家族を想うとき
日本が誇る映画監督とイギリスが誇る映画監督が、NHKの番組で対談したのをご存じでしょうか。
二人の作る映画に共通するのは「社会で弱い立場の人が現実でどう暮らしてるかを伝える」こと。
弱い立場にある人たちは、社会で不当な目に遭われていることを伝える手立てがない、だから彼らの現状を伝えるために、映画という媒体は必要だと、監督は対談でおっしゃっています。
そのイギリスが誇る映画監督、ケン・ローチの前作「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、役場でたらい回しにされる老人から「人間の尊厳」とは何かを訴える社会派ヒューマンドラマ。
僕はこの映画をその年のベストに入れたほど胸に刺さった、心に残った映画で、今回の新作もすごく楽しみにしていました。
今回は家族をテーマにしたお話のようで、当初は「共働きによる家庭への多大な影響」くらいの、日本の核家族にも通じそうなテーマなんだろうなぁと思ってたんですが、そこは監督、しっかりイギリス社会で今起きていることは今後世界的に蔓延するだろうと、警鐘を鳴らすかのような深い問題をテーマにしているようです。
一体どんな問題を孕んだ作品なんでしょうか。
早速鑑賞してまいりました。
作品情報
2016年カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「わたしは、ダニエル・ブレイク」。これを機に引退を表明したが、彼が見た社会の底辺が再び制作意欲を駆り立てた。
今回監督が着目したのは、自由経済が加速する中で浮き彫りになっている「働き方問題」、それが家庭にどのような影響を及ぼしていくのかを作品を通じ伝えていく。
耐えられないことがあれば、変えること。
人間の尊厳を訴えた監督が、働き方問題の闇をあぶりだし、社会に労働と家庭の正しい在り方を問う。
あらすじ
舞台はイギリスのニューカッスル。
ターナー家の父リッキー(クリス・ヒッチェン)はフランチャイズの宅配ドライバーとして独立。
母のアビー(デビー・ハニーウッド)はパートタイムの介護福祉士として1日中働いている。
家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブ(リス・ストーン)と小学生の娘のライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)は寂しい想いを募らせてゆく。
そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう──。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、ケン・ローチ。
新自由主義経済が生まれてから、労働者を守る仕組みが崩壊した、と語る監督。
個人事業主やフランチャイズなど、独立することで利益を得られると言う謳い文句は、とても魅力的です。
監督は実はそれが幻想であり搾取でしかなく、その道を選べば後戻りできない一方通行であることを強く訴えてます。
結果、礎となる生活はおろそかになり、皆がこの仕事の方法を選択すれば、おのずと消費も冷え込む。
幸せなど到底得られるわけがないと。
引退を撤回してまで作り上げた今作には、いったいどんなメッセージが込められているのでしょうか。
また家族にいったいどんな顛末が用意されてるのでしょうか。
監督に関してはこちらをどうぞ。
キャスト
今作で出演する方たちは、ほとんどが演技経験の少ない方たちで、今回オーディションを受けて採用された人ばかり。
また主役のリッキーを演じる方は、20年間配管工をしてきた経験者とのこと。
ドキュメンタリーチックな撮影で知られる監督の意図に沿うように、なるべくセリフを覚えたり、考えすぎないよう心掛けたともおっしゃってます。
- リッキー役・・・クリス・ヒッチェン
- アビー役・・・デビー・ハニーウッド
- セブ役・・・リス・ストーン
- ライザ・ジェーン役・・・ケイティ・プロクター
- マロニー役・・・ロブ・ブリュースター
などが出演します。
家族の幸せを願って決断した仕事が、なぜ家庭が崩壊していくまでに至るのか。
監督の怒りと愛に満ちた渾身の一作。
肌で感じたいと思います。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
わかっていた、彼の映画を見終わった後の気持ち。辛い・・・。
企業よ、体制よ、搾取する側よ、この映画の爪の垢でも煎じて飲みやがれ。
以下、核心に触れずネタバレします。
負の、連鎖。
借金から解放されマイホームを建てることを夢見る主人公が、企業とのフランチャイズ契約をすることで、どんどん家族内の歯車が狂わされていく物語を、主人公以外の家族の視点も織り交ぜながらドキュメンタリータッチで描き、自由経済による競争意識が労働者とその家族にどれほどの打撃を与えるのかを、お世辞抜きで希望抜きで嘘偽りなく綴った、不幸しか見えない、ぐうの音も出ない作品でした…。
夜空に光る星々がなぜ美しいのか、夜の海に照らされる灯台はなぜアイン心をもたらすのか、プラネタリウムで回る星や星座になぜ目を奪われるのか、それは暗闇の中で我々に道を示すかのように照らしてくれる希望と同じだからだ。
希望はいつだって人生に活路を見出してくれる。
希望があるからこそ頑張れる。その光が常に自分を照らしてくれるからどんな暗闇でも迷うことなく進んでいける。
しかしその光を見つける自分の視界が霞んでしまうとどうなるだろう。
道に迷い、目の前のことしか見えなくなり、やがて光すら見失う。
今作の主人公リッキーは、正にそんな事態に陥ってるようだった。
霞んだ視界で、目先の仕事しか見えず、描いた夢や希望、家族の笑顔すら見えなくなっている。
誰にでも与えられる希望を奪うのは一体誰なのか。
彼に異常な労働を押し付ける企業なのか、徹底した低料金をウリに企業の生き残りに必死の経営者なのか、お金こそ幸せと謳う世の中なのか、社会なのか、国か、世界か。
サッチャーが断行した民営化や規制緩和によって、多くの労働者が失業を強いられた時代から、徹底して作品を通じて怒りをぶつけるケン・ローチ監督の渾身の1発は、イギリス国内だけでなく、日本や世界各国の企業や社会に警鐘を鳴らした作品でした。
決して彼らは食事にありつけないような貧しさではなく、賃貸だけど家もあり車もある、頑張れば子供たちを大学に行かせられるくらいの生活レベル。
なのに、仕事を頑張れば儲かる、独立できるという「やりがい搾取」によって、人生のどん底に叩き落とされる。
彼らはただただ家を買いたいという現実的な夢に向かって、仕事と家庭をうまくコントロールしたいだけなのに、フランチャイズ契約という名の悪魔が、それを崩壊へと導いていく。
息子との口論のシーンで、息子は父親に向って「頑張りが足りないからクソみたいな仕事しかもらえない」と罵る。
どこかの資本家や政治家と同じような言葉。
そうやって上にいる人間は、下のものに向って、他人事のように突き放す。
上にいる者が下を救わないでどうするのか。
そう、下といっても賃貸アパートも車もある。この生活レベルの人たちが既に大きく苦しんでいる今の社会になってしまったのだ。
こんな状態にならないように、どこかでブレーキを掛けることはできなかったのか。
負の連鎖を断ち切る術は本当に無かったのか。
家族のために自分のために希望を抱きながら、ようやくあり着いた仕事は宅配ドライバー。
フランチャイズ契約は一生懸命頑張れば、やがて事業として軌道に乗ることもできるという甘い蜜に誘われ、妻の車を売って宅配用のバンを購入し先行投資。
1日14時間週6日の重労働は、最初こそうまく機能していたが、仕事の時間が大半を奪う彼の生活は、幸せな家族に大きなひびを入れてしまう結果になっていく。
訪問介護の仕事をする妻は、車を失ったことでバスでの通勤を強いられ、移動時間や帰宅時間に大幅なタイムロスをしてしまう。
そのせいで妹は友達の母親にスイミング教室の付き添いを頼んだり、毎晩レンチンのパスタで腹を満たす。
兄は成績優秀であるにもかかわらず、グラフィティアートに夢中で学校を休みがちにし、両親とのコミュニケーションが格段と減ったことが原因で非行に走ってしまう。
夜遅くに帰宅しても子供たちと顔を合わせることもなく、TVを付けても疲労がたまっていびきをかいて眠ってしまう。
朝も早くに出勤しなくてはいけないために、子どもたちとの会話もままならない。
全ては家族のために、と体に鞭打って働く姿を映し出す序盤の時点で、この家族がどうなっていくのかは目に見えている。
もはや見ていられない。
元々短気な性格が露見されていたリッキーは、労働による疲労から短所がエスカレートし、家族会議でもすぐに一線を越え議論にすらならない。
また彼と子供たちに中立的な立場で介入する妻も、訪問介護での苦労が絶えず、どんどん疲弊していっている。
「自分の母親を見るつもりでお客様と接する」ことを自分に課し、やりがいも感じながら務めている彼女も、介護される側のわがままや雇う側の無理矢理なスケジュール、時間超過への賃金未払いなど、誰も彼女の優しさを受け止めることをせず、ただただ利用するだけの存在へと化していく。
リッキーの話に戻すが、会社は個人事業者と契約を交わしてる以上、仕事をポカするわけにはいかない。
どうしても休みたければ代わりのドライバーを見つけなくてはならない。
それが出来なければ高額の違約金やら制裁金を請求され、それを取り戻すのには倍以上の労働をしなければならない。
しかも福利厚生や優遇など存在しない。
車のガソリン代も車のメンテ代も有給休暇もなければ、社会保険もない。
個人事業者だからすべて自己負担なのだ。
もはや企業は労働者を雇うことすらリスクになるような考えになっているそうで、こういう個人事業主と契約を交わすような企業はますます増えていくだろう、というのが専門家の予見とのこと。
実際日本でもコンビニエンスストアとフランチャイズ契約した個人事業主が、従業員を雇うことができず、24時間営業しなければならない重いルールから重労働をしなければならない辛い現状が報道されたことが記憶に新しいし、今世間で多くの人が利用する某デリバリーサービスも配達員は皆個人事業主で、賃金引き下げに対するストライキもロクに受けいれてもらえないニュースもあったばかり。
個人事業主すべてがこうした現状にあるわけでなく、うまく機能している経営者もいるが、今作のリッキーのようにやむを得ない事情で個人事業主や非正規雇用者、フリーランスになった人への救済措置を、行政は今後考えなくてはいけないのではないだろうか。
テクノロジーの発達や人口増加によって、時代も経済も社会も目まぐるしいスピードで動いているのに法や制度が追い付いていない現在。
自由であるはずの事業を選択したのに、結果不自由になり生活も心も貧困に陥ってしまっている彼ら。
この映画は正直、僕のような人間だけでなく、企業のトップや経営者、または政治家が見るべき映画です。
マジでこの映画の爪の垢を煎じて飲んでくれ。監督のも。
最後に
随分と箇条書きのような感想になってしまいましたが、見終わった後の思いをぶちまけてみました。
家族を想うとき、なんてこれっぽっちも出てこないほど労働に追われるリッキーの最後を見て、あなたは何を思うか、是非興味を持ってご鑑賞いただければと思います。
見終わった後は胸くそ悪いのでご注意ください。
頑張りが足りないから人生負けだなんて、口が裂けても言えない。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10