モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「室町無頼」感想ネタバレあり解説 現代にもこんな男が引っ張ってくれたら。

室町無頼

中学校の社会で学んだはずの「日本史」。

男子なら得意だった人も多いと思いますし、僕もその一人です。

しかし、どの時代に何が起きたか程度はすぐ思い出せるものの、細かいことになると、意外と覚えてないもんです。

 

さすが詰め込み教育w

 

今回鑑賞する「室町無頼」。

原作者の垣根涼介によると、現代(バブル景気から20数年後)と室町時代は、社会の様相が非常に酷似してるそうです。

 

室町時代といえば金閣寺とか銀閣寺といった建造物や、様々な文化が盛んだったイメージですが、実際は富裕層と貧困層の格差が大きかったそう。

だから幾度も「一揆」という反乱が起こったわけですね。

 

貧富の差が激しくなりつつある今、さすがに一揆を起こすわけにはいかないけど、政府に何も期待してない空気も問題。

今の世の中を変えてくれる「風」が、この映画をきっかけに起きるのでは。

そんな期待を胸に、早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

2016年に出版され、同年に「本屋が選ぶ時代小説大賞」で大賞を、週刊朝日「歴史・時代小説ベスト10」と「本の雑誌」「時代小説ベストテン」の年間第1位の計3冠に輝いた直木賞作家・垣根涼介の同名小説を、ネグレクトやコロナ禍によって悲痛な運命をたどった少女を描いた「あんのこと」が高い評価を呼んだ入江悠監督の手によって実写映画化。

 

室町時代に起きた「応仁の乱」前夜を舞台に、初めて武士階級として「一揆」を起こし、彼のもとに集まった9人のアウトローと共に、貧困で苦しむ民のために巨大な権力に戦いを挑んだ男たちの姿を描いた本作を、「集団抗争時代劇」ブームを生んだ東映、そして京都撮影所の職人たちと共に、監督が本格アクション時代劇に挑んだ。

 

プロデューサーの交代やコロナ禍など幾度もの延期を経て製作された本作。

大泉洋史上最高にカッコいい男」を合言葉に、武家社会出なかった室町時代の特性を活かしながら脚本を練り、大掛かりなセットと職人たちの巧みな技によって、これまでに類を見ない規模の時代劇を完成させた。

 

主演は、「探偵はBARにいる」、「ディア・ファミリー」の大泉洋。

共演に、「岸辺露伴ルーヴルへ行く」の長尾謙杜なにわ男子)、「はたらく細胞」の松本若菜、「辰巳」の遠藤雄弥、「最後まで行く」、「鬼平犯科帳 血闘」の柄本明、「ヘルドッグス」、「カラオケ行こ!」の北村一輝、そして「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」、「おまえの罪を自白しろ」の堤真一などが出演します。

 

災、物価高騰、政治不信、ポスト・コロナの不安な世界。
そんな中にあって、名もなき人々が、ダメな幕府に命懸けで「NO」を突きつけ、次代の扉をこじ開ける姿に、あなたは何を思うか。

 

 

 

あらすじ

 

賀茂川ベリにはたった二ヶ月で八万を超える死体が積まれ、人身売買、奴隷労働が横行する。

 

しかし、時の権力者は無能で享楽の日々を過ごすばかり。

貨幣経済が進み、富める者はより一層富み、かつてない格差社会となっていた。

 

蓮田兵衛(大泉洋)は、己の腕と才覚だけで混沌の世を泳ぐ自由人。

各地を放浪する彼の眼差しは、ひとり遠く、暗黒時代ダークエイジの夜明けを見つめていた。


一方、才蔵(長尾謙杜)はすさまじい武術の才能を秘めた若者。

天涯孤独で餓死寸前を生き延びたが、絶望の中にいた。

しかし、兵衛に見出され、鍛えられ、才蔵は兵法者としての道を歩み始める。

才蔵の武器となるのは、“六尺棒”。

地獄の修行を終えた時、超人的な棒術を身につけた才蔵の前に敵は無い―。

 

時は来た―。

 

才蔵だけでなく、抜刀術の達人、槍使い、金棒の怪力男、洋弓の朝鮮娘ら、個性たっぷりのアウトローたちを束ねる兵衛。

 

ついに巨大な権力に向けて、京の市中を舞台に空前絶後の都市暴動を仕掛ける。

行く手を阻むのは、洛中警護役を担う骨皮道賢(堤真一)。

兵衛と道賢はかつて志を同じくした悪友ながら、道を違えた間柄。

 

かつては道賢、いまは兵衛の想い人である高級遊女の芳王子(松本若菜)が二人の突き進む運命を静かに見届ける中、“髑髏の刀”を手に一党を動かす道賢に立ち向かい、兵衛は命を賭けた戦いに挑む。(HPより抜粋)

youtu.be

 

登場人物紹介

  • 蓮田兵衛(大泉洋)…己の腕と才覚だけで混沌の世を泳ぎ、ひそかに倒幕と世直しの野望を抱く無頼漢。腐りきった幕府を倒し、古き世を終わらせようと画策。そのためには、自ら「捨て石」になることも辞さない。
  • 才蔵(長尾健杜)…天涯孤独の身で、自己流の棒術で生計を立てた極貧生活を送る。兵衛に出会い、地獄の修行を経て、超人的な棒術を身につける。
  • 芳王子(松本若菜)…高級遊女にして女無頼。かつては道賢、いまは兵衛の想い女で、ふたりの間を取り持つ。

 

  • 唐崎の老人(柄本明)…一見ヨボヨボのジジイだが、棒術の達人。兵衛と才蔵の師匠。
  • 名和好臣(北村一輝)…足利義政に仕える有力大名。困窮している民を横目に 贅沢な暮らしを送る。
  • 骨皮道賢(堤真一)…300人もの荒くれ者を抱え、幕府から京の治安維持と取り締まりを任される警護役の首領。兵衛とは腐れ縁の悪友。

(以上HPより)

 

 

 

 

 

 

 

 

何故かいつも笑われて(?)しまう大泉洋ですが、果たして史上最もカッコいい大泉洋になっているのでしょうか。

そして集団抗争時代劇として面白い映画になっているのでしょうか?

ここから鑑賞後の感想です!!

 

感想

金がなければ民から税を課せばいい。

そんな理屈が通るかってんだ!

壮大な百姓一揆をおこした武士階級の男と弟子との絆。

違う道を歩んだ同志との一騎打ち。

色々惜しいんだけど、景気の良い大型時代劇でした。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

ホントに現代とそっくりだ

鴨川沿いでひもじい思いをしながらのたばっている人たちが横行する冒頭。

普通に暮らすことは愚か飯にもありつけないでいる人たちを横目に、疫病によって命を落とした死体を処理する人たち、それを奴隷のように扱う男たち。

 

室町時代の事を詳しくはわからないけど、とにかくこの時代は病が流行り、飢饉によって飯にありつけず、さらには作物が取れない代わりに税を収めなくてはならないという非常に苦しい時代であることが、本作を見ればよくわかると思います。

 

普通、社会を支えるべき一般市民がそんな苦しい思いをしていたら、お上様連中が策を練って何とかするものですが、室町時代のお上様たちはどうやらそんなとこどうでもいい様子。

 

庭の景観をよくしようとデカい岩を池に置いたモノの、風情がないという理由で却下する姿が映っていましたが、下々のことよりも庭の風情の方が大事だという、非常に上に立ってはいけない思考をお持ちの様子。

彼に群がる公家連中も、保身はもちろん、自分の金を出すなど1ミリも考えてない様子で、「金がないなら民から税を課せばいい」の一点張り。

 

そんな時代に生まれなくてよかったと胸をなでおろしはしましたが、現代と何ら変わりはないのではないかと思わせてくれるのが本作の肝。

 

「あんのこと」でもそうでしたが、製作する作品のほとんどで社会性を取り入れる監督ならではの、「これでいいのか日本」という思いが、本作にもしっかり現れてるではありませんか。

 

消費税撤廃など1ミリも考えてないし、物価がどんどん上がる中、賃金を上げる努力はしても実行が遅い。

上げたとしてもそんなちょっとじゃ我々食っていけないんですよ!

コロナ禍の時も色々やってはくれましたけど、結局それって未来からの前借に過ぎないんでないのかい?

もっとうまい策はなかったのかい?など、政府に対する不満はSNSでも見受けられるように日ごとに増すばかりではないでしょうか。

 

そんな室町時代と現代、同じことの繰り返しにならないように、応仁の乱以降の戦国時代が再び訪れないためには、一体我々は何をすればいいのかってのを、本作は、蓮田兵衛が弟子である才蔵を通じて我々に伝えるのです。

 

それは「考えろ」ということ。

 

あくまで本作は、あまりにも下々の事を考えない公家連中に、「税金をチャラにしろ」というための抗議及び武力行使を行うまでの物語ではあります。

もちろんそこが作品の大きな見どころの一つですが、僕としては兵衛が言う「考えろ」って言葉がものすごく大事なのかなと思うんです。

 

当初才蔵は高利貸しの用心棒的な存在として雇われていましたが、家の主に向かて攻撃をすると躊躇して横の壺を割ってしまうほどビビリな男として映っていました。

きっと食うモノに困って、たまたま声をかけられた高利貸しについていくしか考える手段がなかったのだと思います。

 

ですがその後道賢に拾われ、縄で縛られていたところを兵衛に買われ、棒術を極める修行をして一人前の男になっていきます。

 

もちろんいい人に拾われたことは大事ですが、その道中で「考えろ」という一言が、彼を大きく成長させていくのは容易です。

何のために腕を磨き、どのようにして敵を倒せばいいのか。

今一体世の中で何が起きていて、何故市民がこれだけ路頭に迷うほど貧しいのか。

 

そうした原因や社会を見つめる視点を磨き、自分はどうすればいいのかを模索することが、もしかしたら貧困から抜け出せる近道になるのかもしれないってことを、本作は伝えているのかもしれません。

 

不満なら誰だって言えます。

でもその不満を言ったところで何が変わるというのか。

やはり「考える」こと、そして「行動」することがそこから抜け出す近道でしかないということだと思うんです。

 

今や「失われた30年」とか言われてますけど、その中でも大成した人は大勢いるのも事実。

何も考えずに目の前の事ばかりやっていて、30年後大成した人はいるのでしょうか。

 

因みに俺は後者なので、変わっていませんし貧しさからは抜け出せていません。

寧ろ映画に没頭してばかりで、何かを変えようとも思ってなかったし、気づいていたけど諦めてたところはあります。

恐らく今の世の中、そうした人ばかりではないでしょうか。

 

そんな俺が思うことは、他力本願ではあるけれど、兵衛みたいな存在が今の世の中にいてくれたらなぁ…なんて思わせてくれるのがこの室町無頼だったのかなと思います。

ちょっとだけ夢を見せてくれた、みたいなw

 

でもやはり「考える」のは大事ですね。

もうあれです、もっと勉強しろ、賢く生きろって話です。それしか方法はないんでしょう。

それができないと諦めるか、自分の可能性を信じるか。

年齢なんて関係ないと思います。

 

作り方としては不満も

もう全然映画の話をしてないので、そっちに戻そうかと。

 

やはり大作と呼ばれる作品には「人の多さ」がカギを握るのかと思います。

本作はとにかく「人、人、人」の多さがその壮大さを物語っていましたね。

 

民に更なる税を課そうと、洛外から洛中に入る際に関所を設け、通行料を摂ろうと画策する公家。

馬借という運送業が盛んとなったこの時代に、そんなところで負担が増えれば仕事にもならないわけです。

文句を言えば斬られるという理不尽な扱いを受ける民を前に、兵衛がバッサバッサと切り倒していきます。

 

ここでは採石場みたいな場所に大きな関所を作ってのシーンになっており、そこに多数のエキストラを用意し、大仕掛けの爆破まで施すなど、かなり壮大なモノになっておりました。

序盤でこんなことをやってくれるってことは、クライマックスの一揆はもっとすごいことになりそう、そんな予感は的中!

 

クライマックスでは、二条にある金貸し連中の家を、道賢らにぶつかることなく辿りついて火を放つという大掛かりなシーンが登場します。

七重の塔のテッペンから見下ろした道賢は「5000、いや、一万はいるのではないか」とセリフを漏らしていましたが、実際にそれくらいいるのではないかと思うほどの人数が二条城に押し掛けるというとんでもない大掛かりなシーンになってましたね。

 

これまで不遇な思いをして不満を募らせていた百姓たち。

大きな一揆を起こすためにはしばらく耐えなくてはならない、兵衛に言われた通りに我慢していた人たちが、これまでの鬱憤を晴らすかのように火を放つ姿は痛快です。

野武士たちも刀を手に取り、家事がメインの女たちまでもが一揆に参加したことで、とんでもない勢力が洛中に押し寄せるわけですから、そりゃもう大迫力です。

 

もちろん幕府お抱えの道賢らの手下も大勢いるわけで、ここでチャンバラが勃発するのですが、百姓たちもただ策なしでツッコんわけじゃない。

槍対策も弓対策もしっかり用意して臨んでいるではありませんか。

 

そんな戦がひと段落した後の「ええじゃないか」的な歌と舞は圧巻でしたね。

 

 

しかし、どうもお話に関しては停滞する場所がいくつもあったり、兵衛らのキャラクターに疑問は生じます。

まず一番しっくりこなかったのは、兵衛にカリスマ性がそこまで感じないってところですね。

 

確かに劇中では民にたくさん話しかけ、仲睦まじい姿を見せてますが、過程はそこまで映っていません。

大泉洋自身が持つ人懐っこさがあるからこそ必要ないとも取れるんですが、知らんうちに仲良くなってて、知らんうちに百姓たちが彼を必要としている描写ばかり。

例えばもっと野武士を追い払うシーンがあったりすれば説得力あると思うし、才蔵のように「この人について行きたい」って気持ちになると思うんですけど、特にそこまでは思わないんですよね~。

 

才蔵の修行も兵衛自身が教えれば納得なんですけど、自分の師匠に預けただけで、道中で「金とはなんだ」とか「金より動くものと言えばなんだ」というだけ。

 

てか才蔵が修行している1年の間のシーンがごっそりないんで、一体どういう過程であれだけの人を集めたのかも不透明で、知らんうちにとんでもない人が集まってましたという結果だけしか映ってない。

これだけじゃ兵衛がどれだけ人を束ねる能力があるかわかったもんじゃない。

 

そもそも原作が上下巻だということ、主人公は兵衛ではなく才蔵であるという点から、色々脚色したんでしょうし、この2人の師弟関係を盛り込まないと最後まで描けないという部分も理解できるんですけど、もっと詰めることもできたろうし、その詰め多分兵衛のパートも描けたのではないかと思ってしまいましたね。

 

また最後に肩を並べて道賢たちと戦うその他のキャラクターも濃く描けておらず。

武田梨奈も般若も遠藤優弥も、もう少しキャラに肉付けをしてれば、彼らがやられる際の刹那が出るってもんで、その辺だいぶ端折ってたのは持ったないないなぁと。

 

実はここ数日映画仲間と「集団抗争時代劇」の作品を観賞するという機会も設けて色々見てきたんです。

「十三人の刺客」とか「十一人の侍」、「十七人の忍者」を始めとした作品を7,8本見て思ったのは、どれもクライマックスの斬り合いのシーンは、「命がけ」で立ち向かってる姿がものすごく良くて、さらに「命がけ」にならなくては奴らを倒せないという思いをしっかり描いてるから、最後はものすごいもんを見たって気にさせてくれる作品ばかりだったんですよね。

 

十一人の賊軍を見た時も思ったんですけど、やはり最後「命を捨てる覚悟」で臨むって姿勢が、本作でもあまり感じなかったんですよね。

特に兵衛に至っては、「これだけの大ごとをするんだから、別に命なんか惜しくねえや」みたいな感じなんですよ。

目的は果たすつもりでいるけど勝つ気はない、みたいな。

 

その辺の気迫はなかったかなぁ。

 

 

最後に

兵衛と道賢との「本当なら同じ気持ちでいたかった」的なエピソードも、バックボーン1シーンだけでも入れたらまた変わったかもしれないですね。

兵衛の死体の横に座って頬を触って涙ぐむシーンも嫌いじゃないですけど、果たして道賢はどこまで兵衛の事を思っていたのか、劇中を見る限り、あまり伝わってこないというか。

色々見逃したり頼りにしてる姿勢はありましたけどね。

 

てか、松本若菜の役ってそこまで必要でしたかね?

2人を繋げる役割なんだろうけど、いなくても繋がってましたよね。才蔵の筆おろしだけの役目になってない?

 

長尾君のアクションは見事でした。よく頑張ったと思います。

でもうるさいです。あれはノイズです。

今後発声練習もしましょう。

腹から声が出てませんし滑舌が酷いです。

成長してからの演技はそこそこ見れました。

 

というか全体的にアテレコ?してたのかな?モブキャラたちもセリフ回しが酷かった印象が…。

 

しかし音楽はどうしたんでしょうね。急にアコギベースのBGMが入って朗らかな雰囲気を出したかと思えば、いざ戦闘開始!ってなるとビブラスラップ(ハンバーグ師匠のあれね)が鳴ってトランペットがメロを奏でる西部劇でよく聞くようなBGMになったりと違和感だらけの音楽構成でしたね。

狙っての事なんでしょうけど、俺からしたら「なんでこんなことを…」とも思ってしまいました。

 

とにかく、かなり金と労力を使った大型時代劇だったことに変わりはなく、景気の良い娯楽映画を見た気分ではあります。

もう少しサクサク進行すれば途中飽きなかったし、もっと熱いモノを見せてほしかった部分は大きいです。

 

社会性は買いますし、こういう映画がもっと作られていい。何ならもっとやり過ぎた風刺でも良い。

そういう点においては評価したい作品でした。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10