サンキュー、チャック

スティーブン・キング原作の映画といえば「IT/イット」や「シャイニング」、「ミスト」に「キャリー」などホラー系が多いことはご存じかと思います。
だけど「アトランティスのこころ」や「グリーンマイル」「ショーシャンクの空に」など涙腺が緩む物語もしばしば見受けられたり、活動も50年にわたることから、映画を通じて原作を読む人もいれば、原作から映画のファンになるなど、世代を超えて幅広いファン層がいるのが、キングのすごいところでもあります。
残念ながら私、未だにキングの本を1冊も読んだことがなく、いい加減どれでもいいから読まないとなと思っております。
それこそ2026年は「ランニング・マン」から始まり、本作「サンキュー、チャック」、そして「ロングウォーク」が控えていることから、ある種「キング・イヤー」でもあるわけで、このタイミングを逃したらマジで読まなそうなので本気で読みたいと思います(その結果はいずれどこかで…)。
さて今回鑑賞する映画は、世界が終わりを告げようとするときにあらわれる謎の広告、それに翻弄される者たちと、広告の謎に迫るお話。
何やら見たらエラい感動する話みたいで、原作本も「読んだら人生が変わった!!」なんて大げさなレビューまで出てるらしく。
そうなるとハードルが上がってしまうのが俺の性分なんですが果たして。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
「シャイニング」や「IT/イット」「キャリー」など世に数多くのヒット作を輩出している小説家スティーブン・キング。
作家生活50年を超える大巨匠が、2020年に発表し、読む者の人生観を変える新たなる傑作の一本と名高い小説「The Life of Chuck」を、『ジェラルドのゲーム』『ドクター・スリープ』に続き、スティーヴン・キング小説の映画化に挑むマイク・フラナガンの手によって実写化。
未曽有の危機が地球を襲い、世界が終わりを迎えつつある時代を舞台に、突如大量に流れる謎の広告に影響を受ける者たち、そして広告に映る謎の人物の人生をさかのぼっていく物語を、美しい映像と優しい語り口のナレーションを添えて描く。
今回撮影には監督の奥さんや息子が参加。
監督曰く「いつか私がこの世にいなくなった時、子供たちがこれを見られるように。この映画が子供たちが巣立つ頃にも残っていると思うと、制作に関わることができたことをとても幸運に感じる」と、家族と一緒に作り上げた本作への熱い想いを打ち明けた。
さらに第2幕で描かれるダンスシーンでは物語に重要な部分とのことで、主演のトム・ヒドルストンは6週間もの時間を練習に費やし挑戦。
天候の急変や150人のエキストラの配置など、撮影現場ではさまざまな困難にも見舞われ、前日に変えたダンスを取り入れるなど即興性を出しながら試行錯誤して製作したとのこと。
そんな主人公・チャック役には「アベンジャーズ」シリーズのキャラクター・ロキでおなじみのトム・ヒドルストン。
チャックの祖父役を、「スター・ウォーズ」のルーク・スカイウォーカー役でおなじみマーク・ハミル。
マーティ・アンダーソン役を、「ブリジット・ジョーンズの日記/サイテー最高な私の今」のキウェテル・イジョフォー、フェリシア・ゴードン役を、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのカレン・ギラン、青年チャックの役を「ルーム」「ワンダー君は太陽」のジェイコブ・トレンプレイ、少年チャック役を、ヒュー・ジャックマン主演の舞台でブロードウェイデビューを果たし、将来を期待されているベンジャミン・パジャックなどが出演する。
世界の終末に突如現れた広告「「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」。
一体これは何なのか。
恐怖で幕を開ける物語は、全編に張り巡らされた謎を一つ一つ解き明かすことによって、人生の〈終わり〉を恐れる必要などないことを証明してくれる。
今この瞬間を生きることの歓喜に包まれる、ヒューマン・ミステリーです。
あらすじ
カリフォルニアで大地震が発生、フランスは津波に襲われ、メキシコでは森林火災が都市まで広がり、トスカーナでは街が水没──
次々と起こる災害にすべてを破壊され、ついに世界は終わろうとしていた。ネットやSNSが繋がらなくなる中、街頭看板やラジオ放送に突如現れたのは、「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という不可思議な広告。だが、カメラに向かって微笑む中年男性のチャック(トム・ヒドルストン)が何者なのか誰も知らない。
ハイスクールの教師を務めるマーティー・アンダーソン(キウェテル・イジョフォー)は、別れた妻フェリシア・ゴードン(カレン・ギラン)からの電話に応える。
看護師を務めるフェリシアは、絶望のあまり自殺を選ぶ人々への対処に疲れ切っていた。互いを思いやる会話を交わし、電話を切ったマーティーがテレビをつけると、まもなく全局がダウン、そこに突然、またしても“チャック”の広告が流れるのだった。
翌朝、マーティーは隣人から近くの道路が陥没したと聞き、学校へ行くのを諦める。
フェリシアに連絡しようとするが、“接続できません”と表示される電話を捨て、彼女の住む街へと歩き出すマーティー。
乗り捨てられた車で埋め尽くされた、まさに終末の風景の道路にも、チャックの街頭広告だけは並んでいた。
マーティーが道中で出会った、ある紳士はチャックのことを、「20人以上に尋ねたが、誰も知らなかった。世界の終わりの象徴かもしれんな」と語る。
すっかり日が暮れて、ようやく目的地にたどり着くマーティー。
すると、街灯が一斉に消えて、街が闇に包まれた直後、建ち並ぶ家々の窓に、チャックの広告が浮かび上がる。
恐怖に駆られたマーティーはフェリシアの家へと駆け付ける。
マーティーとの再会を喜びながらも、フェリシアは彼に「そろそろよ。その時が来たの」と厳かに告げるのだった。
果たして、世界は本当に終わるのか?チャールズ・クランツ、通称チャックとは何者なのか?
なぜ、感謝されているのか?
39年間の意味とは?
一つ、また一つ、謎が解き明かされた時、すべての悩める魂に語りかける、もう一つの物語が始まる──。(公式より抜粋)
感想
#サンキューチャック 鑑賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) May 1, 2026
左へカーブを曲がると光る海が見えてくる
僕は思う この瞬間は続くと いつまでも
ウィットマンの詩よりも小沢健二の詩が脳裏をよぎった人間讃歌。
ダンスシーンはなぜか涙が止まらなかった。
たぶん俺が生きてる理由が詰まってたから。… pic.twitter.com/qcU2RyduNT
なんで小沢健二の歌のフレーズが浮かんだんだろ、俺が歩んだ人生だからかな。
終わりから辿る変な構成なのに、やたらナレーションで語っちゃう映画なのに。
どうして感動してしまったんだろう。
以下、ネタバレします。
何故逆から進むのか。
ウォルト・ホイットマンの代表作『Leaves of Grass(草の葉)』に登場する「I contain multitudes」という一節から始まる本作。
キウェテル・イジョフォー演じるマーティは学校の教員らしく、生徒にこの詩を朗読させているんだけど、誰も聞いてない。
何故なら今しがたカリフォルニアでマグニチュード9.1を記録する大地震が起き、町全体が崩れ去った、らしい。
世界の終わりへのカウントダウンが鳴り響ているというのに、今授業してる場合っすか!?
多分マーティ自身もそうだったろう、なんでこんな時に一生懸命保護者相談や授業をやってるのか。
それこそ俺たちはパンデミックを経験し、大震災も経験した。
あの時確かに「本当にヤバいかも」と思った人は多いだろうし、「別に余裕っしょ」と思う人もいたと思う。
新しい戦前と言われて数年経った今、本当に戦争が近づいている足音が鳴る中、ぶっちゃけ映画を見てる場合かとも思ったり、映画を見て現実逃避したり。
何が言いたいって、子供のころより世紀末だよなぁ今って感じなんですよ。
何が起きても変じゃない そんな時代さ覚悟はできてる
ってミスチルの歌じゃねえけど、これだけ経験してきたから麻痺ってるし、災害が起きても死ぬ覚悟はできてる、みたいな。
でも世界はまだ滅ばないって認識が強いからこんな事言えるのかも。
マーティも彼の元奥さんも、周囲の様子が明らかにおかしくなってくの見て、気が気じゃなくなって不安になるけど、本当に「ヤバい」となったら誰もが「死ぬ前にすべきこと」や「死ぬ前にやっておきたいこと」「死ぬ前にあっておきたい人」を思い浮かべると思うんすよ。
だから保護者相談でとあるパパは奥さんに逃げられて悲しむし、パパさんの気持ちもわかるけど世紀末だから奥さん許したって、って思ったり。
なんだかのらりくらりと感想を書いてるんですけど、めちゃめちゃいい映画だったんですよ。
何なら泣いたし。
だけど映画的に歪で好みの演出でもなくて。
要は相当エモーショナルな映画だったってことです。
「自分の中には無数の人が存在している」
冒頭で触れた言葉の通り、第1章にあたる第3章≪ややこしいよね、でもそういう表示なんですよ)に出てくる登場人物は、実はチャックの脳内世界だってことが後に分かってくる。
これは物語が進まないと分からないカラクリで、序盤はあちこちに出てくるチャックの広告を見て不敵に笑ったりできたけど、さすがに町が停電して家の窓z年部に電子公告が流れた時は、「これまじでどうなってんの?」となりましたよ。
そりゃキングですからちょっと怖くない?と。
この第3章で語った宇宙カレンダーや登場キャラが伏線になっていくのも面白いし、終わりから始まる映画そのものがベンジャミンバトンみたいな構成になってて妙に新鮮なのが記憶にも残るのかと。
ダンスシーンで感涙
第2章になると、一気にナレーションが増えてくる。
ある女性はドラムをたたく路上パフォーマンスを始める。
いつ誰でもチップを放り投げられるように帽子の中に2ドルを入れたまま演奏を始める女性。
もう一人メガネをかけた男性チャック。
そう、第1章でやたら「ありがとうチャック!」と流れる広告に映っていたあの男。
どうやら会計士の仕事をしているそうで、仕事と仕事の合間の様子。
そしてもう一人赤いワンピースを着たキレイな女性。
どうやら彼氏に浮気され怒り心頭のご様子。
そんな3名がダンスを踊るというというのが第2章。
ドラムの女性は前から歩いてくるチャックを気に留め、彼に嘆かれるようにリズムを変えていく。
どうせ通り過ぎるだろうと思った矢先、チャックは急にステップを踏み始め、カバンを置いて、彼女の叩くドラムの音に合わせて徐々に体を大きく揺らしていくではありませんか。
普通に刻んだビートでは飽きてきたのか、女性は突如カウベルを鳴らしてリズムを変えていく。
自然とそのリズムに合わせて大きくステップを踏んでいくチャック。
気が付くとギャラリーが輪を作り出し、手拍子や歓声まで飛び出す盛り上がりを見せていく。
チャックは自分おダンスに釣られて無意識に踊り出した赤いワンピースの女性に、シャルウィーダンス?していく。
突然の誘いに戸惑いを見せる女性だったが、僕がリードするから大丈夫とジェントルメンな誘いに身を任せることを決心。
やがて二人はメトロノーム並みに正しいリズムでビートを刻むドラムに体を任せ、徐々にステージを大きく使うなど社交ダンスさながらのダンスを披露していく。
ドラムと女性と三位一体となったチャックは、ギャラリーから鳴りやまない歓声と喝采を浴びるが、アンコールには答えない身のわきまえをみせ、パフォーマンスは絶頂のタイミングで幕を閉じていく。
なぜだかはマジでわからない。
このシーンで涙が止まらなかったんです。
人が踊ってる姿を見てなんで感動してしまうのか。
別に見てないけど、りくりゅうのフィギュアスケート見ても感動できるくらいには涙もろい性格になったけど、このダンスシーンはあまりにも唐突に行われるから確実に伏線とかないし、ドラマにもなってないんで理屈で考えると涙が流れる理由がないんですよ。
ないと言ってるけど、おそらく、おそらくですよ?
きっと俺が生きてる理由はこの瞬間を味わいたいために生きてるんじゃないかってのがあって。
それを大きなスクリーンで見せられたから泣いてしまったのではと自分の心を考察してみましたw
何だ自分の心を考察ってw
あの町でドラムが鳴ってることはチャックも女性も知らない、ドラムは男性がいきなり踊り出すなんて思ってもいない。
其々が其々の理由であの交差点を通り、言葉通り交わることは誰も予想できないんですよ。
でも、起こった。
彼らだけじゃない、たまたまあの街に足を運んで各々の事情で用を済ませた、または用を済ませようとしていた、そんな時にあのダンスを見かけて拍手を送るギャラリーだって、それを予想できない。
でも、起こった。
チャックの人生はその後のエピソードで祖父母からダンスと数学を教わることが明かされるので、あそこに立ち寄ってリズムに合わせて踊ることは、なんとなく必然とも思えるんだけど、他のキャラにはそうしたバックボーンが描かれないから、本当にあれは偶然の産物。
よく言うでしょ、人生は無数の選択によってなんたらかんたら、みたいな格言。
実際そうじゃないですか、選択してきた先に未来があってそれによって人と繋がっていく、それこそが人生だと。
正にあのダンスシーンは、そうした選択の連続によって生まれた瞬間で、俺自身も誰かがドラムをたたいてくれるのを待ってるタイプの人間だったり、そうはならずにギャラリーとして見物するだけかもしれないし、何よりもああいう瞬間によって生まれる幸福が来るのを願ってやまない、それだけのために生きているから、あのシーンで泣けたんじゃないかと。
映画で普通に泣くタイプで、泣くときは何となくわかるんですよ「ああこれは泣いちゃうな」みたいな予想。
だけどこればっかりは全く予想できなかった、知らんうちに涙が流れてた。
自分でもびっくりした。
そんな感動してしまったダンスシーンから、物語はチャックの少年時代へと突入。
ここで祖母からダンスを教わったこと、祖父から数学を教わったこと、ビクトリア朝の丸屋根部屋で祖父が見たもの、そして隠していたことが描かれていきます。
皆どう思って生きてるか知らないけど、誰もが「死ぬために」とか終わりに向かって生きてるなんてしてないと思う。
楽しいことばかりの人もいれば苦しい人ばかりの人、月曜日が憂鬱な人もいれば週末が楽しみな人もいたりと、「今」を生きてる人がほとんどだと思う。
そんな中で世界が終わりを迎えようとしても、自分の中の宇宙は美しく素晴らしく、誰から奪われることのない、生きる価値がある人間なんだ、いかにも眩しすぎるテーマの話なんだけど、あながち間違ってねえよこの映画の言うことは、そう思わせる映画だった気がします。
最後に
サンキュー、と39年ってひっかけかな?とかしょうもないことを考えたりもしましたが、39年で生涯を終えるって現代ではかなり短い。
もっとやりたいことがあったろうし、家族を残して先に逝くなんて普通悲しくてやりきれないと思うんですよ。
だけどそうした後悔が全く見えずに、家族に看取られながら息を引き取っていくチャックの人生は、間違いなく素晴らしかったんでしょう。
祖父が自分の死期を悟ったように、チャックもダンスシーンでの頭痛で悟ったとも取れる。
俺と言えば音楽に没頭し諦め映画が趣味に変わり今を生きてるわけですが、それが役にあった活かされた時ってあったのかなと、自分の人生を振り返りたくなりましたね。
でも多分今の時点ではそれはわからないんでしょう。
365歩のマーチじゃねえけど、俺が付けた足跡にはきれいな花が咲いてましたって死ぬ前に思えたら最高だし、僕のあげたものでたくさんの人が幸せそうに笑っていて、それを見た時の俺は、ようやく探したいモノを見つけることができたって槇原敬之の歌の様な人生を送れたらいいなと思いましたw
ありがとう、チャック。
良い映画だったよ。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10

