楓

90年代に青春をささげてきた人たちなら「スピッツ」がどれほど偉大かはお分かりかと思います。
「ロビンソン」、「チェリー」、「渚」に「冷たい頬」とファンタジーすぎる歌詞過ぎて高い難易度に困惑しながらも、色あせない普遍的なメロディ、それに適応したマサムネさんのハイトーンボイスに心奪われてしまう。
劇場版名探偵コナンの主題歌を担当したことで若い世代にも受け入れられ、今や全世代対応国民的バンドへとなったといっても過言ではありません。
むろん自分もバンドをやっていた頃はスピッツのようなバンドサウンドに憧れ楽曲を作ってたほど彼らを尊敬しております。
だからこそ、彼らの歌が映画になるなんて、認めたくない!!
「糸」だの「ハナミズキ」だの「雪の華」だの、カラオケランキング上位の曲を映画化する風潮に腹を立てていた身分でして、今回の映画化をよくスピッツが許可したなと驚いております。
観たくない理由は他にもあり、大正時代の風景をちゃんと表現したにもかかわらずアクションなんてお前の得意分野じゃねえだろうなんで引き受けたんだ?と大いに疑問を抱いた「リボルバーリリー」を製作した東映、そして監督に抜擢された行定勲という信用できないタッグ…。
でもさ、いいよ、この手の酸っぱいジャンルは彼の得意分野、そしてスピッツファンだからこそこの映画を見届けてやろう…そんな気持ちで鑑賞したいと思います。
…あ~怖…
作品情報
今もなお色あせないメロディとエネルギッシュなサウンドで聴く人を魅了するロックバンド・スピッツが、1998年にリリースして以降数々のアーティストにカバーされるほど人気の曲「楓」を原案に、「世界の中心で、愛をさけぶ」、「ナラタージュ」など数々の恋愛映画を世に送り出した行定勲の手によって実写映画化。
死んだ弟のふりをして、弟の恋人と暮らす双子の兄、そして恋人を失ったショックで恋人の兄を恋人と思い込む彼女が織りなす恋愛模様と隠された秘密を、「楓」の花言葉でもある「遠慮」をキーワードに、人間の美しさだけなく、愚かさや弱さ、身勝手さや狡さなどを含めたリアルな恋愛と儚い運命を、ニュージーランドの雄大な自然をバックに映し出す。
当時大ヒットを記録した「世界の中心で、愛をさけぶ」。あれから20年という節目の年に「失った人を胸に生きる」作品と巡り合えたことに運命的なものを感じたという行定勲監督。
今回脚本等が完成されある程度製作が進んだ段階から参加、これまで数々の恋愛映画をその時代に合わせて手掛けてきた手腕から、そして自分が思うスピッツの歌の世界を解釈しながら今回「演出家」として臨んだという。
双子の兄弟、涼と恵の二役を演じるのは「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」、「ザ・ファブル」の福士蒼汰。
そして二人の恋人となる亜子役を、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」、「教場 Requiem」の福原遥が演じる。
他にも、涼と恵の幼馴染・梶野役を「佐藤さんと佐藤さん」の宮沢氷魚、涼を慕う女性・日和役を「砕け散るところを見せてあげる」の石井杏奈、亜子の相談相手・雄介役をアイドルグループTravis Japanの宮近海斗が演じる。
また、SUPER BEAVERの渋谷龍太と十明が楓のカバー曲をそれぞれ提供しており、スピッツと共に劇中で使用される。
一体名曲からどんな物語が生まれたのか。
あらすじ
須永恵(福士蒼汰)と恋人の木下亜子(福原遥)は、共通の趣味の天文の本や望遠鏡に囲まれながら、幸せに暮らしていた。
しかし朝、亜子を見送ると、恵は眼鏡を外し、髪を崩す。
実は、彼は双子の弟のフリをした、兄・須永涼だった。
1ヶ月前、ニュージーランドで事故に遭い、恵はこの世を去る。
ショックで混乱した亜子は、目の前に現れた涼を恵だと思い込んでしまうが、涼は本当のことを言えずにいた。
幼馴染の梶野(宮沢氷魚)だけが真実を知り涼を見守っていたが、涼を慕う後輩の日和(石井杏奈)、亜子の行きつけの店の店長・雄介(宮近海斗)が、違和感を抱き始める。
二重の生活に戸惑いながらも、明るく真っ直ぐな亜子に惹かれていく涼。
いつしか彼にとって、亜子は一番大事な人になっていた。
一方、亜子にもまた、打ち明けられない秘密があったー。(HPより抜粋)
感想
#映画楓 鑑賞。もはやタイトルが「楓」ではなく「言えないよ」の方がしっくりくるんじゃね?と困惑した2時間。優しさと狡さの清濁味ある関係性が気味悪いのに純愛で押し付けてくる怖さ。エンドロールでサビの歌詞を読むとなるほどとなるけど、その対象が空白なのよ映画の中で。ダメだろそれ。 pic.twitter.com/3is3Q5WDn5
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) December 19, 2025
かわるがわるのぞいた穴から何覗いてたんだよ。
二重生活バレてないぞ!と思ったらめっちゃバレてました!
優しさに付け込んで、優しさに甘えて、それでよかったはずなのに罪悪感。
でも俺はそれで十分だったんだぜ!な話。
以下、ネタバレします。
ロマンチックに描きすぎだろ。
死んでしまった双子の弟の代わりに、弟の恋人と同棲生活初めて早いくとせ。
恵の格好で出発した後、公衆トイレで涼に戻り、帰る前に再び着替えて帰宅。
自分の人生を生きながら、他人の人生を生きるという正に「かわるがわるのぞいた穴」状態の涼くんは、一体いつまでこんな生活を続けるのか。
一方恋人である亜子は、ニュージーランドでの事故以来大将が複数見えてしまう「複視」という病気にかかっており、それを恵(涼)に言えないでいた。
彼に気付かれる前に入院して手術して元気になって戻ってこなくちゃと気を高める亜子。
そんな中、とあるショッピングモールで恵の格好をしている涼を発見してしまう同僚。
逆に恵だと思い込む亜子の友人。
共通の友人に不思議がられたことから、友人二人は事故を真相を知ってしまい・・・。
というざっくりしたあらすじです。
纏めるとこんな感じなんですけど、これがまぁ~~ダラダラ続くんです、大体1時間強でしょうか。
やっぱりね、幾らうり二つの双子だからといっても雰囲気でバレちゃうと思うんですね。
だから涼からすれば、幾ら夜中に名前の書き練習しようが、天体望遠鏡の使い方覚えようが星の名前覚えようが、それ以前の問題が絶対生じてくるんですよ、一緒に暮らしていたら。
ホント些細なことですよ、それこそ「外来語禁止ゲーム」のような二人がよくやってるルーティーンを知らないわからないだけでは済まないわけで。
他にもリアリティを求めてしまえばたくさんあるんですけど、一番肝心な「セックス」がこの映画に全くなくてびっくりしました。
同棲してたら1度や2度ならずともあるでしょうって話で、それをなぜ涼視点で描かなかったのか不思議でなりません。
結局涼が「不器用だけどしぶとい」という親父の言い分通り、恵の格好して学校に忍び込んだ際亜子に一目ぼれしていたわけです。
手に入れたかった存在が、ずっと目の前にあって、他人のふりをして生活をしている以上、下心が出ないわけがない。
だから向こうが求めてくれば絶対応じるし、寧ろ自分から「今夜どう?」くらいのアプローチをした方が自然てもの。
これも結末を知ったから言えますが、結局亜子も恵みではなく涼だと分かっていたという事実をふまえるに、代わりでしかない以上彼女から求めたことは一度もないことが推察されます。
要するに互いが「演技」をしながら敬遠していたことになるんですよ。
涼よ、お前そんな同棲生活を送って不思議にならなかったのか?
一緒に風呂に入ろうとかそういうのもなかったのか?
とまぁ、そういうのをスルーしちゃう今の日本の恋愛映画ってどうなんでしょうねっていうどうでもいい苦言でした。
しかし、亜子ちゃんよ、確かに喪失感で一杯なのはわかる。
仕事も手に付かなかっただろうし、何ならご飯も喉を通らなかっただろう。
でもだ、その寂しさを埋めるための双子の兄を「利用」するのはさすがにどうよって話。
監督が描きたかったのはこれだったんだろう。
勝手に物語のキャラクターが自分の思い通りに動かないだけで苦言を呈したり作品全体を批判してしまうような「入り込み過ぎてる今の人たち」に、人間て色々な立場故に複雑な事情があるんだ、その事情を理解しないで一方的に断罪するかのような断言をしてしまうその思考回路、もうちょっと冷静に見れないのかい?と。
だからこそ亜子をこういうキャラにした、しかも監督は脚本にはノータッチで演出の身だから、描きようによっては亜子をあざとい女に描けたところを、行定イズム全開の「ピュアな成人女性」ぽく見せることで、そういう批判が来ないようにフィルターをかけたわけだ。
でもさ、泣いて逃げるなって。
学校の屋上で、全容を語ることなく「さよなら」って、そりゃ卑怯よ。
しかも足がない中でどうやってあそこから帰った?
まぁ見出しが「ロマンティックに描きすぎ」って話なので、色々言わせてもらいますけど、そもそも亜子が涼を巻き込んで同棲生活をしたのって、家賃折半させるためだったんじゃないかって説、ありますよね??
亜子ってぶっちゃけ何の仕事してるかよくわからないんですけど、恐らくWEBサイトの運みたいなベンチャー企業っぽい感じでしたけど、20代後半の女性が一人で住むには結構広い感じがします。
せめてルームシェアできる人がいればって話なんでしょうけど、だったら恋人とうり二つの男の方がマシってことだったんですかね、知らんけど。
あとはそうですね、亜子のことばかりになりますけど、ニュージーランドで事故を起こした時点で恵が死んでしまったことは知ってないと説明厳しくないですか?
それを知らずにどうやって帰国したんでしょうかね。
あとはもう大前提の話として、高校時代から恵と親しくしていたのなら、恵みから「双子の兄がいる」って話はあったと思うんですよね。
遠目で目を合わせてるシーンが二つくらいあったので、恐らく認識はしていると思うんですけど、なぜか本編でそこを言及しないのが物凄く不自然。
とまぁ、叩けばホコリがいっぱい出てきそうなアンリアルなフィクションストーリーでしたけど、結局ね「さよなら きみの声を 抱いて歩いていく」って話だったと思うんです。
これエンドロールで流れるまで「なぜ楓からこんな映画が生まれたのか」さっぱりわからなかったんです。
要は、学校の屋上で亜子から「さよなら」と言われた時のシチュエーションを抱きながら、涼は3年もの間、自分の人生と恵の人生を同時に生きようと試みたわけです。
それが星ナビの最新号でも掲載されていたように、彗星を見つけるために海外でカメラマンとして挑戦するというモノ。
実家の望遠鏡をリモートで駆使しながら彗星探しを行っていたという行動は、楓のサビの続き「あぁ 僕のままで どこまで届くだろう」に繋がるフレーズだったのではないかと。
届くってのは、おそらく彗星だったり亜子と過ごした恵ってことだったり色々想像できますけど、恐らくそういうことなんじゃねえかなぁという、俺なりの解釈です。(考察ではない!)
ただね、俺としては郷ひろみの「言えないよ」の方がこの映画の内容にピッタリの歌詞で、映画のタイトルに相応しいんじゃないかなって見終えた瞬間に思いましたよ。
もう全部隠さずに打ち明けようと何度もしたけれど、言えないよ好きだなんて
ってもう完全に涼の気持ちを代弁してるじゃないですか。
誰よりも君が近すぎて悲しいよ夢だなんて
ってのも、他人のふりして暮らしてるから本当の自分を見せることができない、それが夢みたいで悲しいと。
君に届きそうな唇がほら空回り
ってのも、あれだけキスシーンを大々的に映してる以上、同棲していてもキスさえしてこなかったんだろうと。
ホントはめっちゃしたかったんですよ、不器用でしぶとい涼くんは。
だけど堪えて堪えて堪えてきたわけです、夢が壊れないように、ホントはしちゃって平気なのに。
2人の間にコンプラなんてないですよ、ハラスメントと言われても無罪ですよ、だってお互い「演技」してたんですから。
・・・とまぁ、言えないよにピッタリな映画だったなぁとw
最後に
愚痴ばかり言ってますけど、文句があるのは脚本の方で、演出面にはそこまで文句はないというか。
言いたいことがあるとすれば、なんで日本映画ってあんなに素晴らしいニュージーランドの自然を美しく描けないのかなぁって。
カメラの質の問題なのか、視点の問題なのか、ただ映せばいいとでも思ってるのか、この辺の美意識の弱さがこの映画の雄大さを損なってる気がしましたね。
星空だってもっと解像度上げてみせるとか、トーンを上げてみるとかいろいろできたはずなんだよなぁ。
あとはもう、結果的にどっちも演技だったからかと納得できたけど、涼と亜子の両人がぎこちないんですよ、終始。
福士蒼汰も福原遥も悪いけど、監督が意図してるのかどうかわからないけど、最初っから2人の生活のルーティーンがぎこちない。
どう見ても二人の間に距離がある。これを冒頭から出してしまってる時点でダメです。
1ヶ月二人で同棲せ活してからクランクインした方が良かったんじゃね?喰らい、改善点のある部分でした。
結局文句ばかりになってしまいましたが、それもこれもスピッツの名曲を映画にしなければ辛口にはならなかったという話。
もうね、カラオケランキングで常に上位の曲を原案にした映画を製作するの、やめましょう!!
誰にもいいこと起きないから!!
次は何狙ってんだろ、藤井風か?米津か?
やめとけよ。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10


