か「」く「」し「」ご「」と「
普通のタイトルになってないのには理由があるはず。
「かくしごと」の間のカギカッコにどんな言葉が入るのか、きっとそれが本作の「オチ」なんでしょう。
もしくは、鑑賞後にこんな行間が含まれていた物語だったのではないか、なんて解釈を楽しむ作品なのかもしれません。
今後の日本映画を背負って立つであろう若き俳優陣のアンサンブルも楽しみですし、僕はあまりはまらなかったですけど「少女は卒業しない」を手掛けた監督の新作ということで、早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
大胆なタイトルと衝撃のサプライズが涙を誘い、実写映画でも大ヒットを遂げた「君の膵臓をたべたい」の住野よる原作小説を、廃校の決まった高校を卒業する少女たちを瑞々しく描いた「少女は卒業しない」で長編監督デビューをした中川駿の手によって実写映画化。
少しだけ「人の気持ち」が見えてしまう5人の男女を中心に、ある想いが動き出していく様を、10代ならではの繊細な心情を眩しくも切なく描いた、現代の青春ラブストーリー。
企画段階から映画化が実現するまで、約6年もの年月を経たという中川駿監督。
新潟で実際に使われている高校や修学旅行先の博物館など、「生きた環境」で撮影できたことで、高校生の内面にフォーカスを当てた本作が、より「生きた」ものとして映し出せたのではないかと手ごたえを感じたそう。
そんな本作には、「MOTHER/マザー」「Cloud クラウド」の奥平大兼、「赤羽骨子のボディガード」「沈黙のパレード」の出口夏希、「真夜中乙女戦争」の佐野晶哉(Aぇ! group)、「月の満ち欠け」の菊池日菜子、「違国日記」、「あのコはだぁれ?」の早瀬憩といった、将来有望な若手俳優陣が集った。
また、担任の先生役をお笑い芸人のヒコロヒーが演じ、主題歌をちゃんみなが担当する。
特別なちからを持つ高校生たちだからこそ揺れる心情に、誰もが涙する。
あらすじ
みんなには隠している、少しだけ特別なチカラ。
それぞれの“かくしごと”が織りなす、もどかしくも切ない物語。
「自分なんて」と引け目を感じている高校生・大塚京(奥平大兼)は、ヒロインじゃなくてヒーローになりたいクラスの人気者、三木直子・通称ミッキー(出口夏希)が気になって仕方がない。
予測不能な言動でマイペースな黒田・通称パラ(菊池日菜子)と一緒に、明るく楽しそうにしている彼女を、いつも遠くから見つめるだけ。
そんな三木の幼馴染で京の親友の、高崎博文・通称ヅカ(佐野晶哉)を通して、卒業するその日まで“友達の友達”として一緒にいるはずだった。
ある日、内気な性格の宮里・通称エル(早瀬憩)が、学校に来なくなったことをきっかけに、
5人の想いが動き出す――。(HPより抜粋)
登場人物紹介
- 大塚京(奥平大兼)…引っ込み思案な性格で自分に自信を持てずにいる。クラスの人気者である三木を想い続けているが、「気持ちがみえてしまう」ことで、言葉にできない気持ちを抱えることに。
- 三木直子(出口夏希)…通称ミッキー。底抜けに明るい性格で、ヒロインよりもヒーローになりたいと願っている。
- 高崎博文(佐野晶哉(Aぇ! group))…通称ヅカ。体育会系でいつも明るく笑顔な人気者。一見、キラキラした“王子様キャラ”を醸し出す一方、実は内面には複雑な想いを抱えている。三木とは幼馴染であり、京の親友でもある。
- 黒田文(菊池日菜子)…予測不能な言動でいつもマイペース。通称はパラ。
- 宮里望愛(早瀬憩)…通称はエル。内気で控えめな性格。優しい強さを持ち、周囲の人々にも影響を与えていく。ある日突然学校に来なくなってしまう。
(以上FassionPressより抜粋)
人の気持ちが見えるとはどういうことなのか、仮にあったらどうなってしまうのか。
あきらかに僕の好みの「ぱいすぅ~味」ありそうな青春ラブストーリーの予感。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
#映画かくしごと 鑑賞。大人になっても人間関係で気遣うのに、彼らも大変だなとどこか他人事。いやいや、俺にもこんなことあったなぁと。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) May 30, 2025
Friendじゃ辛いけど
the endになるくらいなら慌てなくていいや、なんてね。
あんな「チカラ」があったら悩まなくて済むと思ったらむっちゃ大変だって… pic.twitter.com/H1b0jNSi5Z
「人の気持ち」が見えてしまうことで大いに悩む5人の高校生たち。
誰もがあの頃手に入れたかった能力は、こうしてみるとかなり厄介で、こじらせてしまうものだなんて。
酸っぱさ高めで、甘さはそこまでない。
以下、ネタバレします。
厄介なチカラだこと。
この歳になると今高校生の間で何が流行ってるとか、どんな現象が起きてるとか、情報番組やSNSくらいでしか知ることがないせいか、それをみると「みんな」やってるように捉えてしまいがちなので、あってるかどうかわからないんだけど、「LINE」などのコミュニケーションツールがあるおかげで、離れていてもずっと「通話」状態にして過ごしている、なんて話を聞いたことがある。
決しておしゃべりするわけでもなく、仲の良い相手の生活音を聞くだけで「落ち着く」んだそうだ。
周知のとおりLINEは無料で通話ができますから、ずっと通話状態でも何ら問題はない。
ただバッテリーが減るだけ、でも家にいるから常に充電できる。
ウチらの時代では考えられない行動だなと、そのニュースを見て思った。
この行動心理がどういうものかはよくわからないけど、誰とでも繋がれる現代において、誰かと繋がっていないと「不安」なんだと思う。
それだけ今の子たちは、「不安」な気持ちになっているんだと思う。
映画館ではマナーとして「携帯電話の使用は禁止」となっているけど、そんなことおかまいなしに、まるで家にいるかのようにスマホを覗いたり、LINEで誰かとやりとりをしているなんて話も聞く。
彼らの言い分は、周りに迷惑かけてないとか主観過ぎる部分もあるけれど、それでもやってしまう根幹には、スマホの電源を切ると「不安」なんだと思う。
繋がりを絶ってしまうことになるから。
全然本作の感想からかけ離れた話になってしまいましたが、今とにかくみんな「不安」なんですよ。
自分の知らないところで、仲良い子が別の誰かと仲良くしてるんじゃないかとか、タイミング良い時に連絡取れないと「ハブられる」んじゃないかとか、とにかく「他人からどう思われてるか」を気にし過ぎて、自分のやりたいことややらなきゃいけないことを疎かにしてると。
全員がそうでないことは当たり前だけども、そういう傾向が実際見て取れるわけです。
そんな時、相手の気持ちを見たり知れたりしたらどれだけ楽だろうかと、ふと思ってしまうわけです。
本作はそんな「人の気持ち」が見えてしまう高校生たちが、その能力を駆使して人gン関係を良好にしていく話…ではなく、そのせいで色々気を遣い過ぎてこじらせてしまう物語。
主人公の京くんは「相手の?や!が見える」というチカラが、彼の親友ヅカには「喜怒哀楽が見える」というチカラが、京くんがひそかに思いを寄せるミッキーには「人の感情のバロメーターが見える」チカラが、彼女の親友パラには「相手の鼓動の早さが見える」チカラが、そして不登校をしていたエルには「相手が誰を好きかが矢印で見える」チカラがあるという設定。
彼らはこのチカラを誰にも明かすことなく生活をしており、そのせいで他人に上手く振るまえる利点がある一方で、相手の事を考えすぎて本性を晒すことができないというこじらせぶりを見せているのであります。
物語は、京くんを皮切りに、一人ずつその能力を我々に語りながら、高2の春から高3の夏までを描くという展開。
不登校だったエルが学校に復帰してから距離を縮めた5人は、演劇祭や修学旅行、進路など学校生活で重要なイベントの中で、仲睦まじく過ごしながらも、他人には言えない悩みに苦しんでいくというお話でした。
もちろん高校生活ですから、基本的には京くんの恋の悩みが中心。
さりげない一言が言えずに悩んでいた彼が、突然意中の女性ミッキーと距離を縮めることになるわけですが、それを応援しようと励ます友人たちにも、誰にも言えないチカラと、それによる悩みが描かれていくわけです。
僕は基本的に人の気持ちなど考えずに正直にズバズバモノを言ってしまう自己中な男なので、こうした「人への気遣い」ってのは皆無に等しいんですが、そんな僕でも今では色々気を遣うようになりました。
大人になると気を遣わないとやっていけません。
本音で話せるやつなんて中々出会うことはありません。
だからこそ映画の感想くらい好きに言わせてくれ、時にはその映画が好きな人を傷つけてしまうような批判も多めに見てくれ、そんな気分で書かせてもらってますが、いざ人と映画の感想戦をするときは、本音を言いつつフォローはしてる、つもりです。
そんな俺が本作を見て一番に思ったのは、「おまえら色々考え過ぎじゃねえか?」と。
自分に自信がないとか、自分をさらけ出すと相手を困らせるとか、相手の気持ちが見えちゃうせいで自分を偽るとか、なにもかも「自分をよく見られたい」ってことに執着し過ぎて、生活や関係が窮屈になってやしねえかと。
極論、そんな学校生活、何が楽しいんだと。
かといって、なんでもかんでも自分を主張し過ぎてまわりからハブられるのも嫌だってのはわかるし、親しい関係でも節度は持つべきで、この辺のさじ加減が彼らにはまだ身についてないのかなとか、余計なことばかり考えてしまいましたね。
とはいえ、かけひきとまではいかないけど人間関係や恋に悩みながらも、色々選択と行動をしていく彼らを見ていて、俺の時とは違う青春をしているんだなぁと遠い目をしながら堪能しました。
京くん、もっと自信持って!
僕の人生のバイブル、Mr.childrenの曲に「I'm talkin about Lovin'」て曲がありましてね。
好きな子に想いをぶつけるのに、リミットはねえぞ!一言でいいから伝えろ!って歌詞を、軽快なスウィング調のリズムでさわやかにアレンジした曲なんですけども。
本作を見ながらこの歌を脳内で流してました。
その最たる原因は京くんのウジウジ加減。
そもそも思いやりのある物静かな男の子ですが、エルの不登校のきっかけが自分に在るのではないかという過去がトラウマとなって、意中の女性ミッキーにさりげない一言が言えないことに悩んでるんですね。
もちろん当初はミッキーに対して「好きだ!!」って意思は弱く、草葉の陰から彼女を観察するような「イタイ」高校生だったんだけど、彼女の幼馴染で親友のヅカを通じて、他の子たちとグループ行動が多くなっていくわけです。
そこから演劇祭や進路相談など、彼女を励ますようになることで思いがどんどん膨らんでいくことになっていく。
他人の!や?が見える特性を持っているが、自分が他人からどう見られてるかは本人にはわからない。
だけども、その行動や言動、視線は周囲にはバレバレな様子で、パラの誘導が功を奏して2人の時間がちょっとずつ増えていく。
好きなら好きって言えばいいのに、どうせ自分は…と卑下して、中々思いを伝えようとしない姿が描かれていくのであります。
彼女にはもっと相応しい人がいる、僕とじゃ釣り合わない、僕といても楽しそうじゃない。
そんな控えめな性格の京くんを見ていて、僕はやきもきしてましたw
修学旅行のシーンでは、学校に古くからある風習で「好きな子に鈴を渡す」ってのがあるそうで、色んな子たちが二人きりの状況を作って渡してるなんて会話がありました。
もちろんパラに背中を押された京くんも、鈴を渡そうかと考えましたが、結局「どうせ僕なんて…」でした。
ね、やきもきするでしょ。
こんな行動ばかりとる彼を見て、正にミスチルの曲が脳内に流れたわけです。
3年の高校生活なんてあっという間。
リミットまでまだ時間はあるなんておもってたら、あっという間にリミットは刻一刻と迫ってるわけです。
もちろんタイミングもあるでしょう。
劇中では他クラスの男子生徒が鈴を渡すんだけど、大して話したこともないことを理由に、ミッキーは鈴を受け取らない選択をしました。
やはり恋愛成就させるには、色々関係を構築し、ここぞというタイミングで踏み切らないといけないのだと思います。
成功の確率を上げないと成就はしねえと。
またさ、学校生活っていう縛りがある故に、仮にフラれたりでもしたら顔を合わせるのもつらいわけですよ。
まして仲良しグループの一人ですよ。
ダメだったらそのグループから抜けるか、抜けてもらうかって話になるわけですよ。
ある意味告白するって、結構な賭けだったりするわけですよ。
ミスチルの歌詞にも「friendじゃ辛いけどTHE ENDになるくらいならあわてなくていいや」ってフレーズがあるわけで、現状維持も悪くないなって思考になるのも選択肢としてはありだよなぁってなるんですよ。
でも選ぶなって話。(シンゴジラっぽくいうと)
だからさ、京くんには、周りの友達に背中を押されて男らしくズバっと告って欲しかったわけですよ。
そしたらさ、なぜかミッキーが京くんのことを好きになっていて、逆に「はっきりして!」ってせっつかれる展開になってるわけですよ。
同じ大学に行きたいって言われて悩んで、それって脈あんじゃん!ってならない思考が俺にはさっぱりわからなくて。
彼女って結局俺にとってお焦がれの人なんだよとか、てめえで勝手に言い訳作って、しまいには「迷惑かけてごめん、こんな俺にごめん」て言い出す始末で。
も~わけわからん。
お前どれだけ自信ねえんだよ!
その前に、なんだこの展開は。
確かに京くんの控えめながら相手を思いやる気持ちが、ミッキーの気持ちを動かしたというまるでマッキーの「僕が一番ほしかったもの」みたいな、振り返ったらぼくがあげたものでミッキーが喜んでくれました、これが僕の一番欲しかったものでした、みたいな話になっていくから、そりゃねえよと。
ミッキーがマッキーになってんじゃんと(いいたいだけ)。
好きな人が自分を好きになってくれたのに、それを遠ざけるような行動をとる京くんの自信なさすぎる発言や行動に、今の子ってこんなにもオクテなの?こんなにも人に距離を取りたいの?結局どうなりたいの?と???がいっぱい浮かんだ映画でした。
最後に
京くんの話をメインにしましたが、中身はそれぞれがこのチカラによってどんな振る舞いをしているのか、一方でどんな弊害が出てしまっているのかを章立てのように描かれていました。
個人的には見やすさもあったように思えましたが、どうせなら恐らく原作通りに語られたであろう物語を、もっと脚色すれば面白くできたのではないかと。
特に、ヅカとエルとパラにフォーカスを当てるようなことをせずに、実は僕たちにはこんなチカラがあって、2人のために影でこんな応援をしていましたっていうのを、終盤でドバーッと見せてサプライズ!みたいな構成。
なんでかっていうと、結局メインの二人以外の内面を描いたところで、そこまで物語に反映されてなくね?と思ってしまったからなんですよね。
パラのエピソードはある種酸っぱさを与える意味で大事な部分かもしrないけど、それはサラッと描くからこそ酸っぱいわけで、あんなに尺を使う必要はねえよなぁと。
またヅカとエルに至ってはほんのちょっとしかチカラの説明と効果と代償しか画が亜kれておらず、群像劇として本作を捉えるならばエピソードとして薄いよなあと。
あくまで「かくしごと」がメインであるのなら、この辺のバランスの悪さを改善した方が面白かったよなぁ、逆に京くんのみの視点で突っ走った方が恋愛青春ものとして潔いよなぁ、など、色々思う部分がありましたね。
監督の前作「少女は卒業しない」も個人的にはあまり刺さってないんですよ。
ダニーボーイのシーンは泣いたけどさw
変な話彼の作品は全体的におとなしい印象があって。
それが逆に現代的なんだろうけど、例えばもっと劇的な演出をしてみるとか、外連味をちょっと入れてみるとか、映画なんだからもっと大袈裟な何かがあってもいいよなぁと思ってしまうんだけど、今回も彼の良さが出ている一方で俺好みの作品にはなってなかったなぁと。
ま、それもこれも人の好みということで。
とにかく相手に気を遣うことは大事だけど、人の気持ちを気にし過ぎて自分を疎かにしてしまうこんな世の中はポイズンということで。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10