憐れみの3章
生まれ変わったことで自由奔放に生きることで、男性からの解放を描いたフェミニズム映画「哀れなるものたち」。
アカデミー賞でも主演女優賞を受賞したエマ・ストーンが、体を張った演技はもちろん、時にユーモラスに時にセンチメンタルな表現をみせながら、男共に臆することなく知性と知恵と勇気で「自由」を掴んだ女性を見事に体現した作品でした。
そんな彼女が今回再びヨルゴス・ランティモスとタッグを組んだ作品が、今回観賞する映画。
3章というタイトルの通り、どうも「3つの物語」を同じキャストが違う役柄で演じるという構成なようで、上映時間はおよそ160分!!
長い!!
しかも「支配」がテーマということらしいです。
父親を医療ミスで殺してしまったことで息子から支配される「聖なる鹿殺し」や女王を支配するために奪い合う「女王陛下のお気に入り」のような作品になるのでしょうか。
それとも男社会という支配から脱却した「哀れなるものたち」のようなスカッとする物語になるのか。
いや~あの人は予測不能だからなぁ…。とんでもない皮肉をぶっこんできそう。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
結婚しなくてはならない世界を舞台にした「ロブスター」で脚光を浴び、「女王陛下のお気に入り」や「哀れなるものたち」でアカデミー賞はじめ賞レースの常連にまで上り詰めたヨルゴス・ランティモス監督が、前作と同様のキャストとスタッフで作り上げた渾身の1作。
選択肢を取り上げられた中、自分の人生を取り戻そうと格闘する男、海難事故から帰還するも別人のようになった妻を恐れる警官、奇跡的な能力を持つ特別な人物を懸命に探す女……という3つの奇想天外な物語を同じキャストが違う役柄で演じた、奇妙でユーモラスで独創的な世界観で描かれる1作。
「アイデンティティや信仰心…テーマは人間性だ」と語る監督は、今回初めて「アンソロジー映画」に挑んだ経緯を「面白そうだし、短編集のイメージで製作した」を語った。
キャストには、「哀れなるものたち」からエマ・ストーン、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリーが続投、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」「パワー・オブ・ザ・ドッグ」に出演し、本作でヴェネチア国際映画祭俳優賞を受賞したジェシー・プレモンス、「ザ・ホエール」でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされたホン・チャウ、「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」や「マイ・エレメント」のママドゥ・アティエ、さらに「ユーフォリア/EUPHORIA」「ハンガー・ゲーム0」で注目を浴びるハンター・シェイファーが出演する。
独創的な演出と風刺の効いたシニカルな笑いが特徴の監督作。
支配と欲望、愛と服従、信仰と盲信の間で揺れ動く人間の本質を、時に残酷に、時にユーモラスに描き、独立した3つの物語がやがてリンクしていく。
その時あなたが見たモノとは。
あらすじ
自分の人生を取り戻そうと格闘する、選択肢を奪われた男、海難事故で失踪した妻が、帰還後別人になっていた夫、卓越した宗教指導者になるべく運命付けられた特別な人物を懸命に探す女を描いた、3つの奇想天外な物語。(Fassion Pressより抜粋)
感想
#憐れみの3章 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) September 27, 2024
支配と被支配による3つの物語。
なんとも不思議でなんとも不快な関係。
でも根底には優しさがあるからこそ、その関係は崩れないのか。
とはいえ巻き込まれてる人の気持ちも考えるのが正しいとも思う。
しかし不可解なシーンは健在。 pic.twitter.com/LfNkVpFVSF
3つから見せられる不可解な「支配」と「服従」の物語。
どれも共感もできないし、入り込む余地もない。
でも日常でこうした関係は見えないだけで存在するもの。
知らぬ間に自分も何かに「支配」され「服従」しているに違いない。
以下、ネタバレします。
第1章 R.M.F.の死について
立派な豪邸に住み、建築関係の仕事に就くロバート。
しかし、どこか憂鬱気な表情をしている。
それもそのはず、彼は会社の社長であるレイモンドから、仕事の事から私生活に至るまで「支配」されているのである。
朝食から夕食まで全て指定され、性交の有無も決められ、寝る前には「アンナ・カレーニナ」を読むようスケジューリングされている。
彼との面会では「やせたな、太れ」と命令され、それに従うしかないのだ。
何故抗うことをしないのか、見る側にはまるで理解できないが、彼は初めてレイモンドに「抵抗」の意思を示す。
それはブルーのBMWに乗ってやってくる車にもうスピードでツッコみ、運転手を死なせるという指令。
挑戦したものの彼は怪我を負い、治療を要求するも、それも全て社長の指令により拒否されてしまう。
これまで様々な命令を受けて行動してきた。
子どもを持ってはいけないと言われれば、中絶薬を妻が飲むコーヒーに混ぜたり、その妻との出会いも全てレイモンドのアドバイスと指示通り行ってきたものだった。
しかし、さすがに人を死なせるという責任の重さに葛藤し、初めてレイモンドは拒否をしたのだった。
するとレイモンドは、君はこれまで10年間尽くしてきてくれたが、これで自由だ、お別れだと関係を断つのであった。
晴れて自由の身になったが、翌朝、彼から送られた「1984年の試合で壊したマッケンローのラケット」が回収されてしまっていた。
セキュリティの暗証番号はレイモンドの指示だったため、寝ていても一切気が付かず、しれっと持っていかれていたのだ。
ロバートの告白により妻のサラも家を飛び出してしまうことに。
一人になったロバートは、一人で飲み物すら決めることができず、もう一度レイモンドに「支配」してもらうよう執拗に追いかけるのであった。
果たしてロバートは再び服従の身になるのか、それとも自由の身になるのか。
という内容。
誰かに管理されたり何かを指示されたりと、言いなりになるのは個人的には御免だ。
いつだって自分のしたいように自分の思うがままに行動し、自由奔放でいたい。
そんな思いは仕事をしていればいつかは消え失せる。
命令という縛りに括られ、いつしか「自分で決めることすらできない」状態になってやしないだろうか。
ロバートは恐らく、そういう人間だったかもしれない。
レイモンドの言うことはいつだって正しく、そのおかげで出世できたのかもしれない。
だから彼の言うことは全て正しい、成功する、そんなマインドに侵されてたんじゃないだろうか。
命令はいつしか「洗脳」にも似たものに変わり、ロバートは毒されていた、のかもしれない。
その毒に侵されたロバートは、自由の身になっても心ここにあらず。
やっぱり何一つ決めることができず、行動もワンパターン。
女性を口説くきっかけもレイモンドから教わったことしかできないし、飲み物だって「おすすめ」しか頼めない。
結局彼は、レイモンドから与えられた指示を決行し、彼のもとに戻るという結末に至る。
しかし、何故レイモンドは「ブルーのBMWに乗る男を事故を装って始末しろ」といったのだろうか。
冒頭その運転手はレイモンドの屋敷に現れ、レイモンドの妻ヴィヴィアンから何か封筒を渡されていた。
レイモンドの話ではそれによって染むことは同意の上とも言っていた。
彼もまたレイモンドに「支配」されていたんだろうが、なぜそこまでしなくてはならなかったのだろうか・・・。
非常に不可解である。
第2章 R.M.F.は飛ぶ。について
警察官のダニエルには海洋研究をしているリズという奥さんがいる。
しかし彼女は沖に出たまま行方不明となっていた。
彼女が胸にぶら下げていた名前が刻印されていたペンダントを見つめる度、ダニエルは彼女の無事を祈るのであった。
相棒のニールにも心配されるほど落ち込んでいるダニエルは、容疑者の輪郭がリズに似ているからと頬を触るまで追いやられていた。
ニールと妻のマーサも彼を心配し、共に夕食を摂りながらリズの思い出話に花を咲かせる。
彼女はチョコが嫌いなのにチョコレートケーキをデザートに出してしまったこと、丸焦げの鮭に苦笑いしながらも、彼女のユーモアセンスで場が和んだこと。
ダニエルはそんな談笑をしているうちに、みんなで撮影したビデオを見たいと話しだす。
今日はよそうか、そういうニールの返事を無視し、彼はビデオを見始める。
それは2組でスワッピングしている映像だった(は??)。
そんな悲しみに暮れているダニエルの下に1本の電話が入る。
なんとリズは生きていたのだった。
無人島で果物や動物や魚を食べて飢えをしのぎながら救助を待って生きながらえていたリズ。
帰宅するや否や、空腹のリズに何か食べさせたいと思ったダニエルだったが、甘いものが食べたいと言い始めたリズは、嫌いなはずのチョコレートケーキを全て平らげたのだった。
それからというもの、吸ったこともないタバコを吸い始めたり、靴のサイズが合わなかったりと、これまでのリズとは思えない現象が増え始める。
無人島にいた時は、食欲よりもダニエルと性交がしたい欲望にかられており、征服を着たダニエルに警棒で叩き、彼の性器を求めるような言動も見られた。
これまでのリズではない、そう確信し始めたダニエルは、徐々に被害妄想に捉われ、リズを追い詰めていく。
果たして彼女は本物なのか、それとも誰かに仕組まれた罠なのか。
という内容。
3章の中で一番理解不能な物語。
リズが生還した時に病床にチラッと映るペンダント。これが一番の鍵かもしれない。
リズと刻印されていたペンダントが二つ映っている。
ダニエルが持っているモノがホンモノであれば、リズが持っているペンダントは複製されたものだということになる。
リズが持っていたのが「ダニエル」と刻印されていれば自分の見間違いかもしれないが、それが物語の結末から逆算すれば、やはり文字通り「リズは偽物」と考察ができる。
しかし物語にそんなものはいらない。
2人の関係がどう構築されてきたのか、どういう過程で愛を育んできたのか、それを考慮すれば結末はハッピーエンドだったにちがいない。
失った悲しみが仕事にまで影響するほど落ち込んでいたダニエルからすれば、いつもと違う妻が帰って来たら、そりゃ信じられない。
確かに無人島で孤独と飢えに凌ぎながら生きていたのだから、味覚が変わったり言動や行動が過度なモノになるのは理解はできる。
でもダニエルにとってはやはりおかしなものだったんだろう。
そしてリズはダニエルからの信頼を取り戻すため、とんでもない行動に出るんですが、これがまぁグロいったらありゃしない。
さすがランティモスといったところ。
被害妄想により信号無視で職質を受けたカップルの男性の手を誤って発砲してしまったことにより、精神的に不安定ということで休職をする子になったダニエルは、家に引きこもってはリズにムチャな要求を促す。
肉をあ~んと口に持っていっても「食欲がない」の一点張り。お前は駄々っ子か。
終いには「カリフラワーを添えた君の指を食べたい」とほざくダニエル。
被害妄想ってそこまでいくのか。
そんなことできるわけないじゃん…ってリズよ!!!マジか…とうとう自分の親指を包丁で切断し、焼いてさらに盛り付け食べさせるリズ。
だけどダニエルは、それが自分の命令ではなく、リズの意思で勝手にやったことと精神科医に打ち明ける。
しかもリズは自分で腹と顔を殴っていたとも証言。
これは明らかにダニエルがやった行為で、病院に行ったリズは先生からもDVも疑われる始末。
しかしリズは決してダニエルがやったなんて打ち明けない。全て自分がやったと。
一体何がそうさせるのか。
とうとうダニエルは「君の肝臓が食べたい」とまで言い出す。
もちろん、リズは肝臓を自らくり抜き、死んでしまうのだった。
でも、ダニエルの前に現れたのは別のリズ。
というか、本物のリズ。
一体この物語、何が何だかさっぱりわからない。
考えるに、これも支配と被支配、二人だから成り立つ上下関係による物語なのかもしれない。
ビデオ撮影していたスワッピングもきっとダニエルの趣味なんだろう。
そうやって要求にこたえてきたリズが、自分から「してほしい」ということはダニエルにとってはおかしかったんだろう。
だから無茶な要求をしてきたのかもしれない。
・・・という読みは果たして正解なのかはわっかりませんw
リズが見た夢ってのもおかしな夢で「犬に支配された島で暮らす自分」の夢で、そこでは食べたい肉が犬や他の人に食われちまうのなら、嫌いでも生きていくためにチョコを食べる、みたいな夢だったようで、エンドロールでも犬が人間と同じような暮らしをしている姿が映し出されている。
やはりこのエピソードも「支配」が絡んでいることは間違いないんだけど、やっぱりよくわかんないやw
第3章 R.M.F.サンドイッチを食べるについて
アンドリューとエミリーは、遺体安置室で女性に何かをするよう頼んでいた。
それは「死者を蘇らせる」という能力を持つ人を探す仕事だった。
結果、二人が見出した女性は実験に失敗し、泣き崩れる。
モーテルに戻った二人は、水の残量を心配しながら疲れを癒す。
エミリーは別行動を始める。
男性と娘が家から出たのを確認し、家に侵入。
娘の部屋にナイキの靴を置き、水をベッドにかける。
どうやら彼女がかつて暮らしていた家らしい。男性と娘は彼女の家族だったことが窺える。
アンドリューは、勝手に家に戻ったエミリーに黙っておくから勝手に行くなと要求する。
どうやら彼らは新興宗教のメンバーで、新たな教祖を探しているようだ。
条件は双子の姉妹で片方が死んでいること、身長や体重、胸の位置や形、歯型まで定まったものでないといけないようで、最初に登場した女性も上半身裸になって計測されていたのだった。
新興宗教は「水」を聖なるものとして崇めているようで、教徒たちはキレイな水しか受け付けない。
教祖であるオミとアカの涙が注がれた水以外は口にしてはいけないことはもちろん、教祖以外の精液すら体内に流してはいけない様子。
アンドリューもエミリーもオミと性交をし、体内を浄化させていたのだった。
もし汚染されていれば気絶するほどの温度のサウナに入って体を浄化させ、体から出た汗をアカが舐めて確認するなど、中々気味の悪い行為が描かれている。
とあるダイニングで、二人はレベッカという女性と遭遇。
どうやら彼女は双子の姉がおり、その姉こそがあなたたちが探している人だと語る。
アンドリューは一切信じなかったが、「プールで沈められた自分をシンクロナイズドスイミングをしていた片方の女性に救われる」という夢に登場する女性が、彼女に似ていることから興味を示していく。
再び自分の家を訪れたエミリーは、たまたま帰宅してきた夫と娘に遭遇。
それを機に、幾度も彼らと落ち合うことになっていく。
家に招待されたエミリーは、夫と酒を交わすが、夫は酒に睡眠薬を混入しており、彼女は嘔吐しながら眠りについてしまう。
夫は寝ている間にエミリーと性交しており、翌朝目覚めたエミリーはレイプされたことに気付き、体を浴槽で洗い流すのだった。
もちろんこのことはアンドリューの密告によりオミに知らされており、彼女はサウナで体を清めたものの、汚染されていたことで教団から追放されてしまうのだった。
失意のどん底に陥っていたエミリーに、レベッカから連絡が入る。
なぜ自分の双子の姉が教祖に相応しいのか、双子の片方は死んでいなければならないのに、彼女は生きているのか。
それは過去に酔っ払ってプールに落ちて大怪我を負ったが、彼女の治癒能力によって助かったからだという。
獣医をしている双子の姉リース似合うため、エミリーは野良犬を確保し、彼女が働く場所へ向かう。
傷口を治療した犬の包帯を執ると、傷口が一切無くなっていることが判明。彼女の能力は本物であることを確信する。
再びレベッカに呼ばれたエミリーは、彼女が命を絶ったことを確認したうえで、もう一度ルースに会いに行き拉致。
睡眠薬で意識がもうろうとしているルースを無理矢理起こし、遺体安置室の遺体にルースの手を当ててみると、死者がよみがえったのだった。
彼女のために教団が用意したクルーザーまで向かうが、そこでエミリーがよそ見運転をしたせいで車は事故を起こしてしまう。
その事故により、ルースは命を落としてしまうのだった…。
という内容。
この賞に関して一番よくわかんないのは、エンディングの飛行機と、エマ・ストーンのダンス、そしてエミリーが紫色のダッチチャレンジャーでドリフト全開で暴走すること。
なんて悪趣味な車に乗っているのか、そして何であんな乱暴な運転をするのかよくわかりませんw
・・・ということはさておいて、新興宗教のまつわるお話ということで、これもまた「支配」された者が、その要求に応えるべく奔走するんだけど、それが暴走して無関係の人まで巻き込んでしまうっつう話ってことでしょうか。
特にレベッカに関しては「教祖になる条件」を達成するために自ら命を絶つという、どういう理屈でそう決断するのか全く理解できない行動をしており、それもまた姉に対する優しさなのか、エミリーに対する優しさなのかわかりませんが、一度救ってもらったこの命、決して無駄にはしません的な意志で行ったってことなんでしょうか。
それにしても気味の悪い新興宗教でしたね。
オミとアカは夫婦だと思うんですが、生まれた子供は全然オミに似てないし、もしかしたら教徒の誰かの子供って可能性もありそうですもんね。
それに対して浮気だとかどうだってことはオミにとってはどうでもいいんでしょうね。
しかしこの映画で、ウィレム・デフォーの素っ裸を拝むとは思ってませんでしたし、エマ・ストーンとのディープキスを見せられるのも思ってもみませんでした。
また、何故エミリーは新興宗教に走ったのか理由は描かれていません。
きっと旦那が嫌だったんでしょう。
娘に「体は70が水分で、キレイにしなくちゃいけない」なんてことを言ってましたが、旦那が睡眠薬使ってああいうことをしたってことは、そう言う男だってことで、色々精神的に辛かった時期でもあったってことなんかなと。
最後に
2章のスワッピングといい、マーガレット・クアリーの裸体といい、どうもランティモスは裸とかセックスに飢えてるんでしょうか。
別に無理して移さなくても良い描写が多々あって、欲求不満なのか?と思ってしまった本作。
とはいえ、相変わらずカメラワークは「女王陛下のお気に入り」から一貫した作りで、俯瞰した位置からの撮影、下からのぞき込むショット、空間を意識した構図など、こだわりのあるシーンが多々あって、あ~ランティモスって感じの映画でした。
でさぁ、R.M.F.って何なんですかw
全く関係ないわけではないんだろうけど、関係ないですよね~w
こうした同じ役者が全く違う役を演じるってパターンは「クラウドアトラス」にも通じるけど、あっちは時代を超えて輪廻転生したキャラってことで物語が繋がってる反面、こっちは繋がっていないけど精通するテーマは存在するっていうカタチのアンソロジー映画でしたね。
支配される者支配する者、そこにはそれだけの関係性以上のモノが、第3者からは見えない形で存在していて、どちらも依存しているとさえ思ってしまう。
しかも支配する側にも一応の優しさはあって、決して搾取するだけの存在ではないんだけど、明らかにそのやり口は度を越えていて、気が付けば常軌を逸した、狂気にも似たものだったりもすると。
怖いかどうかはあくまで我々が俯瞰で見るからであって、実生活でもそうしたモノに我々は支配されているわけですよ。
決して抵抗が正しいとも言ってないけど、その優しさは本物ですか?って。
ある種宗教的にも通じる作品だたりするんですかね。
信仰とは?みたいな。
なんだかんだ言って二元論的な見方で見てしまうと、余計理解できなくなって舞う映画ではありましたかね。
ぶっちゃけ好みではなかったけど、160分という長尺の割には、しっかりエピソードが別れて物語も変わるから、体感時間短かったですね。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10