Coda コーダ あいのうた
木村拓哉が出演しているGYAO!の配信番組「木村さ~ん!」の中で、「木村拓哉が真剣に選んだおすすめ映画ベスト5」という回がありました。
コロナ禍でステイホームを言い続けている彼が、自宅で楽しめることの一環で企画されたものだと思うんですが、その中で第5位にランクインしたのが「エール!」というフランス映画です。
聴覚障害を持つ家族の中で生まれ育った健聴者の少女が、歌手になる夢を家族に理解してもらおうと奮闘する姿を描いたドラマでして、めちゃくちゃ笑えてラストは泣ける作品なんですよ。
僕も公開当時劇場で見てその通りになったんですけど、どうもあと一歩って感じだったんですよね。(何様w)
そして知らぬ間にハリウッドでリメイクされていることを知ったのがつい最近のこと。
中々の評判なので、今回期待値を上げて観賞してまいりました!
作品情報
アカデミー賞の前哨戦とも言われる「サンダンス映画祭」で4冠に輝き、各国のバイヤーがこぞって配給権を賭けた争奪戦を繰り広げるほどの人気を博し、ゴールデングローブ賞にもノミネートされた本作。
家族の中でたった一人の健聴者である少女が「歌う」夢をかなえるために、耳の聞こえない家族に説得を試み、やがて家族の夢へと変化していく物語。
フランス映画「エール!」をリメイクした本作は、舞台を漁村に変更。
主人公以外のキャラクターにもしっかりキャラクター性を強化したことで、より「家族の物語」として描いた。
ちなみにタイトルの“コーダ(CODA)”とは、Children of Deaf Adults=“⽿の聴こえない両親に育てられた⼦ども”という意味。
加えて⾳楽⽤語としては、楽曲や楽章の締めを表す=新たな章の始まりという意味も持つ。
健聴者である自分がいなければ家族は生活できない。
でも「歌う」夢も叶えたい。
揺れる主人公に、家族はどんな決断を下すのか。
そして主人公は耳の聞こえない家族に、どう説得するのか。
爽快で胸アツな感動作です。
あらすじ
豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビー(エミリア・ジョーンズ)は、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聞こえる。
陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。
新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズ(フェリディア・ウォルシュ=ピーロ)と同じ合唱クラブを選択するルビー。
すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。
だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。
悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、シアン・ヘダー。
短編映画『Mother』(06)で監督デビューし、カンヌ国際映画祭のシネフォンダシヨン賞(世界中の映画学校から出品された短・中編映画から選ばれる賞)にノミネートされました。
その後、初長編監督作品『タルーラ ~彼女たちの事情~』が、サンダンス映画祭でプレミア上映。
TVシリーズ「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」で数エピソードを担当するなどして、徐々にキャリアを積み上げてきました。
本作はサンダンス映画祭で観客賞、監督賞、アンサンブルキャスト賞に輝き、ゴールデングローブ賞ではドラマ部門で作品賞にノミネートされるほど高い評価を受けています。
本作を作る上で一番大事にしたかったのは、「主人公である健聴者を際立たせるだけの家族にしたくなかったこと」と語る監督。
互いに依存する関係性だからこそ葛藤や駆け引きがあり、それらを越えた愛情を画面から伝えるためには、家族のキャラクターをしっかり構築する大事だと語っています。
オリジナルでも家族の描写はユーモラスに映し出されていましたが、本作はその辺りの改変もされてそうですね。
あくまで本作の主人公は「家族」であることを強調したいのかなと。
果たしてどんな物語に仕上がったのでしょうか。
キャスト
主人公ルビーを演じるのは、エミリア・ジョーンズ。
「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」や「ワン・デイ/23年のラブストーリー」などで子役として出演し、「グランド・フィナーレ」や「ゴーストランドの惨劇」、TVシリーズ「ロック&キー」で人気を博した女優さんだそうです。
僕自身「ゴーストランドの惨劇」しか鑑賞してないんですが、一体どこに出ていたんだろうとw
調べてみたら10代の頃の主人公みたいですね。
今回手話が流暢でなくてはいけない上に、歌も魅了させなくてはいけない、さらには漁業までもこなさくてはいけないという、演じる上で中々ハードルの高い役柄。
それを彼女は見事にこなしたわけです。
一体どれほどの演技と歌なのか非常に楽しみです。
他のキャストはこんな感じ。
父フランク・ロッシ役に「ナンバー23」、TVシリーズ「マンダロリアン」のトロイ・コッツァー。
母ジャッキー役に「愛は静けさの中に」、TVシリーズ「ザ・ホワイトハウス」のマーリー・マトリン。
兄レオ役にTVシリーズ「スイート・ライフ オン・クルーズ」、「スイッチ ~運命のいたずら~」のダニエル・デュラント。
マイルズ役に「シング・ストリート 未来へのうた」のフェルディア・ウォルシュ=ピーロなどが出演します。
オリジナル作品「エール!」からどんなリメイクをし、どんな楽曲で魅了させてくれるのでしょうか。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#コーダあいのうた 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年1月21日
オリジナルよりこっちだな。
兄貴の言葉は刺さったなぁ…
てか、一瞬映った先生の奥さん、24のニーナじゃなかった? pic.twitter.com/ehp1JoHx2q
オリジナルより整合性が出てました。
主人公が羽ばたく物語だけど、家族の物語として強調された作品だったのでは。
以下、ネタバレします。
家族で唯一健聴者であること
マサチューセッツ州の小さな漁村を舞台に、歌うことを夢見る健聴者の少女が、聾唖者である家族たちを支えながらも、夢と現実のはざまで苦悩し乗り越えていく姿を、オリジナル作品の根幹を崩さず細かい改変をすることで、よりCodaである立場が明確に表現されていると同時に、家族のキャラクターにもしっかりフォーカスを当てることで「家族」が強調されたことに成功したリメイク作品でございました。
自分は健聴者であり、家族も健聴者。
コミュニケーションを取る際には、手話など使わずとも言葉を使って会話できる立場。
社会に出てもそれが当たり前で、特別苦労することもない。
しかし世界は広いもんで、家族全員が聾唖者が故に家族の代弁を小さいころからしなくてはならない立場の子もいる。
きっと生まれて間もなく手話を覚えなくてはいけなかったろう。
今の自分から考えればとてつもなく苦労したんだろうが、当事者からすればそれが「当たり前の環境」だったから乗り越えられたのかも。
本作の主人公ルビーは、父と兄と共に漁業の手伝いをしながら学校に通う、中々のハードワークをこなすティーンだ。
午前3時に起床し、登校時間ぎりぎりまで仕事の手伝い。
大量の魚を釣り上げても組合に搾取されてしまう現状が描かれており、耳が聞こえないことを理由に、値段の交渉もままらない。
そこでルビーが間に入り、もっと値を上げてくれと訴えるのである。
家の外に出ると、聾唖者には過酷な現状かもしれないが、家の中ではどこの過程でもよく見られる光景が目に映る。
出会い系サイトにハマる兄貴の話題で花が咲く食卓にルビーは「勘弁してよ~」と嘆くが、両親が性に奔放なのと、自分が好きな「歌」を話題にしたところで盛り上がらないのが彼女にとってヤキモキする点なのだろうが、これはこれでロッシ家の日常なのだろう。
物語は、ルビーが歌の才能を開花させ音楽大学へ進学する夢を見つけていくエピソードと、共にデュエットを歌うことになる少年マイルズに抱く恋心が進行していく。
それと同時に、政府が定めた「漁業監視員」制度の料金が、組合に参加している漁師らにのしかかってくる現状、さらには聾唖者がネックになり漁業を継続させられない問題へと直面していく。
この大きく二つに分けられたエピソードが、主人公ルビーが抱く夢と見なくてはならない現実に直面していき、彼女は大きな決断を迫られていくというものだ。
劇中では家族との仲睦まじい掛け合いをユーモラスに描く場面もあれば、健聴者である娘におんぶにだっこでなければ生活できない家族の姿、小さいころからその役目を担ってきた彼女が初めて見つけた大きな夢の枷になっていく辛さが、徐々に浮き彫りになっていく。
そもそも聾唖の家族で育ったルビーは、周りの生徒から「発音がおかしい」ということでいじめに遭っていたことが明かされる。
序盤からいじめの標的(といってもからかわれる程度)になっていた原因はそれだ。
子供の頃はきっと周囲の目など気にもしていなかったろう。
だが物心つくと、周囲との差に敏感になり、引っ込み思案になっていく。
彼女が生徒の前で歌を披露することに躊躇したのも、そうしたバックボーンがあったからだ。
常に家族を通訳する立場だったり、周囲から白い目で見られること、それが思春期を迎えていく過程で「重荷」になっていく辛さが、エミリア・ジョーンズの微細な表情によって我々に伝わっていく。
恐らく思い詰めていくと「私は一体誰のために生きているのだろう」と、ギリギリのところまで陥ってもおかしくない。
本作は普段の生活を何不自由なく送る我々には想像もつかない、マイノリティな家族で生まれた健聴者ならではの悩みが描かれていたのである。
歌を通じて「伝える」喜び
ここでルビーのメンターとなるのがヴェルナルド先生。
彼女の才能にいち早く気付き、他の生徒よりも目をかける。
メキシコ系だからかどうかはわからないが、非常にパッションをぶつけてくる先生で、鬼滅の刃よろしく「犬の呼吸」で腹式呼吸の使い方をレクチャー。
小型犬、中型犬、そして大型犬とレベルを上げていくことで、ルビーは発声のコツを掴み、周囲を驚かせていく。
そんなユーモアを見せる先生も基本的には厳しい。
練習をサボれば怒るし、歌に心や魂がこもってなければ怒鳴る。
スパルタ指導というわけではないが、とにかく歌を音楽を愛するが故に、熱のこもり具合が半端ない。
さらには家族の事情でレッスンを遅刻しがちなルビーに対しては、「遅刻をしたということは私の時間をも犠牲にしたということだ」と、もっともな意見でありながら、時間の大切さをルビーに説教する。
確かに彼女には歌の才能がある。
しかしそれを蔑ろにして、別の事に力を注げば、その能力も100%開花しない。
夢を叶えるということは、すべきことに全力を注がなければ叶うことはおろか、半端な人生を送りかねないことをヴェルナルドは敢えて厳しく教えるのだ。
劇中では詳細を省いたが、そもそも小さいころからレッスンを受けていないルビーが、わずか数か月のレッスンを受けただけでは、実際問題音大など受かるわけがない。
他に受験する生徒は、小さいころからそういったレッスンを毎日数時間受けており、受かるべくして受かる子もいれば、それでも落とされる生徒もいる。
だからこそ今このレッスンをする時間が大事なのだと、ヴェルナルドは伝えたかったのだろう。
それ以上に先生が伝えたかったのは、歌で自分を表現することの素晴らしさだろうか。
途中でも書いたが何よりCodaとして育った彼女は、自分の心の底から表現することを抑制されて過ごしていた。
自分の事より家族優先。
だからレッスンが遅れてでも、家族の事情を優先しなくてはならない。
そうして自分を押し殺して生きてきたルビーを、どうすれば表現者として成長させることができるかを、ヴェルナルドは身体ごとぶつかって揺さぶる。
手を組んで推しながら、これまで溜まっていた鬱憤を晴らせ、もっと魂を震わせるのだ、君の才能はそんなもんじゃないだろう。
技術的にあれこれ教えるのではなく、パッションで教えるヴェルナルド。
垂れた前髪が彼のインテリジェンスな面を際立たせているが、中身はめっちゃ熱い男なのだ!
こんな先生がいてくれたらいいなぁと思った瞬間だった。
オリジナルとの比較
固い話は抜きにして、ここからはオリジナル版とどう違ったのかを語っていこうと思います。
まず家族構成が変更されてましたね。
オリジナルでは父、母、主人公である長女、そして弟がいましたが、本作では弟ではなく兄になっています。
大きなプロットは特に変わりなく、両親が性に奔放過ぎて病院で世話になってしまう件や、兄は出会い系サイトで好みの女性を漁っています。
漁師だけに色々釣り上げたいんだろな…なんちって。
本作では家族のキャラクターをもっと強調したいという監督の意向から、オリジナルでは置物間満載だった弟を、健聴者である妹なんかに頼らず俺が何とかすると意気込む兄として変更。
彼が酒場で喧嘩したり、ルビーの友人と恋仲になったり、夢を犠牲にして家族の世話をする決心をするルビーに怒り心頭になる姿が描かれていました。
僕としてはこの兄貴のキャラが非常に良かったと思ってます。
両親を支えなくてはいけないのは、妹でなく兄である俺だと常々思っていたのでしょう。
だからセリの交渉も自分でできるとつっぱねたり、ルビーが留まる決心をしたときも「家族の事なんか俺に任せて好きなことをすればいい」と感情を露わにする場面は、ぶっきらぼうながらも妹思いな姿を見せており、見せ場としても最高のシチュエーションだったように思えます。
僕個人も妹を持つ兄と家族構成が同じで、妹に家族の面倒を色々押し付けて自分勝手に生きている自分とは正反対な兄貴でかっこいいなぁと思ったのと同時に、本来なら俺こうでなきゃいけないんだよなぁと反省の面がこみ上げ、思わず涙しましたw
性に奔放で言うと、ルビーの友人の女の子もオリジナル版と同じ。
すぐ寝てしまう尻軽女でしたが、本作はとっかえひっかえせず兄貴とすぐくっつく設定になってましたね。
またデュエットをすることになるマイルズはギターが弾ける少年という設定。
聾唖者なのに仲睦まじい家族に羨望の眼差しを送る理由は、両親同士がうまくいってないことや、自分は親のために歌わなくてはならない環境に置かれているから。
そんなマイルズは、ルビーの才能に惹かれていくんですね。
ルビーの両親がエッチしていたことをうっかり生徒に話してしまったことでルビーは激昂。彼と絶交をすることに。
しかし、マイルズは誤解を解こうと必死に。
反省の態度をずっと見せていくことで、ルビーと仲直りしていくんですね。
オリジナルではこの辺が非常に曖昧でした。
親のエッチ話を生徒中に広めた主犯が誰なのかわからないまま、疑惑を持っていた意中の相手ガブリエルと恋仲になっていくので、変だなぁと思っていたんですが、本作はそこを改善していましたね。
一番の改変は牧場経営だったオリジナル版から、漁業に変更した点。
オリジナル版では娘がいなくなることで、家族にどんな犠牲や問題点が生まれるかが御座なりでした。
もちろん通訳がいなくなることで生活に支障が出るのはもちろんなんですが、決して家業が継続できなくなるところまではいってないんですね。
だから家族の描かれ方がどこかワガママのように見えてしまいがちでした。
別の通訳を雇えばいいし、そうしたところで経営に打撃が生じるわけでもない。
要は娘に好きなことをさせてあげても家業に大きな問題はないんです。
しかし本作は、聾唖者だけで船を出すことは違法行為になり、出航停止を喰らうことになってしまいます。
ここも監視員制度という設定を組み込むことで、誰が密告するか役割を作っている。
唯一健聴者であるルビーがいなくなると、家族、そして家業にどんな影響を及ぼすかに説得力が生まれるんですよね。
ただ通訳としていてほしいのではなく、家族で経営する事業に欠かせない存在であることが明確になるのです。
しかも組合から搾取されてるせいで、漁業自体あまり儲かってない。
通訳を雇う金も充てることができないのです。
こうすることで、より兄貴が「俺が何とかする」という理由づけになる。
結局誰が通訳の代わりをしたのかはよくわかりませんでしたし、気が付けば事業がうまくいってしまってるのが少々都合が良すぎるんですが、オリジナル版より理由づけは上手くいっていたように思えます。
そもそもオリジナル版は選挙に立候補しても、親父の態度に問題があり過ぎて全く意味のないエピソードでしたからね。
最後に
ラストで歌うジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」という選曲がナイスチョイスでしたね。
“雲の上と雲の下” 私はその両側を見てきた
それは雲の幻影を 思い浮かべたに過ぎない
私は雲が何かなんて 解っちゃいない 全く何も
彼女の気持ちが代弁された歌詞だったように思えます。
夢と現実のはざまでもがいた少女は、それを経て大人になる意思表明にも思えたシーンだったのではないでしょうか。
色んなミュージシャンがカバーしている名曲ですが、本作でエミリア・ジョーンズが歌うこの曲も非常に良かったと思います。
しかしオリジナル版もそうなんだけど、なんであんなに性に奔放な家族って設定にしたんでしょうね・・・。
まぁ全然いいことなんだけどさw
そういえば手話で印象的だったのは、ちゃんとコンドームをつけろって意味で親父が「戦士がヘルメットをかぶるように」って例えを手話でしたんですけど、あそこは最高 でしたねw
ヘルメットをかぶるジェスチャーをして、ライフルにコンドームをつけ発砲をくいとめるっていう。
そりゃ友達に話したくなるわw
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10