罪人たち
「アメリカで話題沸騰の映画が緊急公開決定」という見出しを受け驚いたモンキー。
確かに本作が本国で大ヒットしてるという情報は知ってはいたし、仮に日本で公開するのなら、どんなに早くても夏の大作映画後の9月くらいだろうと。
しかしまさか話題作がひしめく6月に無理やりねじ込んでくるとはどういう意図があるのか。
大した宣伝プロモーションもできないだろうし、公式サイトも急ごしらえで作ったかのような簡素なもので、全くヒットさせようという気概が感じられない。
ワーナーはいったい何を考えてるのか。
と、企業の目論見はほっといて、こんなにも早く公開してくれることを喜びたいと思います。
酒場をオープンして一獲千金を狙う双子の兄弟の前に、いったいどんな恐怖が襲い掛かるのか。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
「フルートベール駅で」、「ブラックパンサー」シリーズ、そして「クリード」シリーズのライアン・クーグラーが監督・脚本・製作を務め、怒涛のノンストップ・サバイバルを描くホラー作品。
1932年のアメリカ南部。ブルース発祥の地とされる“ミシシッピ・デルタ”と呼ばれる信仰深いアメリカ南部の田舎町を舞台に、一攫千金を夢見る双子の兄弟がオープンしたジョーク・ジョイントが、その当日に“招かれざる客”の来訪により一夜にして絶望に覆われる様を、IMAX70mmフィルムカメラとウルトラ・パナビジョンカメラを組み合わせて撮影を行い、ユニークな画面構成に仕上げるなど、観客を恐怖へと引き込むような没入感あふれる映像で描く。
アメリカにおける黒人音楽の文化や歴史が重要なモチーフとなっている本作。
これまでも黒人のアイデンティティを映画に投影してきた監督は、「祖父と叔父が生きた時代を描きたい」と考え、綿密なリサーチによって本作のオリジナル脚本を執筆した。
主人公には監督作にすべて出演を果たしているマイケル・B・ジョーダンが、双子の兄弟という一人二役に挑戦。
口数の少ない兄と常に笑顔の気さくな弟という対極的なキャラクターを何度も使い分け、持ち合わせた精神力で見事にハードな撮影を乗り越えた。
他にも、双子の兄の元ガールフレンド・メアリー役を、「バンブルビー」、「スパイダーマン:スパイダー・バース」のヘイリー・スタインフェルド、双子の兄弟の従弟で歌手のサミー役を、実際に歌手として活動している新星マイルズ・ケイトン、突然仲間と共に店に現れる白人男性レミック役を、「フェラーリ」のジャック・オコンネル、ミュージシャン役で「マルコムX」、「身代金」のデルロイ・リンドーなどが出演する。
人種差別が深刻だったアメリカ南部で、当時禁止されていた酒を陽気な黒人音楽のメロディとリズムに乗せて振舞う場所が、なぜ「狂乱」の夜と化すのか。
あらすじ
1930年代の信仰深いアメリカ南部の田舎町。
双子の兄弟スモークとスタック(マイケル・B・ジョーダン)は、かつての故郷で一攫千金の夢を賭けた商売を計画する。
それは、当時禁じられていた酒や音楽をふるまう、この世の欲望を詰め込んだようなダンスホールだった。
オープン初日の夜、多くの客たちが宴に熱狂する。
ある招かざる者たちが現れるまでは…。
最高の歓喜は、一瞬にして理不尽な絶望にのみ込まれ、人知を超えた狂乱の幕が開ける。
果たして兄弟は、夜明けまで、生き残ることが出来るのか――。(HPより抜粋)
感想
#罪人たち 鑑賞。ブルースを弾くと吸血鬼がやってくる。サミーが呼び寄せた過去と未来には大興奮したし、フロムタスクティルドーンと化していく終盤はむっちゃ楽しい。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2025年6月20日
黒人の歴史とか文化とか詳しくないが、なるほどこうして掠め取られていったのかと。
しかしもっとバカげた内容でもよかったな。 pic.twitter.com/CSJbD10k8s
なんていうか、全体的にエロい。
血も太陽の光も暗闇も、もちろん絡みも噛みつきも死闘もなぜかエロい。
画角を変えることで優雅な風景と外連味溢れる描写がイキイキと感じた一方で、もっと話をバカげても良かった気はする。
それだけクーグラーは真面目なんだな。
以下、ネタバレします。
過去と未来と交信する男
1932年のアメリカ南部の町、チンピラ双子が建てたダンスホールで、ブルースを弾いたことでアイルランド人に扮した吸血鬼がやってきて、血で血を洗う大抗争へと発展していく様を、IMAX70mmカメラを多用して歪な画角にしながらも、美しい風景を輝きを放つ光度で映し、黒人たちの光と影を炙り出していく意味合いがありながら、吸血鬼と戦う馬鹿げた展開が強烈なエンタメ性を放った意欲作。
僕自身、ブルースの神様が悪魔と契約したとか、黒人を奴隷扱いして綿花栽培を行ったという義務教育で学んだ知識、それこそ最近映画で知ったジム・クロウ法の存在など、些細なことを些細な程度でしか持ち合わせていないため、ここでは映画の内容の背景うんぬんよりも、もっと自分の言葉でこの映画の良さと悪さを語っていけたらなと思っております。
ぶっちゃけ映画のテーマとか興味ないんでw
率直な感想をザックリ申し上げるとするならば、もっと馬鹿げた話の方が俺は好きで、少々真面目に作り込み過ぎた面が軽く鼻に突いたんだけど、やっぱりクーグラーの映画ってブラックパワーがものすごいわけですよ。
もうそこがさ、本作のターニングポイントになっていて興奮はしたんですよね。
それ以上の何かがあるとしたら、ホント一瞬一瞬映るショットの神々しさくらいでしょうか。
てなわけで、あらすじを語りながらあれこれ言っていくとしましょう。
冒頭のナレーション通り、時に音楽は強烈に引き寄せる力があったり、過去と未来を繋ぐ力がある一方で、悪魔をも呼び寄せてしまう可能性があることを示唆しています。
過去と未来を繋ぐ。
これは劇中のハイライトの一つにあたるシーンで、僕自身最高だなと思わず笑ってしまったところなんですけど、神父の息子サミーが、いよいよ満を持して自分語りをしながらブルースを弾きだした途端、目の前にフライングVのエレキギターを持った黒人が唸りを効かせた単音で場内を一気にロックな空気にさせていくではありませんか。
一体誰なのかはわかりませんが、黒人ギタリスト、しかもフライングVを使う人と言えばレニー・クラヴィッツかジミヘン辺りを想起させるわけで、そうした様々な人をモデルにした人だったんでしょう。
そこからターンテーブルが登場し、RUN DMCぽい格好のDJがフロアを盛り上げ、ブラックパンサーよろしくアフリカの原住民たちがコンゴのような打楽器を股に挟みながら祈りを捧げるように歌い上げる。
さらには中国人夫婦の前に猿のお面を被った踊り子が舞い、ソウルやファンク、ヒップホップにアフリカ音楽など、サミーの歌によって過去と未来が同時に繋がり、カオスな空間として演出されていました。
その後もサミーが恋心を寄せる人妻が歌唱するシーンでは、オーディエンスが地鳴りするほどの足踏みをすることで、ブラックパワーを想起させる力強さを感じるシーンがあったりなど、本作は如何にブルースはじめ黒人音楽の素晴らしさと彼らが持つ力の凄さを思い知らせる作品だったことが窺えます。
こと音楽に関して、僕はほぼJ-POPしか辿ってきてないけれど、どのミュージシャンにもルーツがあるのは聞いていれば一目瞭然。
このブログでも散々語っているミスチルだって、ビートルズやストーンズにピンクフロイド、邦楽では吉田拓郎に甲斐バンド、浜田省吾にエコーズ、最近ではクイーンやフーファイターズといったあらゆる過去の偉大なアーティストからインスパイアされていることがわかるし、現在活躍しているアーティストもまたそんなミスチルの音楽を聴いてアーティストになりたかったと豪語するように、ミスチルから影響を受けている楽曲がいくつかあるわけで、そういう過去と未来が繋がってるからこそ音楽は永遠に続くのだと思うと、本作が伝える音楽が音楽史にとっていかに重要かが理解できるのかなと。
そんな過去と未来を繋いでしまった男サミーが弾くブルースは、神父である父の助言通り、弾いちゃいけない音楽だということが明かされます。
神を賛美するゴスペルと違い、ブルースは彼らが虐げられてきたことで生まれた悲哀がこもった歌。
父は悪魔を呼び寄せる歌だからやめてほしいと懇願しているものの、サミー自身誰かに導かれる人生よりも自分で切り開く人生を選ぶという結末にもなっていることから、父の言葉を無視してダンスホールへ向かうのです。
この歌を聴きつけたアイルランド系の白人レミックは、KKKのメンバーがいる家を狙い、噛みついて仲間にし、黒人たちが集うダンスホールへと向かうわけです。
きっとサミーが持つスピリチュアルな力に引き寄せられたんでしょうが、ブルース自体が悪魔を呼ぶ歌と示されていることから、吸血鬼が近づくのは必然だったってことなんでしょうかね。
こうしてみると、なんだか歴史を知ってないとよくわからないかもしれないと思いがちですが、掻い摘んで語るとするならば、白人=吸血鬼が、黒人たちの全てを奪うために襲い掛かってくるってだけの話。
全然難しくないですし、実際アイルランド系の人たちもアメリカに移民としてやってきて不遇を受けたにもかかわらず、自分たちよりも愚かだと見ていた黒人たちを搾取するという構図にもなっており、史実と虚構が見事に絡んだ物語になっていることから、聴いたことある歴史だってことが理解出来るかと思います。
クーグラーはまじめすぎるのよ。
また、一瞬一瞬で「うわ、すげえ!」と思ったシーンもありました。
例えば、スタックの運転する車でサミーがギターを演奏するシーン。
突如サミーが歌い始めると、それまで茶化しながら運転していたスタックの表情が一変、彼に見とれながら興奮するんですね。
この時のカメラの質感だったり角度、しっかりスタックのリアクションを捉えるショットが神がかっていて、個人的にはうわ~なんていい画だ!!と心から感じたのです。
今回屋内はスタンダード、屋外はIMAX画角とすみ分けた画角になっており、劇中何度も切り替わるのが正直ノイズになってはいたんですが、屋外での撮影シーンでの美しさは格別でした。
この他にも綿花畑にある一本道を走る車を後ろから引きで撮影したショットや、夜が明けると同時に吸血鬼と化した者たちが消化されていく瞬間、もちろんいよいよグランドオープン間近となったマジックアワーの美しさも見栄えある映像で、心を掴む瞬間が多々あったんですよね。
そうした褒めたい部分がたくさんあった中、やはり全体的に「真面目さ」が目立つ作品だったのは、好み含めどうにかならなかったのかと。
まず気になったのは、やたらワンショットで見せたい箇所。
食糧や看板を調達するために中国系の人たちが集う街を訪れたスモークは、旧友で店を営むボーを訪ねます。
あまりの量を注文するスモークに、興奮を抑えられないボーは、看板づくりを妻のグレースに頼むために、娘を使って呼びに行かせます。
ここで娘のリサがはす向かいにいる母の店に向かってから、店番を入れ替わってボーの店にやってくるグレースの姿を、なぜかワンショットで見せるんですね。
一連の行動をワンショットで見せる意味っていったい何だったんだろうって。
僕が思うに、せっかく立てたセットを見せたかったんだろうとか、娘と母がそっくりだからそのまま撮ろうとでも思ったのか、とにかく「見せたい」画にしてはあまりにも時間の無駄のように思えたんです。
実は他にもジョーク・ジョイントで、スモークを呼ぶために店内を練り歩くサミーのシーンもワンカットで映っています。
店内全体を映すにはちょうどいい部分だったのかもしれませんが、僕からしたら無意味です。
適度にカットして物語を先に進めればいいだけの話。
撮影技術に力を入れてる分、どこか機材の良さやテクニックを見せびらかしたいクリエイターを多数見かけますが、それよりも物語を巧く見せる腕を見せてくれと思ってしまうんです。
だから「これ無駄だな」って思うシーンやショットは、どうしても鼻に突いてしまうのが俺の悪い癖でして、指摘した箇所は非常に無駄だなと不満でした。
また全体的に話のスピードというかテンポがよろしくなかったですね。
そもそも本作がグッと面白くなるのは、やはりメアリーが吸血鬼と化してから。
そこまでは、やれ双子の兄弟が歩んだ過去やら、サミーの葛藤やらを丁寧に語るもんだから、話がかったるい。
ぶっちゃけ本作は「フロム・タスク・ティル・ドーン」の逆版なわけですよ。
あっちは「酒場に入ったら最後」でしたけど、こっちは「酒場に入れたら最後」って話。
フロムタスク~は、敵が襲い掛かってくるまで全く不穏さなどなく、軽妙な会話が楽しく、一気にジャンルが変わっていくから意表を突かれる面白さがあったけど、こっちはじわじわと「そういうことか」ってのが判る分、意表を突くこともなければ、「いつになったらおっぱじまるの!?」と首を長くして待ってなきゃならない。
やっぱりそこは、自身も黒人だからしっかり語り継がなきゃいけないと思っている真面目なクーグラーだったんだなという収穫と、そういうところだよクーグラーという印象。
別にタランティーノぽくしろって言ってるんじゃなく、客が興奮するのはどう考えたって、吸血鬼を招いてからなんだから、そこまでの布石をもっと面白おかしく描いてよって話なんですよ。
それもテンポよく。
全体的に緩急がなく、一人ずつ死んでいく毎に悲哀を充満させていくのはしつこいです。
例えば、メアリーが吸血鬼になったあたりから、話のギアを上げて急展開に持っていく方がワクワクするし、そこから戦いの火ぶたが切って落とされるまでも長く、タイトに見せればよかったのにと。
哀しみに暮れて話が入ってこないスモークも気持ちも理解できるけど、最愛の兄弟が死んでしまったと同時に、メアリーの異変にも目を向けなくちゃいけないわけで、そおkはちゃんと奥さんの話を真に受けてよと。
なんでもリアルなリアクションとか入れる必要ないんですよね。さっさと次に行けばいい。
しかし吸血鬼も律儀というか、家に招いてもらわないと入れない=襲えないってのは面白かったですね。
アイルランド系ってそんな律義なんですか?w
あそこもいくらでも面白くできるんですよね。
しかも画が残念。
入り口が狭いために、ドアを挟んで複数が詰まった状態でやり取りしなきゃいけないのは、つまらない。
最初は一人対複数だからよかったものの、複数対複数になるともっとつまらない。
あそこ、ドアを境界線にして、壁をぶち破って互いを左右に置いて撮るとかできなかったんでしょうか。
いちいちカメラが切り分かるのつまらなかったなぁ。
最後に
ラストでは、老齢になったサミーの前に、スタックとメアリーが店に来店。
ずっと待ち焦がれていた血を吸う瞬間だったにもかかわらず、もうすでに死ぬのは怖くないと語るサミーを抱擁して幕を閉じます。
人生をどのように生きるか覚悟を決めたサミーと、そんな彼の言葉に感化された吸血鬼たち。
登場人物全てに「罪の意識」があることがタイトルに繋がると思いますが、そうした意識を持ちながらも、移民大国アメリカが様々な人種から搾取し搾取され築き上げ文化や、どうすれば救われるのかをテーマに描いた力作である一方、物語の組み立て方には好み的に勿体ない部分が多く、もっとエンタメとしての見せ方や端折り方を意識してほしいなと思えた作品でした。
北米でヒットするのも十分わかるし、ホラー映画としても楽しい部分はあったので、見る価値のある映画ではありましたね。
一番ユーモアがあったのは「女の子にはボタンがある」って所ですかねw
しっかりボタンを愛撫するサミー、そして感じる人妻のエロさは素晴らしかったですw
あとはもっとヘイリー・スタインフェルドにスクリーンタイムをあげたかった!
重要な役どころでしたけど、吸血鬼になってから隅に追いやられちゃって悲しかったな。
デルロイ・リンド―のパフォーマンスとジョークも良かったな。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10