ザ・ホエール
ハリウッド映画業界では、何かしらの問題で一線から離れたりキャリアから失墜したとしても見捨てない精神があります。
例えばアルコール依存症だったり薬物中毒だったり、それこそ泥沼の離婚問題や揉め事によって逮捕されたとしても、カムバックできるように俳優同士が寄り添って支えあっているんですよね。
逆にハラスメントをした加害者に対しては追放するくらい厳しい対処をしているのも見受けられます。
今回観賞する映画は、セクハラ被害を受けて仕事どころでなくなってしまった、かつてのアクションスター俳優のカムバック作品。
余命わずかの巨漢の主人公が疎遠となった娘へお無償の愛を描くというヒューマンドラマ。
作品自体の評判よりも、主演を務めるブレンダン・フレイザーが素晴らしいという声を聞き、早速観賞してまいりました。
作品情報
「レスラー」、「ブラック・スワン」などを手掛けるダーレン・アロノフスキー監督による、前作「マザー!」以来5年ぶりの作品は、劇作家サミュエル・D・ハンターによる舞台劇を原作にした室内劇。
自宅での引きこもり生活の結果、重度の肥満症となった主人公が、自らの死期を悟り、疎遠だった娘との信頼の回復と、内面に潜むトラウマと対峙していく姿を描く。
A24が制作・配給した本作は、ヴェネチア国際映画祭での上映を皮切りに世界の賞レースを席巻。
中でも、「ハムナプトラ」シリーズなどでハリウッドのトップスターに昇り詰めるも、セクハラ被害を受け心身のバランスを崩し、表舞台から遠ざかってしまったブレンダン・フレイザーが、本作での高い評価を受け見事にカムバック。
全米俳優組合賞、英国アカデミー賞、そして第95回アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、本年度の顔として注目を集めた。
他にも「ダウンサイズ」や「ザ・メニュー」などでの好演が聞くに新しいホン・チャウが主人公の親友であり看護師を演じ、アカデミー賞助演女優賞にノミネート。
娘役にはNetflixドラマ「ストレンジャー・シングス」でのマックス役でおなじみセイディー・シンクが出演するなど、今後の活躍が期待できるキャスティング。
絆を取り戻したい巨漢の男の最期の5日間を、ワンシチュエーション室内劇で見せる本作。
世界十大小説のひとつとされる「白鯨」をモチーフに、心の奥で信じ続けた願いを語っていく、感動のドラマです。
あらすじ
恋人アランを亡くしたショックから、現実逃避するように過食を繰り返してきたチャーリー(ブレンダン・フレイザー)は、大学のオンライン講座で生計を立てている40代の教師。
歩行器なしでは移動もままならないチャーリーは頑なに入院を拒み、アランの妹で唯一の親友でもある看護師リズ(ホン・チャウ)に頼っている。
そんなある日、病状の悪化で自らの余命が幾ばくもないことを悟ったチャーリーは、離婚して以来長らく音信不通だった17歳の娘エリー(セイディー・シンク)との関係を修復しようと決意する。
ところが家にやってきたエリーは、学校生活と家庭で多くのトラブルを抱え、心が荒みきっていた……。(HPより抜粋)
感想
#ザ・ホエール 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2023年4月7日
白鯨も宗教も上っ面しかわからないが、フレイザー演じる主人公の贖罪だったり願いといった想いに心動かされた。
フレイザーの息遣いが絶妙にリアルで他の演者も迫真。ホンチャウはホンモノ。セイディーシンクのツンツン具合もストレンジャーシングスのマックスそのもの。 pic.twitter.com/CdgEGjjeBK
ラストが圧巻。
「レスラー」を彷彿とさせる父娘の物語は、正直でありたいと願う男の贖罪と「白鯨」、「宗教」メインに、フレイザーが渾身の芝居を見せた室内劇でした。
以下、ネタバレします。
まずエリーの視点から読み取ってみる
最愛の人を失ったことを機に極度の肥満になった主人公が、死期が近いことを悟り、残り僅かの時間の間に疎遠になってしまった娘との復縁を望む姿を描いた本作は、タイトルの如く白鯨や宗教よろしく、知識のある人にしかわからない内容を描いておきながらも、親子の絆という普遍的な物語を構築したことで誰でも感情移入できる構造となっていることに加え、ブレンダン・フレイザー含めた主要キャストの演技がどれも胸を打つ仕上がりだった作品でございました。
8歳の娘を残し、色恋に走ってしまった主人公は、やがてその最愛の人を失ったことで極度の肥満に。
よく噛まないで食べ物を飲み込めば呼吸困難になってしまったり、ソファーから立ち上がることも困難、歩行器を使わなければ歩けないほど体がデカ過ぎるその姿は正に白鯨のクジラそのもの。
血圧も上が238という通常の倍近くの数値を叩き出しており、うっ血心不全のステージ3にまで達しているほど病状はひどい。
病院に行けと言われても健康保険がないからという理由で拒み、ただただ大学のオンライン講師として生徒にエッセイの何たるかを教える日々を送る。
そんなクジラ=チャーリーに目くじらを立ててばかりの娘エリーは白鯨のエイハブかのように、彼がとった行動に対して感情的になる始末。
果たして二人は無事和解し、本当の父娘関係に戻れるかどうかというのが本作のあらすじ。
冒頭で男性同士が体を寄せ合う映像でしごいているチャーリーという映像が飛び込むというショッキングなシーンから始まる本作。
もちろんチャーリーの体も見たことないほどの巨体と化しており、そっちにも驚くわけだが、まずしごいてる映像から始まるってのがなかなか。
そこへたまたまやってきた若き宣教師が、息苦しくしているチャーリーを介抱しようと救急車を呼ぼうとするが、なぜかチャーリーは「このエッセイを読んでくれ」とだけせがむ。
まさかこのエッセイがラストシーンで大感動を呼ぶなんてこの時誰が思ったろうか。
どこの誰かが書いたかわからない「白鯨を読んだ感想」を読み上げると、なぜかチャーリーのそれまで苦しかった呼吸が穏やかになるではないか。
やがて彼の恋人だったアランの妹で看護師のリズがチャーリーを介抱しに訪れる。
宣教師は「ニューライフ」という終末論をベースに布教活動を進める新興宗教に属した男のようで、なぜかリズは彼がそのことを離すと一気に拒絶反応を起こす。
そんな4人を軸に描く物語は、チャーリーの最後の願いである「最後に正しいことをしたい」という思いを叶えるまでを描く。
チャーリーは決して悪くない…とはいえない。
妻や娘がいながら、教え子の男性生徒と彼が卒業するまで愛を育み、卒業したと同時に、妻子を捨てて出ていったのだから。
自分が8歳の子供だったら、父をどう見たろうか。
きっと母は父への印象を悪く言うだろうし、母もまた父から「会わせてほしい」といっても、男に走って家族を捨てたヤツに会わせる権利なんかないというだろう。
そうして疎遠になっていけば、父への印象は「好きな人を追いかけ私を捨てた人」しか残らない。
片親だからグレたということにはならないだろうが、本作の娘エリーは、そうしたバックボーン故にグレているように思えて仕方ない。
子供の頃に起こった出来事がその後の人生を変えてしまったに違いない。
賢いが故に怒りは父だけにとどまらず人間全てを憎み出し、大麻を吸ったり停学を喰らったりとなかなかの非行に走ってしまっている。
そんなエリーはなぜ父に会いに来たのだろうか。
当初は金欲しさにやってきたモノの、気が付けば毎日顔を出している。
チャーリーは、彼女の課題であるエッセイの手直しをすることを条件に会う口実を作ったわけだが、会えば会うほどにチャーリーに対するエリーの怒りは強まる一方。
なぜ会えなかったのかは母親が止めていたのが理由だが、会うや否やこうして怒りをぶつけ、それを全身で受け止める父の姿は、一方的に責められてるように見えて「親子」の姿になっていたように思う。
なぜなら、そもそも嫌いなら会いにはいかないし、これだけ言いたい放題言えるってことはそれだけ積もり積もったことがあって、何より父と向き合っているから。
汚い言葉を使って罵っても全て受け止め「俺が悪い」と謝る父を見て、もっと言ってやろうという思い以上に、これまでできなかった「甘えたい」という思いにも感じたから。
途中何を考えたのか睡眠薬を飲ませて眠らせるという危ない行為をしたエリー(途中キッチンで包丁をギコギコしていたのは殺意にも見えたけどw)。
多分眠らせて部屋を漁り、なぜ父が自分よりも最愛の男性を優先したかを探ろうとしたからなのではと推測したが、そうこうしてるうちに宣教師がやってくる。
ここで彼がなぜ個別に訪問して布教活動してるかが明かされる。
彼はニューライフの活動自体に疑問を抱き、本当に誰かを救えているか不安に駆られていた。
そして教会の金を盗みここへたどり着いたという。
その独白をエリーは録音し、教会に送り付けたことで彼はまさかの赦しを得ることになる。
ここでようやくエリーは良い子で賢い子だという父の見立てが正解だったことが提示され、本作のもう一つのテーマとも言える「正しいこと」が強調されていく。
そう、エリーは決してグレていたわけではなく正直なだけだったと。
全て思ったことをそのまま放つだけだったわけです。
それこそ宣教師だったりニューライフの活動って「人助け」を謳ってるけど、結局は利己的なんですよね、利他的に行動なんかしてない。
そしてエリーの周りの大人も「あなたのため」とか言いながら結局は自分のためだって行動をしてることがエリーの視点から透けて見えてしまってたからグレていたのかと。
だから彼女の行動は決して利己的ではなく、利他的だって意味でチャーリーは賢い子だと感じたのかなと。
実際正直であれとチャーリーが語る深い部分て、人は見た目で何でも判断してしまうこともこの映画では描いてる気がして。
それこそなんでオンラインなのにチャーリーはカメラをつけずに授業をしてるかって、見た目がこれだと生徒が寄ってこないからだと思ってるからだと思うんですよ。
実際ピザ屋の配達員はドア越しでは調子よく名前を名乗ってチャーリーと呼んで機嫌よく配達してくれるけど、チャーリーの姿見たさに隠れて待ってた配達員は「嘘だろ…」といって走り去っていくではないか。
また宣教師も彼を救いたい(本音は自分のため)一心で、チャーリーの「僕は悍ましいか?」という問いかけにNOを突き付けるけど、後半ではつい「悍ましい」といってしまうわけで。
だからこそ本作でのエリーは他とは違う輝きを放った人物設定に感じた作品でした。
肝心のチャーリーについて
いきなり娘の事ばかり書いてしまったわけですが、いい加減主人公チャーリーの事を語りましょうw
結局のことろ彼がやってしまったことは第3者から見てもアウトな案件だったように思えるんですが、そこをほじくるような内容になっていないのが本作の上手い所。
ブレンダン・フレイザーが時ロイ魅せるチャーミングな表情も相まって、決してダメな父のようには見えないんですよね。
そんなチャーリーは体こそ患っているモノの、周囲の人たちによって恵まれてるじゃないかとも見えた作品だったなと。
それこそリズがいなければもっと早く死んでいたろうし、散々リズが「病院行け!」といっても「このままだと死ぬよ」といっても拒むチャーリーは、案外幸せなようにも見えたなぁと。
これ、リズの気持ち考えたら中々な話ですよ。
兄は宗教的にアウトな同性愛に走って、それをニューライフからも父親からも拒否されて「事故死」のように扱われて、しかも兄が死んだせいで今度は兄の恋人までもが死のうとしている。
残された人の気持ちをもっと描いても良かった気もしますが、看取る側として最期まで支えることで和らげたのかなと。
だってもう与える食べ物がでっかいホットドッグだったりバケツサイズのフライドチキンだったりなんだものw
でもチャーリーの身からしたら、喪失を食欲で補うことでしか生きながらえなかったんだろうな、その喪失の大きさがあの体として現れたってことなんですよね。
さて、チャーリーの贖罪は娘との和解であることにスライドしていきます。
それまで妻に止められていた再会をようやく果たせたチャーリーは、まず彼女のご機嫌を伺ったり、何とかあと数日で和解できるように彼女の全てを肯定しながら、翌日も合う口実を作っていきます。
エリーはめちゃくちゃボロカスに父を罵倒するけど、チャーリー的にはそれすら微笑ましい光景だったのか全て受け止め、エリーが卒業できるための条件として「エッセイでいい点とる」ことの対策をチャーリー自らしていきます。
多分学校のテストでいい点とるには、このエッセイでよさげな文章を書かないといけないんですが、正直に書くことが良いエッセイだと教えるチャーリーはそんなことはせっず、冒頭で読み上げていた「白鯨の感想」を書いてエリーに渡すんですね。
チャーリー曰く「正直に書くことが本当のエッセイ」であり、その最高傑作が娘の書いた白鯨の感想であり、自分が死んでも正直でいてほしいという願いだったわけです。
この思いは宗教に見放され死んでしまった恋人アランを救うことができなかった自身の思いや、グレてしまったままの娘をどうにか肯定したいという思い、さらに気付かずに君は宣教師を自分のためでなく人のために救っていることを気付かせるための「救済」を最後の最後にすることで、それまで信じていなかった場所へ行けるという結末だったのかなと。
最後に
正直「白鯨」に関しては、足を持っていかれたエイハブ船長がひたすらクジラであるモビーディックを憎んでいて、彼を殺せば全てが報われると思い込んでるんだけど、結局何も変わらないっていう話程度しか知識を持ち合わせておらず、チャーリーをクジラ、エイハブ船長がエリーだったり母親だったりって構図になってるのかと思ったんですが、きっともっと深い内容になっているのでしょう。
また宗教面に関しても、宣教師がそうだったように、本当に人を救済することができるのかだったり、神は人間を救う存在なのかみたいなことへの言及として描いてるように思った作品でもありました。
結末から察するに、どんなに罪を犯したとしても最後に良いことをすれば天国に行けるってことなんですかね。
それがチャーリーにとっては正直であることだったり正直であれと伝えることだったり、結果それが正しいことだと信じた結果なのかと。
この辺も詳しい人ならもっとうまい解釈をできるんでしょうけど、所詮自分はこの程度ですw
それよりもブレンダン・フレイザーの渾身の演技は素晴らしく、喘鳴を使った苦しい表情が凄く見事でしたし、特殊メイクして挑んだチャーリーという人物の内面もしっかり表面化してたし、何より彼の喪失感とブレンダンが色々受けた喪失感がダブって感じ、演技として拍車がかかってたようにも見えました。
ホン・チャウの献身的介護やチャーリーや兄を想う気持ちってのが随所で感情的に吐き出していたところも素晴らしいですし、エリーを演じたセイディー・シンクは「ストレンジャー・シングス」でのツンツンした表情に加えてまくしたてるかのような怒りの言葉をしっかり放っていたので、主要キャストどれもが輝きを放っていた作品だったように思えます。
個人的にはラストシーンの回収的な終わらせ方が素晴らしかったです。
ここで一気にドラマチックになったというか、ようやく父と娘が向き合って互いが救われるという結末に向かっていくのが、どこか神々しくも感じ美しくも感じた瞬間でした。
けじめはちゃんとつけて死にてえな、俺も。
それが例え自分の中での決着だとしても。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10