枯れ葉
普段は誰かから映画を薦められることに、ものすごく抵抗があった俺。
今年はそういうしょうもない意地を捨てて、ガンガン薦めてもらった。
その中で全く見たことのなかった「アキ・カウリスマキ」監督の「希望のかなた」と「レニングラード・カウボーイズ」2作を見た。
あっさりしてる中に笑いが散りばめられていて、案外好みだった。
カウリスマキと検索すると、アキとミカが出てきて、どっちがどっちだかよくわからん、そもそもがっつりアメリカ映画ばかりの俺が「フィンランドの映画」なんて知る由もない。
でも、良かった。
そんな時に耳に入ったカウリスマキの新作「枯れ葉」。
どうやら前作「希望のかなた」をもって引退していたらしい。
理由は知らんが、復帰作ということと、今年初めて触れて気に入った監督作品てことで見たわけですが、まぁ良かったんですわ。
ぶっちゃけ小規模作品て、ブログを書くのが億劫になりがちなんですよ、大して読んでもらえないし。
でも、2回目見て、やっぱ書いておこうと思って。
そう、この記事2回観ての感想ですw
モンキー的にめずらしいw
一応宣言しておくと、年べス確定です。
いざ。感想です。
作品情報
2017年、『希望のかなた』のプロモーション中に監督引退宣言をし、世界中のファンを悲嘆に暮れさせたアキ・カウリスマキ。
それから6年、監督カウリスマキはあっけらかんと私たちの前に帰ってきた。可笑しみと切実さに満ちた、最高のラブストーリーを連れて。
仕事を失った二人の男女が、すれ違いながらもお互いを信じ思い焦がれていく姿を、ノスタルジックな風景とカウリスマキ節炸裂のユーモアや映画愛を盛り込んで描くと同時に、労働者3部作『パラダイスの夕暮れ』『真夜中の虹』『マッチ工場の少女』同様、生きる喜びと人間としての誇りを失わずにいる労働者たちの日常をしっかりと映し出していく。
『TOVE/トーベ』でムーミンの作者トーベ・ヤンソンを演じ大きな注目を集めたアルマ・ポウスティと、『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』で高い評価を得たユッシ・ヴァタネンというカウリスマキ作品で初出演の2人を主演に、それぞれの友人役として、ヤンネ・ヒューティアイネン(『街のあかり』『希望のかなた』)、ヌップ・コイヴ(『希望のかなた』)が出演、そしてカウリスマキ映画には欠かせない名優“犬”の登場も忘れてはいけない。
悲劇と喜劇の間を彷徨う2人の、恋のおとぎ話をご堪能あれ。
あらすじ
ヘルシンキ。
孤独さを抱えながら生きる女と男。
アンサ(アルマ・ポウスティ)は理不尽な理由から仕事を失い、ホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)は酒に溺れながらもどうにか工事現場で働いている。
ある夜、ふたりはカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないまま惹かれ合う。
だが、不運な偶然と現実の過酷さが、彼らをささやかな幸福から遠ざける。
果たしてふたりは、無事に再会を果たし想いを通じ合わせることができるのか?
いくつもの回り道を経て、物語はカウリスマキ流の最高のハッピーエンドにたどりつく。(HPより抜粋)
感想
枯れ葉観賞。「希望のかなた」や「レニングラード〜」を今年薦められ初めて触れたカウリスマキ。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) December 15, 2023
あぁ、彼の世界だった。みんな無愛想で不器用で貧乏だけど真面目。そんな男女の、愛を信じる物語。
初デートのチョイスとか犬に電話出ろとか。ふと笑かす。好み。
人生まだ捨てたもんじゃない、のかな。 pic.twitter.com/GLf9YyIIyU
長尺映画が横行する現代に放つ、引き算の映画。
80分でこんなに心が満たされるなんて、どの映画以来だろう。
愛を、人を、人生を信じたくなる素晴らしい映画でした。
以下、ネタバレします。
10年前はこんな映画見なかった。
俺は基本、熱い映画とか絆を描いた映画とか友情を描いた映画とか、勝利に挑む映画とか、とにかくホモソーシャルな世界の中で男らしさを放つ映画が好みなんですわ。
だから基本年べス1位になるのは「フォードVSフェラーリ」とか「21ブリッジ」で、こと恋愛映画においては、恋愛経験の乏しさとか当時フラれまくった故のトラウマが先行して、気が気じゃなくなるって意味であんまし高評価を出すことがないんですな。
またこれまで自分で見たいと思った映画がそうした「熱い映画」やその熱さ故に涙があふれるようなタイプの映画を自主的に選んで見ていたせいで、ほとんどスルーしてきたわけですわ。
だけど、冒頭でも書いたように色んな仲間から、押し付けのように「これ見て!」と薦められ、それに対して妙なフィルターをかけずに「とりあえず」見てきたわけです。
そんな中、純粋に「お、この監督いいな」とハマったカウリスマキ。
そして2度も観賞料金を払って見た「枯れ葉」。
中身はとにかく「こんな廃れた人生だけど、すれ違ってでも信じたいと思える人」という、SNSによる可視化で人を信じることが難しくなった現代に、もう一度何かを信じてみたら、人生きっとうまくいくぜというどストレートな内容の映画だったわけです。
これまで人を信じずに自分の見たいモノだけを追求してきた映画ライフ、
とりあえず人を信じてみた結果、カウリスマキに出会い、結果年べス級の作品に出会えたってことなんですわ。
なんというか、この1年ロクに遊びにも行かず、映画に没頭しただけの1年だったんだけど、そうした伏線めいた日常の中で、こういう作品に巡り合えた、こういう作品に恋をしたわけで、俺の人生、見事な回収劇だったなと。
ホント10年前はハリウッド大作ばかりに現を抜かして、他の作品にはほとんど目もくれず「映画とは!」みたいにイキってたんだけど(今もそうだけどw)、年齢性別問わず色んな映画仲間から刺激を受けて、俺の「映画のフィールド」もめまぐるしく変化して、それで今年また新たに開拓できて、ステキな映画に出会えたわけで、そういう意味で、人を信じて良かったし、映画に恋してよかったし、人生を信じてよかったなぁと。
何が俺をそこまでさせたのか
お前の話なんかどうでもいいんだ、映画の感想を早く読ませろ!!なんて声が聞こえそうなので、本題に入ろうと思いますw
冒頭でも「希望のかなた」と「レニングラード・カウボーイズ」しか見てない程度と書きましたが、1回目と2回目の間に「パラダイスの夕暮れ」という所期の監督作を鑑賞しました。
監督自身が「枯れ葉はパラダイスの夕暮れ20だ」といってるだけあって、非常に舞台設定や展開が同じ内容の作品でした。
やはり彼の映画に出てくる登場人物は、どいつもこいつも不愛想で無表情で、いちいち悩んでもすぐ開き直って行動するような「喜怒哀楽」もなければ「行間」もねえキャラばかりなんですよね。
それが功を奏してるのか狙ってるのかわかりませんが、それがいつしか「笑い」になってるのが、俺の好きな所。
本作でもふとした瞬間に発した言葉や所作がクスッと笑えて心地いいんです。
正直「労働三部作」とか「敗者三部作」って言われてる過去作同様、本作に登場する男女は、はたから見ても「人生が豊か」に思えない日常を送ってまして。
アンサはスーパーで「ゼロ時間契約」を結んで働く女性なんですが、廃棄を持ち帰ったりホームレスに廃棄食品を無償で提供したりする姿を、監視していた警備員にバレたことでクビになってしまうんですな。
家に帰ってもラジオから流れる「ロシアによるウクライナ侵攻」に胸を痛めながら、窓越しのテーブルにもたれたそがれたり、バスや電車に乗っていてもどこか心ここにあらずといった表情ばかり浮かべてるんで、ロクな日常を送れてないんだろうなと察することができるわけです。
ホラッパも、防護服を纏って埃にまみれながら工事現場で働いてるんだけど、コソコソ隠れて酒を飲みながら仕事をしている中年。
それが見事にバレて職を転々とするんだけど、やっぱりアル中は治らないし、それ以前に「人の指図は受けない」という頑固な男。
そんなワケアリの2人が、たまたま言ったカラオケバーで一目ぼれし合うっていう展開に。
何度も目を合わせるのに、どちらも声をかけない。
ホラッパに至っては、バーの隅に隠れて喫煙しながらチラ見ばかりする陰キャぶり。
良い大人が!そんなんでいいのか!?と目を疑いたくなる初心な二人を見て、イライラとその後どうなっていくのかというドキドキが入り混じった序盤でした。
このカラオケバーでは、友人がバリトンボイスを披露してレコード会社から声がかかるのを虎視眈々と狙っている姿が明かされるんですが、友人が歌う「ナナカマドの木」がね~。まぁ音程外しまくってるっていうw
しかも終始こちらに向かって歌ってるんで、これがまぁ面白くて仕方がない。
この歌を聴いているオーディエンス、特に女性陣が案外うっとりしながら見てるんですよねw
おい、嘘だろ!?と。
じゃあ男性陣はというと、まぁ無表情ですw聞き入って入るんだけどw
歌唱後彼に声をかけたのがアンサの友人で、「素敵な声ね」とかいうわけですよw
実際ホラッパは友人が歌うことを遠回しに「やめとけ」と言ってたので、彼の下手さは理解していたんでしょう。
しかしこうして女性陣がうっとりしてしまうこの展開が、俺はおかしくて仕方なかったのですw
そんなユーモア混じった恋の始まりから、物語は徐々に2人の世界に。
アンサが職を失い困っているところに偶然現れたホラッパは、彼女をお茶に誘い、その流れで映画館へ向かいます。
選んだ映画はジム・ジャームッシュの「デッド・ドント・ダイ」。
監督の盟友ってことでチョイスしたんでしょうが、それデートで行く映画か!?とホラッパのデートセンスを疑う瞬間でしたw
これを見たアンサの感想が「警察がゾンビに勝てるわけないわ」という、そりゃそうだわwといったふわっとした感想だったんですけど、彼女的には終始笑えたそうで、初デート的には成功といったところだったんでしょうね。
因みに他の客はこの映画の感想を「ブレッソン的だ」とか「ゴダールのはなればなれにだ」とか、普段の俺からはなかなか出てこない例えをしていて、こんな客と一緒に映画見れたらまた違った印象を受けるんだろうなと、廃れた街の風景ながらちょっと憧れてしまったわけでw
で、この後の2人のシーンがまぁ素敵だった。
今度いつ会える?名前は?とホラッパは次のステップに進もうとするんだけど、「次会う時にね」と交わされてしまうんですな…。
でも電話番号を書いた紙きれをもらうことで、決して縁が切れたわけじゃないことを示唆するんですよね。
それを渡してホラッパの頬にキスをするアンサが画面が消えた後に、「チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」」が流れるんですよ。
一人佇んでタバコを吸うホラッパ、しかもこのタバコを出した瞬間に紙切れを落としてしまう、その瞬間にこのクラシック音楽が流れるんですけど、まぁ~この画が!ものすごく「うわ~映画だ!!」と思わせてくれた瞬間でして。
おそらくこのシーンが本作の中で一番素晴らしいと思えた瞬間だったのではと。
なぜこの曲を起用したのか意図は正直わからないんだけど、高低差のある2人がつかず離れずといった状態のなか、映画ポスターが張られた壁をバックに二人が並び、この曲が流れるこのショットが、ものすごく好みだったんですわ。
その後の2人は、意見の相違によっていったん離れてしまったりするんですよね。
でも、目先の仕事よりも、逃げるかのように浴びる酒よりも、相手が大事だと気づいていくんですよ。
そこでまたアクシデントがあって、中々思うように恋が成就しない。
だけど!二人は互いを信じて行動するんですよ。
こうした「すれ違いの恋愛模様」を劇的に、ロマンチックに見せるのではなく、廃れた町の中で廃れていくしかない中年の姿を、どこか哀愁的かつ悲劇的に見せつつも、「愛は気が付けばそこにあるモノ」という大袈裟そうでそうでもないってことを伝えてくれる作品だったんですね~。
やっぱりね「希望のかなた」でもそうでしたけど、移民受け入れ問題で居場所を失いそうな青年と、彼を匿う雇い主との関係性を描くことで「人生捨てたもんじゃない」「捨てる神あれば拾う神あり」みたいな前向きなメッセージをユーモア交えて見せてくれるわけです。
ダルデンヌもケン・ローチもこういうのをめちゃくちゃ重く描くことで、メッセージを強く放つ人たちなんだけど、やっぱりそういうのって1発目は良いけれど、2発目3発目になると疲れていくんですよね。
でもカウリスマキの場合、正直過去作と内容がほぼ一緒なのに飽きないわけです。
また同じパターンか…ではなく「また同じパターンか!待ってました!」ってなる。
これが良いよねと。
最後に
ラスト、電車に轢かれて意識不明だったホラッパが、アンサの看病の甲斐もあって無事退院した際、入り口で犬のチャップリンと待ち構えてるんですね。
すると、あれほど不愛想だった(過去作のキャラに比べたらだいぶ表情豊かだったけどw)アンサがいきなりウィンクするんですよね!
これがまたいいんですわ!!!
冒頭から廃棄される食糧が映し出されるんですけど、社会的に見ればアンサもホラッパもそうした「廃棄」されてしまいがちな人たちなんだけど、俺ら含めいくら社会的に底辺だからって捨てられるような生き方してねえし、それ故に不貞腐れがちな生き方になりがちだけど、2人のように巡り合う未来があっていいし、、巡り合ったらもう相手なしに生きていけないくらい謳歌したっていいわけですわ。
俺も独身不貞腐れ人生爆走中ですけど、人を、愛を、人生を、信じてみたくなったんですw
枯れ葉が敷き詰められた道を、犬を引き連れて歩く二人の後ろ姿の人生は決して枯れてなんかないし、ラジオから流れる悲しいニュースにしっかり怒りを向けることができる感情を持ってる時点で、決して「今のままでいい」と思ってない2人の内に秘めた想いってのも垣間見える、またそのラジオから流れる時事的ニュースが、アナログな風景を「現代の話」として説得力を出させる工夫はさすがですよ。
因みにカレンダーが2024年の下半期だったので、恐らく少し先の未来の話、なんでしょうね。
しかしスーパーのロッカーと言い、二人が食事する風景と言い、色合いが素晴らしかったなぁ。ザ・ヨーロッパな感じでw
てか、信仰上の妹ってどういう意味ですか?www
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆☆☆★★8/10