ダンボ
今回鑑賞する映画は「ダンボ」です。
耳のでかい象が空を飛ぶ誰しもご存知のキャラクターを、とうとう実写映画にしてしまったと。
こりゃあ子供たちも大喜びですな。
きっと愛と希望と勇気に満ち溢れたステキなお話なんでございましょうが、なんと監督はティムバートン。
どんなにステキなファンタジー映画でも、ある種の毒っ気だったり、ちょっと気味の悪い描写だったりをさらっと盛り込んでくる奇才ですから、今回の作品もバートンの異質な部分を僕は楽しみにしています。
めちゃくちゃマイルドになってそうだけど。
てなワケで早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
1940年代に誕生したディズニーアニメーションの傑作「ダンボ」。
耳の大きい像が母親と別れてしまったり、まわりに嘲笑されることで失意の底に落ちてしまうも、勇気と心の開放によってその耳で空を飛ぶことに成功しサーカスの花形スターへとなっていく物語を、今回ディズニーが満を持して実写映画化。
そしてこれをディズニーのファンタジー映画を数多く手がけてきたティムバートンが、親子の絆と個性の素晴らしさを加えた新たな物語として生まれ変わらせる。
誰にも存在するコンプレックス。
でも実は一つの個性でもある。
ダンボはきっとそれを教えてくれることだろう。
君はそのままでいいのだと。
母を助けるために大空を舞うダンボ、世界中に勇気を運んでくれるファンタジーアドベンチャーが幕を開ける!
あらすじ
サーカスに、愛らしい子象が誕生した。
“大きすぎる耳”をもった子象は“ダンボ”と呼ばれ、ショーに出演しても観客から笑いものに。
ある日、ダンボの世話を任されたホルト(コリン・ファレル)の子供ミリー(ニコ・パーカー)とジョー(フィンリー・ホビンス)が、悲しむダンボを元気づけるため遊んでいると、ダンボがその“大きな耳”で飛べることを発見する。
“空を飛ぶ子象”の噂は瞬く間に広がり、ダンボを利用し金儲けを企む興行師によって、ダンボは愛する母象ジャンボと引き離されてしまう。
母を想うダンボに心を動かされたホルトの家族とサーカス団の仲間は力をあわせ、ダンボの捕われた母を救い出す作戦がはじまる――! (HPより抜粋)
監督
今作を手がけるのは奇才ティム・バートン。
だいぶ老けたし、激やせぶりが心配。
まさか病気じゃないでしょうね。
カンベンしてくれよそれだけは。
これまで個性的で魅力溢れるキャラクターをたくさん生み出してきた監督は、なぜ今回ダンボを製作することを決めたのか。
それは彼が幼少期に周りから変わり者と思われたことが大きな要因とのこと。
モンスターや怪獣映画を愛してきたバートンが幼き日に受けた複雑な感情は、今でも決して忘れられるものではないようで、個性の尊さを誰よりも肌で感じていた監督だからこそ、ダンボのように欠点を個性の素晴らしさに変える物語として伝えたいと仰っています。
彼の思いが子供たちに伝わるといいですね。
監督に関してはこちらをどうぞ。
キャラクター紹介
左上より
- ダンボ・・・メディチ・サーカスで⽣まれた象の⾚ちゃん。⽣まれながらに⼤きな⽿をもつ。(HPより)
- ホルト・ファリア(コリン・ファレル)・・・メディチ・サーカスで曲芸乗りだった元看板スター。ミリーとジョー⼆⼈の⼦供をもつ。(HPより)
- V.A.ヴァンデヴァー(マイケル・キートン)・・・ニューヨークの巨⼤テーマパーク”ドリームランド“を経営しているやり⼿の起業家。(HPより)
- コレット・マーチャント(エヴァ・グリーン)・・・ニューヨークの巨⼤テーマパーク“ドリームランド”の看板スター。空中ブランコの曲芸師。(HPより)
- マックス・メディチ(ダニー・デヴィート)・・・「メディチ・ブラザーズ・サーカス」の団⻑。サーカスの経営悪化に悩んでいる。(HPより)
- ミリー・ファリア(ニコ・パーカー)・・・ホルトの娘。ホルトを⼿伝って、ダンボを世話する。(HPより)
- ジョー・ファリア(フィンリー・ホビンス)・・・ホルトの息⼦。姉のミリーと共にダンボを世話する。(HPより)
- ジャンボ・・・ダンボの⺟親。メディチ・サーカスでダンボを産むが、ダンボと離れ離れにされてしまう。(HPより)
あの大きな耳をバタバタさせても象が浮くわけないだろう!物理的に無理だ!
とか真面目すぎる考えは頭の片隅に置いといてもらって、ちっちゃな象さんの母親捜索大作戦を温かく見守ってほしいと思っております。僕も映画の魔力に身を委ねて堪能しようかと。
ここから鑑賞後の感想です!!!
感想
ん~心温まる感動作だったけど、色々と置きにいってる感があるよなぁ…。
でも子供が見たらきっと喜ぶと思う。
以下、核心に触れずネタバレします。
愛くるしいダンボ。
耳の大きい象ダンボとサーカス団で暮らす一組の親子を中心に、周りとは違う見た目や考えも勇気をもって行動すれば必ず達成できるということ、目の前の扉を開けるのに必要なのは鍵というきっかけなんかではなく、扉はすでに開いてるのだから進めばいいだけという思ったほど難しくない教え、そんなメッセージを随所にちりばめながら、家族愛をふんだんに描いたファンタジー映画でございました。
サーカス団の団長が投資をした象のジャンボは子を身籠っていた。
生まれたのは何と耳の大きな赤ちゃん象さん。
あまりにも見栄えの悪い容姿に団長はがっかり。
とりあえず赤ちゃん象が生まれたことを宣伝してしまったが故にショーに出したはいいものの、大好きな羽根を吸ってしまったジャンボジュニアは、突然かぶっていた頭巾を脱ぎ出してしまい、その見た目から「こんなの象じゃねえよ~ww」とみんなから笑われてしまいます。
立て看板も、「DEAR BABY JUNBO」からDが落ちてしまい、「EAR BABY DUNBO」の表記に。
そこにジャンボジュニアの鳴き声を聞いたジャンボがかけより、ショーは大混乱。
死人を出してしまったことで、団長はお母さんのジャンボを売ってしまい、ダンボは孤独になってしまうのでした。
・・・というのが序盤のあらすじ。
見終わって感じたのは、やはりダンボの眼が印象的だったなぁということ。
草の中から暴れ出して登場するファーストカットから、母親やミリーとジョーと戯れる場面、羽根を見つけてはまっしぐらに突進しはしゃぐシーン、そして何より柔らかくて大きな耳をバッサバッサと広げ旋回しながら空中を泳ぐ彼の姿は、まるで無邪気に遊んでいる人間の子供たちを見て心が洗われるのと同じ感覚。
また、若干CGの荒さは目立ったものの、ダンボが今見ている視点や外の世界や幻想的なショーをまじまじと覗くダンボの瞳をクローズアップして捉えることで、小さな子供たちが見ている風景がどれだけ素晴らしいものか、どれだけ怖いモノだったりするのか、というのを意識した映像が多かったように思えます。
このダンボの表情を何度も映すことで、見ている人たちはダンボが持つ可愛らしい表情や仕草に惚れ惚れするのではないでしょうか。
コンプレックスは個性。
今や多様性を重んじる現代。
例え普通の人と違っても、それを分断したり差別したり除外するようなことがあってはいけないわけで、物語の中でも多様性に富んだ面々がたくさん登場するんですが、序盤では邪険に扱われるような場面があったり。
特にダンボはお客さんからニセモノ扱いされてしまうことで、自分が笑われていることに気付き、赤ちゃんながら意識をしてしまいます。
生まれ持ったものなのになぜこんな風にバカにされなければならないのか。
人とちょっと違うだけなのになぜここまで言われなくてはならないのか。
しかしダンボがその耳を使って大空を羽ばたけば一瞬にして大喝采を浴びるでのす。
お客さんもそうですが、団長も考えを変えていきます。
この特技を披露するのにはきっかけが必要で、ミリーとジョーのちょっとしたふれあいからそれは生まれるわけですが、途中まではそのきっかけがないと飛ぶことはできませんでした。
しかしミリーの言葉によりきっかけなしで飛ぶことができるようになったダンボは自分の意志で羽ばたくことを取得していくわけです。
この映画はそんなダンボの周りの視線に捉われず、また見世物として生きるのではなく、自由に生きていく姿を見せることで、コンプレックスに悩んだりみんなとは違う考えに縮こまっている人たちに勇気を与えてくれるものだったように思えます。
また、象だけではなく人間側の変化もきちんと描いています。
それはミリーとジョーのお父さん、ホルトです。
彼は馬乗りとして活躍するサーカス団員ですが、一時離れ戦争に出兵していたのですが、左腕を無くして帰還します。
子どもたちや団員達も少々戸惑いはしたものの、すぐ受け入れていきます。
インフルエンザで共に団員をしていた妻が他界し、片親で子供たちを育てなくてはいけない彼は、ミリーの科学者になりたいという夢に否定的でした。
ホルトもまた腕が無いということで普通の人間ではないことを示唆してしましたが、いわゆる先天的なコンプレックスではないため、序盤ではまだどこか考えの固い人間だったように思えます。
しかしダンボが徐々に見た目に惑わされず自身を持っていくこと、ダンボを蔑むのではなく一人前の象として扱う子供たちを目の当たりにし、腕が無いことで出来なくなってしまった特技や古い価値観を捨て、考えを改めていく姿が見て取れます。
確かに失ったものを取り戻すことはできません。
死んだ妻は帰ってこないし、失った腕も元には戻りません。
そうした過去への執着から逃れることは容易ではありません。
結局は今の自分を受け入れ考えを変えていくことしか成長はできないんだということをホルトを通じて見せられた気がします。
父として子供たちに教えられることは何なのか、今の自分に課せられた使命とは何なのかを伝えているように思えます。
この映画は正にディズニーが親子に向けた優しいメッセージだったのだと感じた作品でした。
ティムバートンぽさが・・・。
と、物語においても登場人物の変化にしてもディズニーらしい生真面目で優しくて心温まるいいお話だったわけですが、一応これティムバートンなわけです。
例え親子そろって楽しめる映画でも、彼なりの個性あふれる奇怪な描写を絶対ぶっこんできたわけですが、今回それが全くないのが非常にもったいない。
前作「ミスペレグリンと奇妙なこどもたち」でもユーモアあふれる設定や発想であるものの、どう見たって見た目が気味の悪さを取り入れていて、この奇怪さが彼の持ち味だよなぁと感心していた僕でしたが、今回は独創的な彼のユーモラスな奇妙さがどこにも見当たらない。
一応サーカス団員の面々は、怪力男だったり人魚の歌姫だったり蛇使いだったり、普通の世界からはじかれて集まったけど居場所を見つけ活動している人たちが溢れかえっていたわけですが、正直元奇抜な奴がいても良かったように感じます。
どうしても今回の映画、人と違うことを武器にして興行を成功させた男の半生を描いた「グレイテストショーマン」と似ているように感じますが、まだあっちの団員の方が個性豊かで魅力的、というかそれぞれが活躍するようにも描かれていて、反面、こっちは若干雑に扱われているなぁと。
じゃあ肝心のダンボはどうだったか。
確かに動物のくせに感情表現豊かで、普通そんな顔しねえよ、なんて吐き捨てることも言えるんだけど、まぁかわいさMAXだから全然奇妙に感じなくてむしろ親しみを持てるキャラデザだったよなぁと。
これも彼らしさ、といえばそうなんだろうけど、バートンのファンタジーって言ったらやっぱり奇怪さだろう!と先入観ありありの僕としては、一体それをどこにいれたのか探すことができず。
ある意味で言えば、マイケルキートンが演じたドリームランドの創設者ヴァンデヴァーの傲慢さだったり、金の亡者だったりって面は違う意味で奇怪だよなぁと。
というか、ヴァンデヴァーが経営するドリームランド、あれディズニーランドを意識してしまったのは僕だけでしょうか。
これからの時代は遊園地や興行がやってくるでのはなく、客が足を運んできてもらう時代だ、というコンセプトを元に作られたドリームランドが、終盤見せる醜態は、監督の皮肉にも感じる顛末で、あれ、もしかして監督ディズニーランドお嫌い?とも見える。
あ、あれだ、ドリームランドにいるワニだかオオカミなんかはある意味バートンぽい姿でしたね。
他見当たらないなぁ。
最後に
あと印象に残ったのは、ここ最近バートン作品に出まくっているエヴァグリーンの存在でしょう。
色気ムンムンで妖艶漂う空中ブランコの達人が、優雅にサーカスで披露する姿や金持ちの横で堂々と立つ姿は彼女ならでは。
今回どうしても見ていて嫌だったことがあって。
それがダンボの背中に人を乗せて飛ぶシーン。子供たちを乗せるのは百歩譲っていいとしてエヴァグリーンを乗せるのは、ショーだとしてもちょっと。
そもそもオリジナルはそういうシーンがあるの?
例えばサルとかネズミが乗ってとぶってならディズニーらしくていいなぁと思うんですけど、空飛ぶ象に人間乗せるのはなぁ。
なんだろう、単純に動物が可哀想って思ってしまって不愉快。
もうそれ要ったらサーカスで見世物にされてる動物全部そうだろ!ってなるんですけど、どうにか人を乗せずにダンボを描くことはできなかったのだろうか。
まぁ最後の部分はスルーしてくださいw
とにかく心温まる映画だったけど監督の毒っ気が抜けすぎていてお行儀良すぎてちょっと物足りないってのが僕の総評です。
でも親子で見に行ったら絶対お子さんは喜ぶと思うので、観にってほしいですね。
というわけで以上!あざっした!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10