カツベン!
昼休憩の前に弁当を食べるのは「ハヤベン」。
オリンピックにまつわる隊がドラマは「いだてん」。
電気を発生させるのは「ハツデン」。
電気の世界をかめめぐるのは「オノデン」・・・・。
もはや原型をとどめてないダジャレから始まりました今回の映画感想。
その昔、といっても今もいるそうですが、映画がまだ「活動写真」というサイレント映画として上映されていたころ、スクリーンの横で陽気な音楽と共に作品の説明をする人がいたそうで。
当時無声映画は、欧米諸国はの作品はパントマイム文化が基本ですが、日本は古来より物語文化が根付いていたんだそうで、語り部がいないと無声映画は伝わらなかったんですね~。
日本人が娯楽を楽しむための知恵の結晶が、この語り部である「活動弁士」略して「カツベン」だと。
この活動弁士、弁士ですか、まともに聞いたことないんでどういうしゃべり方するかわからないんですけど、あれですか?「時はぁ元禄〇年!時の将軍徳川綱吉はぁ!~」みたいな解説から入るやつですかね?
昔山崎バニラが深夜のTVかなんかで弁士をやってるのを見たことあるんですけど、すでに記憶が・・・w
とにかく、今回はその活動写真が盛んな頃に活躍した活動弁士が主人公のお話。
どんな物語なんでしょうね。
・・・でも活動弁士の活躍を活動写真で撮って弁士に語ってもらうっていう映画じゃ駄目だったんですかね…。
まぁいいや、というわけで早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
日本映画に数々の名作を世に送り出した周防正行監督が、5年ぶりに手掛けた映画のテーマは、映画にまだ音がなかった時代、楽士の音とともに語りや説明で映画を彩った「活動弁士」(通称カツベン)を主人公に、彼と彼を取り巻く個性豊かな面々が織りなす、アクションあり、笑いあり、涙ありの痛快エンタテインメントです。
今をときめく若手注目株No.1の俳優が、いったいどんな喋りで観衆を沸かせるのか、そして脇を固める周防組常連をはじめとした豪華俳優陣が、決して飽きさせない芝居を見せつけます。
さぁ!物語のはじまりはじまりぃ~っ!!
あらすじ
子どものころ、活動写真小屋で観た活動弁士にあこがれていいた染谷俊太郎(成田凌)。
❝心を揺さぶる活弁で観客を魅了したい ❞という、夢を抱いていたが、今では、ニセ弁士として泥棒一味の片棒を担いでいた。
そんなインチキに嫌気がさした俊太郎は、一味から逃亡し、とある小さな町の映画館(青木館)に流れ着く。
青木館で働くことになった俊太郎は、❝ついにホンモノの活動弁士になることができる!❞と期待で胸が膨らむ。
しかし、そこには想像を絶する個性的な曲者たちとトラブルが待ち受けていた!
俊太郎の夢、恋の運命やいかに・・・!?(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、周防正行。
これまで様々なテーマを個性の強い役者たちで面白おかしく描いてきた監督。
有名な映画いっぱいありますよね~…
でも申し訳ない、俺まともに見た作品ひとつもない・・・。
いや、シコふんじゃったとか、Shall We ダンス?とか、TVでやってた時にちょこちょこ見てるんですけどね、まともに見た記憶がねえなぁ…と。
ここ最近の作品も申し訳ないんですけどスルーしてまして…。
まさかまさかの周防監督デビューは今作になることが今回わかりましたw
そんな彼の代表作をサクッとご紹介。
若松孝二や井筒和幸などの助監督や、ピンク映画の監督を経て、寺家業を継ぐことにした大学生の青春コメディ「ファンシィダンス」で初めて一般映画を手掛けることになった監督。
その後、廃部寸前の相撲部に入ってしまった主人公の奮闘をコミカルに描いた「シコふんじゃった。」で日本アカデミー賞作品賞はじめ主要部門を席巻する快挙を成し遂げます。
そして、平凡なサラリーマンが足を踏み入れた社交ダンスの世界をコミカルに描いた「Shall We ダンス?」でも日本アカデミー賞を総ナメにする圧倒的評価を得るとともに社交ダンスブームまで巻き起こす事態に。
長い沈黙を経て制作した、痴漢冤罪事件から刑事裁判の在り方に疑問を持ち、真っ向から問題点を挙げた社会派ドラマ「それでもボクはやってない」や、女性医師と重病患者の安楽死というう選択に至るまでの信頼関係、その医師が殺人の容疑者として検事から執拗に責められる姿を描いた「終の信託」など、リアルで重々しいテーマが目だちました。
今回は前作「舞妓はレディ」に続く原点回帰ともいえる娯楽要素の強い作品なので楽しみですね。
登場人物紹介
- 染谷俊太郎(成田凌)・・・活動弁士を夢見る青年
- 栗原梅子「沢井松子」(黒島結菜)・・・女優を夢見る、俊太郎の初恋の相手。
- 山岡秋聲(永瀬正敏)・・・大酒のみの酔っぱらい活動弁士。
- 茂木貴之(高良健吾)・・・スター気取りの活動弁士。
- 安田虎夫(音尾琢真)・・・大金を追う泥棒。
- 牧野省三(山本耕史)・・・日本映画の父と呼ばれる映画監督。
- 二川文太郎(池松壮亮)・・・新時代を担う映画監督。
- 青木富夫(竹中直人)・・・青木館の館主。
- 青木豊子(渡辺えり)・・・気の強い青木の妻。
- 橘琴江(井上真央)・・・タチバナ館の社長令嬢。
- 橘重蔵(小日向文世)・・・青木館のライバル・タチバナ館の社長。
- 木村忠義(竹野内豊)・・・ニセ活動弁士を追う熱血刑事。
- 定夫(徳井優)・・・青木館で働く楽士(三味線)
- 金造(田口浩正)・・・青木館で働く楽士(鳴り物)
- 耕吉(正名僕蔵)・・・青木館で働く楽士(管楽器)
- 浜本祐介(成河)・・・青木館で働く職人気質な映写技師。
- 内藤四郎(森田甘路)・・・青木館で働く汗かき活動弁士。
- 梅子の母親(酒井美紀)
なかなか濃ゆい面々が並んでおりますが、いったいどんなドタバタ劇になるのでしょうか!
ここから鑑賞後の感想です!!
感想に
人生には、続編があってもいい!
弁士を中心に巻き起こる痛快活劇に思わずニンマリ!
だけど、まだこれを楽しめる年齢じゃなかったかもしれない・・・
以下、核心に触れずネタバレします。
これってある意味映画体験だったんだね。
幼いころから弁士になりたいと夢見ていたものの、犯罪の片棒を担ぐ羽目にな、逃亡を図ってり流れ着いた活動写真館での、個性豊かな周囲の人間たちとの関わりや事件勃発に至るままでのドタバタ劇を、活動写真へのリスペクトや歴史、背景をしっかり描くことで、映画へのたゆまぬ愛を丁寧に注ぎ、さらには誰にでも楽しめるようなベタに次ぐベタな笑いでコーティングした、これぞ周防ワールド全開の娯楽映画でございました。
昨今映画館では、応援上映や爆音上映、ライブビューイングなど、映画を楽しむための創意工夫を凝らしたイベントを提供することで、自宅で鑑賞するよりも、普通の映画館での映画鑑賞よりも、より奥深い「映画体験」をすることができる時代になりました。
そういった体験をすることで、映画の内容は当然として、場内の景色や空気、観衆と一体になることで得られる感動など、視覚だけでなく五感で映画を味わうことができ、さらにはその経験が心に焼き付くことで、誰もが記憶に刻みやすい、またとない経験をさせてくれるのであります。
しかしそういった「映画体験」は、今に始まったことなのか。
今作「カツベン!」は、正にその走りを描いたものだったように思えます。
上でも書きましたが、チャップリンやバスター・キートンのような体を張ったオーバーアクトで観衆を魅了する欧米のサイレント映画とは違い、日本は物語文化が根強く残っているため、誰かが代弁して解説を入れないと作品が伝わらないことが多かったそうで、どうすれば映画=活動写真が庶民に楽しんでもらえるか、知恵を絞って辿り着いたのが、活動弁士なる役職だそう。
彼らによればどんなにつまらない映画でも、上級の面白さへと変換することができる、正に言葉の魔術師だったんですよね。
劇中でもあったように、作品と一緒に弁士の名前がデカデカと看板が立てられていることから、彼らの重責はさぞ大きかったことでしょう。
実際に、作品でなく俺の言葉を聞きに来てるんだ、と、自分のペースで映写させたり自分を邪魔しないようにしろと楽士たちに注文を付ける傲慢な弁士もいれば、ご自慢の英語を披露しながら汗だくで抑揚をつけて語る者、さらには七色の声を使い分け、一人で役者のセリフを語る天才弁士など、多彩な顔ぶれが登場していました。
そんな彼らは劇中では比較されはしなかったモノの、皆が同じ作品で弁士を務めたら全く違うお話になったことでしょう。
劇中での観衆の反応がそれを物語っていました。
その後訪れるトーキー技術の発展により、活動写真は映画として普及される時代が来ることは周知の事実ですが、今、逆に、活動弁士の語りを聞きながら映画を見たら、それは僕らにって、新しい映画体験になったりしないかなぁ~なんてのも思った映画でもありました。
難しいとは思いますがw
ベタな笑いが妙に心地いい
今作は喜劇を意識したかのような笑いが多く含まれていたのが印象的でした。
一番記憶に残ったのは、タンスバトル。
青木館へ住み込みで働くことになった俊太郎の部屋は、フィルムの保管庫として使われていた部屋。
警察に追われている身を忘れ仕事に没頭していいた彼の前に、木村刑事が現れたことで、とうとうこの場も危うくなり、身支度をしようと箪笥を開け閉めしていた俊太郎。
その隣の部屋では、主席弁士の茂木と俊太郎の初恋の相手で、現在は女優をさせてもらっている梅子が、シチュエーションを変えてイチャイチャしようと試みておりました。
しかし梅子は彼を拒否、強引に押し倒しながら相変わらず傲慢な態度で俺の言うことを聞けとせがむ茂木でしたが、その瞬間タンスが急に飛び出してくるんですね。
そう、俊太郎の部屋のタンスと隣の部屋においてあるタンスは繋がっていたんです。
俊太郎がタンスを推せば茂木がいる部屋ででっぱり、茂木が押せば俊太郎の部屋のタンスが飛び出てしまうという構図。
イチャイチャの邪魔をされたタンスに苛立つ茂木は、何度もタンスを押しますが、俊太郎も押されたタイミングで腕や頭をぶつけ仕返し。
一体どうしてこうなったた互いが理由もわからないまま、タンスの押し合いをするのであります。
この時の高良健吾と成田凌のリアクションが非常に上手で、本当に思いっきりぶつけて声を上げたのではないかと思うほど、タンスにぶつかって悶絶するのであります。
コメディってこういうベタなやり取りを数回繰り返すことで場内の笑いが大きくなることってよくあると思うんですけど、僕が見た会場ではここが一番盛り上がりましたw
いわゆる活動写真のような構図ではないですが、まるでオーバーアクトで魅了する欧米のサイレント映画を意識したユーモア描写だったのではないでしょうか。
また、このタンスが抜かれた状態で盗んだお金を確認している俊太郎の姿を、たまたま隣の部屋で三味線の弦を張り替えようとしていた定夫が見てしまうシーンとしても利用されているのは上手だなぁと。
定夫は、茂木からあれこれヤジを言われている状況や、お給金もままならぬことに不満をもっているという背景があることから、目の前にある大金を見てしまったことで、金を盗んでしまうという流れになっており、この行動が後に大騒動になるんですね。
そして訪れる大騒動。
ライバルタチバナ館の社長の画策により、梅子は拉致され、金の在り処を探そうと皆の留守中に虎夫にめちゃくちゃにされる青木館など、俊太郎ピンチの連続という事態。
あれよあれよとうまくピンチを切り抜ける俊太郎に苛立ち、とうとう射殺してしまえと命じられる虎夫に逃げる俊太郎、ちょうどそこへやってきた木村刑事の3人が、必死の逃亡アンド追走劇を繰り広げるんですが、これがなんとまぁ監督らしいというか、いい意味で締まりのないアクションへとなっていくんですね。
修理している自転車を盗んで逃走する俊太郎。
すいません、できません、の繰り返しから隙を見て盗んだ自転車にはペダルがついてなく、ひたすら足を蹴って逃げる俊太郎。
青木館の大看板が倒れるというドリフのようなベタな笑いを挟みつつ、逃げる俊太郎を追いかける虎夫。
目の前を通る台車付きの自転車の運転手に綺麗なドロップキックを見事にかます姿は僕的には不覚にも笑ってしまった瞬間で、急いで俊太郎を追いかけます。
その後を追うために青木館から出てきた木村刑事は、これまた目の前を通った人力車を、国家権力強めで強引に止め追走。
3人とも微妙な速度で追いつけ追い抜けのデッドヒートをかますのであります。
お前たち、走った方が絶対いいぞwと思いながらも皆が必死に走っている姿は、笑わずにはいられません。
下り坂を利用してスピードをつけるも、台車の方が重いので加速をつけて近寄ってくるし、人力車は逆に人がブレーキを掛けながら下るので、全然追いつかない。
平坦な道では人力車は追いつくが、虎夫は台車を切り離して再び逃げる。
その隙にこれ以上は登れないと諦め逆走するという大胆な逃げっぷりで、再び差をつける、などなど、ある種のオフビート感を漂わせながら繰り広げるこの逃亡アンド追走劇は、クライマックスという山場にも拘らず、なぜか痛快で楽しい場面でありました。
盛り込みすぎはいかがなものか。
という具合で終始ベタな笑いで進んでく物語に、楽しませてもらったんですが、全体を通して観ると、恋愛、犯罪、アクション、コメディ、ヒューマン要素など、ジャンルで区切るとかなり盛り込んだ内容に、娯楽映画の集合体を感じた作品ではあったものの、色々欲張り過ぎていてどこか収集つかない話になってないか?と疑問にはなりました。
もちろん弁士という存在がどれほど当時の活動写真に重要な人物で、彼らによって楽しみ方が変わるのかという部分は、この映画で十分意味をなしていたと思うんですが、どうにも一つの作品としてどのジャンル要素も中途半端だなぁと。
梅子との恋愛模様も煮え切らないまま終わるし、タチバナたちやくざ者の一同も怖みはあるもののどこかマヌケ、琴江に至っては結局何をしたいのかよくわからない。
山岡も結局意図が読めないまま結末を迎えてしまう、など、どこか爽快さに欠けるんですよね。
ただ、なぜ敢えてこんな内容にしたのかを考えてみると、終盤徹夜で作り上げた、あらゆる活動写真の切れ端を繋ぎ合わせたのが、この映画の真の意図に思えます。
映写技師の浜本は、1日中映写機を回す係で、それをこなすのはかなりの重労働であることを語っており、それでも自分が続けらるのは、好きな写真の切れ端を自分のものにできるからだと劇中で描かれています。
その後虎夫によってフィルムを全部台無しにさせられた結果、苦肉の策で写真の切れ端に俊太郎オリジナルの語りを加え、明日の興行を乗り切る作戦に打って出ます。
このツギハギ写真は、俊太郎以外の弁士が語っても全然客席に伝わらないんですよね。
でも俊太郎が語れば誰もが笑いと涙で拍手喝采してしまうというオチに。
この終盤で披露されるツギハギフィルムは、時代劇や洋画などいろんな写真で構成されているんですが、一応は男と女の物語になっているんです。
で、この映画自体も男と女の物語ではあるけれど、結構ジャンルがバラバラ。
あ、もしかして映画内の活動写真は、映画そのものをイメージした作りなんじゃないかと。
盛り込みすぎな要素=ツギハギフィルムなのではないかと。
そう考えると合点がいくなぁと思った次第です。
どちらも弁士がいなければ成立しない物語っていう風に考えれば、色々腑に落ちるなぁと。
ただ、どうしても不満なのは、俊太郎の弁士としての成長部分が一切描かれていないこと。
弁士になりたくて、有名な活動弁士の語りを模写する特技を持つ俊太郎は、ベロベロに酔った山岡の代わりに、全盛期の山岡のマネをして弁士を務めるシーンがありました。
そう、俊太郎は弁士としてはよくできるがオリジナリティがないのです。
その後山岡に余計なことをしやがってと罵られたり、サイレントからトーキーへ変化する時代の中で、それに対応できない弁士の情けなさに憂う山岡の姿など、個性を持つ弁士の重要さと消えゆくであろう職を示唆したシーンが続き、彼に特訓を付けようと試みますが、結局人のマネしかしない俊太郎に嫌気がさす山岡の図、で終わってしまうんですね。
それ以降真似はしないと宣言する俊太郎だったんですが、彼がどうやって自分の色を見出していくのかっていうシーンがごっそり抜け落ちてるんですね。
だから急にオリジナリティをさらし、一気に人気弁士になっていくのには、説得力に欠けるんです。
これはあくまで僕の感覚ですが、中盤で弁士の実力が覚醒される時よりも、冒頭や山岡の前をしていた時の方が上手いなぁと思ってしまって。
ここだけはちゃんと描いてほしかったなぁと。
最後に
決して大きい満足は得られなかったですが、見て損はない映画だったと思います。
ちょっと長いなぁ、余計なシーンが多いなぁとも思ったんですが、しっかり途中で出てきたアイテムやセリフなどを最後にしっかり拾ったり、幼少期のやり取りを大人の時でも同じことをして被せる演出も丁寧でお上手だなぁと。
また活動写真内では、城田優や、シャーロットケイトフォックス、草刈民代などが出演しているのも気づくかと思います。
他にもいるようなんですが、僕は見つけられませんでした…
成田凌主演作ということで鑑賞したわけですが、彼の弁士っぷりはやや力不足が目立ったものの、ひたすらしゃべくり倒す姿や、喜劇をやるという意味では新た一面を見れたという収穫は大きく、今後も追いかけたい役者だなぁと。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10