夜、鳥たちが啼く
あまり大人のラブストーリーというモノを見てこなかったこともあり、今回「歪な半同棲」生活を送る大人の男女の物語という触れ込みから興味を持ちました。
主演の山田裕貴に関しては、ようやくブレイクした俳優とあって、今も逃したくないのと、意外と松本まりかの映画って見たことないなぁと。
その二人を撮るのが城定秀夫監督ということで、きっといい画を撮ってくれるだろうという期待を込めて、早速観賞してまいりました!
作品情報
函館を舞台にした『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』などで知られる作家・佐藤泰志が、関東近郊を舞台に描いた短編小説を、同2作を手掛けた高田亮の脚本、そして彼の盟友であり、「アルプススタンドのはしの方」といった青春モノや、「愛なのに」「女子高生に殺されたい」「ビリーバーズ」など近年目覚ましい活躍を見せる城定秀夫監督のタッグで製作。
自分を諦められない小説家と、愛を諦めかけたシングルマザーが、いびつな半同棲生活から仄かな光を見出していくラブストーリー。
主演には「東京リベンジャーズ」でのハマリ役によりブレイクした山田裕貴と、子役からキャリアを積み、今や「あざとかわいい」女優として認知された松本まりかを迎え、他者との関わりを避けて生きることを望みながらも、共生共存を願い光を見入いだそうともがく人間の姿を体現した。
傷ついた者たちがほんの少しだけ前を向いて一歩を踏み出す。
ささやかながら輝かしい一瞬を、やさしく美しく描いた作品です。
あらすじ
若くして小説家デビューするも、その後は鳴かず飛ばず、同棲中だった恋人にも去られ、鬱屈とした日々を送る慎一(山田裕貴)。
そんな彼のもとに、友人の元妻、裕子(松本まりか)が、幼い息子アキラを連れて引っ越してくる。
慎一が恋人と暮らしていた一軒家を、離婚して行き場を失った2人に提供し、自身は離れのプレハブで寝起きするという、いびつな「半同居」生活。
自分自身への苛立ちから身勝手に他者を傷つけてきた慎一は、そんな自らの無様な姿を、夜ごと終わりのない物語へと綴ってゆく。
書いては止まり、原稿を破り捨て、また書き始める。それはまるで自傷行為のようでもあった。
一方の裕子はアキラが眠りにつくと、行きずりの出会いを求めて夜の街へと出かけてゆく。
親として人として強くあらねばと言う思いと、埋めがたい孤独との間でバランスを保とうと彼女もまた苦しんでいた。
そして、父親に去られ深く傷ついたアキラは、唯一母親以外の身近な存在となった慎一を慕い始める。
慎一と裕子はお互い深入りしないよう距離を保ちながら、3人で過ごす表面的には穏やかな日々を重ねてゆく。
だが2人とも、未だ前に進む一歩を踏み出せずにいた。
そしてある夜……。(HPより抜粋)
感想
#夜鳥たちが啼く 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年12月9日
期待するとロクなことねえんだよ。
だからそのまんまでいい。
こういう幸せの在り方はどんどん肯定したい。
しかし青々とした夜が艶っぽくもあり淋しくもあり、そこに宿る電気スタンドがまたいい画だったなぁ。 pic.twitter.com/WID5S34F5c
嫉妬深さゆえに過去に憑りつかれる男と、ぽっかり空いた穴を無理矢理塞ごうとする女の、微妙な距離感から生まれる「幸せの在り方」についての物語。
「先のことはおいといて、そのまんまでいいんじゃない?」
人との関わりがめんどくさい現代で、この言葉が楽にさせてくれる。
以下、ネタバレします。
一人でいたい日もあれば、そうでない日もある。
若くして賞を取るもその後鳴かず飛ばずの小説家が、「職場の先輩の元奥さん」という繋がりから、一軒家とプレハブでの半同棲生活を始める本作。
男は、かつての恋人に嫉妬深い扱いをしていたために愛想をつかされ、今も尚その思いを小説にぶつけている日々。
女は子持ちのシングルマザーとして気丈に振る舞うも、行きずりの恋に身を委ねてしまう日々を送る。
そんな2人が、あくまで「先輩の元奥さん」という関係性を留めるも、互いがどこか求めてしまう姿を、青々とした夜を背景に投影するというお話。
物語的には互いの過去を回想として巧く挟みながら進行していく構成で、どうやってこの2人が知り合い、半同棲生活を送ることになるのかが分かる仕組みになってるんですが、まさか慎一の恋人が彼に愛想が尽きて向かった先が、裕子の旦那だったってのは意外でしたw
凄く悪く言えば互いが余り者なわけで、互いが事情を知ってるってこともあって、心に深く刻まれた傷の意味を知ってるってことから、一軒家とプレハブという境界線を用いたとしても情を抱くのは遅かれ早かれあるよなぁというう展開ではあったわけです。
しかし本作はそんな容易な物語ではありませんでした。
タイトルの「夜、鳥たちが啼く」ですが、二人が住む家の近くに幼稚園があり、そこで飼っている鳥たちが発情して啼くというセリフがあり、二人の姿を象徴した部分をタイトルにしたのかと感じます。
幾度となく寄りの画で鳥たちが啼く光景が流れるわけですが、その鳴き声がどこか胸騒ぎを感じさせることもあれば、鬱屈した思いを抱えた慎一と孤独を抱えた裕子というまるで扉を塞がれた鳥かごのような状態の2人が夜ごと心の中で泣くような、そんな感じを受けました。
もちろん生き辛い世の中というメタファーも含んだ鳥かごのようにも感じますし、二人が肌を重ねる姿を発情した鳥として見ることも取れますが、個人としては塞がれた心という解釈です。
慎一はあの家でかつての恋人と暮らしていたものの、慎一を支えるためにスーパーでパートをしていました。
しかし慎一は恋人が店長からカーテンをもらったり送迎してもらう姿をみるなり、恋人に悪態をついてしまう。
やり場のない怒りを同じ小説家志望の先輩にぶつけたり、恋人が働くスーパーの店長に殴りかかったりするなどしてぶつけてしまい、恋人はとうとう彼の前から姿を消してしまうのでした。
裕子が一軒家で日常を送る姿を見るたびに、かつての恋人との生活がフラッシュバックしてしまう慎一。
その思いを断ち切りたくて、終わらせたくて「嫉妬深い男の物語」を執筆する慎一でしたが、結局むしゃくしゃしてモノに八つ当たりしてしまうだけ。
しかし裕子と彼女の息子アキラとの日々は、彼の気持ちを落ち着かせてくれる場所でした。
逆に裕子は、アキラが寝静まったころ夜な夜な外に行き、知らない男とその場限りの関係を求めていました。
慎一のかつての恋人が夫を略奪したことで、シングルマザーとして子供のために奮闘するも、心はぽっかり空いたまま。
夫の職場の後輩だった慎一により住処を提供してもらえたものの、子供のために今後の事を考えなくてはと焦っていた姿も見受けられます。
その衝動が真夜中の行きずりの恋を加速させたのかもしれません。
物語はそんな2人の微妙な距離感を保ちながら少しずつ縮めていくわけですが、この縮め方が非常に良かったと思います。
慎一が夜増えたビールを取りにプレハブから一軒家の方に向かうと、裕子がちょうど風呂上がりだったんですね。
ここで慎一は「一杯どう?」と薦めることで、半ば会話する機会を作ろうとするんですが、ぶっちゃけ一軒家を貸してるだけの関係ですから、無理に気を遣うこともないんですけど、気まずさを解消したいのと同時に失った心を慎一自身も埋めたくて声をかけたのではと解釈しました。
それは裕子も同じで、彼との素っ気ない会話を切り上げてプレハブに戻る姿を見て、物足りなさというか「もう少し話をしたい」ような素振りを見せてるように感じたんですよね。
決して惹かれあってるとかそういうものではなく、喪失したままの心を互いが他者で埋めたいという心の底にある欲求を見せていた場面だったんじゃないかなと。
それからというもの、慎一は執筆活動する夜にカーテンを開けては裕子が出かける姿を覗き、それをわかっている裕子も彼が見ていることを意識してプレハブの前で立ち止まるような素振りに見え、徐々に互いが意識してる光景だったように思えます。
しかし2人の距離が急接近することはありません。
それはなぜかというと、「期待してしまうから」だと思います。
恐らくどこかのタイミングで互いが互いを求めている瞬間があったと思うんです。
アキラを連れて海に出かけたり、アキラにハンバーガーをごちそうしたり、そのお礼に夜食を作ったりと何かしらきっかけを作っては接近する。
その積み重ねが思いを増幅させてたんだと思うんですが、踏み込まなかったのはきっと「過去の傷」で学んだことが気がかりだったのではと。
慎一はもしこのまま付き合うことになったらまた「嫉妬深い男」になってしまうんじゃないか、裕子は子供がいることから相手が重荷になってしまうんじゃないかや、また別れることになって孤独を感じてしまうんじゃないかと。
行きずりの恋や一夜限りの関係はきっと割り切った関係だから楽なんだろうし、変に期待させないからだったんだろうなと。
でも結局互いが互いの痛みを知ってるからこそ、言葉通り傷をなめ合い肌を重ねていくわけです。
劇中、裕子がクレジットカード会社で申込用紙を打ち込む仕事をしているという会話がありました。
スマホで簡単に申し込みができる今、紙で申し込む人などあと数年もしたらなくなるんじゃないか、なんて話をしてましたけど、痛みを抱える者やいわゆる弱者は捨てられていくんじゃないかというニュアンスのこもった会話に聞こえ、慎一も裕子も社会の歯車から漏れていく、または痛みを抱えるあまり一般的な人生を送れずに孤独に暮らす人間のように思えるんです。
そんな2人がたどり着いた答えが「そのまんまでいいんじゃない?」というもの。
先を期待するから関係がこじれていく、負担が生じる、やがて心は疲弊し相手にそれ以上を求めて破たんしていく。
だったら、最初から期待せずにこのままの関係を維持しよう。
その先は時が来たら考えればいい、と。
だるまさんがころんだのシーンで、一緒に遊んでいたお友達がずるをしていたというアキラの話から、人間は時にバカになるという話をしていました。
裕子は建前でバカをやるけど、元に戻るでしょとアキラに諭していましたが、実際バカをやる奴はバカだと。
バカでいいと思うんですよ。
元に戻ってしまうって、要は礼儀正しくとか世間体を気にするとかそういう意味に聞こえて。
でも2人がたどり着いた答えってのは、世間的に言えば「バカ」に位置する答え弾ぁと思うんですけど、全然それでいい。
プレハブと一軒家、基本的にはプレハブで一人籠っていいし、何なら一人で野球を見に行ってもいい。
でもあなたには一軒家があるから、一緒にご飯を食べたくなったら食べようかと。
そうすれば重荷にならないし、期待しないし期待させなくていい。
家族ってこういうモノだからという縛りをさせなくていいと。
正直アキラの事を考えたら第三者としてどうなのかという部分はあるけど、アキラは慎一と裕子と三人だと笑いが絶えないから、俺としてはすごく上手くいく家族の形になるんじゃないかと。
というか、こういうカタチがあっていいんだ、こっちが「それってどうなの?」と口を咎めるのも余計なお世話というか。
打ち上げ花火を見上げた3人の笑顔が、青々とした夜の孤独を打ち消すほど美しく素晴らしい作品だったと思います。
最後に
城定監督お得意の長回しが今回絶妙でしたね。
人物移動に合わせたゆっくりな移動はもちろん、裕子を手前に置いて奥でプレハブから覗く慎一という構図をピタッと止めて見せる瞬間、スーパーでの殴りかかる手持ちカメラは少々酔いましたが、慎一の心の揺れだったり怒りに身を任せた衝動を表現したのであればよかったのかと。
また冒頭がたまりませんでした。
青ざめた夜の光からプレハブに移動する慎一そこから鳴きわめく鳥たちの姿へと移す流れが、なんとも映画っぽいシーンというか。
それからというもの夜のシーンは独特な青を表現していて、慎一が執筆する際に灯る電気スタンドの明るさが、慎一の心の中=「小さな希望」を現してるように見えたし、裕子との濡れ場も、窓から差し込む一筋の月明かりが、艶っぽさを強調してるように見え、エロティックでありながらも美しさを宿していた光景でしたね。
しかしこれでR15指定なんですね。一応腰振ってるからR指定つくか。
やっぱり男なんで色々期待してしまうシーンだったんですけど、エロさよりも美しさが際立った濡れ場でしたね。
がっつりキスするところや漏れてしまう声はドキドキモノでしたが、それよりも自分は「綺麗だな」の方が勝ちましたw
傷を舐める松本さんは素晴らしかったですw
すいません失礼しましたw
とにかく、劇中登場する「だるまさんがころんだ」になぞらえて言えば、「動いてるか止まっているかを駆け引き」しながら、互いが適度な距離を保って意識しあう関係性を見せた、痛みを抱えた者同士の幸せの形の物語でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10