SIRAT/シラート

2025年の東京国際映画祭で一番見たかった作品だったのに日程が合わなかったのよこれ。
見た人が衝撃的!みたいな感想ばかり書いてたから気になって気になって。
さらに「マッドマックス」や「恐怖の報酬」など過去の名作を例えてレビューされてるわけですよ、それ俺がめっちゃ好きな映画じゃん!!ってなりましてね。
ただね、これ俺が好きなアメリカ映画ではなく、スペインとかそっちの映画なわけですよ。
あっち系の映画はほんと相性がいい作品がなくて…。
しかも俺があまり好きではないEDMで、それがガンガン流れるレイヴパーティーが映るってことで、俺寝ちゃったりしないかな…。
今回「音響がいいところで見ろ!!」といろんな方や媒体が訴えてますが、どうしても時間の都合上ドルシネに行けなかったので、通常スクリーンで鑑賞します。
音がしょぼくたって、話の中身は変わらないですから(冷静…)
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞を皮切りに国内外の賞レースを席巻、第98回アカデミー賞で国際長編映画賞や音響賞にノミネートを果たした本作は、巨匠ペドロ・アルモドバルがプロデューサーとして名を連ね、絶対に予測のつかない衝撃の展開に世界が熱狂した息を呑む傑作が誕生した。
世界が終末に近づく時代を舞台に、失踪した娘を探すため砂漠のレイブパーティーに参加する父と息子が、果てしなく続く砂漠で試される極限に耐えながら進む放浪の行方を、砂漠と空のコントラストやむき出しの地層、そこにそびえたつ巨大なスピーカーの異様さなど、風景そのものを幾何学的な緊張感で描きながら、ダイナミックで奇想天外なストーリーとクールなダンスミュージックが融合、極上の映画的興奮とカオスを与える。
本作を手掛けるのはOSアンカレス山脈の奥地で撮影した『O que arde(原題)』が2019年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞したオリベル・ラシェ。
「死ぬ前の人を死へと導く内なる道」、「その道は、髪の毛よりも細く、剣よりも鋭いという」旨のタイトルである本作について、監督は「人生は過酷であり、死についての警告もない。だからこそ本作を通じて「死の練習」をするといい」とコメント。
一見過激ながらも監督の死生観や人生観が垣間見える哲学的な発言は、出口の見えない砂漠や主人公の置かれた状況が何のメタファーなのか、ヒントになるかもしれない言葉として鑑賞前に受け止めておきたい。
娘を探す父ルイス役には、「パンズ・ラビリンス」で主人公の継父となる独裁政権下の陸軍大尉を演じたセルジ・ロペス。
息子エステバン役には、本作が長編映画デビューとなったブルーノ・ヌニェス・アルホナがキャストとして名を連ねた。
砂漠でレイブパーティーしながら娘を探すという、奇想天外ながらもどこか哲学的な匂いのする本作。
音に身を任せて踊る彼らのように、私たちもトランス状態となってしまうのだろうか。
あらすじ
砂漠で行われるレイブパーティに参加したまま失踪した娘を探すため、父ルイスと息子エステバンは、モロッコの山岳地帯から砂漠の奥深くへと車を走らせる。
行き着いたのは、現実と幻覚が混濁するような野外レイブのカオス。
耳をつんざく重低音、赤い照明の海、沈黙を貫く父親の背中。
だがそこにはすでに娘の姿はなく、父と息子は、レイブの参加者グループを追って、
娘が向かったと思われる次のレイブ会場を目指すことになるが……。(公式より抜粋)
感想
#sirat #シラート 鑑賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) June 5, 2026
日本で道って言えば猪木の詩なんだろうけど、あんな前向きなのとはわけが違う。その道を進むってことはどういうことか。
マッドマックスで恐怖の報酬、アントニオーニとか捜索者とか色んな例えを目にするけどどれも当てはまる映画。
しかし音と映像に頼りすぎじゃねえかなぁ。 pic.twitter.com/Bj0WSdZIeV
この道を行けばどうなるものか
迷わず行けよ行けばわかるさ…ってお~~~い!!!
衝撃的過ぎるし、フラグもなさすぎねえかw
でもさ、それが人生なんだってさ。
以下、ネタバレします。
同じアホなら踊らにゃそんそん
違法のレイブパーティーを軍の介入により強制解散させられた一同。
泣く泣く帰路をを辿る車内で流れるのは、世界規模の紛争、資源の枯渇、外交関係の悪化といったニュース。
そう、この映画の舞台は「第3次世界大戦」手前の終末といっていい。
ぶっちゃけこの映画、何の説明もなく砂漠でデカいスピーカー用意してみんなで踊りまくるから「なんで踊るの?」と疑問しかなかったんですわ。
要するに、もう俺たちが何をデモろうがレジスタンスしようが、終末時計は止まらないわけ。
ならいっそのことShall We ダンス?
Do You Wanna Dance?ってことですよ。
神への奉納を目的とされた「神楽」から始まった日本の踊りの始まりだそうですが、世界でも祈りのための踊りから、狩猟や収穫の成功を願う儀式的な踊り、死者との対話もあれば感謝の儀など、何かを表現するための身体的な動きであり、それが現代では文化としてスポーツとしても使われているわけであります。
じゃあここで描かれてるレイヴパーティーでの踊り、ダンスとは何か。
それは多分に、ストレスからの解放を主とした彼らなりの表現の場、もしくは「無」になれる瞬間なのではないでしょうか。
と、真面目に語ってみたモノの、本作の主題は「踊る」ことの本質を探すことではない。
踊らなきゃやってられない人たちの乱痴気騒ぎに乗じて失踪してしまった娘探し。
道中様々な人との出会いを通じてルイスとエステバンは、娘がなぜ姿を消したのか察していく…という話じゃなかったからさぁ大変。
車内でラジオを聞いてると、軍が統率してる中別の道に向かって走る何台かの車を発見。
息子から「ついて行こう!」と背中を押され、躊躇する間もなくアクセルを踏んでしまったルイスは、奇抜な髪型の女性や手足が不自由ながらもタトゥー上等LSD上等なヒャッハー集団と仲を深めながら、次のレイブパーティーがあると言われる場所めがけてついて行くことに。
とはいえ、辺り一面砂漠、砂漠、砂漠。
俺も東京砂漠で長いこと過ごしてきたけど、こんなに何もねえ砂漠に足を踏み入れるなんて到底出来ねえ。
でも娘を探すことが今の全てである父子にとって、踏み入れないわけにはいかねえのさ。
最初こそ「なんだこいつらは、こんな奴らと娘がつるんでると思うと虫唾が走る!」くらい偏見を持っていたであろうルイス。
一方彼らを普通の人間と同じように接する、寧ろかっこいいとさえ呟く息子エステバン。
寝食を共にしていくうちに一つのコミュニティとして形成され、気づけばルイスも彼らと行動することに違和感を抱かなくなってくではありませんか。
今歩いているこの道が人生だと仮定すれば、ルイス親子もヒャッハーな連中も同じ社会で生きる人たちであり、ちょっとしたつながりがこうしてコミュニティとなっていくことは容易だということを教えてくれる。
そうか、この映画はそういうことを教えてくれる話なのか。
共生、共有、共存、共助。
いつ世界が終わってもおかしくない今こそ手を取り合って暮らすべきだと。
なるほど、それを砂漠という昼間は酷暑、夜は極寒、風は爆風、突然の雨といった地獄のような空間を舞台にすることで浮かび上がらせていく。
へ~そういう映画かぁ…と自分で府に落とそうと努力していた矢先、とんでもねえ事態が訪れる。
移動する軍を見た一行は、見つかれば連行されることを恐れ、彼らから見えないであろう岩山から迂回して目的地を目指すことに。
しかし少しでもよそ見をすれば奈落の底に落ちてしまいそうな細い道。
一行はゆっくりゆっくりと進むが、見事にタイヤが砂に埋まってしまい立ち往生してしまう。
夜が明け救助に専念している大人たち。
何とか皆の協力を経て窮地を抜けた矢先の出来事だった。
なんと息子エステバンが乗っていた車が後進し、車ごと崖から落ちてしまう。
突然の出来事に、見た人誰もが驚いたことでしょう。
ここまで語っておいてなんですが、冒頭でも触れたとおり、俺は少々眠気が襲っていたのです。
大音量でありながらドゥクドゥクと一定のビートを刻むことで心拍数を上げていくEDM、なぜか俺だけはどんどんテンションダウンしていったわけです。
抑揚もねえ、景色も変わらねえ、話が見えねえ、娘探しの手がかりもねえ、一体何だこの映画は、そんな不満が俺の眠気を誘いうとうとしていたわけです。
ですが、こんな予想すらしていない展開に一気に覚醒。
おいおいおいおい聞いてねえよ、これか先に見た奴らが「衝撃!!」って言ってたのは!!
んなもん衝撃以上の騒ぎだわ!!ルイスを見ろよ!!!
叫んで狂って一人で勝手に砂漠に消えてったじゃねえか!!!
途中でも「人生」だなんて言いましたけど、そうなんだよ、いつ何が起きるかわかんねえのが「人生」なんだよ。
あ、監督も言ってたな「死の練習」って。
この平和を当たり前と思ってはいけない、今ある地位も与えられた仕事もいつ失われるかわからない。
信頼できる友もかけがえのない家族も、いることを当たり前と思ってはいけないのだ。
そして自分自身も、いつ命が失われるかはゴッドオンリーノウズってわけよ。
そんな教訓を教えてくれる本作。
終盤では、更なる悲劇が彼らを襲うからもう衝撃。
砂漠のど真ん中でエステバンの弔いとも取れる踊りを始める一行。
修理したスピーカーを外に出し、特製のドラッグでトリップしていく。
ビートに体を任せて飛び跳ねる一行。
どうして私たちは悲しい出来事に立ち会わなければならないのか、そしてエステバンよ安らかに眠れ
そんな思いを乾いた土に打ち込むように見える彼らは、もっとボリュームを上げろとせがむ。
いっそのことブチかませ!!
その瞬間、奇抜な髪の女が爆発音とともに木っ端みじんになっていく。
そう、彼らが飛び跳ねている場所は地雷原だったのだ!!!
あまりの斜め上な展開に、目が覚めるどころか俺は笑ってしまったよ。
悲劇過ぎると人は笑う、なんてことはあるみたいだけど、俺のはそうじゃねえ、唐突過ぎて笑ったのだ。
こんなの、笑う以外にない。
エステバンの死が予測できなかったのはいいとして、それを上回る死に方はもう笑うしかないよ。
いやわかるよ?
人生にフラグなんてねえし、さっきも言ったけどゴッドオンリーノウズってことっしょ?
だけどさ、これはもう駄目よ。やりすぎ。
こういうのもどうかと思うけど、映画的じゃない。
こうでも言わないと、これを素晴らしいとか言ってる人たちに反論できねえw
監督の意図とかテーマ性とかそういうのにあまり興味ない(その割には熱心に調べてるけどw)俺としては、1度なら許すが2度目は許せないという話です。
最後に
砂漠って誰が撮っても画になると思うんですよ。
そういう意味では背景として持ってこいの舞台なんですよね。
辺り一面何もなく、天候次第でいくらでもいいもんが撮れる。
そこに鼓動を現すことも可能なEDMを乗っけることで、幾らでも緊張感をつくることができる。
BPMを変えるだけでリズムパタ―ンを変えるだけで、多様な緊張感を生み出せる。
ただ、俺からしたらそれに頼り過ぎているように思える。
やっぱさ、当初の目的から反れ過ぎですよ。
反れるどころか忘れてるよネコレ。
ルイスは忘れてないと思うし、二重の苦しみを味わう絶望しかない中年になっちゃったけど、他の連中はもう忘れてるよね。
その前に協力的ではなかったか。
予測不能であることで人生を問いかける目論見は果たしてるんだろうけど、それって映画なんだろうかって考え込んでしまうよ俺は。
今回音質の良い劇場でしか味わえないのは当たり前で、じゃあ俺らが味わった衝撃を自宅で味わえるのだろうか、また、一度知った内容を踏まえてもう一度見た時、衝撃度の弱まった、または失われた本作を面白く見れるのだろうか。
なんでもそうだけどインパクトだけで作ったらダメですよ。
何度見ても面白い味わい深い映画にしてくれないと。
ごめん、俺は当初の目的をちゃんと踏まえて物語を閉じないと許せないかな。
それはそれ、じゃないと思う。
確かにマッドマックスや恐怖の報酬、ジョンフォードの捜索者にアントニオーニの砂丘みたいな例えは理解できる。
監督がそれらを参考にしたかどうかやそういう映画が好きなのかは置いといて。
因みに最後さ、岩の上に辿りつけるのはルイスだけにしてほしかったね。
失った物が大きすぎるルイスだからこそ道が拓かれている、見たいに見せてほしかったかな。
ま、いいや。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10
