さよならくちびる
小松菜奈って、きっと音痴だから歌うたえないんだろうなぁって思ってました。
何故かというと「坂道のアポロン」て映画で、ラスト2人が演奏して彼女が歌う寸前で終わるんですよ。
何でここでブツっと切って終わりにしたのか、を考えたときに、あ、彼女歌下手なんだ、だからあそこで切ったんだ・・・と勝手ながら思ったんですね。
そしたら何ですか、今回フォークデュオで歌うって!
歌えんなら、坂道のアポロンの最後歌って締めろよ!って。
でも、歌唱力がどんなもんか今作の劇中歌聞きましたけど、門脇麦の方が全然うまいですね。
でも小松さんの方が好き。
めんどくさい俺。
はい、今回の映画、フォークデュオの解散ツアーから始まるって話で、どうやら男女の、女2人のもつれがからむっていう、百合のにおいも含んだバンドあるあるな話。
私も元バンドマンですので、こういういざこざよく聞きます。
一体どんなお話なのか。
早速観賞してまいりました!!!
作品情報
互いの孤独を埋めるかのように始めた音楽活動。
やがてライブハウスをオーディエンスが埋め尽くすほどの人気者になったフォークデュオ「ハルレオ」は突如解散を決めさよならツアーに出る。
なぜ彼女たちは人気絶頂の中解散を決めたのか。
二人を支えるローディーとの関係を浮き彫りにしながら、友情以上の絆で結ばれた二人の思いが、歌の歌詞と共に描かれていく。
今を時めく若手俳優たちの共演と、秦基博、現在人気爆発中の女性シンガーソングライター・あいみょんが楽曲提供したことも話題の、これからの未来を生きる人たちに生きる希望を与える青春音楽映画です。
あらすじ
「二人とも本当に解散の決心は変わらないんだな?」
全国7都市を回るツアーへの出発の朝、車に乗り込んだデュオ〈ハルレオ〉のハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)に、ローディ兼マネージャーのシマ(成田凌)が確認する。うなずく二人にシマは、「最後のライブでハルレオは解散」と宣言するのだった。
2018年7月14日、解散ツアー初日から波乱は起きる。別行動をとったレオが、ライブに遅刻したのだ。
険悪なムードの中、「今日が何の日かくらい憶えているよ」と、小さな封筒をハルに押し付けるレオ。
しばらくして、何ごともなかったかのようにステージに現れるハルレオ。トレードマークのツナギ姿に、アコースティックギター。
後ろでシマが、「たちまち嵐」を歌う二人をタンバリンでサポートする。
次の街へ向かう車の中、助手席でレオからもらった封筒を開けるハルを見て、「そうか、今日はハルの誕生日か」と呟くシマに、「違うよ。初めてレオに声をかけた日だよ」と答えるハル。
二人が出会ったのは、バイト先のクリーニング工場。
上司に叱られ、むくれていたレオを、ハルがいきなり「ねえ、音楽やらない?あたしと」と誘ったのだ。
その瞬間から、ずっと孤独だった二人の心が共鳴し始めた。
ハルからギターを習って音楽を奏でる喜びを知るレオ。
そんなレオを優しく見守るハル。
レオの歌とギターは上達し、二人は路上で歌うようになった。
少しずつ人気が出始め、ライブツアーに出ることにしたハルレオは、ローディを探す。
その時、「ハルさんの曲と詞のセンスが好きだから」と名乗りを上げたのが、元ホストのシマだった。
売れたバンドが使っていたというツアー車を用意し、「俺らも行けるところまで突っ走る」と煽るシマに、ハルとレオも自分の夢を叫んで拳を振り上げた。
地方ライブの集客も増え、若い女性を中心にさらに人気が広がっていくハルレオ。だが、誰も予期しなかった恋心が芽生えたことをきっかけに、3人の関係は少しずつこじれていく。
さらに、曲作りにかかわらないレオが、音楽をやる意味を見失っていった。
各々が想いをぶつけ合い、名曲と名演奏が生まれていくが、溝は深まるばかり。
ついに、この解散ツアーへと旅立つまで心が離れてしまった。
三重、大阪、新潟、山形、青森と、思い出の詰まったライブハウスを巡って行くハルレオ。
もはやほとんど口もきかないが、ギターもコーラスもピタリと息が合い、その歌声は聴く者の心の奥深くへと届いていく。
そしていよいよ3人は、北海道・函館で開くラストライブへと向かうのだが──。 (HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは塩田明彦。
ぶっちゃけこの人TBSの社員かと思ったら違ったんですね。
ほとんどの作品がTBS絡みだったもんで…。(「黄泉がえり」とか「この胸いっぱいの愛を」とか「どろろ」とか。ね?)
僕は監督の作品をほとんど見てないんですが、イメージとしては「泣かせ屋」な感じ。
別にいいも悪いもなく勝手にそう思ってるので気にしないでくださいw
とりあえず監督作品で一番好きなのは北川景子史上一番の作品として語られている「抱きしめたい~真実の物語~」ですかね。
いわゆる難病もの余命ものって分類にはなってしまうし、ぶっちゃけ俳優とはいえ、方やアイドル、方やセリフ棒読みって二人が主演。
当時そんな偏見で劇場での鑑賞をスルーしたんですが、これを自宅で見たときにかなり後悔しました。
とにかく北川景子が素晴らしいです。
強気で頑固なんだけどとてつもなくかわいらしい彼女の姿に世の男子が恋してしまうのもわかるし、彼女を不安にさせないように懸命に愛を注ぐ相手役の錦戸君がこれまた卒ない表情で演じるんですな。
またクライマックスで話が急変するんですが、これも変に劇的に描かないのが逆にうまいです。
余談ですが、いったい何者なのかわからない役を演じる寺門ジモンがちょっと怖いですw
なぜジモンだw
ほかの役者はいなかったのかw
登場人物紹介
- ハル(門脇麦)・・・作詞作曲を担当する。【ハルレオ】を結成し、大切な居場所とと感じている。レオが好き。
- レオ(小松菜奈)・・・ハルに誘われ、音楽を始める。ハルに憧れており、ハルの自分への気持ちにもシマのハルへの気持ちにも気づいているが、シマを好きになってしまう。
- シマ(成田凌)・・・元ホストの付き人。バンドの夢をあきらめた過去がある。ハルことが好き。(以上、HPより抜粋)
仲間との別れを決断した「終わりの旅」。3人がどういう気持ちで「始まりの旅」の入り口を見つけていくのか。
それ以上にどんな歌で感動させてくれるのか、僕としてはミュージシャンあるあるなんかが探せたら尚面白いんですが果たして。
ここから鑑賞後の感想です!!!
感想
痛くて脆い歪な心の持ち主3人がぶつかりながらも寄り添う様が愛おしい。
そして音楽を生み出した者の気持ちを代弁した歌に感動!
以下、核心に触れずネタバレします。
ちゃんとやってるよ。
解散ライブツアーに出発した三人が持つ心の傷に、泥を塗ったり癒したり愛を与えたりしながら、それでも前へ、終着地点へ進もうとする姿を、オフロードな運びと語り口で静かに描き、音楽を作り出す人たちの喜びと悲しみ、旅立ちを込めた歌にのせてカタルシスへと向かうラストに、自然と涙が溢れだすステキな映画でございました。
本作で描かれた気持ちってのは、元ミュージシャンであるがゆえに共感できる部分が多々ありまして。
過去の自分と重なる箇所が多く、これ否定したら昔の自分を否定するのと同じことになるなぁと思ってます。
それくらい本作を肯定したい気持ちです。
「シング・ストリート」のように、パッションで伝わるような音楽映画ではないから単純におもれえ!ってのはないんですけど、この映画に出会えたことは僕の人生にとってすごくいいことだったなぁと。
劇中で、シマがこんなことを言ってました。
「生きてる間に音楽は絶対やるな」というシマの親友が息子に託した言葉を否定し、俺は音楽やってきて全然後悔してない、って言葉にすごく救われて。
この言葉が映画の核になってるわけじゃないんだけど、音楽の旅を終わらせた自分としては、この言葉が僕の人生を肯定してくれてる気分になって、自然と涙が出ちゃうっていうね。
音楽映画見ちゃうと熱くなっちゃうなぁ、しかし。
僕ね、音楽を題材にした映画、特に楽器を弾く場面がある場合は、何が何でも嘘ついてほしくないと思ってまして。
ミュージシャンを演じるんですから楽器くらい手元観ねえで弾けよと。
それもできねえでカリスマ的存在のミュージシャンなんて設定与えたところで説得力ナシですから。
だからね、BECKとかNANAとかぶっちゃけ寒気がする映画だったなぁと。
音楽なめんなよと。
そんな弾き方ねえだろと。
例えばダンスを題材にした映画だって役者はちゃんとダンサーやるわけで、それと同じようにミュージシャンの役やるならプロ並みにやれとは言わない、せめて中学生バンドくらいのレベルでやってほしいわけですよ。
じゃあ今回の映画、どうだったかというと、すげえ頑張ってたと思います。
細かいところで言うと持ち歌3曲しかなかったり、カポ使ってオープンコードのみで弾いてたり(俺もレオと同じの使ってたw)、「さよならくちびる」歌う時だけアルペジオの手元映してなかったり、どう聞いても音源当ててるじゃんって指摘してしまうわけです。
でもハルレオの2人はしっかりコード抑えて手元見ないで、息ピッタリのストロークで演奏しながらちゃんと歌ってるんですよ。
映画って嘘はある程度必要かなと思うんですけど、ここだけは僕はウソついてほしくなくて。
二人がしっかり演奏していたことはホント評価したい。
結構練習したと思いますよ。
余談ですが、「さよなら歌舞伎町」って映画で前田のあっちゃんがCDデビュー目指すミュージシャンの役で、枕営業するか否かって瀬戸際の女性を演じてたんですけど、あっちゃんがラスト窓際で弾き語りするんですよ。
抑える力が無さすぎてきちんと音が鳴ってないんですよ。
それでデビューしようってお前虫が良すぎるしどういう神経視点だよ、リアリティねえよ、そりゃあ染谷将太消えるわwと。
だから、今後音楽を題材にする映画やるんなら、それなりの特訓をしてくれと、ここで強く言いたいわけであります。
賛否別れるんだろうなこれ。
いきなり説教みたいな話になりましたが、映画の内容は至ってシンプルなもの。
ハルレオの解散ツアーに向かう中で3人がどういう経緯で出会い恋をし分裂していくのか。
そんな状態でも音楽だけは3人とも真摯に向き合っていて息もあっていて、どうしてあたしたちこんなんになっちゃたんだろうね、でも決めたことだからラストまでしっかり行こうぜ!っていう話で。
ただ時間軸はバラバラだし、エピソードざく切りでどうしてそうなったのかっていう描写もなければ説明もない。
だから3人の物語の語られていない部分や抜け落ちた部分を、我々は拾ったり推測したり解釈したり考察したりしながら見るんですね。
そんな物語の中で僕なりに好きな部分を言いたい放題言ってこうと思うんですけど。
まず歌に込めた意味をMCで吐露することで、説明的に見せないやり方がお上手。
特に「誰にだって訳がある」の制作秘話を語るハルがこんなことを言うんです。
路上で音楽やってた時、ホームレスがその辺の椅子使って「マッサージ10分100円」てペンで書いた紙をぶら下げて立っていたと。
それを見たハルは、「こんな人でも今の生活から頑張って抜け出そうとしてるんだ」と思う反面、「でも一体誰があそこに座ってマッサージしてもらおうと思うんだろう、どう考えたって無理だろう」って気持ちも持ってて。
でもそこへ水商売をやってるような風貌の女性がおもむろに座ってマッサージを受けて至福の表情を浮かべていた光景を目にして、彼女のような人になりたいと思ったと。
僕がはもってない物を持っている人を見て憧れたりすることって結構あって、このエピソード聞いたときすごく共感して。
で、この回想シーンで水商売の女が突然レオに変わるんですね。
あ、このエピソードはハルのレオへの羨望だったんんだなぁと。
また、音楽が主人公みたいなとこありますからBGMは極力ないんですね。
少ないんですけど1か所これナイスだな!ってBGMがありまして。
出会った当初ギターの弾けないレオにハルがコードの抑え方を教えるシーンがありまして、特訓の結果何とか覚えたのがCとGとAmなんですね。
俗に言うカノン進行ってやつなんですけども、アコギやったことある人なら初歩中の初歩です。
この後Fを抑えられるか出来ないかで続けるか辞めるかってのがアコギあるあるの一つなんですけども。
で、これを延々と二人で弾くシーンがラストの函館のライブハウスへ向かう途中で流れるわけです。
旅を終える二人に出会った時の思い出と称した音をBGMにするんですけど、ここにエレキの単音が乗っかるんですね。
これどういう意図があるのかとお申しますと、函館に着く直前にローディー兼エレキギターのシマが実家に帰ることになって、いない状態なんです。
でもここにエレキが乗っかるってことは、彼はちゃんと戻ってくることをBGMで示唆してるわけです。
そもそもこの旅は二人の旅ではなくシマあっての旅。
彼が奏でる音が加わることで完成するアンサンブルなんですよね。
あ~これうめえなぁ!と。
他にもですね、コインランドリー中にハルが遭遇する小さい女の子の名前がレオっていうんですね。
まぁいかにもって展開ですし、なんだこれもしかしてハルだけに見える姿なのか?なんて思うんですけど、ハルはこの女の子にお母さんは?って聞くんです。
すると、コインランドリーの中にいる女性を指さすんですけど、お父さんは?って聞くと、さっきまでコンクリにおもちゃのシャベルでガシャガシャ自分の周りでやってたのをハルに向けてるんです。
まるであっち行け!って。
これどういう意味なんだろうと。
レオはすごく孤独な身なんですけど、その分愛を欲しがっているというか、誰かに縋らないと生きていけないような感じでして。
ことあるごとに男といい関係になるんですけど、十中八九DV男なんですね。
もしかしたらレオは幼少のころお父さんから虐待を受けてたんじゃないかなって。
あとは何だろうな、一番笑ったとこで言えば、インディーズ界の新星ハルレオ!ってTVの収録で、インタビュアーがハルのことばかり褒めるんですね。
普通デュオをゲストにしたらあそこまで片方を贔屓して意見を言わないと思うんですけど、その間に挟まったレオが目の前の居酒屋の料理をどんどん口に運んで、終いには勝手に出ていくっていう件が最高でw
何が痛いってインタビュアーですよ。
ひたすら自分の想いばかり話して相手から何か聞き出そうとしない自己中な感じと、別にお前の曲の考察とかいらねえんだよ、どうしよう困ったなぁって思ってるハルの困惑した表情がまた堪らないというか。
で、「さよならくちびる」って歌に関してなんですけど、観る前は離れ離れになる相手への哀しい思いを綴った別れの歌なんだろうと思ったんですけど、実際みたらそうじゃないってのがね、してやられました。
ラストライブでハルが「ハルレオはここで終わりを迎えるけど、私たちが作った歌がみんなの心に残り続けるのか、それとも私たちが消えると同時に消えてしまうのか、自分の中に留めておきたいけど私たちはここで終わるから」と言うんですね。
え!?あ!この歌ってそういう歌なのか!!と。
くちびるってのは、きっと言葉や歌を指していると思うんです。
作った歌や歌詞に込めた思いと離れたくない気持ち、そして歌に別れを告げ、自分以外の誰かの元へと去っていく、そんな思いが詰まった歌なんじゃないかなと感じます。
年々消費される速さと楽曲の多さに、全ての人が音楽に触れる機会ってのが凄く減ったように思うんですけど、ハルのラストライブで言った言葉と、このさよならくちびるの歌詞を紐解いていくと、何というか音楽ってすごく素晴らしい物なのに、僕ら受け取る側の良しあしで簡単に消費されてしまうのなら、いっそのこと留めておいた方がこの歌にとっては良いことなんじゃないか、って。
もうすべてが推測で考察なんだけど、この映画は一見3人の恋のもつれに決着を付けるような別れと旅立ち、ネクストステージみたいな話なんかじゃなくて、もっと音楽に真摯に向き合った、皆に音楽に向き合ってほしいって映画なんじゃないかなって。
だから僕はこの映画、演者がちゃんと演奏しているって点で評価してるんですけど、それ以外は言い方悪いけど雑で、でもそれが味になっているというか。
逆にこの映画のいいところに感じて。
でもきっと役者見たさに選んで見に来てる人はこの雑さに面白くないって感じちゃうんだろうなぁって。
てかあれだな、これ語るには時間がかかるなw
最後に
実はシマが原因でレオがかき回すっていう構図で、ハルは動いてないんですよね。
気持ちがってことですよ?
ハルはレオが好き。
それだけでいいんですよ。
なんか中村中の「友達の唄」を思い出しちゃうんですけど、レオとこうして歌ってるだけでいいと。
でもレオはハルの気持ちを受け止めたい。
だから髪の毛も切ってハルになり切ろうとした。
でもハルのような歌を作ることができない、自分の歌う意味はどこにあるんだろうと。
シマもハルの歌に救われ、ホストのようなたらし人生にケリをつけ音楽と向き合う決心をした。
でもハルの苦しさを知って自分も苦しくなった。
彼女の傷を埋めようとしたけどどうにもできない。
そばにいることでしか支えることができない。
そんなハルを思うシマを見てやるせなくなり、自暴自棄に走るレオ。
孤独にさいなまれた彼女にとって、まばゆい光として現れたハルの手料理を食べただけで涙する感情豊かなレオにきっと心が動くでしょう。
あかん、とめどなくこの映画への想いや素晴らしさが溢れてくる。
やめとこ、俺もとどめておこw
どうでもいいけどひとつだけ!いや二つ!!
楽器店に行ったハルがアコギを試奏するんですが、普通店員に試奏させてくれっていいますからね!
勝手に弾きませんよ!
しかも飾ってある奴チューニング絶対くるってますからね!
あんな風に音あってませんからね!
そしてライブハウスに着くやいなやギターをチューニングしますけど、チューニングの仕方あれじゃ音正確に合いませんよ!
ハーモニクスでやろうよそこは!
・・・どうでもいい不満でしたw
というわけで以上!あざっした!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆☆★★8/10