ワンダーストラック
あ?AC/DCの曲か?
あ、ワンダーね。サンダーじゃなくて。
トッド・ヘインズ監督の心温まる作品です。
前作「キャロル」では質の高い時代背景の再現により、女性同士の美しい物語にさらに深みを与えた恋愛映画でしたが、今回は時代の違う子供たちが主役の物語のようで。
「グーニーズ」といい、「IT/イット」といい、「ストレンジャーシングス」といい、子供が主役で冒険していくような類の映画はいつ見ても楽しいもので、童心に帰れたりするから非常に好きなジャンルではあるんですが、今回鑑賞する作品はちょっとそれらの作品とは違って、今の状況を変えたいと願って旅に出るというようなお話。
でも意を決して踏み出した世界によって、少年と少女にどんなワンダーストラックが訪れるのか。
いや俺にも訪れるかもしれない、ワンダーストラックが。
てかこれ賞レースは全然引っかからなかったのか?まぁいや。
てなわけで、早速観賞してまいりました!
作品情報
「ヒューゴの不思議な発明」の原作者ブライアン・セルズニックが執筆した小説を、本人初の脚本と、「エデンより彼方に」、「キャロル」と人種差別や同性愛といったマイノリティを題材に愛を紡いでいく物語を常に作り出しているトッド・ヘインズ監督によって映画化。
愛する人も居場所も無くした少年と少女が、初めてぶつかる人生の壁を乗り越えていく姿を描く。
大切な人を探すために踏み出した旅路で、不思議な運命に導かれる二人。
そこで待っていたのは驚きと幸せの一撃=ワンダーストラックだった。
ふたつの時代を行き来しながら展開していく人生のワンダーランド。
当時の風景や色づかいに定評のある監督の最新作です。
あらすじ
1977年、ミネソタ州ガンフリント。12歳のベン(オークス・フェグリー)は、母エレイン(ミシェル・ウィリアムズ)を交通事故で亡くし、伯母の家で暮らしている。
父とは一度も会ったことがなく、母は「いつか話すから」と言いながら、なぜか父の名前すら教えてくれなかった。
ある嵐の夜、母の家に秘かに戻ったベンは、「ワンダーストラック」というニューヨークの自然史博物館の本を見つける。
中にはキンケイド書店のしおりが挟まれていて、「愛を込めて、ダニー」と記されていた。
きっと父親だと直感して書店にかけようとした電話に、雷が落ちてしまう。
病院で意識を取り戻したベンは耳が聞こえなくなっていたが、父親を探すためにニューヨークへと旅立つ。
何とかキンケイド書店を見つけるが、店は閉店していた。
途方に暮れたベンは、声をかけてきた少年ジェイミー(ジェイデン・マイケル)のあとをついて行き、自然史博物館に辿り着く。
1927年、ニュージャージー州ホーボーケン。生まれた時から耳の聞こえないローズ(ミリセント・シモンズ)は、大きな屋敷に父と使用人たちと暮らしていた。
支配的な父とは心が通わないローズにとって、女優のリリアン・メイヒュー(ジュリアン・ムーア)の映画を観て彼女の記事を集めることだけが心の支えだった。
ある日、リリアンがニューヨークの舞台に出演すると知ったローズは、彼女に会いに行こうと決意し、ひとりで船に乗る。
兄のウォルター(コーリー・マイケル・スミス)が働く自然史博物館にも行ってみたかった。ローズはリリアンが稽古中のプロムナード劇場を探しあてるのだが──。
1977年、父親が自然史博物館で働くジェイミーに、立ち入り禁止の資料室へと導かれるベン。
そこでベンは、母と“ダニー”の出会いにまつわる書類を発見する。果たして、ダニーがベンの父親なのか? 彼は今どこで何をしているのか?
その先には、ローズが鍵を握る、さらなる謎が待ち受けていた──。(HPより抜粋)
監督
今作を手がけたのは、トッド・ヘインズ監督。
「ベルベット・ゴールドマイン」や「アイム・ノット・ゼア」といったミュージシャンを題材にした映画も作れば、自身がLGBTということもあって「キャロル」のような同姓愛がテーマの作品も作ったり。
どれもぶれないのは現代ではなく、そのときの時代風景や背景、美術などを非常によく再現しているということでしょうか。
全ての作品を見てるわけではないのですが、どの作品もそんな風に感じます。
監督に関してはこちらをどうぞ。
キャスト
1977年の主人公ベンを演じるのは、オークス・フェグリー。
深い森の中で出会った少年と不思議な生物との絆と大冒険の行方を描いた「ピートと秘密の友達」で少年ピートを演じてのが彼であります。
彼に関してはこちらをどうぞ。
1927年の主人公、ローズを演じるのはミリセント・シモンズ。
今回の役どころが耳の聞こえない少女ということなんですが、彼女は実際に投薬過多によって聴覚を失う障害を持っているとのこと。
オーディションで監督の目に留まり今作に抜擢されたそうですが。今後はろう俳優の提唱者になることを目標としているとのこと。
彼女に関してはこちらもどうぞ。
他のキャストはこんな感じ。
ローズが憧れる女優リリアン・メイヒュー役に、監督の過去作「エデンより彼方に」や、「めぐりあう時間たち」、「アリスのままで」でアルツハイマーになっていく女性を演じアカデミー賞主演女優賞を受賞したジュリアン・ムーア。
ベンを博物館へ案内する少年ジェイミー役に、Netflixドラマ「ゲット・ダウン」、「パターソン」などに出演していたジェイデン・マイケル。
ローズの兄、ウォルター役に、監督の前作「キャロル」や、TVドラマ「GOTHAM/ゴッサム」でレギュラー出演しているコリー・マイケル・スミス。
年老いたウォルター役に、「ロボコップ2」の麻薬組織のボス・ケイン役や、「脳内ニューヨーク」に出演したトム・ヌーナン。
そして、ベンの母親エレイン役に、「ブルー・バレンタイン」、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、「グレイテスト・ショーマン」、「ゲティ家の身代金」の公開が控えるミシェル・ウィリアムズが出演します。
彼らが時代を超えてどう繋がっていくのかそこにどんな奇跡が待っているのか。
耳の聞こえない彼らを通じて監督は何を伝えようとしているのか。
ここから観賞後の感想です!!!
感想
2つの時代を交差しながら紐解かれる、ドブの中から星を眺めた聾唖者たちの物語。
でも弱いなぁ~驚きと幸せの一撃・・・。
以下、核心に触れずネタバレします。
監督は過去の時代を作るのが巧い。
サイレントからトーキー映画へと移り変わろうとしていた時代と、ニューヨーク大停電が起きた時代。
2人の耳が聞こえない少年少女が一人冒険の旅でたどり着いた先にある驚きの一撃を、監督得意の忠実に再現した時代背景、サイレント映画へのリスペクト、ほとんどセリフの無い内容、時代を象徴した楽曲に乗せて交互に魅せていく。
この映画の特徴は、やっぱり監督が描く過去の時代の作り込みのすごさにあると思います。
27年のローズがいた時代は全てモノクロで描かれていました。
衣装や美術、街並などといった背景もほぼ忠実に描かれていて、その中で耳の聞こえないローズの視点で物語を展開させていました。
逆に77年のベンがいた時代は、ミネソタ州からニューヨークへと場所を移し、少々赤みがかった質感の映像で映しています。
これもまた町の看板や水浴びをする黒人の少年たち、光化学スモッグやネオンサインなどあらゆるものがその時代を再現していました。
ローズの物語。
ローズの物語。
父親に何かと怒られ反抗的な態度をしていた彼女。
本屋で雑誌のページを破りながら、家に持ち帰りスクラップ集を作り続ける毎日。
リリアン・メイヒューによほどの憧れを抱いているのが分かります。
部屋には色々な紙で作られたジオラマ模型が飾ってあり、それが伏線になってるんですね。
で、この時代は彼女が映画館でリリアンの映画を鑑賞した後に、トーキー映画の誕生を知らせる垂れ幕が飾られていて、今までは耳が聞こえないからサイレント映画で楽しめたのに、今後は好きな映画も楽しめなくなることが予想できる場面でした。
ローズのエピソードは、全てサイレント映画として構成されています。
しかもローズの視点で描かれているから、BGM以外の声は一切ないのはもちろんのこと、彼女は手話も覚えていない設定のようで、彼女に何か話しても何を言ってるか観てるこっちもわかりません。
お父さんに色々怒られてるんだけど、彼女自身も何て言われてるかわからない。
街の人が道案内してもどう説明してるのかわからない。
そんな状態の中で彼女はニューヨークに行ける度胸が凄いです。
よほどリリアンが好きなんだなぁ、と思ったまま見てたら、リリアンはお母さんだったんですね。
このお母さんであるリリアン演じたジュリアン・ムーアの表情がまた素晴らしい。
楽屋口からリハーサル風景を覗いていたローズにリリアンは気づき、周りの人にうまく説明して楽屋まで超笑顔で連れていき、部屋に入った途端顔をこわばらせてかつらも取って鬼の形相。
どうやら離婚したようで離れ離れに暮らしているのがここで理解できます。
それでも自分の娘ですから、誘拐されたりしたらどうするの!と心配はしてる様子。
せっかく会いに来たのに何で怒られなきゃいけないんだよ、お父さんもそう、いつも私に怒鳴ってばかりでというのがローズの心境。
ローズには兄がいました。
しかも博物館で働いてたんですね。
誕生日おめでとうのハガキをもらい、ニューヨークに行くついでに兄にも会いに行こうと博物館を訪ねます。
警備員に怒られているローズに気付き、お兄ちゃんも怒るかと思いきや、自分の家に連れていきしっかり面倒を見るんですね。
ローズにとって兄は唯一の心の拠り所だったというのが見て取れます。
殴り合いのマネっこもすごく微笑ましい光景でした。
とにかくローズパートは、ローズの心境も相手が何を言ってるのかもよくわからないんだけど、サイレント映画ってこういうものだし、実際ローズ自身が見る世界はこんな世界なんだってのを表現しようとしたんだと。
とはいえ、ちょっと不親切にも感じたのが本音。
普通サイレントなんだから場面切ってセリフ出すような演出くらいしてもいいのになぁと。
実際劇中劇でリリアンが演じていた映画もそうやってることだし。
まぁそれが恐らくメモ用紙に書いた言葉なんだとは思うんですけどね。
ベンの物語。
所変わって77年。
母親を亡くしおばさんの家でいとこたちと暮らすベン。
彼が狼に追われている夢にうなされて起きるところから始まります。
この夢が伏線になっていることに、この時全く気づきもしませんでした。
お母さんはいつもお父さんの事を聞くと話をはぐらかします。
話す時が来たら話すと。
しかしその時はやってきません。
お母さんは亡くなってしまうからです。
叔母の家からすぐ近くにある元の家に灯りがついていました。
夜中に向かうと、そこには母の服を着て一服している従姉がいました。
叔母さんには一服していたこと黙っておくから少し一人にさせてとお願いし、嵐がどんどん近づいてくる中、彼は一冊の本を見つけます。
「ワンダーストラック」と書かれた本を読むと、博物館の事が書かれた内容でした。
しおりが挟まっており、ダニーという名前の男からお母さんに向けた言葉が書かれていました。
もしかしたらこれがお父さんかも。
しおりはキンケイド書店のもので、ここにいると確信したベンは電話をかけてみます。
しかし、雷が家に落ち、彼の耳はそれにより聞こえなくなってしまいます。
病院で目が覚めたベンは最初自分の口がきけないと思い込んでいましたが、叔母さんに説明されてようやく自分の置かれた状態に気付きます。
窓の外を見ると長距離バスが止まっていました。
彼は決心しニューヨークへ父を探しに旅に出ます。
ようやくキンケイド書店にたどり着きますがやっていない。
むしろ閉店したような雰囲気。
そこへ偶然通りかかった黒人の親子とぶつかり、ベンはなぜか彼らの後をついていきます。
たどり着いた場所はアメリカ自然史博物館。
その親子のお父さんはそこの職員で、息子は仕事が終わるまでいつも博物館の中で時間をつぶしているようでした。
ベンも入場料を払って中へ入ろうとしましたが財布を落とした様子。
それに気づいた黒人の男の子は、拾った財布をダシに彼に追いかけられながら博物館の中へと誘導します。
ようやく捕まえたベンは自分が耳が聞こえない、しかもなり立てだということを打ち明けジェイミーという黒人の男の子と打ち解けていきます。
彼が立ち止まった場所は、ベンがよく夢でうなされる狼のジオラマ。
そこからジェイミーと共に博物館を探検していくことで、この場所が自分にとって来るべき場所だったとこに気付いていくわけですが。
女優の母を探しに旅に出るローズに対し、こちらは父かもしれない人物を見つけに旅に出るお話。
比較していくと、どちらも手話ができない聾唖者であり、家族を探しに出る旅と共通点の多いことに気付きます。
一応こちらの時代をベースに描いてるので、ローズの時代のお話よりも時間配分は多いし、真実に向かうまでの手掛かりが多いのもこちら。
そしてローズの視点で描かれていたことで、全く言葉がなかった27年に対し、こちらは普通にベンがしゃべるようになっています。
核心に触れるかもしれませんが、ジェイミーはベンと出会った時に耳が聞こえないのを知らなかったから、キンケイド書店が移転したことをきちんと伝えられえていませんでした。
なので、もしきちんと伝えられていたら、ジェイミー必要ないんじゃね?とちょっと意地悪な考えが浮かんでしまって。
わざわざ自然史博物館まで行って遠回りしなくとも、たどり着いたんじゃないだろうかと。
でもそこはジェイミーの孤独も描きたかったのだと思うわけであります。
彼がベンの落とした財布を拾って彼をからかったのも、書店が移転したことを早く告げなかったのも、友達が欲しかっただけのこと。
ベンがまだ見ぬ父親を探して自分の居場所を見つけたかったのと同時に、ジェイミーもまた、家にいても自分の居場所がなく、一人で父親の仕事が終わるまで寂しく博物館で探検していたわけですから、境遇としてはさほど変わりがないのかなと。
そしてこのエピソードでは音楽のチョイスも良かった。
終始流れるデヴィッド・ボウイの「スペース・オディティ」。
おいおいつい先日「ヴァレリアン/千の惑星の救世主」でも流れてたからかぶってるじゃねえか、なんて当初思ってましたが、こちらの方が曲を大事に扱ってましたね。
宇宙飛行士と管制塔のやり取りを歌にした彼の曲。
50年という遠い月日に存在した二人が交信してやり取りするかのような意味合いを持っていたようにも思えます。
エンドロールでも子供たちが歌う「スペース・オディティ」が流れ、物語の余韻を増幅させてくれました。
そして「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・リミックス」の予告で散々流れて劇中で一回も流れなかった「フォックス・オン・ザ・ラン」も流れる選曲。
これは特に意味をなさなかったように思えますが、当時流行ったってことでしょう。
最後に
オレたちはドブの中にいる。
それでもそこから星を見上げる者たちだっているんだ。
オスカーワイルドの名言だそうですが、この言葉がベンの家に貼られています。。
ベンもローズもジェイミーも、この世界で息苦しく過ごしていました。
誰も僕を見てくれていない、私の事を理解してくれていない。
そんなドブの中にいるような環境や時代の中で、自分の憧れる人、あったことのない父親、そして仲良くしてくれる友達=星を見上げ探し求めることで、星々が線を結び、大きな星座となって時代を超えた奇跡を生む。
そんな物語だったのではないでしょうか。
感想の見出しでも書きましたが、ぶっちゃけ大きな衝撃はないです。
劇的なものを求めていた身としては爽快感は少なかったですが、なんというかほのぼの?いやほんわかした終わりといいますか、心が温かくなるようなラストでした。
彼らがとった行動は偶然でなく必然であり運命でもあったわけで、こういう物語って作るの難しいと思うんです。
数あるエピソードを順番をバラバラにして、うまくつなぎ合わせなければいきませんから。
そういう意味ではよくできた映画だなぁと。
とにかく画と音で楽しませてくれる映画だったと思います。
今回ロクなこと書いてないなぁw
どうでもいいですけど、主役のベン演じたオークス・フェグリー君、デヴィッド・ボウイに似てない?
というわけで以上!あざっした!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10