パラサイト 半地下の家族
第92回アカデミー賞 脚本賞、監督賞、そして作品賞受賞!!!!!🏆🏆🏆
2018年のカンヌ国際映画祭は、日本の映画「万引き家族」が、最高賞であるパルムドールを受賞して話題になりましたが、2019年のカンヌのパルムドールは、お隣の韓国の映画が受賞しました。
ヨーロッパの映画祭でアジアの監督作品が2年連続受賞ってのは、すごく意義があるというか、向こうでもそういう風が来てるのか、詳しいことはよくわかりませんが、同じアジア人として嬉しいことです。
おそらく是枝監督の作品も今回鑑賞する作品も、どちらも描かれている社会性がウケたのかなぁと。
で、今回の作品、様々なメディアや著名な監督陣から絶賛されており、あらゆる媒体や批評家らが2019年のベスト10にこぞって入れてるんですよ。
今回その余波を受けてだと思うんですけど、なんと2020年1月の一般公開に先駆けて、先行上映をやるっていうことで、2019年最後の新作映画をこれで締める形になりました。
とにかく大期待の作品、早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
カンヌ国際映画祭で、タランティーノやジム・ジャームッシュなどの巨匠たちの作品が並ぶ中、審査員が満場一致で最高賞パルムドールを与えた作品「パラサイト 半地下の家族」。
その余波を受けての第92回アカデミー賞では、作品賞、脚本賞、監督賞の3冠を獲得するフィーバーぶりも話題となった。
全員失業中で「半地下」に住む家族が、身分を偽り大豪邸の家庭教師として職に就き、さらには妹までもが家庭教師になりすますことで、徐々に金持ち一家に「パラサイト」していくが、彼らがたどり着いた先には、思わぬ光景が待ち構えていた。
100%予測不可能な展開と、世界が直面している貧富の格差への痛烈な批判、さらにはユーモア、サスペンス、アクション、喜怒哀楽がすべて詰まった超一級エンタテインメントとして描き切った。
既に韓国では1000万人突破、フランスやアメリカでもすでに上映され、軒並み大ヒットを記録し、一大センセーションを巻き起こしている。
世界がその才能を絶賛している若き巨匠の最新作。
あなたも鳥肌熱狂になること間違いなし!!
あらすじ
過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク(ソン・ガンホ)。
そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク(チャン・ヘジン)。
大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ(チェ・ウシク)。
美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン(パク・ソダム)
…しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。
“半地下”の家は、暮らしにくい。
窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。
電波が悪い。Wi-Fiも弱い。
水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。
家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。
「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。
“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク(イ・ソンギュン)一家が暮らす高台の大豪邸だった——。
パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。
更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…
“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。
この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、ポン・ジュノ。
韓国映画をそこまで網羅していない僕にとって、ポン・ジュノもキム・ギドクもパク・チャヌクもナ・ホンジンも、正直顔と名前と作品が一致しませんw
まだまだ勉強不足な私…。
自分のことは置いといて、今回見事カンヌ国際映画祭パルムドールとアカデミー賞作品賞の栄冠をつかんだ監督。(いや、マジで凄すぎ)
前作「オクジャ/Okja」は、Netfrix映画ということでカンヌからはじかれるような作品になってしまいましたが、そもそもの評価が高く、力のある監督でしたから、ここまで行くのは必然でしたよね。
今作の制作は「スノーピアサー」の時から始まったそう。
演劇の演出を頼まれた際に素材を考えていたら、空間的に単純な構造の物語を思いついたそう。
スノーピアサーでは、一つの列車の中で裕福な層と貧困層を先頭と最後尾という対比で描いてましたが、今作はその延長にありながら、より現実的な設定になるのではないかと思ったそうです。
また監督自身、大学時代に家庭教師をしていたことがあり、中学生の男の子に数学を教えていたそうで、その時感じた他人の家をのぞき見するかのような生々しい感覚が、物語に大きく影響されているとのこと。
一体どんな物語になっているのでしょうか。楽しみですね。
監督に関してはこちらをどうぞ。
キャスト
貧乏気ままで楽天家の大黒柱、キム・ギテクを演じるのは、ソン・ガンホ。
もはや韓国映画の代名詞くらいの知名度ある方だと思うんですが、私そこまで彼の出演作を見てないっていうね…。
監督とは今作で4度目のタッグだそうで、今作の構想も食事をしながら話を聞いて「いいですね!」となったそう。
そりゃあ過去3回もやったくらいだから監督もやりやすいですよね。
スコセッシ×ディカプリオに早く並んでくださいw
そんな彼の代表作をサクッとご紹介。
演劇界で活躍後、96年に映画デビューした彼は、韓国に潜入した北朝鮮工作員と韓国諜報部員の悲恋を描いた「シュリ」、南北分断の共同警備区域で起きた射殺事件の真実に迫る「JSA」など大ヒット映画に出演し話題に。
その後、10人の犠牲者を出しながら迷宮入りしてしまった実在の未解決事件を題材に、事件を追う2人の刑事が次第に心理的に追い込まれていく姿を、ユーモアをはさみながら緊迫感のあるタッチで描く「殺人の記憶」でポン・ジュノと初タッグをします。
ポン・ジュノとはその後も、謎の生物に娘をさらわれた一家が、政府の理解も得られぬまま自分たちだけで怪物立ち向かう「グエムルー漢江の怪物‐」、寒冷化によって終末と化した世界を舞台に、生存者を乗せて走る列車内の中で決められた階級社会の姿と、反乱の行方を描く「スノーピアサー」でもタッグを組んでおり、今作で4回目のタッグとなります。
また韓国の代表的な監督で知られるパク・チャヌク監督ともタッグを組むことが多く、先の「JSA」や、無実の罪で投獄された女性の壮絶な復讐劇「親切なクムジャさん」、吸血鬼となってしまった神父が人妻に恋したことで、信仰と欲望の狭間で葛藤しなっがらも罪を重ねてしまう姿を、グロテスクかつ官能的に描いた「渇き」などに主演し、高い評価を得ています。
2018年には、韓国の歴史的な民主化運動での悲劇を舞台に、取材規制激しい中現地入りしたドイツ人と、彼を乗せることになった平凡なタクシー運転手の知られざる真実を描いた「タクシー運転手~約束は海を越えて~」が国内で絶賛されたのも記憶に新しいところです。
他のキャストはこんな感じ。
ギテクの妻チュンスク役に、「シークレットサンシャイン」、「ポエトリー アグネスの詩」のチャン・ヘジン。
ギテクの長男ギウ役に、「新感染ファイナルエクスプレス」、「オクジャ/Okja」のチェ・ウシク。
ギテクの長女ギジョン役に、「殺されたミンジュ」、「プリースト 悪魔を葬る者」のパク・ソダム。
IT企業の社長パク・ドンイク役に、「アバンチュールはパリで」、「最後まで行く」のイ・ソンギュン。
パク社長の妻ヨンギョ役に、「後宮の秘密」、「情愛中毒」のチョ・ヨジョン。
パク社長の娘ダヘ役に、「隻眼の虎」のチョン・ジソ。
パク一家の家政婦ムングァン役に、「哭声/コクソン」、「焼肉ドラゴン」、ポン・ジュノ監督作品常連でも知られるイ・ジョンウンなどが出演します。
貧乏家族が裕福な家族に寄生することで、一発逆転劇になるのか、それともはるか上をいく結末になるのか。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
どうしたって笑っちまうセリフに、二転三転する話の流れに、これはやられました!
とはいえ、予想の範疇は越えなかったなぁ…。
以下、核心に触れずネタバレします。
同じ階級でしか共存できない社会
半分地下のような家で暮らす無職の家族たちが、裕福な家庭にまるでゴキブリのように住み着くまでの過程と、のちに彼らに訪れる悲喜劇の様子を、映像全てに意味を持たし、逆に伏線と思いきや伏線じゃないんかい!と思わせるシーンの数々、様々なメタファーが乱立し、全く予想がつかない物語の流れに、終始笑いとスリルが同居した社会派エンタメの快作でございました。
監督がネタバレしないで!って言うもんだから、書こうか書くまいか悩みましたが、核心に触れないネタバレをモットーにやっとるので、絶対ダメ!な所は伏せて感想を述べていこうと思います。
ここ数年世界中で蔓延る格差社会。
同じ世界で生きているのに、同じ環境で暮らしているのに、どうして「お金」を持っているかいないかで我々は全く違う人生を歩まなくてはならないのか。
結局裕福な人は裕福な人たちと仲良くなり、貧乏な人は貧乏な人としか仲良くなれない。
それが無意識なのか意識してるのかは当事者にしかわからない。
でも現に僕の周りに多少の収入差はあれど、高級車を持ってる人もいなければ、一等地に家を持っているようなブルジョワジーな奴はいない。
僕らは彼らを羨ましがるけど、彼らは僕らを羨ましがることもなければ、気にも留めないだろう。
街を歩けばすれ違うこともあるし、何かのはずみで交わることがあるかもしれない。
でもそれっきりなんですよね。
要するに、お金もそうだし学力とかステータスとかによって、どうやってグループになるかってのは自ずと決まっていて、枠に収まらないような奴が入ったとしてもグループの中に溶け込めるようなことはできない、いや恐らく自ら俺無理・・・ってなって、グループから自発的に出ていくかもしれない。
学校でも職場でも、結局上の奴らとつるまないし、下のやつともつるまないし、横で固まることしかできないというか。
いわゆる「類は友を呼ぶ」スタイルですよね。
となると、上の人たちと仲良くするにはどうすればいいだろう、そもそもなぜ上の人たちにこっちが気を使わなければいけないのだろう。
上の人は下の人になぜ優しく手を差し伸べてくれないのだろう。
たどり着くと、こういう疑問にまで行ってもおかしくないのかなと。
資本主義によって形成されたこの階級は、今や如実に分かれ目がはっきりしており、また真ん中にいた人たちも、生きていくことが苦しい世の中になりつつあります。
さらにすでに苦しいポジションになってる真ん中の人たちは、さも自分がソコソコいい階級だと勘違いし、下の階級を見下すなんて構図も、現状あるわけで。
そんな広がる格差を、思いっきり風刺したのが今回の映画だと思います。
笑いとスリル。
・・・いきなりデカい規模の話から入ってしまいましたが、今作は上の人=裕福な家庭と、下の人=貧乏な家族に視点を絞り、現実で決して交わることができない階級を交わらせることで生まれる、ユーモアと悲哀をスリリングに見せたお話でした。
キム一家はパク一家の目を盗み、自分たちも同じ階級になろうと画策する、それが「寄生」なんですけど、パク一家はキム一家が寄生をしているとは全く気づかない。
長男のギウは家庭教師としてパクの長女ダヘに惚れられ、
長女ギジョンはダソンの美術の先生になりすまし、ネットで丸覚えした絵画療法を利用してパクの妻ヨンギョを上手く騙し、息子のダソンに勉強を教え、
父ギテウはパク社長の運転手として安全運転で忠誠を誓い、
母チュンスクもまた新たな家政婦としてうまく入り込む。
キム一家の「寄生」は、ときどきそれやったらバレるんじゃね?
ってなるような展開でも、スレスレで回避できちゃうシーンが何度もありまして。
例えばダソンにギテウとチュンスクが同じ匂いがするって指摘されたり、ギテウが運転するときに、つい、いつものぶっきらぼうな口調が出てしまったり。
劇中そんなシーンが何度も出てきて見てるこっちはドキドキしてしまう。
そんなスリリングな展開が幾度も幾度も訪れるんですね。
また序盤ではユーモア色が強いのも見ごたえがあります。
トイレよりも低い位置の家のため、窓を開けっぱなしにしていれば消毒財が入って来たリ便所コオロギが入って来たり、
家の前で酔っ払いが嘔吐しようとしたり立小便しようとしたり、
またはWi-Fiの電波が入らず、散々探した結果トイレの天井が一番電波が入るなど、笑いながらも悲哀の混じった描写が凝縮されていました。
そしてどうやってキム一家がパク一家に寄生していくかの計画も面白いところ。
ギウが家庭訪問終わりに思いついたとっさの一言で、ギジョンを家庭教師として招くことに成功。
ギジョンもとっさに思いついたアイディアで、お抱え運転手をクビにさせるきっかけを作り、穴を父ギテウが埋める。
残るはお母さんのチュンスク。
パク一家が住む前の建築家のお世話もしていた家政婦の弱点を探し出し、見事に除去に成功。
穴をチュンスクが埋めるという算段。
面白いように事が運ばれる作戦の妙にうなづき、無事寄生に成功したキム一家が、パク一家の留守中にまるで自分のウチのように羽を伸ばしてくつろいでる姿は滑稽です。
ここで彼らは裕福な家庭になれたわけでもないのに、なれた風なことばかり語り出す。
金を持っていたら我々もパク一家のように優しい人になれるのか、
これまで他人の心配などしたこともないような人たちが、解雇に追いやった運転手や家政婦の心配をしだしたりなど。
それが後半とんでもない事態になっていくのがまた面白いんですが、敢えて伏せさせていただきます。
様々な対比とメタファー。
こういうスリラーモノとかサスペンスものって、必ずと言っていいほど伏線が多数張り巡らされていると思うんですけど、この映画、そこまでというほどの伏線が見当たらないんですよね。
結構スカされるというか。
例えばギジョンが社長の車で駅まで送ってもらった際に思いついたトラップ。
ギジョンがパンティーを後部座席にわざと置いて帰る➡社長が見つける➡運転手が自分の車に女を連れ込んでカーセックスしたと思わせる➡社長、見事にトラップにハマり運転手をクビにする。
って件なんですけど、ここで社長は普通車内でエッチするとき後部座席でするか?
何か怪しい、女に疑いの目を向けるべきだ、みたいなことを言うんですね。
で、奥さんにそれとなくギジョンに聞いてみろって指令を出すんですけど、奥さんが絵に描いたように疑うことをしないほんわかした人だから、結果社長が向けた疑いはそこで終わっちゃうんですよ。
普通なら疑いの目を最後キム一家に向けるってのがセオリーに思えるんですけど、そういう展開にはならない。
また、パク一家を囲む周囲の人間が急に入れ替わることに、何の不信感や違和感を持たない。
ダソンがギテウとチュンスクの匂いが一緒って言ってた時も一緒。
こういう伏線になりそうな部分を、伏線にしてないのが不思議でしょうがなかったんですよね。
でも、このパク一家における伏線がどういう意図があるのかを考えてみたんですけど、要は金持ちは雇っている側を仕事の面でしか評価してなくて、仕事で失敗したりミスしたり不手際起こしたら速攻解雇するけど、彼らは自分たちよりも裕福でないことを知っているから仕事以外の面には関心がないんですよね。
こっちは雇う側で向こうは雇われる側、やれと言われたことをやればいい、というか。
それがダソンにも現れているのが、この映画の面白い所(核心に触れるので伏せます…)
結果的にその構図は、如何に裕福な人たちが、自分たちより下の階級に興味や関心がないか、手を差し伸べるようなことをしないかってのが、後半、特にクライマックスの辺りで露骨に出ているので、そこを注視してもらえると、今作の意図が理解できるかなぁと、僕は思いました。
また、今回半地下で暮らす家族が主人公のお話ですけど、「半地下」っワード、僕これまでの人生で使ったことも聞いたこともなくて。
だからこの映画の絶対ネタバレしてはいけないって部分が一体何なのか、ぶっちゃけ予想出来ちゃったんですけど、要は半地下って半分地下で、まるまる地下に住んでる人間ではないんですよね。
仕事はないけど住居はあるみたいな人たち。
でも大学に行けない、予備校に行けない、仕事がない、お金がない人たち。
そんな人たちが裕福を目指していく時に、彼らは何に気付くか。
上もあれば…ってことです。
これを明かすシーンがまぁスリル満点でしたし、そんな展開になるって誰が予想できるか!って。
またパク邸に向かう描写は、長い上り坂を歩いて向かうけど、キム邸に帰る時はとにかく長い階段を下る。
大雨でキャンプを中断してきたパク一家から身を隠す場所がリビングのテーブルの下で、パク夫妻は外にいるダソンをソファーの上で見守りながらそのまま眠る。
結構徹底してこの上下の対比を意識して描いてるんですよね。
パク邸には広い芝生が見渡せたり、良い時間帯に日差しが入る大きな窓ガラスがあるんですが、キム邸は地上の道路で酔っ払いが立小便する姿を見たり消毒剤撒かれたりするといった窓ガラスで、これもキム一家がのっとった時に見る外の景色ってのが意識的に描かれてたりします。
最後に
他にももっと言いたいことあるんですけど、物語自体が予想できない展開ってことになってるんで、やたらとガンガン書けない内容になってしまってます…
監督作品は徹底して完全悪な人を描いてないのが特徴的とよく言われてますけど、今作も決してパク一家が悪でなくて、彼らに寄生したキム一家も法的にはアウトかもしれないけど、悪とみなしたり、ゴキブリとか寄生虫とかって人たちには出来ない理由があって。
やっぱり貧困層を富裕層が救うことで共存できる社会であってほしい、っていう希望を含んだ映画で、それを表向きに風刺としてエンタメにした映画でしたよね。
「ジョーカー」でチャップリンの映画を富裕層が見てゲラゲラ笑うシーンがあったじゃないですか。
この映画を富裕層が見たら一体どんな気持ちになるんだろうとふと思ったのと、「愚行録」で起きた殺人事件の背景にあった被害者家族の闇が描かれてるじゃないですか。
あの闇もある意味半地下が地上に行こうとする様、ヒエラルキーを越えるために数々の愚行を犯す姿だったと思うんですけど、なんかそこにも共通点があったなぁ、とふと思いました。
正直予想できてしまった、って時点で僕の中では高い満足度ではないんですが、もう一度見ても面白い映画だったと思います。
敢えて不満を言えば、最後がちょっとダラダラし過ぎてるなぁ、さくっと終わらせてくれないなぁって所でしょうか・・・。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10