火口のふたり
結構長いこと一人でいると、いわゆる「男と女」の映画を見ても、感情が芽生えなかったりとか理解できなかったりとか関心が沸かないんですけど、今回鑑賞する映画も心が死んだまま見てしまうのか不安で仕方がないモンキーです。
今回鑑賞する映画は一応ジャンルで言うと「官能映画」の部類に入る気がするんですが、ブログ内で言うと「娼年」以来の官能映画になります。
この手の映画を全然見てないわけではないんですが、僕がこういう映画を見る時に一番気にしているのは、「女優をちゃんときれいに撮れているか」で。
予告の段階ではそれが成立しているように思えたので、例え心が死んだとしても最後まで見届けてみよう、ということで鑑賞することにしました。
こういうのはきっと感性が試されるんだろうなぁ、俺には向いてねえなぁw
と、今のうちに言い訳しときますw
ということで早速鑑賞してまいりました。
作品情報
山本周五郎賞や直木賞など受賞経験を持つ白石一文の同名小説を、男と女のエロティシズムを表現し続け、キネマ旬報脚本賞に5度も輝く監督によって映画化。
結婚を控え、かつての恋人と再会を果たした二人の男女が、他愛のない会話や食事、セックスを繰り返し、「身体の言い分」に身を委ね、「世界が終わる時、誰と何を過ごすか」という究極の問いを見る者に突き付けていく。
また写真家・野村佐紀子によるモノクロームの写真を多用することで、二人の過去を鮮やかに甦らせ、映画の世界観をより鮮明に膨らませていく。
果たして二人がたどり着いた答えとは。
あらすじ
十日後に結婚式を控えた直子(瀧内公美)は、故郷の秋田に帰省した昔の恋人・賢治(柄本佑)と久しぶりの再会を果たす。
新しい生活のため片づけていた荷物の中から直子が取り出した1冊のアルバム。
そこには一糸纏わぬふたりの姿が、モノクロームの写真に映し出されていた。
蘇ってくるのは、ただ欲望のままに生きていた青春の日々。
「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」
直子の婚約者が戻るまでの五日間。
身体に刻まれた快楽の記憶と葛藤の果てに、ふたりが辿り着いた先は―。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、荒井晴彦。
すいません、調べてみたらかなりの大御所だったことを知り、まだまだ私勉強不足だと改めて痛感しました・・・。
監督業としては沢山の作品を手掛けてませんが、脚本家としては数々の作品を世に出しております。
僕が見た映画で言うと「大鹿村騒動記」や「さよなら歌舞伎町」など。
代表的なもので言えば「Wの悲劇」や「ヴァイヴレータ」でしょうか。
ディスコグラフィーは比較的官能的な作品が多く、今作はうってつけのように思えます。
監督作品としてはこれが3作目。
主演の柄本佑のお父さん、柄本明が主演した、温泉地を舞台にした中年男女の情事を描いた「身も心も」。
そして、戦争のさなか、本能の赴くままに許されぬ恋に走る女と周囲の人間模様を描いた「この国の空」を手掛けています。
今作は自分の身体の言い分を聞いてあげよう、という部分に重きを置いたそうです。
一体どんな作品に仕上がっているのでしょうか。
キャスト
主演の賢治を演じる柄本佑、そして直子役の瀧内公美。
瀧内公美に関しては「彼女の人生は間違いじゃない」で触れたので、そちらを読んでいただくとして。
柄本佑に関してですが、正直彼を最初見たころは親父に似てブサイクな顔してんなぁw、と失礼ながら思っていたんですけど、気が付いたらめっちゃ大人の男の色気出しててカッコよくなってんじゃん!!て。
どの作品で思ったかは忘れたんですけどw
今ではどの映画にも欠かせないバイプレーヤーになりましたよね~。
出演作品が多すぎるので過去作に関してはまたの機会ってことにして。
直近では「アルキメデスの大戦」で菅田将暉演じる主人公とバディを組むことになる役で活躍されてますね。
ちなみに彼が出演している作品で好きなのは「檸檬のころ」という青春映画です。
パイスー(酸っぱい)映画なので、ぜひ。
原作では福岡が舞台だそうなんですが、今作は秋田に変更して製作したとのこと。
それにはどんな理由があるのかにも注目しながら鑑賞したいと思います。
ここから鑑賞後の感想です!!!
感想
食事睡眠セックス!
地獄の手前で欲の限りを尽くす二人をもっとキレイに艶っぽく映してよ~。
以下、核心に触れずネタバレします。
男の都合のような気もする。
親父の便りで元カノの結婚式に出席しようと帰省した、バツイチ子持ちフリーターと三拍子揃ったポンコツ男と、その元カノで陸上自衛隊のフィアンセとの結婚を控えるも、あの頃ヤリにヤリまくった感触が忘れられないのぉ~と迫った結果、フィアンセが出張から帰ってくるまでの5日間、食事、睡眠、セックスと三大欲求の限りを尽くしていく物語。
普段我々は理性の下に、限りない欲望を抑えて過ごしていますが、こんなにも欲望のままにセックスをし、食事をし、睡眠を繰り返す日常を見せられると、俺もそんな生活してみてえなぁ!!という気分にさせられます。
というか、たかが外れるともう止めることはできないってことをまじまじと見せつけられる感覚でしょうか。
例えば直子はあくまで人の妻になる前に、あの頃の感触をもう一度味わいたいってことで賢治を誘うわけですが、賢治は翌日勃起がおさまらなくて我慢できなくて直子の家に急いでいき、速攻で挿入してしまうという野性的なセックスをするんですね。
こんな感じで二人が延々と淡々とセックスをしていき、ある自然現象がおきることで、人間本来が持つ自然な発想から答えを見出していくというお話でした。
そして、彼らにはある関係性が途中で明かされることで、なぜ二人は離れてしまったのかという真相に、理性以前の明るみに出てはいけない隠さなくてはいけない、そんな秘密、恥の部分、背徳感を知ることで、ちょっとした緊迫感が漂うようにもなっていて、日常でのエロスのさらに上のエロスに心拍数があがってしまうほど。
2人の抑えきれない気持ちと「身体の言い分」によって、火口に墜ちていく二人は、ある意味で見ていて清々するというか。自分ができない分、行くところまで行ってほしいというか。
また秋田を舞台にしたということで震災にも触れており、同じ東北なのにもかかわらず被災状況は比較的軽いことに負い目を感じる直子の心境を引き合いに、賢治の会社の倒産や、戦争や自然災害といった非日常的な事象を逆らうことができないのではあれば、人間もその直感に従ってもいいのではないか、むき出しの感情のまま突き進んでもいいのではないか、それも人間の本質なのではないかと考えさせられます。
終始二人による芝居が延々と続くので、セリフを聞き逃すともう二人の背景やら設定やら心の内側に潜むあれこれを見失ってしまう、なかなか集中力のいる作品だったように思えます。
しかもこの映画のテーマとされる「世界の終わりが来るとき、誰と何をするか」という部分までなかなか切り出すことが無く、体感時間も長く感じてしまう。
と、何やら「つまらない」とでも言いたそうな雰囲気の入り口で感想を書いてしまってますが、そんなことはない。
役者の芝居だけで構成された作品ですから、彼らが物語をグングン引っ張っていくし、一つ一つの表情から、戸惑いや勢いといった、葛藤や欲の赴くままに従う行動によって、決して飽きさせない工夫も施されていました。
また、いわゆるセックスあるあるのような描写が結構ありまして、終始シリアスだったということはなく、ユーモアとも思える瞬間がありまして、そこの辺りは楽しめるのではないかと。
一体どんな物語だったのか解説含めてダラダラ書いていこうかと思います。
今の時代にあっているか?
まず僕がこの映画を見て大きく感じたことは、監督の男目線がかなり強く出ていたように思えます。
賢治と直子は、かつて付き合っていたんだけど、賢治のある裏切りによって、二人胃の歯車は大きくずれていくんですね。
それが無ければきっと二人はずるずると恋人として関係を続けられたのかもしれないのに。
そんな背景を話しながら、なぜ結婚するのか、なぜ子供を生もうと思うのか、などなかなかデリケートな部分を直球で聞くのであります。
直子はその質問に対し、「私が子供を産まなかったらお母さんはなんで私を生んだのかって思われるから」とか、「子宮筋腫だから早く産まないと」と素直な気持ちを打ち明けているにもかかわらず、「なんか動機が不純だな、そんな理由で結婚した男はどうしたらいい」などと、このご時世にも拘らず、なかなかの女性蔑視というか、男性優位なことをぶつけてくるわけです。
頭に来た直子は、じゃあなぜあなたは結婚したのよ、と劇中で賢治が結婚していたことを教えてくれるきっかけにもなる発言をするんですが、結果的にはできちゃったからであって、直子が納得するようなことを言えず、結局は好意があるから強く反発できない、みたいな形で口論を終えるのであります。
はっきり言ってこの二人の間に誰も介入することはできないし、僕の価値観と比較しても意味がないので、これを言ったところで、って話なんですけど、単純に今の時代に合わない物語にも見えるなぁと。
実際セリフも「ら」抜き」言葉といいますか、互いの会話の節々が固いんですよ。
設定上5歳離れてるとはいえ、現代の若者の話で、そりゃあ省略された言葉を使うのも日常茶飯事だと思うんですね。
なのに、しっかり「食べれる」ではなく「食べられる」といったような正しい日本語で会話してるわけです。
大先生が監督脚本したのですから、彼の作風を理解すべきなんだとは思いますが、すごく気になりまして。
また会話が全て説明調なのも気になる。
元々脚本家の方ですから、画で説明するよりも言葉で説明した方が早いんでしょうね。
あの時お前看護の専門学校に通っていて、俺が住む阿佐ヶ谷の社宅によく来てたよな、みたいなセリフとか、別に阿佐ヶ谷とか必要ないんですよ。
きっと観衆の想像を掻き立てるためのワードだから外すことできなかったんでしょうけど、そんなの家で十分だし、なんなら阿佐ヶ谷駅の看板をバックに二人の写真でも挟めば伝わるんですよ。
せっかくモノクロで撮影した過去の二人の情事を序盤で出すことで、あの時の恥ずかしさもありながら恍惚とした表情をした二人を見て、若気の至りじゃないけどそれはそれで楽しい日々だったと覗けたし、何より過去は色褪せてしまうモノという意味合いを持ったモノクロの美しさだったのに、なぜ画でなくセリフで進めようとしたのか。
画で言えば、このモノクロの写真がありながら、現在の描写は淡泊というかこれ見よがしなカットなど感じることができず、これももったいないなぁと。
一応季節は夏なので二人が行為を一生懸命することで浮き立つ汗をもっと生々しく情熱的にアップで映すことで、いやらしさだったり営みに没頭する人間の生命という過呼吸なんかをクローズアップしたら、瀧内公美の美しさも際立つのに、と。
冒頭でも語りましたが、やはり女優が脱ぐのですからキレイに撮って欲しいのが僕の願いでして、今作ではそれが足らなかったですね。
性行為あるある
段々愚痴になってきたので、ユーモアあふれる描写をいくつか解説を。
序盤ではどちらかというと相手を欲しがってるのは直子なのがわかります。
いきなり家電量販店のセールに付き合わせ、家に招き、酒を飲ませ、うたた寝したのち、過去の写真を見せる。
そして新居に連れていき、帰ろうとする賢治に対し、ソファーを何度も殴って隣に座らせる。
もう実家で酒を飲ませた時点で気づけ賢治!直子は明らかにお前を求めてるってことを!と、賢治のじれったい態度にヤキモキしておりましたw
まぁ恐らく賢治も気づいていたのかもしれません。何かを察して帰ろうとしたのですから。
そういうのはセリフでなんとなく理解できるかと。
そこからはがむしゃらにヤりまくるふたり。
まだフィアンセと一緒に寝る事すらしていないベッドで元カレとしてしまうというドキドキ感。
立ちバックの際にアレがなかなか入らない時の「ゴメン!」wそこから少しづつベッドに向かうあたりは、端から見たら滑稽以外の何物でもない。
何度もこすったせいで、アレが腫れ上がってしまい、相手もその擦れにより腫れてしまう件。
路地裏で、バスの中で、声を殺しながら行為をしようとするも、喘ぎ声がデカくてヒヤヒヤw
さすがに俺もここまでしたことはないw
と、このような描写が入ることで、シリアスになりがちな逢瀬に一瞬の緩みを与えていたのが、よかったですね。
最後に
やり方次第ではもっと官能的な映画に成り得たのに、というもったいなさは感じたものの、二人が紡ぎ出す空間とこれでもかというほど食べて寝てヤッってを繰り返す姿が、物語を引っ張っていて、ダレることなく見られたのは事実。
結構女性客も多かったのですが、もっと女性的な視点があればいいのになぁと。
俺も見落としてるかもだから、案外女性視点も多かったのかも。
というわけで以上!あざっした!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10