白雪姫
「鏡よ鏡、この世で一番きれいなのはだぁれ?」
現代では鏡に聞くよりもShiriに聞いたほうが面白いよなぁと思うモンキーです。
王妃からもらった毒リンゴを食べて死んでしまった姫が王子とキスしてハッピーエンドでおなじみのアニメ映画「白雪姫」が実写化されるんですが、公開前から何かと問題続きの様子。
本来「雪のように白い肌」の設定なのに、白人ではなくコロンビア系の女優レイチェル・ゼグラーを起用したこと、その彼女がディズニーアニメ映画版の「白雪姫」を「時代遅れ」と批判、さらには7人の小人を小人症の俳優を起用しなかったこと、イスラエル系女優ガル・ガドットも出演など、色々面倒なことになっています。
「リトル・マーメイド」でもアニメとは違う人種を起用するなど、何かと「多様性」を前面に押し出して批判を食らうディズニー。
僕は単純にマーク・ウェブが監督をやるから見に行くんですが、こんなゴタゴタの状態、加えて脚本がグレタ・ガーウィグですよ…。
白雪姫をゴリゴリのフェミニズム映画に替えようとしてませんかね。
果たして面白いのか。
「バービー」のようなテーマ性にはしてほしくないんですけど…。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
1937年にアメリカで公開された、世界初のカラー長編アニメーション「白雪姫」を実写化。
世界で最も長く愛され続けているディズニープリンセスが、実写版ならではの幻想的な世界観によって、新たな物語をみせていく。
外見の美しさと権力に執着する邪悪な女王によって闇に包まれた王国を舞台に、命を狙われた白雪姫が小人や王子に救われながら、希望を見出していく姿を、アニメ映画でも使用された往年のナンバーから今回のために書き下ろしたオリジナル曲など、歌と踊りを見せながら描くファンタジーミュージカル。
監督には「(500)日のサマー」や「アメイジング・スパイダーマン」など男性視点による青春映画を絶妙な筆致で描くマーク・ウェブ。
そして脚本には「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」、「バービー」、「ナルニア国物語」の新作が控えているグレタ・ガーウィグが担当。
二人の化学反応により、アニメ映画とは違う新たな解釈の物語が誕生した。
白雪姫役には、「ウエスト・サイド・ストーリー」でヒロインに抜擢されて以降、「シャザム2」や「ハンガー・ゲーム0」に出演してきたレイチェル・ゼグラー。
邪悪な女王の役には、「ワンダーウーマン」や「ワイルド・スピード」シリーズのガル・ガドットがこれまでになかった役に挑む。
他にも王子役を、トニー賞受賞経験を持つ俳優アンドリュー・ブルナップ、女王の手下役を、「ラストクリスマス」や「バック・トゥ・ブラック」に出演したアンサ・カビアが担当します。
姫が持つ本当の美しさとは。
闇に包まれた王国にどんな希望をもたらすのか。
あらすじ
雪のように純粋な心を持つ白雪姫(レイチェル・ゼグラー)の願いは、かつてのような人々が幸せに暮らす希望に満ちた王国。
だが、外見の美しさと権力に執着する邪悪な女王(ガル・ガドット)によって、王国は闇に支配されていた。
女王は、白雪姫の“本当の美しさ”に嫉妬し、彼女の命を狙うが、不思議な森で出会った7人のこびとたちや、城の外の世界へいざなってくれたジョナサン(アンドリュー・ブルナップ)に救われる。
誰もが希望を失いかけた時、仲間たちと力を合わせ、白雪姫の優しさが起こした素晴らしい奇跡とは…?(HPより抜粋)
感想
#白雪姫 観賞。分け合う心の持ち主こそ真の美しさ。我々がよく知る物語に搾取な話を組み合わせた非常に現代的なメッセージの強い作品だけど、100分の尺にするほどの話ではなく、無理矢理歌で繋ぎ合わせたやや強引なものに。ダンスはマークウェブっぽかった。 pic.twitter.com/9d7Q8Ctx0s
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) March 20, 2025
可もなく不可もなく。
王子様を待ってるだけのプリンセス像を、現代的アプローチで攻めたのは良いが、肝心の中身がパッとしない。
とはいえ小さな女の子が夢中になれれば。
以下、ネタバレします。
悪くはないけど良くもない。
鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?
グリム童話やディズニーアニメでよく知るあの白雪姫に、格差社会や資本主義社会に一石を投じるかのような政治的アプローチでがらりと内容を変えた本作。
雪のように白い肌だからという理由を、吹雪に負けない強い心の持ち主にと名付けられた理由に変更し、色々物議をかもしたわけですが、ちゃんと変えたからには筋を通してますという内容でしたね。
それもそのはず、ガル・ガドット演じる邪悪な女王は、一体どこからやってきたのか出自が語られぬまま亡き妻を失った王の元を訪れ、一目ぼれさせ妃の座に就いた途端、敵が南から攻めてくるとうそぶき、夫である王を追い出すことに成功。
それまで民と王族が助け合って平和を維持してきた王国を、国の発展のためと言い訳しあらゆるものを搾取し軍事的な王国へと変えてしまうほど、美と権力に固執したキャラクターにしておりました。
これにより白雪姫は王族にも拘らず、血の繋がっていない娘ということで召使に格下げされてしまうという、全く俺の知らない白雪姫として物語が進行していくのです。
そこからは皆さんご存知のストーリーで、森に逃げ込んで7人の小人と出会い、掃除を彼らにやらせ、訪ねてきたババアからこれといった疑念を持たずに毒リンゴを食べて死んでしまうが、愛する人とのキスで蘇生するというもの。
要するに、入り口と出口を強く改変した内容だったことが窺えます。
また大きな改変として目立ったのは王子様の存在。
ディズニーアニメでは正に「素敵な人が訪れるのを待ってるだけのお姫様」として存在し、そんな姫に恋した王子様がストーキングした結果、毒リンゴ食っておっ死んだ姫に口づけして恋愛成就な内容でした。
でも本作に王子様は登場しません。
貧困化した王国から離れ山賊として暮らす青年ジョナサンに、互いが一目で惹かれていく瞬間はあったものの、基本的にはいがみ合い。
だけど、互いを救うために自分を犠牲にする精神が二人の絆をより深めていくという流れになっておりました。
ここに関しては、そのまま昔の通りやっても別に問題ないんだよなぁとも思えたんですよね。
誰もが「素敵な人を待っているだけでなく行動してこそ」なんて女性がいるわけでもなく、そういう女性がいてもいいんだよってのが多様性ってもんで、無理して改変する必要もないよなと。
それこそここ最近のディズニープリンセスは全部そのパターンなんで、幾ら会社の方針とはいえ、雇われた脚本家も昔の作品を改変するのが大変そうだなと。
しかしまぁこういうアプローチが実際当たってるのも事実ですし、今後のジェンダー的なことを考えるとこうしたメッセージは必要だよねと。
色々内容に触れていきたいんだけど、別に見なくてもみんなが知ってる物語だから、これと言って言及する部分もほとんどないんですよね。
ただ大きく言えるのは、本作が100分の尺なんだけど、無理矢理歌で引き延ばして100分なんですよ。
一応ミュージカルだし、ハイホーも聴けるしってんで全部歌を排除してよとは思わないんだけど、もうちょっと中身を色濃くしたオリジナルな部分て作れなかったんだろうかと。
邪悪な女王に依頼された狩人が、姫を森へ連れていき心臓をくり抜こうとするんだけど、彼女の良心に惹かれて殺すことを断念。
女王の魔の手から逃れるために森へ逃げろと言われた姫は、迷った末に小人の家にたどり着くわけです。
敵を討伐するために外へ出たまま帰ってこない父を探そうとする姫でしたが、狩人の暗殺失敗によって追手が森にまでやってきてしまう。
そこへ山賊のリーダーであるジョナサンが登場し、追手の兵士たちとバトルを繰り広げていくという流れでした。
その戦いによって深手を負ったジョナサンは小人によって命拾いし、身を挺して守ってくれたジョナサンに一気に惹かれていく姫。
再びやってきた追手を撒くために小人の家を離れるジョナサンは、ちゃんと帰ってくることを姫に誓う。
でも結局捕まってしまい、姫は毒リンゴを食べてしまい・・・というものなんですね。
ここがまぁ退屈で。
出会って戦って歌って踊っての繰り返しなんですよ。
確かに一悶着ある内容にはなってるけども、例えばジョナサンと共に父探しの旅に出る冒険ものにシフトするとか、ミュージカルを軸にしたとしても何らかのオリジナルストーリーを入れられたはずなんですよね。
仮に冒険して父の真実を知ったとしても、本筋には戻れるはずなので、そうした脚本家の冒険心を求めてしまいましたね。
とにかく語ることのない物語なんですが、一応冒頭で語った搾取してばかりの女王に対しどんなカウンターを与えるかが本作の一番のメッセージ。
かつて王国は誰もが幸せに暮らせるよう「分け合う」ことで暮らしてきたわけで、両親からそんな心を学んだ姫もまた、「分け合う心」を持った存在として描かれているわけです。
また、外見にばかり美を求める女王に対し、白雪姫には外見以上に美しい心を持った存在であることも描かれており、女王から王国を取り戻そうとする姫は、かつて別の職業だったにもかからわず、女王の要請によって兵士となってしまった民の名と職業、家族構成まで覚えているという、企業のトップになるのはこういう人だ!というモデル像を見せつけることで、民の心を女王から取り戻していくのであります。
そりゃ今のディズニープリンセスを謳うからには、外見どうこう言う前に己の内面を磨け!!と説教垂れるのは当たり前ですから、外見だけ追い求める美は悪!みたいな構図も嫌いじゃないです。
しかしながら、俺はどう考えてもガル・ガドットの美貌にやられてしまうので、本作の落としどころには納得いってません!
だから俺みたいな男は滅びればいいと思います!
そうそうクライマックスね~。
一応対峙はするんだけど、戦うってわけじゃない。
群衆の前で私を刺殺しなさい、なんて女王が言うんだけど、刺せるわけがない。
結局女王に転がされて何もできないでいる姫が、兵士の名前を憶えていることをみんなの前で言うことで、民衆は「私たちは誰に仕えればいいのか」という二者択一の問題を前にする。
無論、搾取ばっかしてこき使ってる女王なんかより、ちゃんと幸せを分けてくれるリーダーの方が良いわけで、一気に形勢逆転。
追い込まれた女王は鏡にもう一度誰が美しいかを聞くけど、「おめえは皮膚の上だけしいかきれいじゃねえんだよ!!」と言われて鏡を破壊するんだけど、なぜか自分が破壊されてしまうというあっけない幕切れに。
ここもさぁ、もっとやり様がったのではって思うわけ。
それこそ女王に磔にされて処刑にされそうになるとかしてさぁ、そこで民衆に向かって色々言うことで民が動いて反乱がおきるとかでもよかったと思うんですよ。
一応作戦立てて乗り込んでる割りに、ジョナサンとか小人の使い方が置物なんですよね。
女王を外におびき寄せたんだから、その間に城を制圧しておくとか、小人は鉱石を掘削している設定なので、そこで手に入れたヒカリモノを女王にちらつかせてる間に、姫が民衆を説得するとか、もっと面白いクライマックスにできたと思うんですよね~。
正義が悪を討つって内容にはしたくなかったから女王が自滅するような結末にしたかったんでしょう。
そこはまぁ目を瞑るとして、そこまでの過程はもっと工夫しても良かったんじゃないかなぁと。
最後に
ダンスシーンはどことなく「(500)日のサマー」感のあるようなものだった気がします。
特に一番最後にみんな白い服を着て踊るシーンは、みんなで両手を叩いて楽しく踊る姿をシンクロして見せてたので、マーク・ウェブが振付したわけではないんだろうけど、僕としては過去作を連想したくなる気分になりましたね。
意外とほとんどがセットだったこともあって、風景に広さを感じられなかったのも残念。
小人もおとぼけとおこりんぼだけ存在感があったけど、他はそこまでといった印象。
どうしてもおとぼけが中居君に見えて仕方なかったし、おこりんぼはトミー・リー・ジョーンズにしか見えなかったw
山賊も弓矢の使い手以外は存在感が無く、何人も登場させたのに見せ場がないのはどうにかならなかったもんかと。
そもそも小人も複数で山賊も複数って、普通に無駄遣いなんですよ。
で、エンドクレジットで脚本家の名前にグレタ・ガーウィグが削除されてたことに気付きました。
どうしてだろうと調べてみたら、どうやら脚本家も小人同様7人いたようで、その中の一人がグレタだったと。
代表としてクレジットされたのは別の人で、あくまでグレタが執筆した脚本ではないってことのようです。
てっきり作品に納得して無くてクレジットを削除するように言ったのかと思いました。
まぁ彼女ならもっとフェミニズムなメッセージを入れてるはずなので、こんな内容にはなってなかったでしょうね。
しかし一体どこを書いたんでしょうか。
ユーモア描写も大したことなかったので、気になります。
とにかく未来社会を担う女の子たちに本作を見ていただいて、本当の美とは何なのかを感じてほしいですね。
無論男も外見にだけに捉われないようにしないといけません。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10