聖なる鹿殺し/キリング・オブ・ア・セイクリット・ディア
伝説の熊殺し、飲むなら鬼殺し、聖なる鹿殺し・・・。
単なる語呂合わせ。
何だ!この妙な神々しさは!
森林を守るために鹿を殺す、いや駆除するといったほうが正しいのか。
そんなこと聞いたことあるけど、聖なるって付くだけでなんかとても大事な仕事というか、代々村に伝わる伝統の猟師、みたいな。
全く持って想像つかないタイトルです。
特に見る予定になかった「ロブスター」という作品を見て、ギリシャにこんなおもしろい映画を撮る監督がいたのかと。
その年の上半期ベストに入れたほど、独創的で風刺的でユーモアがあった作品で、心掴んだ作品でした。
これは見ないわけにはいかないということで、早速観賞してまいりました。
作品情報
カンヌ映画祭で「ある視点」グランプリと審査員賞、そして今作で脚本賞を受賞し、カンヌで3度の栄誉に輝いた監督作。
幸せな家庭に一人の少年を招いたことで崩壊していく様子を描き、ある医師の失態によって、少年からかけられた言葉が、良心の呵責から後に究極の選択を迫られていくことになるサスペンススリラー。
身勝手な主人公のセリフ、神の目のような見下す映像、心理的に追い詰めていく音楽、全てが絡み合ってく監督の演出が光る作品。
果たして聖なる鹿殺しとはどういう意味なのか?
Killing of a Sacred Deer / [DVD] [Import]
- 出版社/メーカー: Lions Gate
- 発売日: 2018/01/23
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あらすじ
心臓外科医スティーブン(コリン・ファレル)は、美しい妻と健康な二人の子供に恵まれ郊外の豪邸に暮らしていた。
スティーブンには、もう一人、時どき会っている少年マーティン(バリー・コーガン)がいた。
マーティンの父はすでに亡くなっており、スティーブンは彼に腕時計をプレゼントしたりと何かと気にかけてやっていた。
しかし、マーティンを家に招き入れ家族に紹介したときから、奇妙なことが起こり始める。
子供たちは突然歩けなくなり、這って移動するようになる。
家族に一体何が起こったのか?そしてスティーブンはついに容赦ない究極の選択を迫られる・・・。(HPより抜粋)
監督
今作を手がけたのはヨルゴス・ランティモス。
冒頭でも書きましたが、彼の作品「ロブスター」を観て知りました。
今作でも主人公に課せられた選択を巡る物語ですが、ロブスターでもラストに選択を余儀なくされた主人公の末路を描いていて、ある意味投げっぱなしにも感じたけど、こういう我々に答えを考えさせるようなやり方は非常に好きです。
僕は「ロブスター」をシニカルでブラックジョークをふんだんに入れたコメディだと思ってたので、この監督はそういう趣向の作品を撮る人だとばかり思ってたんですが、この「聖なる鹿殺し」の予告を見て、あ、そういう人ではなかったのか・・・と。
未だ監督のもうひとつの代表作「籠の中の乙女」を観賞していなかったこともあり、勝手な思い込みをしていましたねw
カンヌとヴェネチアで脚本賞、アカデミー賞でも脚本賞にノミネートされたことを考えると、彼の書く物語には世界でも相当高い評価を得ていることがわかる実績。
今作はちょっと宗教的な部分が強そうなので、果たして凡人の僕に理解できるか。
監督に関してはこちらをどうぞ。
キャスト
主人公の心臓外科医・スティーブンを演じるのはコリン・ファレル。
役柄:心臓外科医で地位もあり、裏庭のある豪邸に4人家族で暮らしている。
結婚して16年になる。 一家が住んでいるのは、アメリカのオハイオ州シンシナティ。(HPより)
役柄:スティーブンの妻。眼科医で自らの医院を改装中。随所で息子ボブをかわいがっている様子を見せる。(HPより)
他のキャストはこんな感じ。
マーティン(バリー・コーガン)
役柄:16才。父親を亡くし北のはずれの小さい家に母親と暮らしている。タバコをやめられない。犬が苦手。
スティーブンの家族が住む豪邸に招待されたときまでは礼儀正しく接していたが、次第に彼の復讐が始まる。(HPより)
「ダンケルク」で民間に乗り込む青年ジョージ役として有名に。
今作での演技が評判を呼んでいるそうです。
キム(ラフィー・キャシディ)
役柄:14才。スティーブンの娘。12才から聖歌隊に入っている。音楽の才能があり学業では文学や歴史にも強い。家の手伝いは犬の散歩。音楽を聴くプレイヤーを何度か無くしている。マーティンの謎の行動の理由を知っているような発言をする。(HPより)
「トゥモローランド」で謎の少女アテナを演じ、日本でも橋本環奈にそっくりと話題になった美少女です。
ボブ(サニー・スリッチ)
役柄:スティーブンの息子。長髪が気に入っているが、父親に切るよう注意されている。母親と同じ眼科医になりたい。家の手伝いは庭の水やり。一人で犬の散歩に出るにはまだ早いといわれる年齢。(HPより)
役柄:マーティンの母親。夫を亡くしている。夫を看病していた頃から比べると痩せ、当時の栗色の髪から、ひと月前に髪を染め直している。スティーブンに気のあるそぶりを積極的に見せる。(HPより)
感想
あ~~~っ!!!めっちゃ怖い!!
初めてみる復讐劇に鳥肌!
無音と爆音のオーケストラで物語の怖さを助長させる心理スリラーでした!!
以下、核心に触れずネタバレします。
終始不穏な空気。
職務怠慢によって手術ミスをし、一人の少年の父の命を奪ってしまった父親。
埋め合わせをするかのように少年に優しく手を差し伸べていくが、彼を家族に紹介していくうちに、子供たちの下半身がマヒしていく不可思議な現象が起こる。
少年曰く、「家族のうち誰か一人を殺さなければ、全員死ぬことになる」と告げられ、家族の中で不協和音が鳴りはじめる。
やがて家族は徐々に本性をさらけ出し、父親は決断を迫られていく。
ひたすら静寂が包む中で、時折流れるディスコードな音色と悲劇的なオーケストラで緩急をつけ、それが相まってひたすら薄気味悪い緊張感を漂わせていく今作。
父親を殺された復讐とそれによって巻き起こる家族の崩壊、時に挟まれてくる笑っていいのか悪いのかわからない部分に困惑をきたし、どんどん不快さと怖さと悍ましさを深めていき、やがてどうしてこうなるんだ!!と理解不能な迷宮へと誘っていくれる、何とも難しい作品でした。
立て続けに3本見てブログ書いてというハードスケジュールによって疲労が抜けず、バッドコンディションで臨んだ今作。
ぶっちゃけウトウトする部分が何度かあり、全て理解できないままの終幕を迎えたわけでありまして、そんな状態で映画の感想を書いていいのかどうなのか、揺れる心を抱きながら綴っていこうと思うわけですが、正直これは人を選ぶ作品だなぁと。
「ロブスター」のようにここは笑えるだろというわかりやすいエピソードが散りばめられているのなら、今日のようなコンディションでも楽しめたかもしれません。
しかし、物語のほとんどを無音状態で運び、何か突飛な出来事が起きれば、悲しみと怒りの感情を表すかのようなバイオリンがジャジャーッ!!とデカい音でこちらに訴えてくるもんだから、それはそれは張り詰めた緊張なもんで。
で、人間て緊張感がずっと続くと慣れてしまって睡魔が襲ってくるという、いかにもマヌケな脳内構造になっていて、それが今回モロに鑑賞中に発動してしまうというホントおまぬけな私モンキーです、はい。
感想の冒頭から言い訳ばかりしておりますが、眠ってしまったからといって楽しくなかったわけではありません。
謎の少年マーティン演じるバリー・コーガンの怪演が非常に気持ち悪く、彼に翻弄され、自責の念によって追い詰められていく髭男爵改めコリン・ファレルの動揺にこちらも揺り揺られ、彼の隣でこの映画の「美」の象徴である奥さんアナ演じるニコール・キッドマンが家庭的でプライド高くてそれでいて健気な母親を演じ、え!?奥さん!!そんなことしてくれるんですか!?ああああぁぁぁぁ・・・という体を張った演技もしてくれるサービスっぷり。
こんな素晴らしい演技で映画を魅力あふれるモノにしてくれたのに、なぜ俺はウトウトしてしまったのか。
理由がないわけでもありません。はっきり言って難解です。
あまりにも非現実的なことが起こるもんだから、それについていけなかったというのが正直な所。
きっと本作は、酒に酔って手術した結果、人ひとりの命が救えたのに救えなかった主人公スティーブンが自責の念に駆られていき、子供たちの謎の奇病を直すために自ら責任を取ろうとする話なのかと思ったらそうではなく!
本当に少年の言葉に従って決断を迫られ、どうかわたしを選ばないで!どうかわたしを殺して!と、家族のためにむしろ自分のために懇願する家族が目立っており、一体この映画は何をどうしたいのよ?と幕が下りても、???な状態だったわけです。
バリー・コーガンがトラウマになりそう。
今作で大化けしそうな演技を見せてくれたマーティン役のバリー・コーガン。
「ダンケルク」では従順な犬のような顔で負傷した兵隊を介護していた姿が目に焼き付いていますが、今作では全くそんなピュアな面など見せず、終始一貫して精神に異常をきたしたかのような不気味な人物として恐怖心を煽ってくれました。
冒頭から礼儀正しい好青年で、人懐っこい印象を見せてちゃんと立派な大人になりそうだなぁという雰囲気を見せていましたが、今思い返せばこいつずっと笑顔を見せない。
そして徐々にスティーブンに会う回数が増えていくことで、気味が悪くなっていくんですね。
アポイントも取らず病院を訪ねたり、頻繁に電話したり、スティーブンのオフィスに居座っていたり。
おまけにに胸が痛いと言い出して検査を要求したあと、先生ワキ毛見せて?と。
こいつゲイなのか?と一瞬感じましたがそうではなかったようで。
家に招いたときは最初の時のようにちゃんとした礼儀正しい姿を見せ、子供たちと仲良く接したりするので、一旦の気味悪るさはなくなるんですが、そこから子供たちに謎の奇病発生。
頼んでもいないのに病院を訪れる展開に、うわ・・・来た・・・と薄気味悪さ再発動。
そしてスティーブンに宣告。
「そんなに時間ないなら手短に言うね」って、めっちゃ早口で伝えるのも逆に怖い。
もうそれからは彼のキモさMAXです。
特にスパゲティを頬張るシーンは印象的。
なんて不味そうにケチャ食いすんだよ。
どうしていい歳してそんなフォークの持ち方すんだよ。
そしてそんな目で見るな!
彼の瞳緑色なんですよね。
これがめっちゃ怖いw
極めつけは自傷行為です。
スティーブンによって拉致されてしまったマーティン。
猟銃で脅され、拳で殴られ散々な目に遭いますが、これがどういう意味か分かるか?メタファーだよ、罪のメタファーだよ!と自分の腕を噛みちぎるんですね~。
もちろんここでBGM.ジャジャーっ!!と恒例のバイオリンです。
上司に困ったらオー人事オー人事のスタッフサービスで流れる曲みたいな、虚しくて悲しくて怒り狂った音色のアレです。
もう彼でなければこの物語は成立しなかったといってもいい配役だったように感じます。
誰か教えてください。
こういうのブログに書いて答えもらえるのかどうかわかりませんが、初の試み。
おお主よ、どうか我にこの映画の正しい解説をお教えください!!
はい。
これってこういうことだと思うんです、みたいなことを空っぽの頭を使って絞り出していつも書いておりますが、今回は丸投げしようと思います。
僕には無理だと判断しました。
考えることをやめました。
とりあえず、この映画がギリシャ神話の「アウリスのイピネゲイア」に沿って描かれているんだって!ってことは理解しています。
神さまの聖なる鹿を殺してしまった父が娘を生贄に差し出すことで自分の罪を償うという概要だそうですが、まぁ物語もそういう感じで進むんですけど、そう考えると、
- マーティンはやはり神様だったのか?
という疑問がまず一つ。
確かにこいつの言う通り、あなたは父を殺した。
だから家族のうち誰か一人を殺さなければならない。
さもないと、
・体がマヒする
・食欲不振に陥る
・目から出血する
・その後まもなく死ぬ
と警告されるんですが、いやいや脅しだろ?と思ったら大間違いで、マジでそうなっていくわけで。
で、娘のキムはどんどんこのマーティンの事が好きになっていくんですよね。
初潮を迎えたことで性に目覚めるのはまぁわかるとして、この神さまかもしれない少年になぜ惹かれるのか、それが何を意味しているのか僕にはちっともわかりません。
- なぜ自決をしなかったのか。
マーティンの言葉通り子供たちは下半身がマヒし、食欲がなくなっていくわけですが、もうここまで来たらあいつの仕業だってなって、執拗に彼を探し回って罵倒して拉致してフルボッコにするのは理解できます。
俺の家族にナニしてくれてんねんこるるるぅらぁああっ!!と。
この手の一般的な展開として、悪いのは俺だ、家族は関係ない、やるなら俺に復讐しろおおおっ!!ってなるんですけど、そういう描写は一切ないし、スティーブンが自分の命を絶とうとする選択もないわけで。
それ以前にマーティンの指示どおりにしたら家族の病気元に戻してくれる?って会話もないですよね?
なんでそこをスルーして言いなりになってるのかが良く分かりません。
神話にそういう選択がなかったからでしょうか。
- 子供たちはどこでルールを聞いたの?
1発発射すれば4発撃つことになる。
マーティンを殺そうとするスティーブンが言った言葉です。
要は彼を殺せば自分以外の家族全員が死ぬことになる、という意味だと思うんですが、どこでそれを知ったか知りませんが、キムはそれを知ってるんですよね。
もしかして俺がウトウトしてた時にそんな描写があったのか?
もしくは病院の外からキムに電話した時に聞いたのか?
- ポテト
冒頭マーティンとダイナーで待ち合わせするスティーブン。
チキンを頬張るマーティンに、ポテトは食べないのか?と尋ねると、好きな食べ物は最後までとっておくタイプと話すんですよね。
で、これと対比するようにラストシーン。
スティーブン一家がダイナーで食事していると、マーティンが入って彼らの席ではなくカウンター席で家族を見ながら座ります。
そんな彼を見つめながら娘のキムは、メインのハンバーガーではなく、豪快にケチャップをかけたポテトを真っ先に食べ、他のものを残して家族は立ち去って終わります。
これはいったいどう意味なのか。
最後までとっておくポテトを先に食べるということで、もうお前に服従しないという宣戦布告を意味しているのか。
それともこの悲劇がまだ続くという意味合いを持つメタファーとなっているのか。
いやぁ~わかりませんw
- マーティンのスパゲティ
子供たちの奇病を直すにはどうすればいいか。
八方ふさがりの中、妻のアナはマーティンを訪ねます。
これから学校へ行かなきゃいけないから10分だけ、と朝から胃の中にスパゲティを掻っ込む元気の良さと白シャツでスパゲティはまずいんじゃないの?という疑問が頭をよぎる中、アナに対して
「父とスパゲティの食べ方が一緒だねって言われたんだよね。こうやってグルグル巻いて口に頬張るの。でさ、少し経ってみるとみんな食べ方一緒なんだよね。すげえショックで。お父さん死んだ時よりショックで」
多分こんな感じなんですが、この会話が気になって仕方なくて。
これって一体どういう意図があるのでしょうか。
なんでうちのお父さんなんだよってことでしょうか。
他にもわからないところだらけなんですが、ぱっと思いついたのはこの辺でしょうか。
是非コメントくださった方には金一封を・・・てのは冗談でどなたか助けてくださいww
最後に
死を意識すると、家族の中で自分の命を守るためにそれぞれが媚を売ったりする姿がまた人間らしくて滑稽とも思える描写なんですが、そこも一貫して緊張感と不穏な空気を崩さず死までの時間を描いており、クライマックスは誰かを殺すことを避けて通れないことを覚悟しながらも、誰にすればいいかひたすら悩むスティーブンの苦悩ぶりが切なくもあり自業自得とも思えたり。
自分ならいったい誰を犠牲にするのだろう。
考えたくもないけれど神様に目をつけられたら抗うことなんてできないんだなぁと思わせる悲劇でした。
あれですよ、キリスト教ですらよくわかんないのにギリシャ神話モチーフってさぁ。
日本人てホントこういうの学んでないから世界と差がつく一方だよねw
と愚痴ってみるw
今から学べってかw
というわけで以上!あざっした!!
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