ザ・ブライド!

第98回アカデミー賞で見事主演女優賞を受賞したジェシー・バックリー。
「ジュディ 虹の向彼方に」で彼女を見て以降、「この人絶対アカデミー賞獲るぞ!」と確信。
彼女の演技にすっかり虜になってたモンキーは、今回の受賞が自分のことのように嬉しいのであります。
しかし彼女が受賞した作品は「ハムネット」で、今回鑑賞する映画ではない!
そう、今回鑑賞する映画は彼女が「フランケンシュタインの花嫁」を演じるリメイク作品。
ギレルモ・デル・トロの「フランケンシュタイン」でようやくあの怪物がフランケンシュタインではないと知った人も多かったと思いますが、こっちのフランケンシュタインは「怪物くん」のあれと同じく「怪物フランケンシュタイン」だからややこしい。
また、彼の花嫁とされるキャラも「死んで蘇らせた女性」でああることから、「哀れなるものたち」にも通じそうなテーマ性を孕んでいそうな予感。
さらに監督が、子供を手放した女性の悔恨を見事な表現で描いた「ロスト・ドーター」のマギー・ギレンホール!
その主人公の若かりし頃を演じたのが、ジェシー・バックリーという流れを知ってる人なら、もうこの映画を見たくてしょうがないはず。
「MEN 同じ顔の男たち」や「もう終わりにしよう」のような繊細な感情表現も見せる一方で、「ワイルド・ローズ」のようなちょっとやんちゃなキャラ、そして元気溌剌で天真爛漫なインタビューでの姿など、とにかく喜怒哀楽が見ていてい清々しい彼女が、どこか中指立てるかのようなアナーキーなビジュアルでどんなキャラを演じるのか、ものすごく楽しみなのであります。
このままだとイントロダクションだけで4000文字超えそうなのでこの辺でw
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
俳優・ジェイク・ギレンホールの姉で、俳優ピーター・サースガードの妻、そして女優として監督としても才能を放つマギー・ギレンホールの第2作目となる作品は、メアリー・シェリー原作から映画化された「フランケンシュタイン」の続編にあたる「フランケンシュタインの花嫁」のリメイク作。
1930年のシカゴを舞台に、孤独な怪物が死んで蘇った女性を伴侶に迎え送る逃避行の行方を、当時流行だったミュージカル映画やフィルムノワールを意識しながら、時にゴシックに時にパンクなビジュアルで魅了する、実験的な愛と破壊の痛快エンタテインメント。
デビュー作「ロスト・ドーター」で第94回アカデミー賞脚本賞にノミネートされたマギー・ギレンホール監督が、『フランケンシュタインの花嫁』に着想を得て大胆で型破りな形に広げ、“声”すら持たなかった花嫁《ブライド》に主体性と、知性、欲求、魂を与えて、愛と解放をもたらす革命的な物語にしあげた。
そんな彼女が「同じ価値観を持っている」と豪語し、彼女を想定しないよう書いたはずなのに、書き終えた途端「やっぱり彼女しかいない」と強く感じたのが、本作でブライドを演じるジェシー・バックリーだ。
監督のデビュー作でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされて以降、華々しい活躍の彼女を再び起用した背景には、そうした監督の強いラブコールと、それにしっかり応えられる彼女のポテンシャルがあるから成立する関係だとうかがえる。
そしてジェシーはこの役を演じるために1年の準備をかけて挑んだそう。
ブライドとは何者なのか、そんな探求心をもって演じた本作では、一人三役を演じる器用さを見せたり、マギーの考えをしっかり理解して演じるクレバーな面も見せながら奔放に演じきった。
他にも、怪物フランク役に、「フォードVSフェラーリ」、そして監督と「ダークナイト」で共演経験があるクリスチャン・ベイル、ジェイク・ワイルズ刑事役に、「セプテンバー5」、そして監督の夫であるピーター・サースガード、ユーフォロニウス博士役に、「ナイアド 〜その決意は海を越える〜」のアネット・ベニング、ロニー・リード役に、「コヴェナント/約束の救出」、そして監督の弟であるジェイク・ギレンホールなどが出演する。
怒りの声を上げながら“怪物”フランクと2人で織りなす、パンクで型破りなロマンス≪逃避行≫の行方や如何に。
あらすじ
1930年代のシカゴ。
自らを創造した博士の名前であるフランケンシュタインを名乗って生きる怪物(クリスチャン・ベイル)は、人間たちから忌み嫌われ、誰とも心を通わせることなく過ごしてきた。
孤独に耐えきれなくなった彼は、高名な研究者・ユーフォロニウス博士(アネット・ベニング)に伴侶を創って欲しいと依頼する。
ユーフォロニウス博士は事故死した女性の遺体を墓から掘り起こし、フランケンシュタインの花嫁・ブライド(ジェシー・バックリー)としてよみがえらせる。
フランケンシュタインとブライドはある事件をきっかけに追われる身となるが、2人の逃避行は人々や警察を巻き込み、やがて社会全体を揺るがす革命へと突き進んでいく。(映画.comより抜粋)
感想
#ザ・ブライド !鑑賞。クソ脳天直撃!!
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) April 3, 2026
これだけ男社会に中指🖕🏻立てる映画もないのではないか。
舌を取られた女による反抗と孤独を埋めたくて仕方なかった男の逃避行は、俺たちに明日はないやメトロポリス、ジョーカーなどを彷彿とさせる挑戦的な映画…だからうまくいってない、が!俺は好きだ。… pic.twitter.com/oWwDYifo3t
舌を抜き取られた女性たちの「声」を叫ぶため蘇ったザ・ブライド!
フランクと共に叫び暴れながら歩む逃避行は非常に楽しい。
しかし、どうにも物語が上手くいってないような…。
以下、ネタバレします。
そうしない方が好ましい。
100年以上も孤独に生きていた怪物の欲望を叶えるべく生まれた「花嫁」。
男性に暴行されそうになった花嫁を助けた怪物は、二人で果ての無い逃亡生活を送っていく。
物語は1930年代のシカゴからニューヨーク、ナイアガラの滝やイリノイ州、ミズーリ州を横断。
彼らの逃走経路を男女ペアの刑事が予測しながら追走、さらに花嫁の死ぬ前の姿を知るマフィアも彼女を追うという構図。
冒頭いきなり姿を現すのは「フランケンシュタイン」の原作者であるメアリー・シェリー。
世間で絶賛されているフランケンシュタインの小説には、続きがあった、だから私以外の誰かに語ってほしいと言わんばかりに、ある女性を標的にして「一つの体に二つの心」となってメアリーの魂が顔を出していく。
そう、この映画まさかのジェシー・バックリーが、メアリー・シェリー、アイダ、そしてブライドという三役を演じているから驚き。
メアリー・シェリーはモノクロ映像且つ周囲が暗いためはっきりと輪郭がわからないが、どこか老けメイクをしている節があり、声も喉を絞って普段より低く喋っていたのが印象的。
そんなメアリーが、高級レストランで周りの空気に耐えられないでいるアイダの心の叫びを代弁するかのように乗り移り、男性からの要求を拒みたいが拒めない女性の立場を表現していく。
やがてテーブルの上で悶えながらマフィアのボスに殺された女性たちの名前を叫び始め、最終的に男社会に異を唱えていく。
急に憑依したかのような変貌ぶりのジェシーに心を鷲掴みにされた俺は、この映画への期待が一気に膨らむオープニングだった。
鑑賞前日に「フランケンシュタインの花嫁」とオマージュ元であろう「俺たちに明日はない」を観て臨んだわけだが、そもそも監督は「フランケンシュタインの花嫁」というタイトルなのに花嫁がラスト3分しか登場しないことに不満を持ったからリメイクしようと考えたそう。
オリジナルもメアリー・シェリーが夫と友人にかこまれながら「あの物語には続きがあるの」と言って始まる内容で、冒頭もそれに沿っての展開。
だけどデル・トロの「フランケンシュタイン」でもあったような、創造主から拒まれ孤独の旅路を送りながらも、盲目のバイオリン弾きの老人との交友によって言葉を覚える姿はなく、110年経過した1930年代の物語に脚色されていたわけです。
なぜ30年代にしたのかはよくわからないが、恐らくやりたかったミュージカルやノワール感があの時代に相応しかったからなのかと。
そんなオリジナル映画への反発とも言える本作は、マギーのやりたい放題で進んでいく。
そもそも怪物フランクのワガママ「俺の花嫁」であるブライドだったけど、博士と握手するまで「女に触れたことがない」フランクのオクテっぷりが災いして、彼女の奔放な性格を制御できない。
もうこの辺が既に愛おしく感じる。
確かにフランケンシュタインというキャラは孤独故の内向的な面が強いキャラだけど、それと相反するような奔放すぎるブライドという対照的な関係が俺は非常に好みだ。
物語が動くのは、とあるトンネルの奥で催されたイベントでの出来事。
音楽に乗せて踊るブライドに群がる男たちが、彼女の魅力を自分のものにしようと勝手に体に触れ唇を奪おうとし始める。
ブライドは抵抗するも男たちは力づくで我が物にしようとするのだ。
それを見たフランクは彼らを振り払うが、それでもつきまとう。
暴行を働く男たちに最初は黙っていたが、さすがに堪忍袋の緒が切れたフランクは思い切り殴る蹴るの暴行をし、殺してしまう。
写真を撮られたことで逃亡を余儀なくされたフランクは、彼女に「逃げろ」と促すが、帰る場所がどこかも分からないブライドは、フランクと共に行く当てのない逃避行をしていく。
「俺たちに明日はない」よろしく、勝手に男が行った事件についていき、やがて誰にも縛られずに自由を謳歌する喜びを手に入れたことで、フランク以上に暴走していくというのが本作のみどころでしょうか。
劇中のブライドは、記憶を失っているとはいえ、メアリーが憑依したアイダが蘇った状態のせいか、やたら語彙力のある女性として映っているのが印象的。
何かひとつ言葉を発した途端、連想した色んなワードを韻を踏むかのように喋り倒していく様が面白い。
もちろん男に抑圧された女性の生まれ変わりだから、映画館で彼女に強引に抱擁を要求する男には容赦なく文句を言うし、フランクを傷つける奴も許さない。
フランクの憧れの映画スター・ロニー・リードがいたパーティー会場で警察に囲まれた際も、マフィアのボスによって舌を抜かれた女たちの存在を強く発言、やがてそれが男社会で同じように抑圧された女性たちの心を掴み、ブライドと同じ格好とメイクをした女性たちが「クソ脳天直撃!!」と街中で叫び拳銃をぶっ放すというムーブメントまで起きてしまう。
もうこの辺は弱者たちの声を知らぬ間に代弁したことで暴動が起きてしまった「ジョーカー」を意識した状況に等しい。
それこそ電解液(って言ってた?)が顔に浮き出てしまった斑点メイクも、やたら喚いたり騒いだり暴れたりする姿もジョーカーを思わせる行動や言動で、そんなジョーカーが登場した「ダークナイト」で共演したチャンベとマギーが絡んだ映画って、色々深いなって瞬間も感じることができるのがこの映画の面白い所だったりする。
本作の諸悪の根源には、女性の舌を収集する悪趣味なフェティシズムを持っているマフィアのボスがいる。
舌を抜く=女性の声を奪う男として黒幕を担っていることから、如何に女性が男によって言いたいこともやりたいこともできず我慢してきたかを訴える話になっていたのであります。
さらに、フランクとブライドを追う刑事も注目するべきところ。
どうもブライドの死ぬ前、アイダと関係のある刑事とバディを汲む女性刑事マロイを、ペネロペ・クルスが演じているんですね。
流れるままにがモットーの男性刑事とは違い、探偵さながらの推理で逃走経路をズバズバ的中させる彼女ですが、残念ながら彼女は「秘書」的な扱いとしてしか周りから見られてない。
とあることが引き金となり責任を取るべく辞職した男性刑事の代わりに現場の指揮を執ることになるマロイですが、警察官たちはまるで彼女が見えないかのような振る舞いで事件の捜査を始めていく。
ブライドめがけて銃を乱発する警察官を制止し、現場を取り仕切るマロイですが、警察官たちはなぜ彼女が仕切るのか疑問の表情を浮かべるのが印象的。
警察は正に男社会の巣窟で、こうした女性刑事が活躍する場もなかったわけです。
マロイ刑事の置かれた立場や姿を、ブライドとフランクの逃避行と並行して追うことで、より本作が「男たちによって舌を抜かれた=声を奪われた女たち」であることが強調されたのではないでしょうか。
劇中でも散々語っていた「そうしない方が好ましい」とは、反抗を意図したセリフとしてブライドが幾度も口にするんだけど、当時の時代、今でもかもだけどそんなこと言えない男性優位社会だったと。
それを口にすることが許されるブライドの姿を見て、男たちは何を思うかって話ですよね。
そう、フランクを見習えってことよ。
色々悪くないんだけどね。
本作はどうしてもあの「ロスト・ドーター」の監督だからって思いが強くて擁護したい気持ちが強く、あまり悪いことは言いたくない。
だけど、それじゃフェアじゃないので、一体何が上手く行かなかったのか考えてみたい。
本作は途中でも書いたけど、ミュージカルパートが途中で描かれる。
それは多分に、映画スターロニー・リードが、小児麻痺からスターになったように、いつか俺もスポットライトを浴びる日が来るかもしれないと夢見るフランクの思いを表現するために用いた手法だと思う。
中盤でロニート遭遇したフランクは、体臭のきつさとビジュアルで煙たがられたが、それでも自分を知ってほしいと急に映画さながらのダンスパフォーマンスを始める。
それを見かけたブライドは、私も踊るわ!といわんばかりに会場を乗っ取っていく。
この際、ゾンビのようなダンスだったからなのか、どういう理由かはわからないが、モブキャラたちの関節が外れるような音がして、あたかも「体が勝手に」踊るような演出でミュージカルを始めていく。
個人的にはこのミュージカル、それまで塞ぎがちだったフランクが急に心を解放した喜びを表現する姿が妙にツボって笑いながら見られたんだけど、どうも先に見たアメリカのレビューではボロクソに言われてるんですね。
確かに急な演出で驚くかもしれないけど「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」よりかはマシだと思うのよ。
あっちの方が眠たくなるしそれ見せられてもってなったでしょ。
あれよりこっちの方がパンクな演出=映画に合ったミュージカルだと思うんですよね。
あとは、この2人の逃避行の目的が見えてこないですよね。
実際は結婚へと向かっていくし、その申し出をブライドが断ることで映画のテーマ性がより明確になっていく意味合いをもっていくんだけども、その辺をあまり面白がれないって人も多いのではないかと。
また、どうしても「花嫁」が主役だからフランケンシュタインが隅に置かれてしまいがちなのも悔しいところ。
彼だって100年も孤独に暮らして、ようやく伴侶を手に入れたけどそれもまた彼のエゴで、それでも彼女と日常を謳歌する姿が微笑ましいし、プロポーズを断られてもちゃんと彼女を理解するキャラとして成立してるんだけど、なぜか隅に追いやられてるように見えてしまうのは俺だけか?
男社会ガーーーみたいな話にしたいのはわかるが、彼もまたある種舌を抜かれたような立場だったんじゃないの?と考えると、彼も報われるような、いや、むしろ「花嫁」じゃなくて「カップル」として対等に描いても良かったんじゃ?とは思う。
・・・別に描かなくてもいいけどw
まぁ、何よりそうしたテーマ性が強く出てしまったせいで、肝心の「逃避行」における緊張感の無さと、追走する側がどうもぬるくて「追いかけっこ」として成立してないのが一番残念な所ではあります。
最後に
ただ俺はね、死んだ女性を蘇らせて不快な行動ばかりする「哀れなるものたち」より立派に「性の悦び」を見せていると思うし、何より不快じゃないからこっちを褒めたい。
「こんなバイオレンス撮ってどうするの?」と言われて反抗的な態度を取ったらしいマギーですが、バイオレンス描写は容赦なくて良かったですよ。
それこそ「俺たちに明日はない」に匹敵する銃の乱射でしたからね。
ゴシックホラーからミュージカル、スウィンギンジャズ、マイケル・ジャクソン的ダンスに、フィルムノワール調の雰囲気、そしてEDMを絡めながらのダンスもあるなど、30年代が舞台なのに時代性を無視した演出で表現していたのが面白さを掻き立てましたね。
残念ながらそれがうまく調和されていたのかは、好みによるかと。
ただ、「嵐が丘」よりかは上手くいってると思うぞ?
とにかくですね、ジェシー・バックリーに尽きるのであります。
この映画のテーマのひとつに「反抗」があると思うんですけど、そうしたロックでパンクな雰囲気を彼女の芝居が担ってたと思うんですよ。
これがホントに良かった。
例えばこれがマーゴット・ロビーだったら、ああはならない。
アニャ・テイラー=ジョイでもいけるかもだけど、やっぱり幼い。
あの声の張りとむき出しの表情、それと相反する無の表情、からの感情MAXな表現。
このふり幅に魅了されっぱなしだったんですよ。
彼女を制御できないまま見つめるしかないという意味で、俺はフランクでしたよw
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10

