を突いてくるあのいやらしい言い分と、何も言い返せないでいる彼女たちを鼻で笑うかのような態度が、序盤での不気味さを現してたと思います。
もちろんそれだけじゃない。
彼女たちを地下室に閉じ込めた後半からは、これまで伏せていた怖さが覚醒していくんですよ。
一度死んで蘇生するという「預言者」を彼女たちに見せつけるも、それは単なるトリックでしかないと言い返すバーンズの首根っこをカッターナイフで掻っ切るリード。
その時の表情はただの真顔です。
無論暗がりの地下室で行われているのではっきりとは見えませんが、そのはっきりしないにもかかわらずかけているメガネの奥に見える冷たい目が、怖さを物語っています。
それ以降も、恐怖におびえながらも独自の勘でバーンズに代わって反論を続けるパクストンを追い込んでいくリード。
冷静に聞いたら明らかにリードが劣勢なのに、平然とした顔で聞いたふりして次の一手を企んでるのか黙ってるだけなのか奥底が読めないリードが終始不気味なんですね~。
終盤では「唯一絶対の宗教とは何か」を語るんですが、檻に閉じ込めて憔悴しきっている女性たちの爪を切りながらいきなり指を切る瞬間も不気味ですし、やはりそれも平然とした表情で語りながら相手を物理的に攻撃する仕草は、本当に怖い。
やっぱね、「それってあなたの感想ですよね?」ってニコニコしながらあれこれリクtこねくり回して議論するひろゆきって怖いですよw
彼も劣勢な時があるけど、感情をむき出しにして反論しないですもん。常にニコニコ。
これ見たらひろゆきの見方がわかるかもしれませんw
最後に
劇中で胡蝶の夢について語るシーンがあります。
思想家の荘子が「夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも実は夢でみた蝶こそが本来の自分であって今の自分は蝶が見ている夢なのか」という説話なんですけど、要するに夢だろうが現実だろうが、結局自分であることに変わりはなく、それを受け入れて生きることが正しいと仰ってるわけです。
それを踏まえたかのようなラストショットは、かろうじて脱出を遂げたパクストンの手には蝶が止まってるんですね。
でも、次のカットでは蝶は映ってない。
リードに腹を刺されて重傷のパクストンは果たして現実にいるのか夢にいるのかって所で幕は閉じられます。
どっちも解釈もできそうですけど、荘子の話を踏まえて語るとすれば、「パクストン次第」ってことなんですよ。
考察とか解釈とか要らないと。
しかしクワイエットプレイスの脚本家だけあって、かなり面白い脚本でしたね。
2人で色々言い合って議論して作り出したかのようなお話でした。
唯一絶対の宗教が「支配」ってのも興味深い。
如何に相手を信じ込ませて身動きできないようにさせるって、もはやそれ以上の信仰はないでのはないかと。
信仰というか、従う以外ないんですけどね。
途中でリードの言い分に丸め込まれそうになったパクストンは正にリードに「支配」されようとしてましたもんね。
そんな彼女が生き残って彼の言い分に「挑戦」する姿は、弱々しいながらも立派だなと。
何を信じ何を信じないかは其々で、そこが現実だろうと夢だろうと、自分が「生きている」心地がすればそれでいい、どう信じるかが大切だというお話だったのではないでしょうか。
いやぁホント面白かった。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10