ウエスト・サイド・ストーリー(2022)
いきなりですけど「池袋ウエストゲートパーク」ってTVドラマがあったじゃないですか。
あれってこの「ウエストサイドストーリー」を意識した作品だったと思うんですよ。
池袋を舞台にGボーイズとブラックエンジェルスが一大抗争するんですけど、仲介するがGボーイズと仲の良いマコト。
で、マコトの彼女のヒカルが、ブラックエンジェルスの山井と裏で関係があってややこしくなる。
ヒカルの事は置いといて設定は似てると思うんですよ。
ジェッツとシャークスで縄張り争いするところと、トニーとマコトって設定が。
クドカンに聞かないとわからないけどねw
というわけで今回観賞するのは、もはや古典扱いされている超有名ミュージカルを、あのスピルバーグがリメイクするという作品。
そもそもスピルバーグはミュージカル映画を作ったことありませんし、あの傑作をどうリメイクするつもり?と。
さらには、何故いまさら?ってなるんですよね。
こう言ってしまうと怒られるかもしれないけど、ぶっちゃけチンピラ同士の縄張り争いに巻き込まれた男女の悲恋のお話ですよ。
当時とは比べ物にならない技術を駆使して作るわけですから、没入感とか感情移入とかはしやすいかもですけど、どういじるのよスピルバーグと。
というわけで早速観賞してまいりました!!
作品情報
1957年にブロードウェイで上演され、後にロバート・ワイズ監督とジェローム・ロビンズ監督の手によって映画化、今もなお上演を続ける「伝説のミュージカル」を、長きにわたってハリウッド映画を牽引してきた巨匠の手によってリメイク。
「ロミオとジュリエット」を基にした本作は、ニューヨークのウエスト・サイド地区を舞台に、対立する非行グループに関係する男女による「禁断の恋」によって、多くの人たちが巻き込まれていく姿を、圧巻のダンスと歌で魅了する。
異なる立場を越えて手を取り合えるのか?をテーマに、巨匠S・スピルバーグ監督が今も尚対象を変えながら続く「分断」に対し、エンタテインメントとしてメッセージを伝えていく。
彼にとって初めてミュージカルであることや、作品を彩る名曲の数々、オーディションでヒロインを勝ち取った新人女優の活躍、そしてオリジナル映画でアニタ役を演じたレジェンド女優が別の役で出演するなど見どころが満載。
アカデミー賞作品賞はじめ主要7部門にノミネートされた本作は、きっと歴史的作品になること間違いなし。
ひとつになれない世界に、愛し合える場所はあるのか。
あらすじ
夢や成功を求め、多くの移民たちが暮らすニューヨークのウエスト・サイド。
だが、貧困や差別に不満を募らせた若者たちは同胞の仲間と結束し、各チームの対立は激化していった。
ある日、プエルトリコ系移民で構成された“シャークス”のリーダーを兄に持つマリア(レイチェル・ゼグラー)は、対立するヨーロッパ系移民“ジェッツ”の元リーダーのトニー(アンセル・エルゴート)と出会い、一瞬で惹かれあう。
この禁断の愛が、多くの人々の運命を変えていくことも知らずに…。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、スティーヴン・スピルバーグ。
「レディ・プレイヤー1」以来の作品となった感遠くが選んだのが、この名作のリメイク。
冒頭でも書きましたが、ミュージカル映画を作るのは初、リメイク作品を手掛けるのはこれで3度目だそうです。
なんでも今回の作品、5年をかけて脚本を製作したそう。
今を生きる若者たちに伝わるように幾度もアップデートを重ねることで、ただの古典の焼き増し映画にならないよう努めたのだと思います。
そしてなぜこの映画なのか。
例え予算が少なくとも、スピルバーグがオリジナルの新作を作るのであればサクッと1本取れる力はあるはず。
これだけの時間を費やしてリメイクを手掛けるのには、相当な理由と思いがあるのでしょう。
それこそ「真実への追求」や「政府への監視」を担う報道やメディア、そして私たちに対してストレートなメッセージを込めた「ペンタゴン・ペーパーズ」も、最優先事項だと感じた監督が数か月で製作した意欲作でした。
そもそも本作はプライドや立場によって愛し合うことを分断されてしまった2人の物語だけではない。
自由の国アメリカにもかからわず、様々な問題によって行き場を見失いつつある若者たちの物語でもあります。
きっと監督はこれを現代的に解釈し映画に反映させるのでしょう。
オリジナルを越えるかもしれないですね。
キャラクター紹介
- トニー(アンセル・エルゴート)・・・ヨーロッパ系移民のグループ≪ジェッツ≫を、親友のリフと結成。リーダーも務めたが現在はジェッツとは距離を取り、ドラッグストアの店員として静かな日常を送る。旧知のリフの誘いでダンスパーティーへ行き、そこで出会ったマリアに一目ぼれしてしまう。
- マリア(レイチェル・ゼグラー)・・・≪シャークス≫のリーダー、ベルナルドの妹。夢と希望を胸にニューヨークでの新生活を楽しみ、兄と共にダンスパーティーへ行ったところ、そこで出会ったトニーに惹かれあっていく。当然のごとく兄や仲間から大反対されるが、その分、トニーへの思いは高まるばかり。一度決めたら、その気持ちが揺らぐことがない、芯の強い性格の持ち主。
- ベルナルド(デヴィッド・アルヴァレス)・・・プエルトリコ系移民の≪シャークス≫のリーダー。自分たちが移民の中でもとりわけ差別を受けていると感じ、アメリカでの生活に不満を持つ。敵対する≪ジェッツ≫に対しては、仲間を率いて常に挑発的行動に出る。妹のマリアがジェッツ側のトニーと恋人になることは絶対に許さない。
- アニータ(アリアナ・デボーズ)・・・ベルナルドの恋人。ベルナルドと違って、故郷のプエルトリコよりも、今暮らしているアメリカの方が素晴らしいと感じている。トニーに恋したマリアを批判するものの、同じ女性の立場から、徐々に彼女のまっすぐな想いに共感していく。
- バレンティーナ(リタ・モレノ)・・・トニーが働く店の店主。≪ジェッツ≫のたまり場にもなっている店なので、シャークスとの抗争に明け暮れる彼らの行動を戒めたりもする。リフとベルナルドの決闘にも的確なアドバイスを与える。
(HPより)
60年以上前の傑作を、なぜ巨匠はリメイクするのか。
彼が今伝えたい事とは。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#ウエストサイドストーリー 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年2月11日
こんな説教くさくしなくてもなぁ。
レイチェルゼグラーの歌は絶品。 pic.twitter.com/fRftotaFyn
あれから何十年経っても変わらない分断。
僕たちはいまだ「ひとつになれない」。
以下、ネタバレします。
スピルバーグらしいエンタメ。
1950年代のNYウエストサイドを舞台に、人種の異なる不良グループたちのいがみ合いでもつれる中、双方に関係する男女が愛を深めていく物語は、今も尚続く「分断」の中で、それでも愛を貫くことの強さや偉大さを、経験値の高いスピルバーグの手によって、歌とダンスと映像表現で魅了した「現代のミュージカルエンタメ」映画でございました。
オリジナル映画とほぼ変わりなく進行していく本作は、とにかくスピルバーグが今伝えたい主張が響く映画であったと共に、これまで彼が手掛けてきた作品同様「見る人を楽しませる」エンタメ要素がふんだんに描かれていたのが何よりうれしかったです。
正直オリジナル作品のミュージカルパートは、演者グループ全体を映したがる傾向にあり、若干引き目で撮影されていたことでダンスの統一感を見せたかったのだろうと解釈してます。
しかし本作の場合、カメラを寄りで撮影することで演者のパワフル且つエネルギッシュな熱量がスクリーン全体に行き届いていることで、ダンスパートは終始躍動感あふれるシーンとなっていました。
これに加え、カメラが止まった際の顔の位置が障害物の間にピタッとはまるショットは僕の好みの構図ということもあり、しっかり計算されたシーンの連続に鳥肌が立ちました。
例えばアニータが「アメリカ」を歌うシーンでは、洗濯ものを取り込みながら歌唱し始めるのですが、近隣住民が部屋の窓から歌い始める際、手前に映り込んでる洗濯ものを動かすことで、他の近隣住民も窓から顔を出して歌い始めるようになってるんですね。
他にも柵と柵の間から歌うマリアや、ベッドの手すりの輪っかの部分から愛を乞うトニーの表情などが印象的です。
またダンスシーンは圧巻。
ダンスパーティーのシーンでは、ポーランド系とプエルトリコ人らが肩がぶつかりながらもひしめき合う狭い場所にも拘らず、体全体を使って踊る彼らのダンスは、カラフルな衣装も相まって最高です。
オリジナル作品でもあった「人種のパートナーをシャッフルして踊るゲーム」のシーンでも、かなり近い位置から撮影してるにもかかわらず、誰もぶつからないし司会者もきれいにはけてダンスシーン再開、からの「マンボ!」の流れはすごかったですね。
この「マンボ」のシーンも「花いちもんめ」よろしくラインダンスのようにグループ同士が「うちらの方が格上」のような主張をしながら踊る姿は、下から映すことも手伝ってより力強さが増していたように思えます。
全体的にダンスシーンは下から演者を撮影するシーンが多いんですよね。
これのおかげでどれもエネルギッシュに見えるのが良かったと思います。
数か月後に建設される高級住宅街の出現によって居場所が失われるかもしれない彼らが、それでもアメリカという地で生きると言っているかのような、そんな力強さ。
パーティーのシーンもそうですし、「アメリカ」を歌いながら町のど真ん中で踊るシャークスの女性陣らの舞にもそんなように見えました。
また光を使った演出も見事で、特にトニーとマリアが教会でデートするシーンでは、ステンドグラスから射す光が、永遠の愛を誓うトニーの心の中を表現しているかの如く煌びやかに照らされ、それまで決闘ありきのエピソードから本作がラブストーリーであることを思い出させてくれる瞬間だったように思えます。
他にも「塩倉庫」でグループ同士が対面する瞬間を上から撮影することで、長い影が混ざり合うオープニングから、憎しみの連鎖によって迎えてしまう残酷な顛末も上から撮影。
警察が到着する瞬間に伸びる長い影が、その先にある2人の死体の前で止まるカットがより物悲しさを感じさせます。
他にもまだまだ素晴らしいシーンが盛りだくさん。
映像技術が今よりも乏しかったオリジナル作品と比べ物にならないほどエネルギッシュでカラフルで、躍動感ある作品だったように思えます。
スピルバーグが伝えたいこと
自由の国アメリカ。
貧困にあえぐ故郷を捨て、アメリカンドリームを見据えて移民としてやってきた彼らは、故郷よりも恵まれた環境にありながら白人たちから白目を向けられ、扱いの酷さや差別を強いられてきました。
そんな扱いを受ければ敵対視するのも同然。
誰が住んでもいいはずなのに、なぜか「出ていけ」と罵られる。
そりゃ争いになりますよと。
本作は今も続く「分断」に対するスピルバーグなりのメッセージ性が強く、色濃く描かれた作品だったように思えます。
オリジナル作品でも「アメリカ」を始め、様々な歌の中で彼らの思いや境遇などを表現する楽曲ばかりでしたが、本作はオリジナルよりも歌を活かすための工夫が脚本で施されていたように感じます。
プエルトリコ系のシャークスは、男たちは仕事をするにしても悪さをしていなくても不遇な扱いを受けることから故郷に帰ることを夢見ている。
しかし女性たちは故郷よりもアメリカの方が夢があり暮らせる環境があることを主張する。
「アメリカ」はそんなプエルトリコからやってきた男女が、アメリカに対する見方を比較した歌です。
何かとアメリカで暮らすことで不満を募らせるベルナルドに対し、アニータは洗濯物を干しながら「アメリカは素敵な場所」だと女性陣と共に歌うんですね。
逆にポーランド系グループのジェッツの面々は、両親または祖父祖母らがドラッグに走っていたり娼婦をやっていたことから、貧しい暮らしを強いられ成長していくと同時にグレていった過去が歌の中から読み取れます。
家に帰れば暴力を振るわれるために外で不良たちとつるんで遊ぶことが彼らにとっての生きがいだったわけです。
オリジナルではこの歌を決闘前夜の公園の前でやってましたが、本作では決闘のタレコミを受けた刑事らが彼らを暑へ任意同行をした時に歌っており、なぜ彼らが不良に走ってしまったのかを歌い上げています。
また本作はスラム街を撤去し、そこに住んでいた人たちを立ち退かせ、新たな高級住宅街を建設する動きが活発化している設定です。
いわゆるジェントリフィケ―ションの前触れです。
その中で貧しい暮らしをしながらも「ここがおれたちの場所」と主張する白人とプエルトリコ人らを描いてるわけです。
プエルトリコ人は白人を受けていたことから敵対視し、白人たちは自分たちの場所を奪われることへの危惧から敵対視する。
そもそも彼らが憎むべき相手はそこではないのは明白ですし、彼らに手を差し伸べない社会もおかしい。
でも劇中の時代から何十年経った今でもそれは変わっていません。
そんな中で起きてしまう悲劇によってようやく気付かされる不良たちですが、我々は本作をお手本に、そうなる前に一度立ち止まって考えなくてはいけないですよね。
オリジナルからの改変
オリジナル作品では、喧嘩をする際も何をするにしても歌とダンスの導入がスムーズでキレのある踊りだったように感じます。
それこそオリジナルのオープニングは、ジェッツらが好演でバスケをしている少年たちをからかう際に、ちょっとした動作がユニゾンだったりすることでミュージカルら示唆を際立たせてましたし、リフとベルナルドがナイフを持ってタイマンを張るシーンも、ただけん制し合うのではなく、ダンスのふりのように体を使ってしなやかに踊っていたのが印象的でした。
では本作はどうだったのかというと、全てミュージカルという感じではなかったです。
それこそ喧嘩のシーンは本気で殴り合うようなシーンでしたし、リフとベルナルドの喧嘩のシーンもリアル重視だったのか普通のタイマンでした。
また途中でも書きましたが、全体的にドラマとミュージカル(歌とダンス)の境目をしっかりつけて進行していたように思えます。
「アメリカ」の件も、「クール」を歌う場面も手前で伏線が入り歌唱シーンにはいるパターンが多く見受けられました。
スピルバーグ初のミュージカルということで、どんな作品になるか予想できなかったんですが、僕はこの点に関してはオリジナルの方が好みです。
パーティーのシーンも印象的。
オリジナルではトニーとマリアが見つめ合い2人が近づくんですが、みんなが踊る前で近づいて口づけを交わすんですよね。
でも本作は二人だけが目を合わせながらステージ裏へ隠れ、しかもマリアの方から口づけをするシーンに変更されています。
他にはオリジナルでは「ジェッツ」たまり場であるドクの店が、彼と結婚し未亡人となったバレンティーノというプエルトリコ人になっています。
これを演じてるのが、オリジナル版でアニータを演じたリタ・モレノ。
白人と結婚したことで周囲からは白人扱いされているけど、心はプエルトリコにあると語る彼女は、終盤アニータから「裏切者」扱いされてしまいます。
ここから察するに、彼女も白人と結婚したことでたくさんの障害を受けてきただろうし、マリアに夢中なトニーに対し「これ以上のもめ事はよしなさい」と説教するのがバレンティーノであることで、説教に説得力が増しました。
このように、彼女がこの立ち位置から若者たちに助言をするというのが非常に面白いです。
他にもマリアを自宅を見つけたトニーが、自力で階段の柵を伝ってよじ登るも、結局扉の格子の鍵がないため、彼女に触れることができないが、それでも別の場所からアプローチするトニーの行動が、マリアへの一途な思いを際立たせてました。
また一番の改変は女性でありながらジェッツに入りたいと強く願うエニィバディース。
オリジナルでは足軽感の強いキャラではありましたが、本作では彼女単体のシーンを多く入れることでジェンダーへの配慮をしていることはもちろん、男だけのグループの中でも負けず劣らずな存在を出すことで、副リーダーから「よくやったダチ公」というセリフが活きた流れになっていましたね。
最後に
とはいえ、スピルバーグはラブスト―リーを描くのが弱いなぁと改めて思わされる作品でもありました。
僕がそう感じたのは、終盤で行われる嘘の伝言によって追いつめられるトニーと、いかにも若気の至りとしか感じられないマリアの行動。
これはどちらも役者の力不足からくるもので、トニー演じるアンセル・エルゴートの顔立ちが童顔過ぎるのと、喜怒哀楽の変化が弱いせいで、「チノ!俺を殺せ!」と夜の町で叫ぶ当たりの焦燥感が全然感じられない。
またレイチェル・ゼグラーが歌う歌はどれも素晴らしい高音域だったんですけど、やっぱり顔が幼過ぎてどう見ても「兄の呪縛から逃れたい一心」みたいに思えてしまうんです。
またスピルバーグも本作を社会に向けての作品にしているためか、2人の描写が少なく感じられ、そもそもこれロミジュリをインスパイアした作品だってことを忘れてしまいそうになりました。
序盤は良かったんだけどね~。
僕はやっぱりオリジナル派かなぁ…。
正直オリジナル版を見た時の衝撃を越える作品ではなかったです。
こればかりは仕方ないのかな。
とはいえ、スピルバーグらしいエンタメ要素とメッセージ性はこちらの方が上だと思います。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10