クィア QUEER
「ブロークバック・マウンテン」や「アデル ブルーは熱い色」、「BPM ビート・パー・ミニット」、「ムーンライト」に「キャロル」、そして「パワー・オブ・ザ・ドッグ」。
これらに共通するのは「クィア」にまつわる物語。
社会的に語ると話が長くなるので割愛しますが、この20年の映画史において「LGBTQ」は欠かせないテーマになっているのは事実。
今回鑑賞する映画は、そんな「クィア」映画を描き続ける監督の新たな物語。
孤独な男が求めた愛を渇望する物語とのことで、「君の名前で僕を呼んで」や「チャレンジャーズ」など、どれも見る際に性別を意識しなくなるほどまっさらな愛を描くルカ・グゥアダニーノ監督らしい作品になっていることを期待します。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
「裸のランチ」で世界的影響を与えたビートニク文学を代表する作家ウィリアム・シュワード・バロウズが、1950年代に執筆しながらも、85年まで出版しなかった未完の小説を、男性二人が一人の女性を取り合う姿をアート性を含め外連味たっぷりに描いた「チャレンジャーズ」の監督脚本コンビで実写化。
1950年代の南米を舞台に、薬物依存に苦しむアメリカ人駐在員の作家と、彼が執着する謎めいた青年との関係を軸に、現実と幻覚の狭間で揺れながら愛を探し求める姿を、一流の衣装デザイナーと音楽家の手によって、深く根ざした愛の物語へと完成させた。
監督のルカ・グゥアダニーノは、10代のころ「多様な、異なる」という意味を持つ原作に強烈に惹かれ夢中になったという経緯から、この未完の物語をどうにか完成させたいという思いで製作。
バロウズが遺したトーンを意識しながら、脚本家のジャスティン・クリツケスと共に原作を映画に翻訳していった。
孤独な主人公を演じるのは、ダニエル・クレイグ。
満を持して「007」でのジェームズ・ボンドを務め終えた彼が、少しずつパブリックイメージを壊そうと挑んだ本作で、意中の男性に無様なまでに愛を渇望する姿を表現し、各国で高い評価を得た。
そんなクレイグの相手を演じたのは、新星ドリュー・スターキー。
300人の中からオーディションで選ばれた彼は、気まぐれに応じる若者の心の揺れを当時の男性像を意識しながら熱演した。
他にも「アステロイド・シティ」のジェイソン・シュワルツマン、「ファントム・スレッド」のレスリー・マンヴィルなどが出演する。
また、音楽をトレント・レズナー&アッティカス・ロスが、衣装デザインをJW Andersonのジョナサン・アンダーソンが担当するなど、「チャレンジャーズ」で生まれた絆が本作でも活かされている。
一途な恋のために地の果てまで行く男の物語。
愛したいのか、それとも愛されたいのか。
男の切なる願いがもたらす錯綜を、ロマンティックに映し出す。
あらすじ
1950年代、メキシコシティ。
退屈な日々を酒や薬でごまかしていたアメリカ人駐在員のウィリアム・リー(ダニエル・クレイグ)は、若く美しくミステリアスな青年ユージーン・アラートン(ドリュー・スターキー)と出会う。
一目で恋に落ちるリー。
乾ききった心がユージーンを渇望し、ユージーンもそれに気まぐれに応えるが、求めれば求めるほど募るのは孤独ばかり。
リーは一緒に人生を変える奇跡の体験をしようと、ユージーンを幻想的な南米への旅へと誘い出すが──。(HPより抜粋)
感想
#映画クィア 試写にて。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) May 2, 2025
かまってちゃんムーブなダニエルクレイグが時に可愛らしくもあり時にうざったくもあり。誰か求めるのって他者から見たらそんな感覚だよな。
監督が「最も個人的な映画」と語るだけあって現実と幻覚の境目が曖昧になる後半はグァダニーノ節炸裂。
総じて生々しさ爆発の作品。 pic.twitter.com/Ghb7gUzYg1
「君の名前で僕を呼んで」よりも生々しい壮年男子と美青年の濡れ場。
なぜそこまでして手に入れたいのかが紐解けるであろう後半の幻覚シーンは非常に難解。
よって感じたままに見るのが吉。
以下、ネタバレします。
良い歳して何に溺れてるんだか。
恐らく終戦後のメキシコシティ。
バロウズを反映させたと言われるリーというキャラクターは、とにかく四六時中酒を飲んでは男を漁っている。
部屋の様子から執筆活動をしているんだろうけど、仕事をする姿は一切見られず、4時55分のタイマーと共に家を出て馴染みのバーに赴き、テキーラを駆けつけ3杯流し込むという酒豪ぶりを見せるリー。
数少ない友人に「あの子、クィアかな?」と同性愛者かどうか確かめるリーを見るに、50過ぎのおっさんが、何女子中学生みたいなノリで相談事をしてるんだかと一瞬興醒めした気持ちになったけど、いざユージーンという美しい肉体と端正な顔立ちを持つ男性を前にすると、茶目っ気たっぷりにお辞儀をしたり、今すぐにも触れたい気持ちを抑えながら理性と距離を保つ振る舞いに、もはや乙女心は性別も年齢も関係なのだなと思わされた。
劇中何か説明めいたことを語るでもなく、なんてことのない会話をしながら「このあとどう?」的な雰囲気や徐々にスキンシップを積極的に試みてみるなど、ゲイコミュニティならでは(?)の持っていき方を描写する。
いくらボーイハントを実行してもリーの心は一向に埋まることがない。
寧ろ男を抱いても隙間なんて埋まるのだろうかさえ思えて仕方ない。
というのも、リーは酒にも溺れるしドラッグにも溺れており、ユージーンと出会うまでは本当にこの地で死ぬことを意識しながら余生を過ごしてるだけにも思える。
アメリカでそんな生活をしていたら異常者且つ犯罪者になるということで、この同性愛者が集う街にやってきたようで、ようやうその「希望」となる男に出会った時のリーの表情は忘れなれない。
50年代にも拘らず堂々とニルヴァーナの「Come As You Are」が流れ、ディストーションの効いたギターストロークが、まるで青天の霹靂を彷彿とさせる演出になっており、個人的にはナイス選曲だなと感じた。
前半は、そんなユージーンとの恋の駆け引き、体の駆け引きを中心に描いていく。
常に行きつけのバーで女生徒チェスをたしなむユージーンは、たまたまラムコークをオーダーしにカウンターに座るリーの横にやってくる。
そのまま意気投合して酒を飲み交わすが、その日は家まで送り届けて終了。
それからというもの、友人に相談したり、しょうもないジョークで場を盛り上げるなどして、彼に「その気」があるのかを探りながら距離を縮めていく。
家にナポレオンがあるからと口実を作り誘った夜、ユージーンはあまりの苦さに悶絶、ベッドに横たわってリーが体に触れようとした瞬間、来る前に食べたであろう肉料理を嘔吐。
リーは心配をするもそのまま服を脱がし、晴れて体を重ねることに成功する。
「君の名前で僕を呼んで」でもティモシー・シャラメとアーミーハマーによる生々しくも美しい性描写を余すことなく描いたグァダニーノでしたが、本作もそれに負けじと見せる見せる。
ボンド役で培った分が未だ残っている鍛えた体に中年ならではの脂肪がついた、叔父さん好きには堪らないであろう成熟されたリーの肉体、そして若さあふれるユージーンの引き締まった肉体が、窓からこぼれる月夜にさらされて青白く光り出す。
戦時中に痛めたユージーンの肋骨に優しく触れながら、蓄えた胸毛を風に揺れる草原の草の如く撫でていくリー。
やがて興奮を抑えられなくなったリーは、徐々に下半身へと顔をうずめ、青い下着から浮き出た巨大な肉棒を頬張りながら、我慢できずに下着を降ろし口で頬張っていく。
肌を重ねるごとに呼吸が荒くなっていく2人の生命のスタッカートと、トレント・レズナー&アッティカス・ロスらしからぬオーボエメインの楽曲によって、人間と人間による営みが神々しく見えてくる。
ようやく意思疎通できたはずのリーだったが、初夜を迎えて以降ユージーンの態度がどこか冷たくなっていく。
リーがいくら冗談を言っても、明日の約束をこぎつけても、あの時の高揚感を得られることはなかった。
酒におぼれたリーは、「君と話がしたい、言葉でなく」と言い寄る。
この言葉に倣うかのように、後半二人はメキシコを離れ、テレパシーができるというドラッグ「ヤヘ」を求めて南米のジャングルに向かうことになる。
こうして前半は、リーとユージーンの出会いと中々思いが交差しないすれ違いの感情を描写した内容になっている。
メキシコシティの街並は、多分そうなんだろうなという雰囲気の建物が並び、常に酒を飲んでは汗だくになるような気候が感じられる空気感を持っていたが、どうも背景は合成のように見える。
そう考えると全てセットなのではと思うほど、小奇麗な風景ではあった。
とはいっても普通に町の人は行き交うし、奥行きも意識された構図になっているので、実際のものとセットと合成とがごちゃまぜになった作りになっていたんだろうか。
この作りモノ感含めて、かなり個性的な作品でもあった。
後半からよくわからなくなる。
本作は4章からなる構成になっており、後半の2章はメキシコシティを離れ、ヤヘを求めて旅する2人の冒険の模様を中心に、2人の関係性が映し出されていく。
他国に興味のあるユージーンの気を引き旅行に同行させることに成功したリーは、列車やバス、飛行機とあらゆる移動手段を用いて各国を回っていく。
ヘロインやコカインし放題の国とあってか、ついつい調子にのったリーは、赤痢の激しい寒気によって体調不良に陥ってしまう。
そんなリーを優しく開放するユージーンの温かさに触れながら旅をするリーは、ようやくヤヘの在り処を見つけ出す。
植物園の館長から聞きだし訪れたジャングルの奥地、そこで研究を進める博士の家に世話になることになった二人は、興味本位で手を出すには刺激の強すぎるヤヘをついに口にする。
館長曰く「テレパシーなんてもんじゃない、まるで鏡を見てるかのような幻覚に陥る。仮にそれが求めてなかったモノでも受けれいるしかない」と語るほど幻覚作用の強いドラッグ。
相手の行動も言動も心の奥さえも全く読めずにやきもきしてばかりのリーにとって、ユージーンを知る一番の近道はそれ以外考えられなかったのかもしれない。
口にした当初は騙されたんじゃないかと思うほど効果が出ず、笑うしかなかった二人だったが、突然口の中からカエルのように膨らんだ喉仏が口外に飛び出てしまう。
さらに心臓が破棄されたことで、二人は感じたことのない領域へと足を踏み入れていく。
前半ではリーが幽体離脱をしてユージーンの体に触れる描写があり、気持ちが一方通行であることが示唆されたものだったが、ヤヘを口にして幻覚モードの入った二人は、ついに言語を超越したコミュニケーションを図っていく。
土が汗で張り付いた体をくつけあいながら、互いが互いの肉体を貫通し、まるで一つの体にでもなったかのような状態が映し出される。
ここから「一体俺は何を見せられているんだ」モードに入ったので、この後何がどう描写されても正直理解できないシーンが続く。
説明するとなれば、結局正気を取り戻した二人は、ヤヘ体験を途中で断念し、ユージーンと口数を増やすまでもなく足早に博士の家を後にする。
前を歩くユージーンを見失ったリーは彼を追いかけるが、忽然と姿を消してしまう。
やがて空を見上げると、夜空を舞うリーが真っ逆さまに墜ちてきて、物語は2年後にワープ。
最終章となったエピソードでは、ヤヘ体験をして以降二人は遭ってない様子で、再会した旧友からユージーンは南米に向かったとのこと。
半年前にリーに会いたいと願っていたようだが、それもかなわぬものとなった。
その言葉を聞いてうっすら微笑むリーは、一人部屋に戻ると幻影であるユージーンと対面。
頭の上にコップを乗せたユージーンめがけて銃を向け、発砲するも彼の額に命中し幻影のユージーンは息絶えてしまう。
そして一気に老けたリーは、ベッドで横たわり、何者かに足を絡めながら息を引き取っていく姿で幕を閉じる。
結局リーはあの強烈なドラッグでユージーンとテレパシーに成功したんだと思う。
それまで彼の一挙手一投足に翻弄されていたリーだったが、2年の歳月で一度も出会わなくとも余裕ある生活を送れたのは、やはりいつでもユージーンを近くで感じていたからなのかもしれない。
また、「僕はクィアじゃない」と時折語っていたリーは、代々クィアの家系であったことを劇中で語っており、自分も同じだった当初は戸惑いが大きかったそう。
だからこそ「僕はクィアじゃない」という言葉は、当時の自分の思いから出た言葉であり、同じように語るユージーンを経て、かつての自分を受け入れる作業を劇中でしていたのかもしれない。
よって、彼がずっと追いかけていた幻影は、ユージーンであり、かつての自分かもしれない。
それを受け入れたリーは、ようやく自分自身を肯定し、余生をおくることができた、のかもしれない。
最後に
もう、こうでもしねえと感想にピリオドが打てないので半ば強引に解釈をつけてみました。
「もっとも個人的な映画」とあって、本当に置いてけぼりにされた映画でした。
特に後半の幻覚描写は、ひとつひとつのシーンにかなりの尺を使っており、注射を打つシーンも1から10まで見せるほど個人的には不要なシーンが連発して、さすがに眠気が着ました。
なぜそんなにも行間とも思えないような間延びしたショットばかりを見せるんだろうと首をかしげていましたが、それもこれも「個人的な映画」で片付く話だったのかもしれません。
しかしダニエル・クレイグはよくこんな役を受けたなと感心しっぱなしでした。
濡れ場でもがっつりはだかで肌を重ねるし、ディープキスも積極的に行う姿勢。
それ以前に、ひたすら酒に溺れてる設定もあって、常に頬を赤らめながら時に声を荒げたりするけど、理性を保とうと真摯に振る舞う姿を見せるなど、とにかく感情が忙しそうな役を見事にこなしてましたね。
一番すごいとおもったのは、ユージーンを口でイカせた時の「がんばったね~!」みたいな褒め方。
両頬をやさしく撫でながら、口に含んだアレが残った状態で接吻していいかアイコンタクトを取ってキスをするまでを満面の笑みでやるんだから大したもんですよ。
正直見たかったような見たくなかったような複雑な気持ちではありましたが、いやぁよくやったよと僕も褒めたいです。
また、ニルヴァーナを始め、プリンス、シニード・オコナー、ニュー・オーダーなど、80~90年代ロックが流れる違和感は好みでした。
風景含めてそういう異物感のある作品とも思えたなぁと。
このように意外と見てられた作品でしたが、やはり作品に対する自分の理解度は弱く、感情移入する点も少なければ、前作「チャレンジャーズ」を超える面白さは見当たりませんでした。
グァダニーノはDC映画の作品を監督する話もあるので、そっちに期待したいと思います!
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10