レ・ミゼラブル
フランスは花の都パリ。
そこにはたくさんの芸術があり文化があり、景色がある。
エッフェル塔に凱旋門、シャンゼリゼ通りにセーヌ川、ルーブル美術館やノートルダム大聖堂と、歴史的建造物や美しい景観が訪れたものの感性を豊かにしてくれることでしょう。
そんなパリの魅力を雑誌やTVが取り上げれば誰もが訪れてみたいと憧れ、行けば行ったで写真を撮りまくりインスタにあげまくり、さも自分がモデルかインフルエンサーにでもなったかのような、格が一つ上がったかのような気分になる。
そして友人に同僚に旅行話をするものならば羨ましがれ、さらに気分に拍車がかかる。
なんか私、パリに行ったことで感性に磨きがかかったかもしれない視野が広がったかもしれない、人生に大きな刺激を与えたかもしれない。
はい、それで本当に世界を感じたのですか?
あなたは本当のパリを見たのですか?
パリの現実を目に焼き付けたのですか?
もちろんキレイなものだけ見れば心も洗われるんでしょうし、不快にもならないでしょう。
でもそれで知った気になってはいけないと思うのです。
映画は我々には見えていない部分を見せてくれる、る、そしてどこの国の人も根本は日本と変わらない「裏の部分」も持ち合わせていると。
もちろん映画だけで見て知った気になってもいけないんですけどね。
今回鑑賞する映画は、あの有名ミュージカルと同じタイトル。
19世紀のフランスを舞台にした悲劇は、200年経った今も実は変わっていないのではないか?という意味合い、なのでしょうか。
我々が美しい街だと思っているパリ、その郊外の街で起きている「社会の闇」を描いてるそうです。
きれいな街並みには見えない、もう一つの現実。
もしかしたらこちらの方が感性を刺激させるんじゃない?な~んて、ちょっと皮肉った前置きになりましたが、早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
カンヌ国際映画祭で、あの「パラサイト」と並んでパルムドールを競い、見事審査員賞に輝き、さらには第92回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた作品。
ヴィクトル・ユーゴー原作にして、今もなおミュージカルや映画として語り継がれている「レ・ミゼラブル」と同じモンフェルメイユを舞台に、新たに配属された警官と同僚らが、ある少年が起こした些細な事件をきっかけに、やがて取り返しのつかない事態となっていく様を、緊張感あふれる描写で描く。
今作で初の長編映画を手掛けた監督は、この街に生まれ今もなお暮らしている経験から現代に潜む社会的問題を作品に投影し、緊迫感溢れる映像を作り上げた。
権力者から抑圧された弱者や居場所を無くした人々、そんな彼らの鬱屈した感情がどういう行動を起こすのか。
レミゼじゃないレミゼの根底にあるものとはいったい。
あらすじ
パリ郊外に位置するモンフェルメイユ。
ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台でもあるこの街は、いまや移民や低所得者が多く住む危険な犯罪地域と化していた。
犯罪防止班に新しく加わることになった警官のステファン(ダミアン・ボナール)は、仲間と共にパトロールをするうちに、複数のグループ同士が緊張関係にあることを察知する。
そんなある日、イッサという名の少年が引き起こした些細な出来事が大きな騒動へと発展。
事件解決へと奮闘するステファンたちだが、事態は取り返しのつかない方向へと進み始めることに……。 (HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、ラジ・リ。
今回長編映画初作品ということですから、僕のようなド素人が彼を知ってるわけないですw
彼は今作の舞台であるモンフェルメイユで生まれ育ち、現在もなお暮らしているそうで、そこで見たもの感じたものが、今作に詰まっているということなんでしょう。
また今作を制作するまでに、役者やアーティスト集団Kourtrajméのメンバー、写真家と共同での脚本、短編映画にドキュメンタリーと、多才な顔を持っているようです。
そして今作と同名短編映画も制作しており、それがフランスの赤絵dミー賞とも呼ばれるセザール賞でノミネートされてるよう。
今回の映画はその短編映画からインスパイアされたそうです。
モンフェルメイユで起きていることは、世界でも起こり得る問題だということを、これからも発信していくのでしょう。
キャスト
すいません、どなたも存じ上げないので簡潔に。
警官ステファン役に、「ダンケルク」に出演していたダミアン・ボナール。
警官クリス役に、監督と古くから付き合いで、アーティスト集団Kourtrajméのメンバーでもあるアレクシス・マネンティ。
グワダ役に、モデルでも活躍、今回オーディションで抜擢されたジェブリル・ゾンガ。
警察署長役に、「COLD WAR あの歌、2つの心」、「サガンー悲しみよ、こんにちは」のジャンヌ・バリバールなどが出演します。
ラスト30分がものすごいことになるそうなんですが、どういう事態に発展するんでしょう。
そして僕らの知らないパリのもう一つの顔。堪能したいと思います。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
世には悪い者も悪い草もない
育てる者が悪いのだ
怒りで抑えれば、怒りしかない、そんな構造をただ見せられる。
これは対岸の火事ではない。
以下、ネタバレします。
海の向こうの、知らない場所で。
モンフェルヘイユの警察署、BAC(犯罪対策課)に着任した新人警官の視点を中心に、法律と権力を盾に、罪もない少年たちや市民を力と怒りで抑えつける警官たちの横暴なやり方と、アフリカ系移民で貧困層を束ねる市長とよばれる男や、抑圧されながらもなわばりを作るかつてワルだった男といった、暴力や暴言でしか主張できない大人たちの一触即発な状態を見せながら、そこで生まれる者は決して善ではなく、それを見て触発される少年たちでしかないという負の連鎖を、ただまじまじと見せることで、やるせなさと問題の解決方法は何なのかを、いま問われている気がした作品でございました。
強き者とは、決して力を駆使して抑えつける者ではなく、弱き者を助け導く者こそ強き者。
そんな人らが誰かの上に立てば組織や社会といったコミュニティは、きっとうまく機能し、誰もがリーダーのような人間像に憧れ、好循環をもたらすステキなものになる、と思う。
しかし物語の舞台は、移民が溢れ経済的にも厳しく、社会的弱者が多数存在する場所。
そんな場所ではどうしても犯罪が多発してしまう。
だから法の名のもとに権力を行使する警察が、彼らを上手く統率し犯罪のない社会へと導かなくてはならない。
なのに、犯罪対策課のクリスとグワダは、弱者たちをあざ笑い、令状も持たず突発的に職質し、反発すれば暴力でねじ伏せる。
時には不法移民を小バカにしたりよそ者扱いをし、弱者には睨みつけ見下す態度。
「おれが法律だ」と権力を私物化することで、誰も逆らえない空気を醸し出す。
そんな警察のやり方を憎んでいる市民らは、それぞれが派閥やグループを作り連携を保つことでしか対抗できない。
市長と呼ばれる男は、団地の一角で弱者たちの商売を束ね、地域の安全を保っている。
またかつてムショ暮らしをしていた男は事情通として知られ、町の片隅でケバブを売りながら沈黙を守り、町を見守る。
彼らはことあるごとにぶつかれば、引くことを知らず主張ばかり。
それぞれの「正しさ」を曲げることができないせいで、ただぶつかり合うことしかできないでいる。
本当にその行いは正しいのか、と俯瞰で見れない大人たちの抗争を、そこで暮らす子供たちはどう捉えるのか。
もちろん、真似するに決まってる。
怒りには怒りで、暴力には暴力で、同じ気持ちを持った者がいればたとえ相手が警察であろうとも十分対抗できることを学習し、実行に起こすことができる。
未成熟であるが故に歯止めをかけることなどなく、とにかく感情に身を任せて突き進んでいく。
大人が作った不寛容な社会は、大人がどこかで止めなくては、次の世代にも影響してしまう。
では、どうすればこの負の連鎖を止めることができるのか。
元はといえば、サーカスの子ライオンを盗んだイッサという少年が悪い。
その朝にもニワトリを盗むという、いかにも子供ながらの発想で罪を犯してしまう。
親は警察署で怒鳴り、八つ当たりをし、子供にもう帰ってくるな、と自分の教育の不出来を棚に上げ、一方的に子供のせいにする。
既にここから怒りへの反発は始まっていたわけです。
そこから警察は、何か少年少女らが悪さをしていないか巡回していく。
ハシシを吸っていた15歳の少女を、半ば強引に取り調べ、違法的な職質に腹がたった友人が動画を取ろうとすればスマホを奪い取り破壊する。
誰が悪いのか?
それは正義の名のもとに市民を守るお巡りさんを侮辱するようなことをするお前らだろう?
そんな目をしながら睨む対策課のクリスは、いき過ぎた行動を繰り返す。
クリスという男は、きっと市民になめられないために敢えてああいう態度を取っているんだろう。最初はそう見ていた。ステファンのように。
言葉や態度こそ傲慢で不機嫌な感じだけど、しっかり仕事はする。
それこそサーカスの子ライオンを盗まれたことで、拡声器をつかて怒りをぶちまける団長たちと、コミュニティを束ねる移民たちが口論している中をしっかり取り持つ姿勢は、これまで何度もあったであろう経験が活かされている証拠というか。
でもそれは誤解だった。
その後も少年らを力づくで抑える行動や、差別的な発言は普通に行われ、その反撃にあった彼らは、結果的に感情に任せて子ライオンを盗んだ少年イッサをゴム銃で発砲してしまう事態に。
しかもクリスとグワダは、その一部始終をドローン機で撮影されていたことの方が問題だと優先し、けがを負ったイッサを病院へ連れていこうとせず、保身に走ってしまうわけです。
その後はもうなんとなく予想できてしまいますが、ミュージカルのレミゼと同じような光景です。
自分が正しいと思ったら、周りって見えなくないですか?
誰の声にも耳を貸そうとしないことってないですか?
この映画に登場する人ってほとんどがそれなんですよね。
特に子ライオンを盗まれて、盗んだ奴がアフリカ系の少年だからと言って、市長のコミュニティにカチコミかけてくるんですけど、もうそれが頭に血が上っていてほぼ決めつけ。
市長側も頭に血が上って、ちゃんと話聞けばいいのに、ただ怒りに任せて、なめんなよかかってこいの状態。
盗んだのお前んとこのガキだろ、なわけねえだろ、みたいな。
俺らは正しい、いいやおれの方こそ正しい。と。
だから相手が正しさで殴って来たら、自分の正しさで反撃しようとするんですよ。
一応この映画は抑圧された社会ってのが根本的にあるから、そのせいで怒る場所を見つけられない人たちが、何かある度に怒りを現すってことも解釈のひとつではあるんだけど、もっと奥深くにはこういう「正しさの押し付け合い」みたいな、互いが理解し合おうとしない姿勢の方が問題だなって僕は感じて。
で、この場合、サーカス団は間違ったわけですよ。
相手を間違って疑った。
しかもジョニージョニーっていうから、普通人間だとイメージするのに、ふたを開けりゃライオンの名前だと。
ここで間違えてすまない、ちゃんと説明すべきだった、という「謝罪」が必要だと思うんですよ。
でも彼らは「正しさ」が強すぎて、それに対しての怒りが強すぎて、謝ることを忘れてるんですよ。
それをもっと強調してるのが、実は警察っていう。
クリスらと巡回しているステファンですが、彼らのやり方に疑問を抱きつつもとりあえず難なく対処していくんですね。
で、ある団地で見つけた少年たちに職質するんです。
もちろん少年らはBACだ!と言って逃げる。
でもクリスらに捕まってしまう。
ステファンはというと、抵抗しないで、まず身体検査するからと、相手が少年とはいえ一人の人間であることを忘れずに一個一個断りを入れて行動を起こす。
でも結局クリスが脅して力づくで口を割らせようとするから、ステファンの優しさも意味なく少年は「失せろ!」と一喝。
そしてお母さん登場で、ステファンは謝るんですね。
それを見たクリスは「絶対謝るな!」と。
自分たちが正しいことをした、捜査に協力するのが市民の務めだ、だからたとえ相手が違ったとしても相手が抵抗してきたとしても、手を出したり暴力を振るうのは当然のこと、とでも言ってるかのような。
警察はよくメンツを守りたがる。たぶん下手に出れば権威が下がるからなのかもしれない。
でもだ、過ちは認めなくてはいけないと思うんですよ。
別にこれ警察だけでなく、多くの大人がですよ。
子供だからと下に見て、謝らない大人いるじゃないですか。
ここで生きている少年たちは、彼らを見て育つんですよ。
大人がそんなんでどうするんだろうと。
そんな大人たちもかつては純粋無垢な子供時代があって、優しく逞しく育つ子もいれば環境や済んだ地域によって全く違う大人になってしまう人もいて。
同じこと言いますけど弱者や貧困層に不寛容な社会がいけないのが当たり前とはいえ、なんでもかんでもそれのせいにしちゃ断ち切れるものも断ち切れないよなぁ、ってのが僕の今作への感想です。
だからまず正しさを主張してもいいけれども、対話をしっかりすることや非を詫びる姿勢を持つことの大事さ、それが大事な一歩なんじゃないかなと。
憎しみや怒りからは良い事なんて起きないです。
・・・と自分の主張が過ぎましたが、僕ね、この映画せっかく「レ・ミゼラブル」と同タイトルなんだから、もっと物語にリンクした物語にしちゃえば?とも思ったんですよね。
暴動に向かっていく流れってのは同じかと思う音ですけど、それこそ罪を犯しつつも優しさに感化されて改心するジャンバルジャンのような人がいて、自分こそが正義だと過信するけど結果的にその考えが揺らいでしまうジャヴェール警部のような人がいて、如何に悲劇ってのが起きるのか、自由とは正しさとは、みたいな。
でもそれだと映画の根本的なテーマがぶれちゃうのか…
まぁあくまでこの方が面白いんじゃね?って僕の妄想でしかないのでほっといてもらって構わないんですけどw
とにかく、この映画を見て、如何に海の向こう側が悲劇の真っただ中にあることや、負の連鎖を断ち切るために自分はちゃんとした大人になれてるのか?
って意識の再確認だけでもできる気がする映画であったと思います。
もっと深いことは当然として、僕はこういう見方をしました。はい。
クライマックスはすんごいです。
あの終わり方といい、ラストの言葉といい、刺さる。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10