遠い山なみの光

2025年は戦後80年ということで、戦争映画が頻繁に製作されるんだろうと思っていましたが、あいにく目立った作品はなく、僕自身「ジョニーは戦場へ行った」のリバイバル映画を通じて心に刻んだ次第です。
今回鑑賞する映画は、そんな戦中戦後を生きた女性の秘められた記憶を描いたヒューマンミステリー。
正直石川慶監督作品、どれも好きじゃないですw
初期2作は割と子の身でしたけど、ここ数作、特に彼の前作「不都合な記憶」はなかなかの酷さでしたから、もうこの人の作品を追うのはやめようかなと思ってるところ。
これがそれなりのミステリーさを描けてたら、追いかけようと思いますけど果たして。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
2017年にノーベル文学賞を受賞し、「日の名残り」「わたしを離さないで」など、映画化作品でも非常に高い評価を受ける作家カズオ・イシグロが、1982年に綴り、王立文学協会賞を受賞した長編小説デビュー作品を、「愚行録」で注目を浴び、「ある男」で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した石川慶監督の手によって実写映画化。
戦後間もない1950年代の長崎と1980年代のイギリスで、女性3人の記憶に隠された嘘と真実を紐解いていく姿を、「信頼できない語り手」によりミステリアスに綴りながら、イギリスとポーランドの製作会社協力の元、洗練された映像で映し出す。
今回監督は、原作者のカズオ・イシグロ氏の元を訪ね、映画化に向けて議論を深めたのち、彼をエグゼクティブプロデューサーに招いて製作。
原作で多く語られなかった部分を語り手の「嘘」にすることで、映画的な物語に仕上げた。
主人公・悦子役には、「ゆきてかへらぬ」、「片思い世界」、そして「宝島」など精力的に映画に出演している広瀬すず。
本作では、戦後を生きなければならない女性の苦悩や希望を繊細に表現した。
悦子が気になる女性・佐知子役には、「地獄でなぜ悪い」、「翔んで埼玉」シリーズの二階堂ふみ。
他にも、「沈黙のパレード」の吉田羊、「室井慎次」の松下洸平、「ケイコ 目を澄ませて」の三浦友和、「クレイヴン・ザ・ハンター」のカミラ・アイコなどが出演する。
本作は第78回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に正式出品されたほか、ほかの映画祭でも出品が予定されている。
娘に自身の過去を語る主人公は、何を秘密にしてきたのか。
それが紐解かれたとき、戦争が人々に何をもたらしたかが浮き彫りになる。
あらすじ
日本人の母とイギリス人の父を持ち、大学を中退して作家を目指すニキ(カミラ・アイコ)。
彼女は、戦後長崎から渡英してきた母悦子(吉田羊)の半生を作品にしたいと考える。
娘に乞われ、口を閉ざしてきた過去の記憶を語り始める悦子。
それは、戦後復興期の活気溢れる長崎で出会った、佐知子(二階堂ふみ)という女性とその幼い娘と過ごしたひと夏の思い出だった。
初めて聞く母の話に心揺さぶられるニキ。
だが、何かがおかしい。
彼女は悦子の語る物語に秘められた<嘘>に気付き始め、やがて思いがけない真実にたどり着く──。(HPより抜粋)
キャラクター紹介

- 緒方悦子(広瀬すず)…⻑崎で原爆を経験し、戦後イギリスに移住する。夫と長女を亡くし、思い出のつまった家で1人暮らしをしている。戦後復興期の1950年代には、長崎で夫とともに暮らしていた。ちょうどその頃に佐知子と出会う。
- 佐知子(二階堂ふみ)…幼い娘の万里子と暮らす謎多き女性。終戦間もない長崎にて悦子と出会い、ひと夏をともに過ごす。
- 緒方悦子(1980年代)(吉田羊)…長崎を離れイギリスで暮らす。思い出の詰まったイギリスの自宅の売却を決め、荷物を整理していた中、次女のニキに乞われ、口を閉ざしてきた過去の記憶を語り始める。
- ニキ(カミラ・アイコ)…日本人の母とイギリス人の父を持つ。大学を中退して作家を目指しており、母・悦子の半生を綴りたいと考える。だが、ニキは次第に母が語る物語に違和感を感じ始め……。
- 緒方二郎(松下洸平)…悦子の夫で傷痍軍人。会社員として忙しく働きながら、妊娠中の悦子を気遣うが、父の誠二とは気まずい様子。
- 緒方誠二(三浦友和)…二郎の父。かつては悦子が勤務していた学校の校長で、悦子が大きな信頼を寄せる。ある目的で長崎に帰郷し、悦子と二郎の団地に滞在することに。
(以上HPより抜粋)
見終えた後、タイトルの意味がぼんやり浮かんでくるんでしょうか。
苦手な石川監督の新作、大丈夫だろうか…。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
#遠い山なみの光 鑑賞。母ちゃんの昔話には大きな嘘が隠されてました。原作者が製作に関わってる以上これが求めたカタチなんだろうが、要らんエピソード多過ぎるしミステリーにもなってねえし背景嘘くさいしできつい。今年の広瀬すずは背伸びした役柄ばかりで困る。安定の二階堂ふみ。 pic.twitter.com/5nQqJ6e6qC
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) September 5, 2025
どうした石川慶。
原作の内容がぼんやりしてるからか、唐突に答えを提示してくる優しさはあれど、過程が全く面白くない。
戦中戦後の女性が生き抜くための選択を、次の世代が肯定してくれた、それだけの話になってやしないか?
以下、ネタバレします。
見る人の想像力頼み。
1980年のイギリスと1952年の長崎のエピソードを交互に描きながら、戦後の復興の中それでも生きにくかった女性の姿を投影しつつ、選択によって心に大きな傷を負い喪失感を塞いでた悦子の本当の過去が、娘のインタビューによって明かされていくヒューマンミステリー。
原作自体未読のため、映画の中で色々吸収するしか手立てはなかったんですが、どうもこの原作、読んだ方の感想を覗いてみると「読者の想像に委ねる」ような語り口らしく、核心となる部分もロクにないせいで「あらゆる解釈」の出来る小説になってるんだそうな。
だからなのか映画では、終盤に描かれる「ある真実」を見せることで一応の「答え」を用意してくれる分は、ある意味助かったと言える締めだったように思えます。
だから情報なしで見たら「ミステリー」の要素を含んだ物語だと思った人がどれくらいいたことかってのが疑問。
映画の宣伝文句にもある通り、「信頼できない語り手」がフックになってる以上、吉田羊演じる悦子の「影」とか彼女に対する「不信感」をもっと強調すれば、物語に興味をもたらす効果を発揮できただろうに、何故それをせず淡々と昔話の回想を見せるのか、個人的には全く面白みがなかったです。
というか、正直石川慶のミステリーを一度も「巧い」と思ったことが無いし、ヒューマンドラマを面白く見せるためのひとつの「手」としてミステリーっぽくしてるだけで、ドラマを描きたいなら堂々とヒューマンドラマだけに絞って映画作れよと思ってるクチなんですけど、これもそのパターンなんですよね。
愚行録もある男も、大して好きじゃないし面白いと思ってないんですけど、まだ彼らしい切り口があって肯定できるんですよ。
愚行録だって胸くその悪さが際立ったし、ある男も素性を隠さなきゃいけなかった男の過去に興味が惹かれる物語だったし。
じゃあ今回、悦子の過去に興味が惹かれる物語だったかと言われると「???」だらけだったんですわ。
確かに原爆を落とされて誰もが失望感MAXだったであろう当時の長崎が、それでもみんなが生き抜くために「復興」に力を注いだ背景は伝わりますし、三浦友和演じる父と松下洪平演じる息子の「世代間の価値観の違い」もあれば、そんな男性優位主義な中で「良い妻」を務めなくてはならない女の息苦しさ、被爆者に対する差別もあったし、復興の早さと人間の心の復興の早さは比例しなかったことが理解できる作品であったわけです。
そんな中で自由を謳歌してるかのような佐知子と出会うことで、悦子の中で何かが変わり始めていくという過去の回想は、それなりに見れたわけです。
それらを語りながらイギリスでのエピソードでは、悦子とニキの親子間の壁のようなものがうっすらと見えてきて、序盤は期待できるんじゃないかと感じたわけです。
しかしながら、インタビューすらしてないのに唐突に始まる回想、そんなにきれいな映像にする意味あったのかどうか不思議で仕方ない回想での画質、なんでここ最近背伸びしたような役柄を率先して演じるのか理解できない広瀬すずの力不足感など、長崎のシーンを見る度に、物語の内容以前にのめり込めない部分が露呈していくわけです。
色々変なんですよ。
大体悦子の旦那が父親と向き合いたくないのは見ていてわかるんだけど、最後まで向き合わせず、誠二の教育論を雑誌の評論で否定した息子の同級生と対峙させて、それを決着させないのもよくわからん。
そりゃ戦前世代と戦後世代の価値観なんて違うのは容易だし、なんなら世代間の価値観の差なんて今でもある。
お互いどんな教育論でいがみ合ってるのか具体的なことも言わずに口論させるシーン、ものすごく中途半端。
それを息子とやり合えばそれなりの形になったろうに、なぜそうしなかったのか。
しかもこれ、回想のシーンなんで、悦子がニキに語ってることになるんですよね。
彼女が執筆するにあたって、当時の時代がどんなものでどんな人間がいたのかを知る上で結構大事な部分だったと思うんですよ。
それを中途半端に語るっていったいどんな意味があったんだろうかと。
他にも、戦中を生き抜いた人たちの苦しみを見せるシーンがいくつかありましたけど、決して戦時中の映像は流れず、音や体験者たちの表情で我々が想像するような見せ方になっていたんです。
これに関しては特に文句もないし割といい方法だと思う反面、これ以外にも「想像力」を働かせないと、回想からは違和感を見つけられないぞと。
逆に想像力で物語を惹きつけたいなら、最後の「答え」を描く必要なかったんじゃないのかなと思えてならないんです。
悦子は佐知子ってこと。
信頼できない語り手である以上、悦子が語る回想全てが「ホンモノ」である保証がないので、親父と息子の確執も、なんなら夫の存在も義父の存在も怪しい。
まぁ種明かししますけど、回想の中での一番の「嘘」は、悦子=佐知子ってこと。
これはもう映画を見てればわかりますけど、悦子は黄色い服を身に着け、佐知子は派手なピンクの服を着て出会うわけですが、徐々に悦子が佐知子が着る服の色に寄せていくのに気づいたでしょうか。
物語が佳境に入るともはや近い色の服を着ているので、真実に近づくにつれ2人が「同化」していくというメタファーなんだと思います。
佐知子自身被爆者として辛い経験をし、このまま日本にいても辛いだけならいっそのこと自由を求めて異国の地に旅立った方が、娘の将来も拓くと考え、フランクという外国人に身を委ねる様が映し出されます。
それは悦子自身が思っていた過去。
被爆者かくして結婚し、子を身ごもってそれなりに幸せを謳歌していたのは、もしかしたら「嘘」で、実際の悦子は佐知子の様な暮らしをしていたのかもしれません。
もしかしたら子供なんて身ごもってなかったかもしれません。
子供を水の中に沈めて殺害していた母親のエピソードがありましたが、きっとそれは本当で、悦子の娘である景子がそれを見てしまって以降塞ぎがちな性格だったのも本当でしょう。
だからこそ景子は知らない国に行きたくなかったろうし、紐で首を括って自殺したのも、縄に対するトラウマがあったからなんでしょう。
観賞後、振り返ってみると「実際あれはこういうことだったんじゃないか」みたいな解釈や考察ができる面白さがあったんでしょうが、さっきも言ったように「想像力」頼みの映画になってしまってるのが本作のダメな所だと思うんです。
やはり「違和感」となるような部分に一瞬フォーカスを当てるとかクローズアップするとかわかりやすい「ヒント」はあっていいはずだし、それすらしないなら最後の「答え」は見せる必要ないだろと思えてならないんですよ。
あと回想シーンに色々文句を言ってますけど、それ以上にイギリスパートがつまらないんですよ!
大体ニキが不倫してるとか妊娠してるかもしれないって設定、物語に活かされてないですからね。
なんですか、親世代がそういう苦労をしたから今の世代は自由なんだってことですか?
違うっしょ。
しかも信頼できない語り手である母親の嘘を暴くのが、景子の部屋に入って理解するって面白く無さすぎでしょ。
もうさ、いっそのこと、さっさと景子の部屋に入って物証掴んで、母親の前で「お義母さんの言ってる昔話には嘘がある!!」って突きつけた後に、本当のことを語った方が面白いでしょ。
なんかさ、入っちゃいけないような部屋に足を踏み入れて、それが母親にバレて、二人して感傷に浸って肩寄せてチャンチャンって、そりゃないよ。
親子だからこそ分かり合える優しさみたいなの要らないんですよ。
あとなんだろうな、せめて長崎とイギリスでの会話のテンポに差をつけた方が良いと思いました。
時代が違うのならそこも変えた方が差がつくでしょ、という意味合いで。
最後に
なんか小津っぽい見せ方をする回想シーンでしたけど、三浦友和は良いとして広瀬すずがやると、どうもこの手の役柄を背伸びして演じてるようにしか見えないのは俺だけだろうか。
突然叱り出す様とか、突然大粒の涙を流す芝居はさすがだと思いつつも、昭和のちょっと品の良い大人の女性をやるときのセリフ回しとかちょっと無理があるなぁって思ってしまうんですよね。
それに対して二階堂ふみの佇まいとか気張った姿とか、品のいい感じの出し方とか広瀬すずより全然巧くて、そっちの方が見ごたえありましたよ。
あ、そういえば佐知子はアメリカ行くって言ってるのに紅茶ばかり出してましたね。
そういう細かいところを見るためにも、よくわからなかった人はもう一度見て見ると「違和感」を見つけられるかもしれません。
しかし何度も言うように見る側の想像力に委ねるようなやり方は俺は好きじゃない。
それっぽい洗練さとか挑戦的な部分は買いますが、俺は好きじゃない。
要は解釈ありきとか考察ありきの映画は、頭で見ちゃうんですよ、映画を。
本来映画ってそういう見方じゃないでしょ。
そう思わせないような圧倒的な画力や目を見張るような芝居とかに力を注いでほしいんですよ。
あくまで俺が映画に求めるものなんでね、人それぞれなんでしょうけど。
あ、そうそう、本作で子猫を川に沈めて殺すシーンがあります。
直接見せるわけではないですが、猫ちゃん好きにはかなりショッキングな部分だと思いますので、一応注意喚起しておきます。
まぁあれも「隠したい秘密」とも言える部分だとは思いますが。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10

