おらおらでひとりいぐも
少子高齢化の足音が日に日に近づいている日本。
というか、もう少子高齢化時代に突入してますか。
僕はきっと、独身で生涯を終えるだろうと割り切って過ごしていますが、老後は一体どう過ごすことになるのだろう。
現在は、一人でいることが何よりもラクで、誰からも何を言われることもなく自由気ままに過ごし、五体満足で健康応対も良好ではあるけれど、何十年後、老人として一人で過ごすとなると、きっとそうもいかないだろうと。
体はきっと今のように動かないだろうし、何かあったとき、頼りになる人が周りにどれくらいいるのだろう。
好きな映画も、金銭的にそう何度も劇場に足を運べないだろうな…。
そして何より今以上に「孤独」という状態であることが寂しく感じることでしょう。
朝の食卓で、電車の中で、商店街の雑踏で、病院の待合室で、余白の多すぎる冷蔵庫、残り物で済ます食事の最中、消灯の度に気づかされる「今日も変わらない一日だった」という現実。
・・・あれ、今と変わんねえなw
今回鑑賞する映画は、夫を亡くし一人で過ごす老婆が、孤独や寂しさを受け入れ「私は私らしく生きていく」ことを描いた人間賛歌です。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
55歳で夫を亡くし、63歳という年齢で小説家デビューした若竹千佐子の同名小説を映画化。
シニア層から絶大な支持を受けた本作は、芥川賞、文藝賞を受賞した。
夫に先立たれ、子供も自立。
一人孤独に暮らす75歳の老婆の前に、突如3人の「寂しさ」が現れる。
一時は老化現象とも疑うが、彼らを受け入れることで、孤独の先の自由を謳歌していく、ある老婆の「進化」の物語。
この原作を、「滝を見に行く」や「モリのいる場所」など、高齢者を主人公にしたユーモアな作品を手掛け続ける監督が、大胆で挑戦的な演出で主人公の脳内を見事に表現し、自由度の高いユーモアなドラマに作り上げた。
15年ぶりの主演となる女優を迎えた本作は、豪華なキャストが自由気ままに演じていることも魅力的だ。
世界的な感染により、不安や孤独を募らせてしまうことが加速してしまった今、不安や寂しさとどう向きあって過ごせばいいのか。
答えはこの映画の中で、桃子さんが教えてくれることでしょう。
あらすじ
1964年、日本中に響き渡るファンファーレに押し出されるように故郷を飛び出し、上京した桃子さん(田中裕子)。
あれから55年。
結婚し子供を育て、夫と2人の平穏な日常になると思っていた矢先…突然夫に先立たれ、ひとり孤独な日々を送ることに。
図書館で本を借り、病院へ行き、46億年の歴史ノートを作る毎日。
しかし、ある時、桃子さんの“心の声=寂しさたち”が、音楽に乗せて内から外から湧き上がってきた!
孤独の先で新しい世界を見つけた桃子さんの、ささやかで壮大な1年の物語。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、沖田修一。
「南極料理人」以降、全ての作品を観賞しているほど、彼のファンであります。
彼の持ち味は何といっても人間描写。
あ、人間てこんなに面白いのか。
あ、人間と人間が触れ合うと、こんなにも不思議で素敵な空間になるのか。
凄くミニマムな世界だけど、スクリーンからはみ出そうなほどの「楽しさ」を、独特のテンポとユーモア性で活かしたドラマを作り続けています。
本作は75歳のおばあちゃんを主人公にした作品ですが、実は監督、シニア層を主人公にした作品もいくつか手掛けています。
山の中で迷子になったおばあちゃんたち7人が繰り広げるサバイバルを、コメディ調に仕上げた「滝を見に行く」や、30年間一歩も外に出ずに、庭の草木や虫たちを絵にしたためた伝説の画家の晩年と夫婦の姿を優しく見つめた「モリのいる場所」です。
今後も老人たちの朗らかで可笑しみ溢れるドラマを手掛けていくのでしょうか。
僕としては、「横道世之介」のような作品をもう一度作ってほしいなぁという気はしますがw
監督曰く、本作を映画化するにあたって、どう映画にするか非常に困難であること、それ以上に不思議な映画になるだろうと思ったそう。
なんてたって、桃子さんが5人登場するので、そりゃ難しくて不思議だよなぁw
また、どうやって桃子さんの心の声の寂しさを人物化させようか悩んだ結果、「白雪姫」の七人の小人をイメージし、敢えて男性にすることで面白くなるだろうと決断されたそう。
また大御所の女優、田中裕子を起用したことで、撮影は緊張しながら臨んだとのこと。
とはいえ、彼女がしっかり生活臭ある芝居をし、そこに寂しさ3人が自由気ままに演じたことで、素晴らしい時間を体験したとのこと。
一体どんな作品になっているのでしょうか。
キャスト
本作の主人公、桃子さんを演じるのは田中裕子。
彼女の代表作はおろか、出演作もろくに観たことない僕にとって、初めて彼女の出演作を見たのは、2019年に公開された「ひとよ」だけです。
存在こそ存じ上げておりましたが、僕の記憶は、まだ黒髪で長髪で高倉健主演映画によく出てる人、くらい。
気づけば白髪のおばあちゃんでした。
そんな彼女の(どんなだw)代表作をサクッとご紹介。
今村昌平の時代劇「ええじゃないか」や、新藤兼人監督の「北斎漫画」で、日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。
14歳の少年と娼婦が旅の道中で起きた事件と、この事件を30年間追い続けた刑事の姿を描いた「天城越え」で、モントリオール世界映画祭で主演女優賞を受賞します。
その後も、港町を舞台に、漁師として生きる男の壮絶な過去や愛のもつれを描いた「夜叉」や、情熱的な映画館主と仲間の姿を描いた人情ドラマ「虹をつかむ男」、売れない漫才師と娘の物語「大阪物語」、互いに胸の奥に秘めた思いを抱きながら別々に過ごした初恋の男女が、長い年月を経て思いを解き放っていくメロドラマ「いつか読書する日」などがあります。
本作は15年ぶりの主演作ということで、往年のファンも喜ぶことでしょう。
どんな演技をされるのでしょうか。
他のキャストはこんな感じ。
昭和の桃子さん(20~34歳)役に、「ロマンスドール」、「スパイの妻」の蒼井優。
桃子さんの夫・周三役に、「スパイの妻」、「コンフィデンスマンJP」の東出昌大。
桃子さんの心の声・寂しさ1役に、「アヒルと鴨のコインロッカー」、「喜劇愛妻物語」の濱田岳。
桃子さんの心の声・寂しさ2役に、「来る」、「沈黙~サイレンス~」の青木崇高。
桃子さんの心の声・寂しさ3役に、「ゲゲゲの女房」、「バクマン。」の宮藤官九郎などが出演します。
桃子さんの孤独な生活ぶりはどれほど寂しいものなのか、そして3人の「寂しさ」とは?
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
桃子さんのように生きていけば、老後ひとりでもこわくないぞ!
私らしく生きていくために大事なことって、愛ではなくて、自由だ。
以下、ネタバレします。
桃子さんの世界が微笑ましい、の巻。
夫に先立たれ一人孤独に過ごす桃子さんの簡素な日常に突如現れる「寂しさ3人衆」とのやり取りを描いた本作は、誰かのために生きるのではなく、自分らしく生きていくことの素晴らしさを教えてくれると共に、そのスタートは年老いたとしても始められることを温かく緩やかに諭してくれる作品でした。
また、監督の得意分野であるユーモアセンスとシニア層ならではの緩いやりとりが心地よい行間を生み、桃子さんが見る脳内世界を実験的な演出で、一見哀愁が漂う現実を華やかな幻想の世界へと変えることで、「今」という時が無限の可能性を秘めていることをも感じられた力作でございました。
140分に及ぶ長尺映画ではありました。
時に長さを感じることもありました。
しかし、監督が演出した見事な「間」と、華やかに見える脳内世界がとにかく楽しいと思わせてくれた映画だったように思えます。
冒頭からCGを使った「地球の誕生」を見せられるんですが、観る映画を間違えたんじゃないか?と思ってしまう違和感から始まり、急に現在の話に繋がっていくギャップにやられましたし、3人の寂しさが生み出すゆる~~~~いやりとり、徐々に彼らに心を開いて喜びを見出していく桃子さんの姿を見て、心がほぐれていく感覚を覚えました。
いきなりジャズセッションしながら服を脱ぎだすシーンもあれば、
急にふすまが開いて昭和臭漂うキャバレークラブに早変わりし、周三への恨みつらみをコブシを効かせて歌い出す桃子さん、
そんな周三との馴れ初めを恥ずかしながら語り出すかと思えば、院内全ての人が桃子さんの勿体ぶりにツッコミを入れる件など、彼女の脳内世界に触れることで楽しくなること楽しくなること!
また、時折挟まれるユーモアな掛け合いも見事。
車のセールスマンとの会話では、なかなか連絡の無い息子を引き合いに、「遠くの息子より近くのホンダです!」と、中々強引なセールストークをするかと思えば、孤独をこじらせた結果車をリースで購入した桃子さん。
強引なセールストークだったセリフがここで回収されひと笑いさせてくれます。
他にも湿布を貼るだけのシーンをなぜかスローモーションで映したり、かつてゴキブリを始末してくれた周三との回想シーンを先に見せたあと、一人でこれでもかとゴキブリを新聞紙で叩きまくる桃子さんの流れも爆笑モノ。
「寂しさ」以外にも「どうせ」なる人物が登場したり、若い時の桃子さんの素朴で純情可憐な姿、図書館のおばさんとのテンドンなやりとり、そして「寂しさ」たちとの「おらだばおめだ」音頭などなど、沖田ワールド満載の作品でした。
桃子さん、いきなり戸惑うの巻
一人になるとついつい出てしまう独り言。
とはいえ、心の中でつぶやく程度なら誰にも聞こえない。
僕はどちらかというとそのタイプ。
あまり独り言は言わない方、だと自負していますが、もしかしたら漏れてるのかもw
桃子さんは、どちらかというと僕と同じタイプ、のように見えます。
心の中で、「あ~夫に先立たれてからというもの、な~んか毎日が退屈だな~」
とか、
「そういや、さっきご飯たべたばかりかぁ…」
とか、
「病院行って帰ってくるだけで、疲れてしまうもんだなぁ…」。
こんなことを独り言ではなく、心の中でつぶやいています。
すると、なぜか自分と同じ格好をした男3人組が、家のふすまの奥から現れるではありませんか。
桃子さんが「おめたち誰だ?」
と問いかけると、3人そろって「おらだばおめだ」=私はあなたです、と。
桃子さんが日常の中で寂しい思いをすると、彼らが登場して桃子さんのお相手をしてくれるのです。
のほほんとしながらも桃子さんの心境を語ってくれる❝寂しさ1❞。
男前な顔で少々おこりんぼの❝寂しさ2❞。
一番のらりくらりな❝寂しさ3❞。
3人が桃子さんの日常を見守ることで、孤独で寂しい思いをしないように明るく振る舞ってくれるのです。
時には、軽快なリズムのジャズを演奏して桃子さんをノリノリにさせたり、
わからない言葉が出たら神様を呼んで4人で聞き入れたり、
病院の待合室で夫の周三との馴れ初めを聞いたり、
図書館までの道中、桃子さんの周りでじゃれ合ったり。
とにかく桃子さんの周りを付きまとって一人孤独に暮らす桃子さんの日常に、仄かな灯りを灯してくれるのです。
ところが桃子さん、彼らが出てきた当初は、歳のせいかとうとうボケてしまったのではないかと誤解してしまいます。
当然です。
いきなり自分と同じような格好をした男3人が、おらだばおめだ、と名乗って自分の話を聞いたり、一緒におにぎり握ったり、何かと現れるわけですから。
桃子さん、なぜに東北弁?の巻
桃子さんは、東北は岩手の出身。
1964年の東京オリンピックの開会式のファンファーレが鳴る中、故郷での町内会の会長の息子とのお見合いをするも、おらこんなとこでおわるわけにはいかね!と一念発起し単身上京した経緯があります。
長く東京にいたこともあって、普段は標準語なのに、どうにか頭の中でつぶやく言葉は東北弁。
もちろん寂しさ3人衆も東北弁。
どうして長く使っていなかった東北弁が、今になって頭の中で出てしまうのか。
桃子さんは上京した時、家族が誰も見送ってくれなかったこと、慣れない土地で東京ぶっても親しみを持てるのは東北弁を話す周三や、一緒に下宿していたトキちゃん。
体は東京に染まっても心は故郷だったんですね。
愛することこそ生きること。
方言という身近な共通点から夫婦になることを決めた桃子さん。
長男と長女を授かり、仲睦まじい生活を送ってきた桃子さんでしたが、周三がいなくなり故郷を思い出したのでしょうか、それとも一人になったことでつい本当の自分が出てしまったのか、脳内でつい方言が出てしまうんですね。
桃子さん、寂しさの原因を紐解く、の巻
桃子さんの日課。
朝起きて、目玉焼きを作り、トーストにバターを塗って情報番組を見る。
腰を痛めているので、頑張って湿布を貼る。
病院から出された大量のお薬を一気に飲み干し、「うまい!」という。
病院に行くと、相変わらずの混雑ぶり。
うとうとしながらようやく自分の番になったと思ったら、あっという間に問診終了。
今ハマっているのは、地球の歴史。
46億年という長い年月の中で、人間はどうやって誕生したのか、地球はどうやって今に至るのかを、図書館で本を借りたり、図書館で自分のノートに丁寧にまとめたり、TVでマンモス展のニュースが流れれば食い入るようにメモを取る。
お昼は手にいっぱいご飯をよそって、大きなみぞおにぎりを頂く。
気が付けば夕方になり、夕飯の支度。
インスタントの味噌汁に、簡単な漬物と、おそうざい。
そしてあっという間に、夜。
たまに車の販売の営業がやって来たり、お金せびりに娘が孫を連れてやって来たり、おまわりさんになった息子の同級生が訪ねて来たりと来客はありますが、こんな毎日。
誰にだって変わらない毎日が存在するけど、この歳での変わらない毎日は見ているとなかなかの孤独ぶり。
こんな生活をしている中で、急に寂しさ3人衆が出て来たら、そりゃあとうとうボケたか…と思うのも仕方ないよなぁ。
きっと周三がいれば、彼らは現れなかったことでしょう。
もちろん、寂しさ3人衆が出てきた時は、寂しさの原因は周三だと、愛する人がいなくなってしまったからだと思うわけです。
しかし桃子さんは、周三との馴れ初めを思い出したり、故郷から上京した時を思い出したり、周三の墓参りで昔の自分を回想することで、寂しさの原因は何だったのかを見出していくんですね。
それは自由ではなかったから。
単身上京し、同じ東北出身の周三にシンパシーを感じ、彼のために、愛のために生きることを決心したわけですが、本当は自由になりたかった、「私らしく生きる」生き方を望んでいたことに気付きます。
そもそも故郷でのお見合いを嫌がり飛び出した身。
誰かのために生きるのではなく、自分のために生きたかった。
でも、結局誰かのために生きる人生を送り、気が付けば自分ひとり。
腰を弱めながら同じ毎日を過ごし、たまの来客にほんの少しばかり喜びを感じるも、客が去れば寂しさは増すばかり。
年をとり過ぎたから、思うように体が動かないから、夫がいなくなったから。
様々な言い訳が重なり縮こまりそうになりますが、桃子さんは違います。
寂しさ3人衆や昔の自分と、過去の人生の送り方を材料に、たくさん「じぶん会議」を繰り返していくことで、誰かのためでなく、誰を待つのでなく、この「孤独」や「寂しさ」と共に「私らしく生きていく」=「おらおらでひとりいぐも」な自由を手に入れるのです。
桃子さんを見ていると、彼女よりずっと年下の自分が情けなく感じます。
そう、自分らしく生きていくことは、いつ始めても遅くはない。
「どうせ」ではなく、「やってみよう」の精神は、年齢関係なくできること。
桃子さんも、物語の終盤、ようやく「やってみよう」の気持ちが芽生えます。
最後に
桃子さんの趣味である「地球の歴史」。
冒頭では、隕石の落下から恐竜時代、氷河期、猿から人へと変化し現在へ流れてきます。
この46億年の地球の歴史が、桃子さんの人生に繋がっていくラストを見ることで、彼女がなぜ歴史を探求しているのかという点にたどり着き、老婆のささやかな自立への変化というミニマムな視点が、実は壮大な物語になっていることに気付かされます。
自分がなぜ生まれてきたのか、なぜこんな人生になってしまったのかなど、原点や悲観な部分に悩み考えるわけですが、「あなたの付けた足跡にゃキレイな花が咲くでしょう」的な「人は決して孤独ではない」という気づきを、作品は与えてくれます。
また、この作品の中での田中裕子は、とにかくチャーミング。
彼女の生み出す生活臭が見事に物語に反映されており、彼女の生み出す世界観に3人の寂しさが呼応することで、さらに朗らかな温かさが画面いっぱいに広がるのです。
彼女の若い頃を演じた蒼井優も、田中裕子の佇まいをしっかり研究したであろう芝居を見せてくれており、若い頃の桃子さんに説得力がありました。
そして3人の寂しさも、桃子さんが生んだイマジナリーフレンドのような存在ですが、同じ衣装や東北弁も手伝って、とにかく楽しそう。
それでいて微妙にキャラが違うのも見えてくるからさらに面白いです。
とにかく、これを見れば孤独な老後も怖くありませんw
孤独や寂しさと上手に付き合って暮らす桃子さんから、勇気をもらいましょう!
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10