モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「TAR/ター」感想ネタバレあり解説 驚愕のラストだったし幽霊いたよね?

TAR ター

完璧主義者って言葉を聞くと、高い理想を持ってたり、自己責任感が強かったり、物事を円滑に進めたい気持ちがあったりと、とにかく自分の思い通りに進めたい人のことを言うのかなと。

 

もちろんストイックな精神を持っていてかっこいいとは思いますが、臨機応変に対応できない面だったり、一度躓くと立ち直れなくてフリーズしたり、とにかく失敗を恐れたりと、理想と現実の差が激しいのかなと。

 

そして何より完璧主義者が面倒なのはそれを相手に押し付けること。

相手を巻き込んでまで完璧である必要があるのかと。

それはもう自己満の域であり、相手のペースに合わせられない自己中であり、個人的には関わりたくありません。

 

とはいえ、自分が全く完璧主義とは程遠い人間かと言われるとそうでもなく、どこかしらで「こうでなくてはいけない」とか理想を追い求めすぎて周囲を巻き込んでしまっていることはあるのかなと。

 

今回観賞する映画は、そんな完璧主義な天才女性指揮者の物語。

クラシックの世界は確かに完璧でなければ通用しない場所だとは思いますが、そこで王として権力者として君臨するあまり、名声の重圧と些細な歪みによって歯車が徐々にずれていくという映画。

気持ちはわかるが、コイツの下では働きたくありませんw

いったいどんな映画なのでしょうか、早速観賞してまいりました!

 

 

作品情報

自身4度目となるゴールデングローブ賞主演女優賞受賞をはじめ、ヴェネチア国際映画祭、あらゆる批評家映画賞を総なめし、第95回アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートを果たしたケイト・ブランシェットの最高傑作の呼び声高い作品。

 

絶対的な権力を振りかざし、ついに音楽界の頂点に君臨した天才指揮者が、名声による重圧と何者かによる陰謀によって自身の闇をさらけ出してく、芸術と狂気のサイコスリラー。

 

イン・ザ・ベッドルーム」、「リトル・チルドレン」でアカデミー脚色賞にノミネート経験を持つトッド・フィールドが16年ぶりに長編映画を製作し話題を呼んだ本作は、彼の鋭敏な映像表現とケイト・ブランシェットの唯一無二の演技により、観る者の五感を震わせる衝撃を与えた。

その結果もあって、本作は第95回アカデミー賞において作品賞はじめ6部門にノミネートを果たした。

 

主人公ターの恋人で養女を共に育てるシャロン役には、「Yella(原題)」でベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)を受賞したニーナ・ホス

副指揮者フランチェスカ役には、「燃ゆる女の肖像」のノエミ・メルラン

ロシア人チェロ奏者オルガ役には、実際チェリストとして活動し、本作が女優デビューとなるソフィー・カウアー

そしてターの財団を支援する投資家エリオット役に、「キングスマン」のマーク・ストロングなどが出演。

全員が女性マエストロに翻弄されながらも、複雑な心境を抱くキャラを熱演した。

 

クラシック音楽映画というジャンルに、ジャズや民族音楽を取り入れる斬新な発想を詰め込んだ本作。

崇高な芸術の世界で、人間の欲と狂気が禁断のシンフォニーを奏でていく、禁断の物語です。

 

あらすじ

 

リディア・ター(ケイト・ブランシェット)に、叶わぬ夢などなかった。

 

アメリカの5大オーケストラで指揮者を務めた後、ベルリン・フィルの首席指揮者に就任、7年を経た今も変わらず活躍する一方、作曲者としての才能も発揮し、エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞のすべてを制した。

師バーンスタインと同じくマーラーを愛し、ベルリン・フィルで唯一録音を果たせていない交響曲第5番を、遂に来月ライブ録音し発売する予定だ。加えて、自伝の出版も控えている。

 

また、投資銀行家でアマチュアオーケストラの指揮者としても活動するエリオット・カプラン(マーク・ストロング)の支援を得て、若手女性指揮者に教育と公演のチャンスを与える団体「アコーディオン財団」も設立し、ジュリアード音楽院でも講義を持つことになった。

 

 

そんな超多忙なターを公私共に支えているのは、オーケストラのコンサートマスターでヴァイオリン奏者のシャロン(ニーナ・ホス)だ。

彼女はターの恋人で、養女のペトラを一緒に育てるパートナーでもある。

さらに、ターの副指揮者を目指す、アシスタントのフランチェスカ(ノエミ・メルラン)も、厳格かつ緻密なターの要求に応えていた。

 

 

誰もが自分に従う王国に君臨するターだが、このところ新曲の生みの苦しみに頭を痛めている。

仕事部屋に独りでこもり思索に没頭していたターは、どこかの部屋からかそれとも幻聴なのか妙な音が聞こえるようになる。

同時に交響曲第5番のリハーサルも始まるが、ターが要求する水準はこれまでより遥かに高く、彼女の思う演奏にはなかなか辿り着かないことにも焦っていた。

 

 

そんな中、財団のプログラムでターが指導した、クリスタという若手指揮者が自殺したのだ。

ターは巻き込まれることを恐れて、それらのメールをすぐさま削除する。

 

 

夜中、規則正しいリズムの音で目覚めるター。

何事かと探すと、書斎のメトロノームがつけっぱなしになっていた。

ペトラかと疑うが、彼女は勝手に入ったりしないという。

リハーサルは相変わらずうまくいかず、クビにしようとした副指揮者のセバスチャンからは、フランチェスカと関係があって彼女をひいきにしているのだと非難される。

 

そのフランチェスカもターの命令に背いて、クリスタからの抗議のメールを削除していなかった。

 

 

様々な重圧から追い込まれていくターの唯一の喜びは、新人チェロリストのオルガ(ソフィー・カウアー)の存在だった。

その輝く才能と何事にも物怖じしない奔放さに惹かれたのだ。

 

ターはコンサートのもう1曲を、オリガが得意だというエルガーのチェロ協奏曲に決定し、ソロ奏者はオーディションで選ぶと発表する。

第一奏者は傷つき、シャロンは嫉妬にかられ、他の楽団員たちにも驚きと反発が広がっていく。
           

ようやく演奏が完成に近づいた時、ターは財団からクリスタの自殺に関して、弁護士に連絡するようにと指示される。

財団にターへの告発状が届いたというのだ。

思いがけない陰謀が動き始め、ターの心の闇は少しずつ広がっていく─。(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

 

感想

正直会話の半分程度しか理解できてないんだけど、長回し風ワンカットになってるのに気付かないほど、スリリングな描写と会話に没頭。

ラストは「えっ!?」ってなったw

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

結局何の話だったのか

世界最高峰の楽団「ベルリンフィル」で女性初の首席指揮者として抜擢され、未だ誰も成し遂げていないマーラーの交響曲の9つ目のライブ録音を成し遂げようとしている主人公が、彼女を師事した将来有望な女性の自殺という事実によって、徐々に精神を蝕まれていく姿を、権力、ヒエラルキー、多様性、キャンセルカルチャー、それにクラシック界はどう応じるのかといった現代社会への言及という主題を基に、長回し風ワンカットや不快な音を多用してスリリングな描写に仕立て上げながらも、寓話とは思えないリアルなオーケストラややり取りの過程や風景など、とにかく多くの部分を語りたくなる素晴らしい作品でした。

 

2時間40分。

正直端折ればいいなと思う部分や、逆に終盤は丁寧に描いてほしかったななど、個人的な注文は数多くあれど、クラシック業界に全く持って知識のない自分でも圧倒された作品でした。

 

もうお話はすごく単純で、権力を手に入れた主人公が権力を振り回してく内に、過去の行いが今の自分に降りかかってきて、せっかく手に入れた地位を失ってしまうけど、彼女はそれでも音楽に真摯に向き合うっていう話。

 

劇中ではインタビュー形式の講演会から始まり、ジュリアード音楽院での講師を務めたり、その間ベルリンフィルでライブ音源のリハをしたり、自伝出版に作曲に、パートナーや養子とのプライベートにととにかく大忙しなリディアの姿が描かれてるんだけど、徐々に彼女がこの地位を得たことで権力を使ってやりたい放題な言動や行動をしているかを包み隠さず描いてるわけです。

 

そして彼女をサポートしてきた指揮者志望の女性クリスタが自殺したこと、それを両親から告発されたことで、大忙しな彼女の精神が蝕まれていくっていう。

 

権力という魔の魅力

どこの世界もまだまだヒエラルキーによって力の差が生まれており、その座を争うための椅子取りゲームが展開されていたり、今の座を保持するためにトップに媚び売ったりへつらったりYESマンになったりという周囲の人物の姿も浮き彫りになっていくのが本作の面白い点でもあります。

 

それこそクラシックの世界で、しかもベルリンフィル交響楽団という最高峰の場所で演奏できるって、音楽家にとって夢のまた夢だったりするわけで、せっかく掴んだのだから離れたくない一心だとは思うんです。

人間のエゴってやつですかね。

そういう周囲の思惑だったりリディア自身の純粋な欲求が醜態へと変化していく過程が余すことなく描かれてました。

 

実際に劇中でも名前が登場したカラヤン(長くベルリンフィルで指揮をした人)を始め、色んな指揮者たちが、権力を使って横暴なことをしたり、意のままに演奏者に罵倒したりクビ切ったりとやりたい放題だったそうな。

 

我々が暮らす社会ではこうしたヒエラルキーのトップがこういう暴挙をすることは断固反対ですが、やっぱり先人が作った偉大な音楽を現代的解釈を含めて芸術として表現するには、やはりタクトを振る=先頭を走る人が完璧だと思わなければ完成できない、非常に難しい分野なのかなとも。

 

要は俺が出したい音をお前らが出してくれねえと俺の芸術は完成しねえんだわと。

だからやりたい放題やって何が悪いんだっていうことの表れなのかなと。

 

結局リディアも過去に将来有望な女性を追い込んで、彼女がどこの楽団でも指揮できないように根回ししていたのは、やがて自らが掴んだ地位を脅かす存在になるかもしれないってことで、若いうちに芽を摘むための行為だったように思えます。

 

もしくは、パートナーがいながら恋仲になろうとしていたのを拒まれての腹いせか、それとも自分の考えにそぐわない態度を幾度となくとってリディアが腹を立てたか、他にはアイディアをリディアが盗んだとか、音楽に対する解釈の違いか。

その辺の経緯は想像するしかありませんが、冒頭でのフランチェスカとのメッセージのやり取りの相手は恐らくクリスタであり、リディアをボロカス言っていたので、関係がだいぶこじれていたんだろうと。

 

 

このように本作はあくまで女性が頂点に達したというところから始まり、こうした権力を振りかざしてるってことから、もはや権力を持ったら性別関係なく使い回すって話なのかなと思ってしまうわけです。

 

 

また本作ではキャンセルカルチャ―について言及した内容となっており、まさしくリディアに降りかかった問題は、そうしか過去の言動や行動がSNSによって歪曲されて拡散されてしまい、地位を失ってしまう問題を描いています。

 

先ほど語ったように一昔前ならこうしたハラスメントを指揮者が行ったとしても楽団側は指揮者ファーストと考えていたのか目を瞑っていたようですが、現代ではクラシックの世界でもやはり問題視してるってことの表れなんでしょうか。

そもそも歴史ある交響楽団もそうですし、伝統芸能ってパトロンが多く存在して支援してる背景ってのがありますから、そういうところにも配慮した運営が大事なわけで、興行に穴をあけるようなモノならばそれなりの対処は現代では必要不可欠なのかなと。

 

ジュリアード音楽院のシーン

他にもジュリアード音楽院での男性生徒とのやり取りも色々考えてしまいます。

バッハは男性優位主義だったからってことで全く聞かないしやりたくないという男性生徒に対して、お前ちゃんとバッハの音に耳を傾けてるかという問いを皮切りに、思いっきり論破するリディアの姿が描かれています。

 

これって要は作曲者の芸術性の話と人間性の話になってるんでんすよね。

 

もちろん男性生徒の言ってることは至極まっとうな話で、そんな人間はこの多様性を重んじるの時代に必要ない存在だってことで、彼の作った作品自体もそうした人間性の元に生まれたものだから拒絶すると。

もちろんそれは支持したいんだけど、あなたが今扉を開いたこのクラシックの世界ではそんな考えは通用しねえぞとリディアは言うわけです。

偉大な音楽家がどういう思いでどういう意図でこの曲を作ったのか向き合う義務があると。

でなければタクトを振る資格はねえぞってのを皮肉を込めて、みんなの前で追い込むわけです。

 

変な話、クスリやってた俳優が捕まったことで彼が出演した作品を見ないってのは、観賞する側としては正しい選択だと思うんですけど、仮に彼の演技がとても素晴らしいのであれば演じる側は参考にするべきなのでは?みたいなことにもつながるというか。

悪いことをしたからその人の作品や著作物は、供給する側はすべて排除すべきなのかってのにもつながるというか。

 

もちろん十人十色の意見があって良い問題だとは思うんですが、僕としてはやはりタクトを振る以上そんな自分の都合で拒絶するってのはどうなんだろうってのは、このシーンを見て感じましたね。

 

幽霊おった!?

クリスタの自殺、そして追い込んだ当事者として告発されることで、徐々に精神を蝕んでいくリディア。

 

劇中では、音に携わる仕事柄耳の良いリディアが、些細な音が気になって仕方がないシーンがいくつも登場します。

ドアのチャイムの音が気になったり、冷蔵庫のブオーンという可動音が気になったり、誰も触れてないのに鳴ってるメトロノームが気になったりと、自然なモノもあれば不自然な音に反応してしまう姿から、彼女の心の中が透けて見えるような映像を映してしました。

 

ただですよ、一瞬人影のような姿が映るんですよね。

これ実は観賞前に「幽霊がいる」って情報を目にしてしまって、観賞中注視してたんですけど、一か所だけ見つけることが出来ました。

 

そもそも本作の映像、リディアの仕事部屋だったりシャロンとの自宅だったり、それこそ劇場でもどこかしらに「余白」があるんですよ。

リディアをなるべく真ん中に置かず、比較的左右どちらかに置く。

対照とする位置には誰かがいてもおかしくないのに、誰も置かない。

たまにあるのは鏡だけ。

映画としては、その後誰かが来るとかが予想される配置なんですけど、結局誰も来ない。

要は意味深なんですよ。

 

だからこういう構図になった時は目を光らせていたんですけど、一向に人影らしきものが見当たらない。

 

そんなことを思いながら見ていたら、全然違う箇所で飛び込んできましたよw

 

それがこれ。

Tar movie ending: Everyone's reading the Cate Blanchett ...

 

そう、夜中飛び起きたリディアのベッドの奥の椅子に誰かが座ってるんですね。

もちろんゾクッとしましたよw

 

どうやら調べてみたら他にもいた様子で、日中部屋で譜面を取ろうとするリディアの後ろのカーテンの奥に映ってたみたいです。

多分他にも映ってたかもしれません。

 

結局のことろ、これ偶然映ってしまったとかではなく、意図して映り込ませたのだと思います。

しかもそれは恐らくクリスタ。

 

冒頭のインタビュー形式の講演会では、後ろ姿の女性がクローズアップされてるんですけど、劇中映り込んでる女性はクリスタなんじゃないかと。

 

実際誰かいるような気配をリディアも養子のペトラも感じてるので、きっとそうだと思います。

 

何で現れるかってもちろんリディアに執拗に芽を潰されて死に追い込まれたことに対する怨念ですよね。

お前なんか地獄に落ちろと。

 

 

ぶっちゃけこういう予想してなかった展開も怖かったんですけど、ジュリアード音楽院の学生の貧乏ゆすりとか、微かに聞こえる不快音とか、無駄に奥行きのある部屋とか鏡とか、もうとにかくいや~で不穏な映像が続くんですよ、特に後半から。

まさしくリディアの心理描写だと思うんですけど、スリリングでしたね。

 

他にも新たにやってきたチェリストのオルガの存在も怖い。

練習風景で一人リディアに微笑んでたり、チェリストに選ばれてからはリディアが可愛がってNYへ連れてくんだけど、会見は聞いてないし誰かにメッセージ送ってる(しかも相手はリディアをクソと言ってる→クリスタ???)。

そして夜な夜な派手な格好して一人で遊びに行ってる。

 

多分オルガは彼女がレズビアンなのを知っていて、それを利用して近づき見事念願の手リストの座を手に入れ、そしたらリディアは用無しみたいな。

 

そもそも彼女は存在していたのかさえ疑う始末。

車でオルガを家まで送ったリディアは、彼女が車にクマのぬいぐるみを忘れたことに気付き、慌てて追いかけて渡しに行くんだけど、そこは誰も住んでる気配のない廃墟だったという。

しかも野良犬に追いかけられて急いで逃げるんだけど、足を踏み外して顔に大けがを負うという。

 

彼女はリディアに復讐するために生まれ変わったクリスタとも思えてしまう不思議な存在でしたね・・・。

 

 

最後に

今年度のアカデミー賞主演女優賞にはミシェル・ヨーが選ばれましたが、事演技に関してはどう考えてもケイト・ブランシェットだったろうってのは、本作を見れば容易かと。

時にしなやかに時に力強くタクトを振るう緩急使ったコンダクトはもちろん、どんどん精神を病んでいく姿や、それでもみんなの前では強気な姿勢を崩さないプライドの塊みたいな姿。

そして首席指揮者を降ろされた腹いせに、演奏会の前で勝手に登場し暴力を振るって指揮者台に立つリディア。

どれもこれもEGOTという偉業を達成した功績がにじみ出たような高いプライドの塊みたいでしたからね。

 

 

ラストシーンは驚愕でした。

おそらくパートナーは解消され、容姿とも会えずという状態の中、再起を図るためにタイまで向かいタクトを振るんですが、その演目というのが「モンスターハンター」のオーケストラコンサートという・・・。

観客は皆ゲームのコスプレをして演奏が始まるのを楽しみにしており、楽団の後ろには大きなモニターがあり、そこに浮かぶのはお馴染みのモンハンのエンブレム。

ナレーションが響く中、演奏が始まる前に幕を閉じるという、なんとも言えないエンディング。

 

そこまでの過程では彼女が再びどこかでオーケストラを指揮するんだろうと予想しながら見ていたわけですが、まさかモンハンとは…。

それでもリディアは権力を捨ててでも音楽と向きあい、情熱を注ぎ、作曲者の意図をしっかり読んで解釈をし演奏に挑むという姿勢は変わりません。

 

純粋に音楽が大好きな人間として幕を閉じるのです。

これにより、本作は権力というモノが如何に人間を狂気に導くかを描いた作品であると解釈できるのかなと。

また、そうしたフィルターを外せば、音楽は純粋に響くものなんだってことも意図した物語だったのかなと。

 

いやぁ~面白かったですね。

もっと知識があれば楽しめたんでしょうけども(いかんせんクラシック音楽なんてのだめカンタービレ程度しかないもんでw)、それでも映画として素晴らしい演出と演技を堪能できた作品でしたよ。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10