サブスタンス
元々老け顔だったので若いころはおじさん扱いされていました。
30代になってようやく「見た目より若い」とか「年相応」とか言われるようになりましたけど、ここ最近はそんなことも言われない。
たぶん実年齢よりも若くない顔になったってことです。
「見た目より若い」ってもう少し言われたかったなw
今回鑑賞する映画は、そんな「見た目至上主義」な社会に捉われた主人公の変貌ををグロテスクに表現したという物語。
第97回アカデミー賞作品賞ノミネート作品で一番見たかった映画です。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
血みどろのバイオレンス描写とスタイリッシュな映像で描いたリベンジスリラー「REVENGE リベンジ」で注目を浴びたコラリー・ファルジャ監督が、「美と若さへの執着と狂気」をテーマに描いたボディ・ホラー。
本作は第77回カンヌ国際映画祭にて脚本賞を、第49回トロント国際映画祭のミッドナイトマッドネス部⾨では観客賞(ピープルズ・チョイス・ミッドナイト・マッドネス賞)を受賞。
さらに、第82回ゴールデングローブ賞では主演女優賞受賞を果たしたのち、第97回アカデミー賞においても、作品賞や主演女優賞、監督賞など5部門にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。
容姿の衰えによって仕事が激減した主人公が、ある新しい再生医療に手を出して再び脚光を浴びるが、ルールを破ってしまうことで起きる変化の末路を、ショウビズ界の暗部に触れながら、ジャンル映画の枠組みを超えたストーリー展開と突き抜けたエンタテインメント性の高さで、主人公の暴走と狂気を観客に提示していく。
本作を手掛けたコラリー・ファルジャは、40歳を過ぎて監督デビューをしたものの「若さのない自分に居場所などない」という負の感情を抱いてしまったことから、本作の着想を得たそう。
何故年を取ることに不安になるのかや、根本的な原因、自身が抱いた痛みや違和感をベースに本作を生み出していった。
そんな自身の思いを投影したと居ても過言ではない主人公エリザベスの役を、デミ・ムーアが演じる。
かつては「ゴースト ニューヨークの幻」や「素顔のままで」などアイドル女優として一世を風靡したものの、00年代に入ると人気が凋落したことなど、キャリアに波のあった彼女が本作で完全復活を遂げた。
そして彼女の上位互換とナルスーの役を、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」や「憐みの3章」のマーガレット・クアリーが、二人を番組に起用するプロデューサー・ハーヴェイ役を、「ライトスタッフ」、「オーロラの彼方へ」のデニス・クエイドが演じる。
「永遠に美しく…」や「ヘルタースケルター」など美にと若さに捉われすぎたキャラクターの末路を描いた作品は多いが、そこにホラーやスリラーで表現することで生まれた新たなエンタメ作。
執着した先に直面する恐怖の先に希望はあるのか。
あらすじ
元トップ人気女優エリザベス(デミ・ムーア)は、50歳を超え、容姿の衰えと、それによる仕事の減少から、ある新しい再生医療<サブスタンス>に手を出した。
接種するや、エリザベスの背を破り脱皮するかの如く現れたのは若く美しい、“エリザベス”の上位互換“スー”(マーガレット・クアリー)。抜群のルックスと、エリザベスの経験を持つ新たなスターの登場に色めき立つテレビ業界。
スーは一足飛びに、スターダムへと駆け上がる。
一つの精神をシェアする存在であるエリザベスとスーは、それぞれの生命とコンディションを維持するために、一週毎に入れ替わらなければならないのだが、スーがタイムシェアリングのルールを破りはじめ―。(HPより抜粋)
感想
#サブスタンス 前夜祭にて鑑賞。笑ゥせぇるすまんとか世にも奇妙な物語とか、因果応報とか自業自得とかそんな話。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) May 15, 2025
カメラが何もかも寄り過ぎで流動的でもなくてそして大半1人芝居。
最後はぶっちぎってて笑えるけど、好みの映画ではない。 pic.twitter.com/iUggzdfDzG
お薬の処方を間違えたらそりゃ副作用が起きるでしょ。
でも欲は抗えないってか。
社会がどうとか自分の価値がどうとかそんなことよりも、アート=みてくれってことを強調した画作り。
やりたいことは理解した。
以下、ネタバレします。
好みではない。
50歳を過ぎてこれからってときに番組降板。
プロデューサーはもっと若い子が欲しい。
じゃあ若い子になってやろうじゃないの!ととっておきの秘策で起死回生!
しかし、ついつい欲深さがでちゃって秘策のお薬のルールを無視しちゃったらさぁ大変。
ドンドンしっぺ返しが膨らんで、壮大なツケ。
結局みんなからバケモン扱いされておしまい。
要約するとこんな物語なのを、140分かけて「アート性」を見せつけるという非常に僕の好みでない作品でした。
確かに言いたいことはわかる。
若さと美に執着するエリザベスは、サブスタンスに手を出す以前に執着してるのが見え見え。
しかも若さと美だけじゃない、オスカー女優としてのプライドが見え隠れしているから、番組降板は相当のダメージを受けたはず。
そんな若き日の栄光を今でも追いかける、もしくはしがみつくエリザベスは、自分の価値を「他者によって」つけられていることが窺えるという話。
笑っていいともの最終回でタモリは、「皆さんに価値をつけていただいて長くやることができた」と感謝の意を述べていたのは今でも忘れない。
若い頃は生意気で不遜で濡れたナメクジみたいなやつだったと自虐していたが、周りの人に支えられることで、社会的にも人間的にもそれにふさわしい人物になるという意味においては、他者から価値を付けられることは決して悪くないんだと、タモリの言葉を聞いて感じたのを強く覚えている。
しかしエリザベスにとっては、そうはいかない。
他者に見られているのは、あくまで「みてくれ」であるということ。
社会的にどうだとか人間的にどうだというよりも、男性のための女性としてしかみなされていない現代社会にとって、男性が決める視点でなければエリザベスは価値を見出すことができないってわけだ。
そんな男たちをギャフンと言わせるには、権力を手に入れるとかよりも「若返る」ことは何より手っ取り早く、それを実践し掴んだことでエリザベス自身も「幸せ」になれるということ。
それじゃあ社会が変わらないじゃないかという言い分もわかるが、なにより本人がそういう社会の中で自分の価値をそう定めているのだから、別にとやかく言うつもりはない。
サブスタンスには色々ルールが存在する。
まず母体となる自分に緑色の液体を注入すると、背中がパックリ割れて「上位互換」の自分「スー」が現れる。
これだけで終わりと思ったらそうはいかない。
母体となったエリザベスには7日間かけて栄養を注入しなくてはならないこと、スーは母体のエリザベスから養分を吸い取って自分に注射することで、若い自分を7日間保てるという仕組み。
そして7日間経ったら「交替」をしなくてはならない。
エリザベスとスーの体にチューブを刺して血液を交換することで「交替」が成功する。
1つの肉体からもう一つの肉体が生まれるが、基本的にどっちがかが活動している時はどっちかが眠っている。
さらに眠っている間はもう一人の自分がどんなことをしていたか交替しないとわからない。
説明書には「わたしたちはひとつ」と強調した文言が書いてあり、互いが互いを思いやらないと痛い目に遭うことがほのかに感じる一文となっている。
こうした触れ込みがある以上、約束なんて守らないことに陥るのが通例であり、物語はスーのちょっとした欲望がエスカレートすることでエリザベスにツケが回り、それに腹が立ったエリザベスは精神的にも肉体的にも影響を与えるような仕打ちをし始めるという、互いが互いの足を引っ張る内容へとシフトしていく。
もちろん末路は見え見えで、老いた自分VS若い自分のある種嫁姑バトルの様な肉弾戦へと突入。
あれだけ養分吸い取られて足が上手く曲がらないのに、なぜ薬を取りに行けるほど歩けるのか理解不能、逆にいくら若いからってエリザベスをリビング中央に置かれたガラス製のテーブルめがけてケリをお見舞いし吹っ飛ばせるほどの脚力がなぜあるのかも理解不能。
そんな誇張した演出に一時の笑いが生まれる瞬間もあれば、最後は二つの自分が合体し「デビルマン」の百面相と幽遊白書の戸愚呂100%と妖怪人間ベムを足して2で割ったかのような面構えに大変身。
もちろんそれを見たオーディエンスは口をそろえて「It's a monster!!!!!」と叫ぶわけで、そりゃもう宣伝文句通りの「阿鼻叫喚」な地獄絵図が拝めちゃうから可笑しくて仕方ない。
終いには「エイリアン」とか「遊星からの物体X」のような物体に劣化して踏みつぶされてジエンドという。
結局予告編以上のビジュアルは拝めたものの、予想通りの顛末でそれ以上の収穫って俺としては全くなかったんですよ。
最後、バケモンと呼ばれてみんなに血しぶきを浴びせるんだけど、そこまでやるんだったら「自分の価値」を歪めてしまったあの忌まわしきプロデューサーをぶっ飛ばすくらいのスカッとしたモノがないし、バケモンになってしまったことが自業自得とか因果応報以上のモノが見えてこないというか。
じゃあ若返らなきゃよかったのか?ってことではなくて、あまりの若さへの執着と甥への恐怖をマジマジと感じなければこうはならなかったと。
でも感じてしまったが故にルールを破ってあんな結末になったのなら自業自得としか俺は受け止められないんですよ。
だからこそ男性が作ったルールにドロップキックを与えるくらいの復讐を最後に見せつけたら俺は拍手だったんですけどね。
さらに言うと、全体的なルックから演出から芝居からどれも気に入ってないです。
とにかくくどいほどカメラが近い。
演者の顔だけならまだしも、スーのケツからハエの動きに至るまでどれも近い!
寄りが映えるのは引きがあるからだと思ってるんですが、寄りばっかりはさすがにクドイ。
あの諄さがあるからデニス・クエイドの脂っこい顔面に嫌気がさすんだけど、エリザベスを寄ったところで確かに老けてはいるけど実年齢に伴った美しさがあるし、それで怒り心頭な顔されてもなぁと。
またカメラワークが流動的でないのがきつい。
庵野秀明のようにショットをとにかく細かく区切ってつなげる映像になっており、これがいちいち鼻に突く。
良いアングルだし現代アート性強めなセットになってるから、見ている分には問題はない。
でもそれが逆に血が通ってないようにみえるというか、無機質な空間がずっと漂っていて、ずっとだと心地よさはない。
スタジオの長い廊下も「シャイニング」の模様の様な絨毯に、壁にはデカデカとエリザベスの過去のポスターが並んでいて、どこか息苦しさを感じる。
こうしたアート性強めのセットや寄り過ぎな映像を解釈すると、アートとは「みてくれ」であると。
それはエリザベスが求めたものであり、固執しているものだと。
そんな彼女の視点は、目の前に寄り過ぎていてあらゆるものを俯瞰で見ることができない、故に視野が狭いということをあのような形で表現しているのではないかと。
そう考えると、自分の好みの画作りではないものの色々と合点がいくわけで、監督の思惑通りの作品にはなってるんじゃないかなあと思うことはできる。
では演者はどうだったか。
デミ・ムーアもマーガレット・クアリーもデニス・クエイドも皆良かった。
特にマーガレットはいつもやるへの字口をみれただけでも最高なのに、裸体は晒すわ食い込みMAXのレオタードを惜しげもなく開脚してみせるわと、いわゆる「男が求める若い女性」を見事に体現してくれたわけです。
「誰が女の価値を決めつけてるのか」というテーマに全くそぐわないことを言っているのは百も承知で、マーガレット最高だわ~と。
デニス・クエイドもスクリーンタイムがそれほど多いわけではないんだけど、あの油ギッシュな顔面を憎たらしいかおで見せつけたかと思ったら、エビをむしゃむしゃ食いながらエリザベスに降板を言いつける嫌味な奴を熱演。
さらには株主らと揃ってカメラの前で「女はいつもスマ~イル!」とかぬかす感じも最高。
実は劇中で一番スマイルみせてるのお前だったりしてw
とまぁ基本褒めなんですけど、肝心のデミ・ムーアが物凄く良かったのかと言われると、どうしても物足りなさが目立ったんです。
そもそもアカデミー賞で主演女優賞獲れるんじゃないか?と騒がれた役だったわけですよ。
一体どんな演技をしたんだろうとふたを開けてみたら、基本的に鏡越しやTVを見てのリアクション、電話越しに向かって怒鳴るなど「一人芝居」ばかりだったんですよ。
そりゃしっかり演技できたけど、掛け合いがないとどうしても賞レース級の演技をしてたかどうか俺には判断つかないんですよ。
確かにあれだけの特殊メイクをして、さらにアクションまでしなきゃならない。
実年齢より老いた自分の格好をしながら怒りを高めていく芝居も、一人だけどよかった。
でも、やっぱり物足りないんですよ、ノミネートした割には。
メイクが決まらなくてヤキモキした結果放心状態でベッドに横たわるのなんか、結構リアルだったりしてよかったし、そもそもがっつりヒアルロン酸やら整形やってるような顔をデミ・ムーアがこんな役をやること自体相当な覚悟で、自身もきっと気にしてたことだったんだろうと。
それを作品で葬ることをやったことに対する評価は理解できます。
やっぱり、どっちかが活動中はどっちかが寝ているって設定がね~掛け合いを失わせてますからね~。
仕方ないんでしょうけど、できないことはなかったよなぁ。
最後に
ルッキズムだエイジズムだミソジニーだと色んなものを風刺した内容をボディホラーでエンタメ色強く作られてましたが、やはり職人監督が好きな僕としてはそこにクリエイターファーストな面が色濃く出ていたせいか、期待値を下げて臨んでもやはり好みではなかったです。
EDMの主張も色々感情を煽ってくる面で機能してたけど、それが逆に今の映画として強調し過ぎていて、10年後もこの映画が語られるのかなぁ?とか考えちゃいましたね。
やっぱね、全体的にMVの域を抜け出せていないのも何か嫌だ。
後半、いや終盤こそ映画的カタルシスが滲み出ていたから形を成していたけど、全体を通してみたら僕が求める映画ではなかったです。
これはもう好みの問題。
テーマで見て楽しむのもいいけど、脚本だとか演出だとかカメラワークだとかそういう技術的な面で物語を活かすものになっていたかどうかは、僕からしたらなってなかったなと。
テンポは決して悪くなかったからなぁ、ホント勿体ない。
フランス映画はやっぱり相性悪いわ…。
あとどうしてもよくわからなかったんだけど、サブスタンスを中止した直後にとりやめたことで、精神分裂の如くスーとエリザベスが互いに起きた状態になったのはどういうことですかね?
結局サンセット大通りや永遠に美しく…あたりをを混ぜた映画だったな。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10