ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ
全寮制の学校、または寄宿学校を舞台にした映画。
パッと思い浮かぶのは「いまを生きる」でしょうか。
ちょっと変わった先生との出会いが、ルールばかりに気を取られていた生徒たちを刺激していく物語で、ラストシーンは自然と涙があふれた記憶があります。
普通学校が終われば家に帰るけど、全寮制は学校に自分たちの住む場所があるから、常に教師の監視下に置かれてるので、僕はものすごく窮屈だろうなぁと、映画を見ていて感じます。
狭い環境下の分得られるものもあるんだろうけど、やっぱそんな学校生活送りたくはないなw
今回観賞する映画は、そんな全寮制の学校が舞台のお話。
普通長期の休みに入ると、生徒は自宅に帰られるみたいなんですが、のっぴきならない事情で一人の生徒が帰れない状況に。
そんな彼に付き添うことになる先生と料理長、3人による物語とのこと。
舞台が70年代ということもあり、ルックも時代に合わせた映像らしく、非常に僕好みの作品になってそうで、ものすごく期待しています。
早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
人生と恋とワインを巡るロードムービー「サイドウェイ」や、家庭崩壊の危機に直面した一家の再生を描いた「ファミリーツリー」で、二度のアカデミー賞脚色賞に輝いたアレクサンダー・ペイン監督の新たな物語。
1970年代のクリスマス、ボストン近郊の全寮制の学校を舞台に、生真面目で融通の利かない先生と優しい料理長、そして複雑な家庭環境を持つ生徒が、雪に閉ざされた学校の中での数日間で、反発し合いながらも少しずつ変化していく姿を、ユーモラスな描写を交えながら温かく描く。
頑固な父と息子のロードムービー「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」や、人間を14分の1のサイズにする計画に参加する中年男性の姿を描いた「ダウンサイズ」など、狭い世界での実生活を主題とする作品を描き続けるペイン監督。
「自分にとって映画とは、人生を描くもの」と語る彼は、複雑な過去を持つことで群れからはみ出てしまった3人が、どう心を解きほぐして関係を作っていくかを、自身の経験や得たものによって、これまで描いてきたロードムービーとは違った「心の旅」を映し出していく。
主演のハナム先生役には、監督の過去作「サイドウェイ」や「シンデレラマン」のポール・ジアマッティ。
本作では特別なコンタクトレンズを入れることで、「偏屈な教師」であることを強調しているかのようなインパクトのある表情をしているのが特徴的だ。
他にも、本作でアカデミー賞始め賞レースを総なめにしたダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、本作で映画デビューを果たしたドミニク・セッサが出演する。
痛みを抱えた者同士の旅路は、我々にどんな影響を与えるのか。
あらすじ
1970年冬、ボストン近郊にある全寮制のバートン校。
クリスマス休暇で生徒と教師のほぼ大半が家族と過ごすなか、生真面目で融通が利かず、生徒からも教師仲間からも嫌われている考古学の教師ハナム(ポール・ジアマッティ)は、家に帰れない生徒たちの“子守役”を任命される。
学校に残ったのは、勉強はできるが家族関係が複雑なアンガス・タリー(ドミニク・セッサ)。
食事を用意してくれるのは寮の料理長メアリー・ラム(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)。メアリーは一人息子のカーティスをベトナムで亡くしたばかり。
息子と最後に過ごした学校で年を越そうとしている。
クリスマスの夜。「ボストンへ行きたい。スケートしたり、本物のツリーが見たい」と言い出すアンガス。
はじめは反対していたハナム先生だが、メアリーに説得され「社会科見学」としてボストン行きを承諾する。
ボストン、考古博物館にて。「今の時代や自分を理解したいなら、過去から始めるべきだよ。歴史は過去を学ぶだけでなく、いまを説明すること」
アンガスはハナム先生の言葉を真剣に聞き入る。
「とてもわかりやすい。授業でも怒鳴らずそう教えてよ」
古本市、ボーリング場、映画館……ボストンを楽しむふたり。
しかし、実はアンガスがボストンに来たのには、ある目的があった。
ハナム先生も二度と会うはずのなかった大学時代の同級生と偶然出会う。
お互いに誰にも言っていない秘密が明かされていく……。(HPより抜粋)
感想
#ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ観賞。まぁ〜泣くよね、ラスト。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) June 21, 2024
なんつうかいろ〜んなモンがほどけたあの瞬間。舞台が1970年てのも、70年代っぽい画質も「映画観てるなぁ」って気分になれて。たまらん。
劇中で映された「小さな巨人」も面白いからみんな見て欲しいな。 pic.twitter.com/Jpu0w47WFL
世間からはみ出されたかのような3人が織りなす、ステキなクリスマス。
とにかく3人の演技がステキすぎて、見とれてしまった。
もうちょっと短ければ点数高かったかも。
以下、ネタバレします。
ワケありの3人が心を解していく。
雪が降り積もる学校の中で、正にタイトルのごとく「取り残された」者たちが織りなす愉快で温かく、それでえいてちょっぴり淋しくもある物語。
70年代が舞台とあって、冒頭からかつての「ユニバーサル」のロゴから始まるのがニクい演出。
そこから聖歌隊の練習をする生徒と指導する教師、冬休みの到来を今か今かと待ち焦がれる生徒たちのにぎやかな様子と雪景色。
フィルム独特のざらついた映像が、より白く簡素な街の風景を「クラシカル」なモノとして映しながら、アコギのアルペジオと共にしっとりと歌い上げる男性歌手の歌が流れていく。
その雰囲気のまま物語へ入っていくと思いきや、室内の映像に切り替わった瞬間、別の暮らしく音楽が流れだす。
その部屋の主は本作の主人公ハナム先生。
パイプをふかしながらテストの採点をしているが、何やらぶつぶつ呟いている。
この時点で、ハナムが一体どういう人物かが読み取れるシーンだったように思う。
外の世界の人たちと自分は別物、もしくは隔離されている、そんな線引きを音楽で提示しながら、クラシックとパイプをふかすイキった大人を装い、丸付けをしながら嫌味を吐き出しているわけです。
こういうスマートな映画の始まり、良作の予感。
期待に胸弾ませていくオープニングでした。
物語はその後、議員の息子を落第させたことへの罰として居残り生徒の子守を命じられるハナム先生、他の生徒に噛みつきながらも、家族の元へ帰れないことに大いに落胆するアンガス、そしてかったるそうに全員分の料理を作りながらも、時折心を無くしたような表情を浮かべるメアリーの3人の様子を、順序よく見せていく。
ここではこの3人が一体どんなキャラクターなのかを丁寧に映し出しているにも拘らず説明調のセリフが少なく、あくまで物語を動かしながらキャラの背景や性格を映し出していたのが印象的でした。
実は序盤は、僕の中では少々退屈に感じたんですね。
なぜかというと、居残り生活の数日は、アンガス以外の生徒が存在しており、彼らとのやり取りに時間を割いていたため、さっさと本筋に入ってしまえよ!と感じてしまったからです。
クソガキそのものの生徒もいれば、まだ幼く親の事情や実家との距離から帰ることが困難な生徒を使って、アンガスの気性の荒さや心の奥に秘めた優しい性格を見せる時間として使っていたんですが、個々がもう少しタイトに見せても問題はないのかと。
とはいえ、この物語はこれといった緩急をつけることなくシームレスに場面を繋いで進行していく緩やかな展開が魅力でもあったので仕方ない点もあったのかと。
そしてサブキャラである生徒たちはヘリに乗っていなくなったことで、ようやく3人の生活が始まっていくのであります。
物語が軌道に乗り出していくのは、3人の生活が嫌で抜け出したくなったアンガスが、勝手に学校の電話を使って宿を探そうとしたあたりでしょうか。
勝手なことをしたら退学処分だぞと脅すハナム先生を、鬼さんこちら手の鳴る方へと言わんばかりに校内を走って逃げだすアンガス。
体の動く彼に対し、ハナム先生は酒の飲みすぎや運動不足がたたって、巧く追いかける事すらできない。
修繕工事中のため入ってはいけない体育館に入って、先生を困らせようとするアンガスでしたが、マットレスに勢い余って飛び込んだものの、受け身を忘れたのか見事に腕を骨折。
もちろん保護者の代わりですから先生も急いで車を出して病院へ連れていきますが、その間アンガスは先生に向かって泣きながら「先生がちゃんと止めないからだ!!」とガキのように喚く。
個人的にはこのやり取りから、お互いが本音でぶつかり合っていく始まりのように思え、ようやく物語が進んでいくぞ!なんか楽しそうだ!と感じました。
そう、結局この映画の一番面白いのは、この「似た者同士」の掛け合いなんですよね。
それまで少々退屈に感じていたのも、このいがみ合ってる二人がまだ肩慣らしすらせずに、敬遠し合ってたからだと思うんです。
このケガを機に、3人の距離が一気に縮まっていきます。
病院の後食事をする2人でしたが、ピンボールを独占する青年と口論になったものの、向こう側の相棒の腕がないことを知り、同情で「一緒にやろう、俺が君の左腕になるよ」と余計な事を言ってエスカレート。
ハナム先生はその場を「ビールをおごるから」と手打ちにするも、店を出たアンガスは「許し過ぎだよ」と先生を責めます。
先生自身も似たような気持でいたものの、そこは大人の対応ということで処理したかったんでしょう。
この時点で、つい余計な事を言ってしまうあたりや、なんでもかんでも中指立てがちな性格が似ていることを示唆してるように思えます。
この感じがさらに際立っていくのが次のシーンのクリスマスパーティーのシーン。
ハナムがひそかに思いを寄せるリディアの家でのパーティーに招待され、先生はリディアと、アンガスは彼女の姪っ子と、そしてメアリーは用務員のダニーと良い雰囲気になっていくが、メアリーが息子が好きだった音楽を聴きながら飲み過ぎたせいで感情的になってしまい、3人はその場を後にするんですね。
姪っ子といい関係だったのになぜ帰らなくてはいけないのか、戻りたいと駄々をこねるアンガスを止める先生。
クリスマスだというのにパーティーくらいいいだろと言い争いになりますが、父親の話を切り出すと、どうやらアンガスの父は死んでいたようで、彼を悲しませてしまうんですね。
さっきのピンボールの青年の時同様、今度は先生が余計な事を言ってしまうというシーンの終わり。
益々似た者同士の関係が強まっていきます。
今を生きるために。
このままダラダラあらすじに感想をつぶやくだけになりそうなので、一旦ここで切るとして。
3人が主体の物語ですけど、メアリーはそこまで重要なポストになることなく、息子を失った悲しみを、妹のお腹にいる赤ちゃんを「希望」にすることで次の一歩を踏み出すというステップを踏みながら、2人の似た者同士の緩和剤としてアシストしてました。
そんなメアリーに支えられながら、二人が今まで誰にも打ち明けてこなかったことを打ち明けながらも、「我々だけの話」に留める優しさを互いが持っていることや、嘘はつかないことこそ学校の教えと言っておきながら、臨機応変に振る舞うための手段としたり、それもまたはみ出し者の淋しさを知っているからこその「優しさ」であることを、互いが知っていく物語でした。
痛みを知ってるからこそ優しくなれる、似た者同士だからこそ理解し合える。
時に偏屈になって敵を作りがちだけど、根っこにはちゃんと情熱があったり優しさがある。
今の性格になってしまったのは人それぞれ背景があり、アンガスも先生もそうした部分から、相手を遠ざけるようなことばかり言ってしまう。
余計な事を言ってしまうのも、優しくすることに不器用だからじゃないのか。
人の本質は付き合ってみないと分からないことだらけなんだよなぁ。
そんなことを思いながら楽しく鑑賞したつもりです。
物語は、その心の内側を、笑いを交えながら会話を重ねたり行動を共にすることで、2人の関係を丁寧に炙り出していく。
ペイン監督の映画には、いつだって人間の優しさが溢れていく物語が多く、本作も過去作に負けないくらいの人間の可笑しみと良さが溢れていたように思えます。
細かい点で言えば、校長室のウイスキーを最後のオチで使う展開や、リディアの家でアンガスが見つけたスノードームが、意外な展開で再登場する使い方、「我々だけの話」=アントワヌーが重要なキーワードになっていく流れ、斜視を始めとしたあまり触れてはいけないような部分に敢えて触れるブラックなやり取りを意外なところで回収するやり方、「歴史は過去を学ぶだけではなく、今を説明すること」という先生の言葉が、正に2人の過去を紐解くうえで今を物語っていることが明らかになっていく構造になっていることなど、工夫があったり気が利く巧さがあって良かったですね。
キャラクターに関しても、先生はどこか理論武装して語ってる節があって、心の鎧を脱げずにいるもんだから、全部が全部本人の言葉として語ってないように描かれてる気がするんですよね。
一方でアンガスはそうした部分ではなく、心の赴くままにわめいたりする。そんなkレト向き合うには、理論武装したって意味がないってことを、先生は肌で感じてくからどんどん息があっていくような物語になっていて、同じ孤独でも違うタイプの2人だったんだよなぁと。
冒頭でも触れた「いまを生きる」ですが、あの映画と同様、本作でもハナム先生は去っていきます。
それも生徒のために下した決断。
あの映画とは違う悲しみが溢れてきますが、本作はそれとは違うスカッとした終わり方になってました。
最後に
アメリカの70年代ってベトナム戦争やらウォーターゲート事件やらっていう不遇な歴史のイメージがあって、ハリウッド映画的にもテレビに負けて暗黒の時代だったんですよね。
これからそんなことが起こる70年はじめが舞台の本作で、孤独を背負った者同士が絆を深めていく、前向きな優しい映画になっていて良かったです。
ニューシネマのようにバッドエンドになるんじゃないかとヒヤヒヤしましたよw
余談ですが、先生とアンガスが映画館で見ていた映画はダスティン・ホフマンの「小さな巨人」という映画。
インディアンに育てられたかと思えば白人として育てられたりと、二つの種族の間を行ったり来たりしながら人生をお送るという数奇な物語なんですが、これ、要は白人が伏せてきた物語をインディアン視点で描くことで、アメリカ社会を痛烈に批判してる話なんですよね。
本作の劇中では、先生が「これは非常に正しく描かれているんだ」と語ってましたけど、今を説明するために歴史を学ぶ必要があるっていうセリフを紐づけると、遠回しに今のアメリカを語ってる映画でもあるのかなと。
ポール・ジアマッティもダヴァイン・ジョイ・ランドルフも素晴らしかったですけど、個人的にはドミニク・セッサが素晴らしかったですね。
本作で映画デビューとは思えない見栄えのいいルックスと、ポールに負けない偏屈振りがハマってて、ソレでいてしっかり背負ってる悲しみも表現できる巧さ。
間のとり方とかもめちゃめちゃ良かったと思います。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10