エンドロールのつづき
2022年、「RRR」が話題となったインド映画。
このままいけばアカデミー賞にもノミネートするのではないかと囁かれています。
個人的にはそこまでハマってないインド映画なんですけど、今回鑑賞するような少年の物語には割かし好感を持ってるというか、見ておきたいなぁと。
もう設定自体が「ニュー・シネマ・パラダイス」の少年時代とダブりますし、監督自身色んな映画をオマージュとして取り入れてるってことで、自分とツボが同じだったら俺ときめいちゃうんじゃないかと期待しております。
早速鑑賞してまいりました!
作品情報
監督自身の驚くべき物語を映画化した本作。
その感動ぶりからアカデミー賞国際長編映画賞のインド代表に選出されたり、世界の映画賞で5つの観客賞を受賞するなど、観客の心をつかんで離さない夢物語。
父のチャイ店を手伝っている9歳の少年が、映写技師の協力を経て映画の虜となり、やがて映画監督になりたいという夢を持つサクセスストーリー。
本作を手掛けるパン・ナリン監督は、ドキュメンタリー製作の経験を活かし、インドの地元の州でのロケを敢行。
大自然の光や音を意識した撮影方法でノスタルジックな雰囲気を出しながら美しい映像を作り出した。
そして本作では監督が敬愛してやまないるリュミエール兄弟やキューブリック、黒澤明やスピルバーグといった巨匠たちの映画へのオマージュをふんだんに詰め込むことで、彼らはもとい私たち映画ファンへ向けたラブレターとして作り上げた。
未だ根深く存在する階級社会や貧困を背景に、子供たちに夢を持つことや叶えることの素晴らしさを本作に込めた、監督渾身の作品です。
あらすじ
9歳のサマイはインドの田舎町で、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。
厳格な父は映画を低劣なものだと思っているが、ある日特別に家族で街に映画を観に行くことに。
人で溢れ返ったギャラクシー座で、席に着くと、目に飛び込んだのは後方からスクリーンへと伸びる一筋の光…
そこにはサマイが初めて見る世界が広がっていた。
映画にすっかり魅了されたサマイは、再びギャラクシー座に忍び込むが、チケット代が払えずにつまみ出されてしまう。
それを見た映写技師のファザルがある提案をする。
料理上手なサマイの母が作る弁当と引換えに、映写室から映画をみせてくれるというのだ。
サマイは映写窓から観る色とりどりの映画の数々に圧倒され、いつしか「映画を作りたい」という夢を抱きはじめるが――。(HPより抜粋)
感想
#エンドロールのつづき 観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2023年1月20日
光によって映画は作られることの素晴らしさを主人公を通じて教えてくれる作品。
インド映画にしてはフランスとの合作からかアート風な描写が目立ち、そこに時間を割いてるのか物語としては些か強引で退屈。
とはいえ監督が如何に映画が好きかは伝わる内容だった。 pic.twitter.com/xD99DDPfJY
映画に育ててもらった監督の恩と、映画製作を志すきっかけを作ってくれた映写技師への惜別と敬愛が詰まった作品。
しかし物語としてはもっと詰めても良かったなぁという印象。
以下、ネタバレします。
ラストフィルムショー。
インドの田舎町を舞台に、映画の虜となった少年が父の目を盗み、さらには映画館長の目を盗んで映写技師の協力の下、映画に没頭し将来のビジョンを明確なモノとしていく物語は、「光によって映画は作られている」ことを9歳ながらに見出し、友人と共に映写機を作って皆に映画を披露するという恐ろしいまでのイマジネーションと創意工夫にワクワクする一方で、どうにもカッコつけたいかのような使った演出に時間を割きすぎていて思わず「端折れや!」とツッコみたくなるほど退屈な部分が多く、個人的にはあまり刺さらなかった作品でございました。
映写技師の訃報によって故郷を訪れた主人公が、彼の思いと映画への愛を感じる感動作「ニューシネマパラダイス」と似て非なる作品だったと感じた一作。
どちらも映写技師への愛が詰まった作品ではありますが、決して回顧録だったり主人公が失った感情を取り戻すようなお話ではありません。
どちらかというと貧困によって未来が閉ざされているという階級制度の強いインド社会だったり、信仰上の理由で映画を低俗なモノと見做している父など、主人公の夢を奪うような環境ばかりが目立つ中で、それでも映画をもっと知りたい、その映画の本質である光についてもっと知りたいという主人公の飽くなき探求を映し出した映画だったのではないかと感じます。
オリジナルのタイトルが「LAST FILM SHOW」ということでしたから、最後のフィルムに対する物語でもあり、クライマックスで唐突に訪れる時代の変化の到来、時代遅れと見做されたフィルムの末路に、この世の終わりのような眼差しで見つめる主人公の表情、そこにSF要素やホラー要素のような演出を加えることでどこかディストピアな風格まで見せる手腕が見事でしたし、さらには時代に追いつくには「英語ができないといけない」という貧困層には到底かなわない障壁を突き付ける現実。
しかし「エンドロールのつづき」という邦題が凄くマッチしており、決してフィルムが終わったことで完全な終わりを意味するのではない、ちゃんとつづきがあるんだという監督の優しさが、主人公の表情を通じて感じた作品だったように感じます。
また本作では映画欲が強すぎるあまり、主人公サマイの目に余るやんちゃぶりが凄すぎますw
映写技師ファザルと「お前の母ちゃんの上手い弁当と引き換えに映写室に出入りしていいぞ」という取り決めを交わしたサマイが、ちょっとずつフィルムのおこぼれを収集し、地元の友達と共にオリジナルの映画を見せようと計画を立てていくんですね。
当初は「光をどうやって操ればフィルムを投影できるか」という問題にぶつかり、子供とは思えない発想力で解決していくわけですが、映画を見せたい欲は「フィルムを盗む」行為にまで発展。
荷物室に保管されたフィルムを盗んで、数キロ離れたおばけ村と呼ばれる場所で、廃材を使って映写機を作って見事映画を投影することに成功するんですね。
もちろん相次ぐ盗難被害が警察に報告され、サマイは留置所送りされてしまうわけで、さぞお父ちゃんにも叱られたことでしょう。
父ちゃんも父ちゃんで自分の人生に負い目を感じてる事から息子にはかなり厳しいしつけをしており、事あるごとに悪さをすれば棒でお尻ペンペンの刑を処するほど。
でもまぁ勝手に親父の稼ぎをくすねて勝手に一人で映画館に行って、電車のがして朝帰りって9歳の少年のやることではありませんw
そりゃ怒られて当然ですw
このように映画のためなら俺なんでもしちゃうんだよね~ってな具合に善悪の分別がつかないあたりが、良くも悪くも少年という感じでした。
要はサマイのやってる事がいいことであれ悪いことであれ可愛いから許せちゃうっていうw
さらには、フィルムをどうやって映像として見せるかという難題にぶつかったサマイが、映写技師ファザルの助言によって、あっという間に難題を克服してしまう発想力に脱帽です。
それが換気扇のプロペラを使って影を挟むことでフィルムがちゃんと映し出されると。
俺も映画好きを公言してるわけだけけど、こういう技術的な知識はホントに無くて、あ、フィルムって3時間ある映画だったら1時間は暗闇みてたのね!とか、光って映画にとってそんなに大事だったのね!あまり考えたことなかったけど確かにそうだよね~なんて感心しちゃってたわけで、そこから次の一歩をぐんぐん進んで自分でやってのけてしまうサマイの行動力といいますか実行力といいますか、イマジネーションにインスピレーションがもうほんとこの子映画の神様の生まれ変わり何なんじゃないの!?と思えるほどでして。
俺がオヤジだったらマジで「お前のために全財産つぎ込んでやるから英語勉強しろ!映画勉強しろ!光をもっと追求しろ!」といってやりたくなるほど。
もちろん最後はあの貧乏神に憑りつかれた親父がサマイのために手筈していたのは感動的。
俺の気持ちが変わる前に列車に飛び乗りな!って、お前あんなに反対してたのに急な心変わりでこっちがびっくりだよwと。
一応サマイがどれだけ映画が好きかってのを草葉の陰から見てるシーンがあるわけで、そこがオヤジの息子に対する転換点だとは思うんですけど、もう一個段階を踏んでも良かったのかなぁとは思うんですよね。
それこそ先生に会って話を聞くシーンを挿入しても良かったのかもしれない。
それを入れれば親父が「うちにそんな余裕ねえよ!」とセリフで実情を伝えられるし、さらに先生が説得するとなればもう一度親父が深く考え込む顔になるわけで、見る側としてはオヤジの葛藤をダイレクトに受け取ることができるので、最後の感動が倍になるんじゃねえかなぁと。
段々本作への不満点を書いていくことになるんですが、いちいち光を感じるサマイの描写が長いしくどいんですよね。
それこそ冒頭で初めて映画館へ行って映写機から放たれる光に手を当てて感じるシーンだとか、ガラス瓶を通じて外の世界を見るという、サマイが「光とはなんぞや」という大きな疑問を感じる辺りはすごく映画的とでも申しますか、本作の導入口としてはすごく印象に残るんで尺が長くてもいんですけど、中盤以降もガンガンこういう「光を浴びる」かのようなシーンがいっぱい流れるんで僕としては退屈だったんですよね~。
もちろん本作が映画の本質は光にあるということを伝えるための構成や演出だってのは重々承知なんですが、にしてもそんなに尺使ってみせることか?と。
回数は多くてもいいからもっと短い尺で見せても十分こっちは理解できると思うんですけどね。
ああいうのを見ると監督が自分に酔いしれてる気がしてならないんですよw
そもそも自身の半自伝的な映画なので全然OKだとは思うんですけど。
だからあれですよ、俺もただ自分の視点ばかりで物事を捉えないで、何でも吸収して自分のモノにするサマイを見習えってことですよw
最後に
監督を務めたパン・ナリンは、主人公サマイ同様田舎町で育った人であり、サマイ同様貧困層に値する環境だったそうな。
さらにインド映画界は親や親せきが業界人でなければ映画監督などなれないという慣習があり、全く後ろ盾のない監督は当時は非常に大変だったそうで。
そこに配信サービスの到来によって窓口が広がり、さらには地方にまで光回線がつながるという環境設備面での進化もあり、インド映画はどんどん様変わりしているのと同時に、家系でしかなれなかった映画製作の道も拓けてきたそうです。
そんな彼がこうして自分の原点を描いたような内容に、フィルムの終わりという惜別の思いとそのフィルムにもちゃんとつづきがあり、そこにどういう思いを込めるかによって色あせることのないモノへと変化する終わり方は非常に感動的だと感じます。
映画として僕の好みではありませんでしたが、監督の強い思いと、夢を叶えるにはどうすればいいか、貧困を理由に道を閉ざすのか、それともラストのサマイのような精悍な顔つきからくる覚悟をして前に進むかという作品だったとも感じます。
何よりこの映画には夢がありますよね。
特に子供たちに見てほしいですよね。
サマイのように夢をかなえるための創意工夫と実行力、もちろん感性も磨いてほしいなぁと。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10