モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「イニシェリン島の精霊」感想ネタバレあり解説 そんなことで絶交なんてしなくても…

イニシェリン島の精霊

友達との関係について。

基本的に休日は映画とブログに時間を使いたいが故に、中々友人との時間を作ることは難しい現状にあります。

 

そもそも友達って何だろうかと最近思うことがあります。

ノリで仲良くなることもあれば、昔からの付き合いってだけで関係が続くこともある。

趣味で仲良くなった人でも、ごくわずかにプライベートで仲良くなることもあるけれど、何人も作る必要もないわけで。

 

要は自分にとってその相手と過ごす時間にどれだけの価値があるのかが大事だなと。

特に映画を通じて色んな教養を身に付けた僕としては、世の中にはいろんな事情で色んな生活をしてる人がいるわけで、そういう人たちを見下すような人とは今後も関係を続けたいと思わないし、気分を害してまで付き合いたいとは思わなくなりました。

例え昔からの付き合いだとしても。

 

今回鑑賞する映画は、そんな友達との諍いをテーマにした物語。

100年も前の平和な島で、突然拒絶された男と突然拒絶した男の間に何があったのか。

そこには現代にも通じる普遍的な問題が隠れている気がします。

早速観賞してまいりました!

 

 

作品情報

映画「スリー・ビルボード」でヴェネチア国際映画祭脚本賞、トロント国際映画祭で最高名誉に輝く観客賞を受賞し、主演を演じたフランシス・マクドーマンドに2度目のアカデミー賞主演女優賞受賞をもたらしたマーティン・マクドナー監督の作品。

 

本土で激しい内戦が繰り広げられていた1923年のアイルランドの孤島・イニシェリン島を舞台に、全員が顔見知りの平和な島で一人の男が親友との絶縁を宣言することから、少しずつ波風が立ち、島の美しい風景と反比例するかのように関係が濁っていく姿を、喜劇と悲劇の如く描いていく。

 

劇作家でもあるマクドナーは、アラン諸島を舞台にした「アラン諸島三部作」の中の一つで、未上演だった「イニシィア島のバンシー」を映画用として再構築し製作。

人の死を叫びながら予告するという精霊=バンシーをモチーフに、監督の再起に満ち溢れたセリフの応酬とユーモア、そして突然訪れるクライマックスなど、前作「スリー・ビルボード」のような怒りと悲しみと可笑しみを巧くブレンドさせた悲喜劇として完成させた。

 

出演には監督作品に3度目の出演となるコリン・ファレルや、そのファレルと監督作で一度競演済みのブレンダン・グリーソン、「聖なる鹿殺し」でファレルと壮絶な対立関係にあったバリー・コーガン、「スリー・ビルボード」に出演したケリー・コンドンなど、マクドナー組が再集結した。

 

突如関係を切られてしまった友情。

何故親友は絶縁を望むのか。

果たして関係は修復するのか。

精霊は二人にどんな風を吹かすのだろうか。

 

 

あらすじ

 

1923年、アイルランドの孤島、イニシェリン島。

島民全員が顔見知りのこの平和な小さい島で、気のいい男パードリック(コリン・ファレル)は長年友情を育んできたはずだった友人コルム(ブレンダン・グリーソン)に突然の絶縁を告げられる。

 

急な出来事に動揺を隠せないパードリックだったが、理由はわからない。

賢明な妹シボーン(ケリー・コンドン)や風変わりな隣人ドミニク(バリー・コーガン)の力も借りて事態を好転させようとするが、ついにコルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と恐ろしい宣言をされる。

 

美しい海と空に囲まれた穏やかなこの島に、死を知らせると言い伝えられる“精霊”が降り立つ。

その先には誰もが想像しえなかった衝撃的な結末が待っていた…。(HPより抜粋)

youtu.be

 

 

監督

本作を手掛けるのは、マーティン・マクドナー。

 

若手の殺し屋が味方に命を狙われ始めたことから巻き起こる攻防の行方をユーモアを交えて描く「ヒットマンズ・レクイエム」、スランプ中の脚本家が悪友のせいで危険な裏社会に巻き込まれていく姿を軽妙に描いた「セブン・サイコパス」など、イギリス映画時代はユーモアとバイオレンスを巧く融合させた娯楽性の強い作品を製作してましたが、「スリー・ビルボード」では、ひとりの町民の怒りが連鎖して更なる怒りを呼び覚まし「分断」を生んでしまう姿を、ユーモアとスリリングを交えて描いていました。

 

この作品でマクドナーがイギリス人が見るアメリカの縮図を見事に映し出すことに成功しており、予想だにしない結末に誰もが深く考えさせられました。

 

今回は友情の亀裂から始まる別の「分断」を描いていることや、本土で内戦が行われてる中で、諍いが激しくなっていく2人の男を描いているとあって、前作同様深く考えさせられそうな予感です。

 

 

キャスト

主人公パードリックを演じるのは、コリンン・ファレル。

 

マイノリティ・リポート」でトム・クルーズの宿敵に抜擢されて以降、「デアデビル」や「フォーン・ブース」、「リクルート」、「アレキサンダー」に「マイアミ・バイス」などS級A級のハリウッド映画で活躍してきましたが、近年ではヨルゴス・ランティモス監督の「ロブスター」や「聖なる鹿殺し」や、マクドナー監督作品で起用されることが多い印象。

その傍らで「ファンタスティック・ビースト」シリーズや「ザ・バットマン」で敵キャラを演じるなど、仕事を効率よくこなしています。

 

本作でヴェネチア国際映画祭ヴォルピ杯男優賞を受賞したファレルは、このままいけば実は全く縁のなかったアカデミー賞主演男優賞にノミネートすることでしょう。

実際サーチライトピクチャーズは「スリー・ビルボード」を賞レースに押し上げていたわけですから、今回もその路線でロビー活動していくんでしょうね。

 

 

 

 

他のキャストはこんな感じ。

友人コルム役に、「28日後・・・」、「パディントン2」のブレンダン・グリーソン。

パードリックの妹シボーン役に、「スリー・ビルボード」、「ドリームランド」のケリー・コーンドン。

隣人ドミニク役に、「聖なる鹿殺し」、「エターナルズ」のバリー・コーガンなどが出演します。

 

 

 

 

 

 

 

主演の2人以外にもクセの強い脇役が揃っているので、きっと面白いユーモア描写が待っているはず。

また、この諍いがどう決着つくかによって、我々にどんな問題を突き付けてくるのかも楽しみです。

ここから観賞後の感想です!!

 

感想

戦争はこうして起きるのだ。

そして平和な日常は退屈を生み、よからぬ波風を立ててしまうのだ。

ユーモラスな会話から徐々に不穏さを生み出していく、渋いながらも味わい深い物語でした。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

ボタンの掛け違いなのか

本土での内戦が活発化していたアイルランドの離島を舞台に、2人の中年男性が徐々に織りなしていく「諍い」と「分断」の物語は、閉鎖的な環境で生まれた「日常をどう生きるか」という価値観の違いから溝を深めていくと共に、平和=退屈だからこそにじみ出てしまう人の卑しさを、ひりひりと感じさせながらもユーモラスな会話で綴り、さらには内戦を眺める姿に、今の私たちを重ねて見てしまう痛烈な視点も見せた、渋みのある深い作品でございました。

 

さすがマクドナーという具合に会話の中にユーモアを忘れない作り方で、徐々に不穏さを増していき、最後には取り返しのつかないところまで行ってしまう二人の姿を、ジワジワとジリジリと展開を運んでいく構成はお見事としか言いようがありません。

 

「スリー・ビルボード」と比べると物足りなさは感じるんですが、その物足りなさっていうのは結局のところバイオレンスな部分であって、この物語を考えるとそういう物理的に手が出る足が出るというなシーンは全く持って不要だったわけで、とにかく会話と心理描写、そこに島の美しい風景と島民の卑しさをコントラストさせた映像を、じっくり腰を据えて味わいました。

 

 

さて本題に入りますが、つまるところこの2人には「優しさ」や「思いやり」が足りないから「諍い」が起きてしまうんだなという印象を受けました。

相手の存在をどう考えているか、また相手と自分の距離感をどう考えてるか。

そして本作は「日常」をどう考えてるかがカギになっていた物語だったのだと思います。

 

 

この2人、親友といえども自分と価値観だったり趣味だったりって共通する部分が、この2人からは感じられないんですよね。

 

そもそもパードリックは「考えない男」。

毎日ロバや牛の世話をし、午後2時になればコルムを迎えに行きパブへ行って酒を飲むのが日課。

妹と共に住んでいるものの、結婚もせず、ただただ日常をのらりくらりと生きている男。

 

片やコルムはバイオリンをたしなみ、家に工芸品を飾り、犬と共に日常を過ごしながら、今後の人生がこのままでいいのかと苦悩をする「考える男」なのです。

 

突然絶縁を迫られたパードリックにとって、コルムは「幸せな日常」を過ごすうえで重要な存在なんですよね。

彼と一緒にパブでくだらない話を肴に酒を飲まないと「幸せな日常」は成立しない。

 

正直毎日顔を突き合わせて酒を飲むって日常は、それこそ体が動かなくなって働かなくてもいいくらいの年齢でいいんじゃないか、いわゆる余生を過ごすくらいの時期でもいいのではないかと思ってしまうんですが、パードリック自体何で生計を立ててるかも見えてこないし、本当にやりたいことが無くて妹に甘えてただただダラダラ過ごしているだけの男なのかと。

 

恐らくですけどそんなパードリックを見てコルムは「このままだとこいつの様な生き方をしてしまうことになる」ってふと考えだしたんじゃないでしょうか。

だから趣味のバイオリンを使って音楽を作り、後世に自分の存在を思いだしてもらうことで「生き様」を時代に残そうと考えたのかと。

 

このコルムの考え方って僕にも実はあって。

ここ数年飲み仲間と毎週会っては女の話とか仕事の話とか(基本愚痴だけど)、自分が全く興味ない格闘技の話とか見ても読んでもないアニメや漫画の話、一周すれば昔話に花を咲かせながら、2軒3軒はしごしてベロンベロンに酔って暴食してってのをやってたんですよ。

 

気がつくとお財布は空っぽで、翌日には胸やけと居心地の悪さと後悔しか残らないんですよね。

で、いつの日か「この付き合いコスパ悪いな」とw

 

映画の話はできないし、一つもためになる話はないし、気が付けば金の話になって大して稼いでもないのに年収下の奴を見下して、さも自分の方が優れていると優越感に浸っているわけです。

 

こんなのが繰り返されるなら、いっそのこと距離を取って自分の時間をもっと有効に使った方が有意義だと、ある時を境に決断したんですよ。

 

ただ、誘われた時はコルムのように「もうお前らとは飲みに行かない」って極端な言い方はせず、やんわり濁しながら断るのを繰り返して「空気読め」とw

もちろん向こうもこちらの気持ちを悟ってくれたし、回数は一段と減ったものの、今でも連絡は取り合ってますけどね。

 

自分のケースをこの物語に当てはめていくとやっぱり僕はコルム側なんだけど、パードリックもコルムも相手に対して敬意もないし理解もしないんですよね。

 

コルムなんか、あんないい方しなくてもいいわけですよ。

これ以上俺に話しかけたら自分の指を切るってなかなかとんでもないこと言って拒絶するんだけど、幾らなんでもそれは行き過ぎだし、実際指を切ってパードリックの家に投げつけるって行為まで考えると、他者に対して不器用なまでの振る舞いじゃないですか。

 

逆にパードリックもコルムの意思を尊重しないわけじゃないですか。

当初は我慢して彼が音楽を楽しんでる姿を遠くで眺めてるけど、酒の勢いに任せてつい本音を言ってしまう。

まぁこの本音がすげえいい事言ってるんだけどw、やはりそこは価値観が違うんですよね。

 

 

物語はここを境にボタンの掛け違いへと発展。

優しいだけが取り柄のパードリックが、コルムと共に作曲活動をしている音大生に「親父が亡くなった」と嘘をついて彼の捜索活動を妨害。

何とかコルムの曲が完成しパードリックも祝福。

ようやく彼の優しさに気付いたコルムは雪解けしようとしますが、パードリックがやらかした妨害を知り憤怒。

残り3本の指を切り、パードリックの家に投げつけるのでした。

 

自分のやってしまったことを後悔したのもつかの間、飼っていたロバのジェニーが切断したコルムの指を食べて死んでしまい、パードリックは怒りのあまりコルムに宣戦布告をしてしまうわけです。

 

日常をどう生きるか

戦争はどうして起こるのかってのを、2人の男による優しさや思いやりの欠如による諍いとして見せていた作品だったと思うんですが、こうした分断て今でも頻繁に起こってますよね。

 

SNSでもそうですし日常生活でも見かけるし、何なら国会がまさにそうじゃないですか。

なんて言うかいろんな考えの人がいるわけで、その考えを否定して自分の主張をするからこうなるんじゃないかと思うんです。

 

パードリックとコルムは、一度は本音で言い合って片方は怒ってしまうけど、片方はその考えを「なるほど」と理解を示すんですよね。

しかも絶縁を言い出したはずのコルムが、警察官に殴られて動けないのを無言で助けるくらいの優しさをちゃんと持っている。

 

だけど行き過ぎたところまで行ってしまうのは、理解の弱さなのかと。

 

また本作では「日常をどう生きるか」、「日常を過ごすのに必要なもの」を登場人物別に描いてた作品だったと思います。

 

パードリックはコルムと酒を飲む日々、コルムは音楽を作り後世に尊厳を残すこと、パードリックの妹シボーンは本に囲まれた生活を、ドミニクはシボーンとの今後を。

 

しかもこの平和な島では、暴力で人を脅かす警官や、人の手紙の中身を勝手に読んだりゴシップやニュースはないかと誰かの不幸を欲しがるおばさんもおり、様々な人が日常を幸せに暮らすため、退屈の中から何かを探そうとしてるんですよね。

 

それこそ僕自身も映画を見ることで充実した日々を望んでおり、誰もが日常の中で刺激になることを求めているわけです。

 

またこの閉鎖的な空間は、平和であると共に居心地の悪さも見えており、誰かが何かをしたらすぐ筒抜けになってしまう悪い意味での風通しの良さがあるわけです。

自分のことよりも他人の動向を監視するくらいでないと退屈を凌げない人ばかりなわけです。

こんな生活をしていたら妹だって出て行きたくなりますよ。

 

そして何より本作がとんでもないのが、本土が内戦をしていること。

独立戦争でイギリスから自治権を手に入れたものの、条約内容に賛成した派閥と反対する派閥が争いを起こしてしまったという内戦を、大砲の音と煙のみで映し出していること。

パードリックはその光景を見つめ「皆が無事でありますように」と願いをこぼすも、それはただの傍観に過ぎず、島民たちも島内のアレコレにばかり目を向けて、海の向こう側へは何の興味もないわけです。

 

 

最後に

最初こそ「そっとしてやんなよ、そのうち気が変わるだろ」くらいで見ていたけど、なぜかかけ違えたボタンがどんどんずれてきて、終いには予期せぬ事態へと発展していく諍いの物語。

 

バリー・コーガンが最高にバカなんだけど、ときたまいい事言ったりすることもあって憎めない奴だなぁなんて思ってたけど、あんな末路になるなんて…。

 

また妹のシボーンは、なんでもかんでも筒抜けになってしまう村民同士の監視だったり、平和が故にそういったスキャンダルじみたことにしか興味がないことに嫌気が指し、内戦の激しい本土へと行ってしまいます。

 

田舎って特に暮らす人同士が干渉しあったりする風潮がありますし、都会は孤独だけど誰も干渉なんてしないわけで、読書に没頭したいシボーンにとっては良いことなんではないかと。

頼りない兄貴が心配だけどね。

 

また本土で内戦が起きてるっていうのに、島民はみな島民のスキャンダルばかり気になってるのがなんとも現代人への皮肉とも見えたり…。

諍いに関しても現代にまでこうした諍いが続いてることがあるわけで、それをおじさん二人が「人生をどう生きるか」って疑問から絶縁にまで発展して対立するお話で語ってしまう面白さですよw

 

コリン・ファレルが「ハァ?」っていう度に眉毛が「ハ」の字になるのがツボでしたw

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆☆★★★7/10