燃ゆる女の肖像
この映画の存在を知ったのは、出演しているアデル・エネルって女優さんが、フランスのアカデミー賞といわれる「セザール賞」の監督賞の時に、かつて幼女にレイプしたロマン・ポランスキーが受賞したことに、暴言を吐いて退場したってニュースを見たのがきっかけ。
そもそもアデル・エネルは「午後8時の訪問者」や「BPM」を鑑賞した時に存在を知った経緯があって、それで目に留まったんですね。
しかも彼女がいわゆるレズビアンだなんて知らなくて。
ついでに本作の監督とかつて恋仲だったなんて逸話もあって。
そんな経緯もあって本作に興味はあったんですが、何せフランス映画なんて不得意中の不得意で、しかもレズビアンを描いた映画って認識なもんだからあまり食指が動かず。
デモ試写を鑑賞した方々のレビューが軒並み絶賛ということで、匂いを嗅ぎつけて観賞に至りました。
ザックリあらすじを申しますと。
18世紀のフランスが舞台。
父の名を借りて画家として精を出す女性マリアンヌが、結婚を拒んだ姉の自殺に伴い、家柄を守るために修道院から結婚させるために出てきた女性エロイーズの肖像画を描くために孤島にやってきたことから物語は始まります。
以前にやってきた男性画家は、彼女が顔を隠してばかりのせいで肖像画が描けず、あえなく断念した過去があることから、今回は散歩する相手と称してこっそり近づき、彼女の肖像画を描いてほしいと母親から頼まれます。
最初こそうまく彼女の表情を捉えようと顔を目に焼き付けて創作するんですね。
完成したと思われた矢先に。正体を隠していた罪悪感から彼女に打ち明け、完成した肖像画の感想を委ねるんですが、見事に「似てない!」と酷評されます。
あ~あ、正体バラしたあげくに失敗のレッテルはられちゃ仕事の報酬もパァか…なんて思ってたら、彼女の方から「モデルになります」と断言。
母親が留守の間に肖像画を完成するために彼女との短い生活を過ごしていく中で、徐々に恋愛感情が芽生えていくわけです。
しかし肖像画を完成させるということはエロイーズとの別れを意味するわけで、尚且つタイムリミットはエロイーズの母親が帰ってくるまでの数日。
この短くも濃厚な日々の中で、二人の間に芽生えた感情を美しい風景や様々な文化で表現していく恋愛映画でございました。
文中でも書いた通り、僕はフランス映画で尚且つ女性同士の愛を描いた作品は不得意中の不得意であり、どう表現したらいいのかわからないのであります。
逆に言えば男同士の恋愛には割かしガツガツイケる方なんですよ。
それはなぜかと言えば男だからです。
男目線で見ることができるからです。(でも俺自体ノーマルです。ん?この期に及んで何を持ってノーマルだなんて括れるんだ?LGBTQもノーマルだよな)
だから女でない僕が女心なんてわかるはずもないし、しかも相手が女なんですから、なおさら心を読むとか表情から心情を探ることなんて到底無理なわけです。
とはいえ、本作から読み解けたのはもはや「性」で分けるような話ではなく、人間が人間を好きになってく過程で互いの葛藤と、それでも互いを許し愛し、限られた時間の中で育んでいくことを肯定していった映画なのかなと。
まず本編にガッツリ触れる前に、監督の手腕について語らせてもらいますと、とにかく音楽と風景がパない。
音楽といっても本編では2曲(多分)しか使われてないんですね。
夜中に外で女性たちが集まって、コーラスとクラップのみで歌うどこかの民謡みたいな歌と、2度ほど使われるビバルディの四季。(春じゃないのはわかるがどの季節だろう)
民謡を歌うシーンでは、たき火を手前に佇むエロイーズの姿がどこか幻想的でありながら後に描かれることになる絵画のモチーフにもなっていて、見つめるマリアンヌの脳裏に焼き付くようなインパクトを突き付けていて、非常に効果的な映像でした。
またビバルディも二人でピアノ(ハープシコードか?)を奏でる際に使われたりラストシーンで劇的に使われるので、これもめちゃくちゃ印象に残る楽曲でした。
この2曲以外は、完全に無音なんですけど、この無音状態のおかげで、主人公2人のセリフやもれなくついてくる息遣いの機微が、作品に色味をつけてくるんですね。
だから2曲で抑えたことの意味ってこの2人の対話だったり息遣いのための選択だったのかなと思うと、めちゃくちゃ正解だったなぁと。
また彼女たちの呼吸以外でも、外で拭きつける風の音や、寄せては返す波の音、風に揺られてハーモニーを奏でる野草の合唱、果ては暖炉で火花を散らすバチバチした音が、アロマのように心に沁みわたる演出になっていて、自然手すげえなと改めて感じた瞬間でもありました。
このように音が効果をもたらす映画だったと共に、風景も完ぺきなんですよね。
簡潔に言うならば、どこを切り取っても風景画になるんじゃないかってくらい孤島で戯れる2人が映えるし、美しい。
特に白眉だったのは、マリアンヌとエロイーズの間に生まれた諍いに対し、波打ち際で佇むエロイーズの背後から許してほしいと懇願するマリアンヌが口づけをかわした時の後ろで大きく波を立たせる背景とのマッチング度ね。
よく恋愛要素が絡んだアクション映画で、爆発をバックにキスシーン作っちゃう映画あるじゃないですか。
それを彷彿とさせる愛情の表現で、これが明らかに演出という概念を越えたごく自然的な映像になっていて、ちょっとここは鳥肌立ちました。
他にも入り江の影に隠れて二人が初めて本心を晒し接吻をかわすシーンもグッときましたし、崖の上で海を見つめ並ぶ2人が互いに顔を覗かせては目を剃らす序盤のシーンも、本作を象徴としていた感じがして、脳裏に残るシーンとして記憶に刻まれた瞬間でした。
さて本編に関してですが、当時の女性は現代よりも「モノ」だったり「影」扱いされていた歴史がありまして。
例えばマリアンヌは女性画家として自分の名前で作品を発表できない立場であり、エロイーズは家柄を守るために嫁ぐために呼び戻されるなど、人間ではあるものの男性優位社会が今より当たり前な世界の中で、アイデンティティを確立できない苦しさがあり、それでもつつましく生きていくしかない、選択肢のない不自由な身分だだったわけです。
しかも本作はいわゆるレズビアンを描いた恋愛映画なわけで、当時ではそんなこと公にしたら一族の恥扱いされたでしょうから、非常に肩身の狭い立場だったわけです。
それでもつかの間の自由な世界の中で愛を育む所作や行いの中で、本心をさらけ出す二人が女性としてでなく、人間として美しく感じるような映像が巧みに描かれており、見る者の感情を焚き付ける映像になってたんです。
またマリアンヌとエロイーズ以外にもメイドとして暮らすソフィという人物が存在感を示す作品にもなっていて、彼女は子を身ごもってしまうんですけど、恐らく子を授かったら仕事にならないからという理由で流産しようと寝るわけです。
砂浜を走ったり、ぶら下がったり、薬草に頼ったり。
え?当時こんなことして子をおろそうとしてたの?と思ったのと同時に、ある意味では滑稽な行動だなぁとも思ってしまったんですが、結局他者の手を借りて堕胎させるんです。
この時に、おばあちゃんの家で無邪気にソフィに絡む小さい子供を並べて映すんですよ。
何ともいえない気持ちになりましてね・・・。
子供を見つめるソフィの目にはうっすら涙が浮かんではいたものの、決して嫌いだから子を堕ろすわけではない世知辛い事情が絡んだ映像になっていて、あぁ女性ってこんなにも自分の意志だけでは自由にできない生き物なんだなと痛感させられたシーンもあったというか。
またこの3人が文学に触れるシーンも印象的で、オルフェウス神話について3者3様の意見を述べる、いわば女子会のような雰囲気になってたんですね。
神話については詳しく知らないんですが、劇中では蛇に噛まれて死んでしまった妻を黄泉の国まで行き連れて帰ってくるんですけど、生きて帰すには条件があって、決して後ろにいる彼女を振り返って見てはいけないと。
でも、オルフェは振り返ってしまって、結局彼女は消えてしまうという件をエロイーズが読んでるんです。
これに対してソフィは、オルフェ酷い!自分のことしか考えてない!って意見に対し、マリアンヌは、オルフェは男性として愛する者としてでなく詩人として振り返ってしまったのではないか、またエロイーズは振り返得られたとしても彼女は愛していたから本望だったんじゃないかと、全く違う解釈をするんです。
なんというか、それぞれがこのオルフェウス神話を通じて、立ち位置から浮き出る気持ちってのを表現していて、その後の物語に影響してくるようなシーンでした。
実際マリアンヌが白いドレス姿のエロイーズの幻覚を見てしまうシーンは、このオルフェ神話のオルフェを彷彿とさせるシーンでしたし。
また観察して絵を描くマリアンヌが「見る側」を象徴していたのに対し、描かれる側のエロイーズは「見られている側も観る側を見ているのよ」とまるで哲学のようなセリフを放つんですね。
なんというか、女性として見られる側が当たり前の立場から言わせてもらうと、こっちもお前ら男どもを見てるんだからな!と言われてるようで、またマリアンヌも肖像画っていう当時で言えば名刺代わりにもなり得る画を書く側=被写体をモノ扱いする側として葛藤があるようなシーンもあって、如何に女性が抑圧されていたのかが透けて見えるやり取りだったなぁと。
で、ラストシーンなんですけど。
結婚を決意して別れたマリアンヌがエロイーズと2度再会するんです。
自画像を書いた本のページに指を挟んでいるエロイーズと子供の肖像画を通しての再会。
そして演奏会での2階席で対角線に座って曲を聞き入り様々な表情を浮かべるエロイーズ。
しかしマリアンヌの視線に気づかぬまま曲を聞き入る姿で幕を閉じるというモノ。
このラストシーンは、どういう解釈をすればいいのかわからず、ただただ曲に聞きほれるエロイーズの姿を拝むだけにとどまってしまったのですが、よくよく考えてみると彼女はマリアンヌの視線に気づいていて、彼女との復縁を望むのでなく、出会った当初の描く側と描かれる側で留めるにすぎないという諦めなのか、それとも臨んだ形なのかまでは結論できないんですけど、とにかく曲の圧に圧倒されたのと、ただただマリアンヌが見つめたエロイーズの美しさにやられた程度で見終えてしまったという感想です。
中身を上手く解釈できない自分の表現の乏しさに無理してあれこれ御託を並べた感想に留まってしまったわけですが、映画的な演出という点においては、僕の心の琴線にもろに触れたということにおいては、観る価値のあった作品でした。
結局僕は自分のセンスでしか作品を見ることができないので、言語化することが毎回苦しいわけで、それでもよくここまで続けてきたなぁと俯瞰で感じる日々なんですが、それにしても視覚と聴覚でここまで圧倒されたフランス映画もなかなかないなぁと。
というかもっとヨーロッパ映画見ろって話なんですけどw
あの心と心が通い合った日々はマリアンヌの中で燃え盛ったという意味で言えば、燃ゆる女の肖像ってタイトルに合点がいくというか、確かに愛は存在した孤島での日々ってことでたまらない作品だったなと。
とにかく見て損はない映画でございました。
駄文失礼!酒入れて書いてるから自分でもいつも以上にまとまってませんw
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10