モンキー的映画のススメ

モンキー的映画のススメ

主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「その手に触れるまで」感想ネタバレあり解説 唐突な結末に何を思えばいいのだろう。

その手に触れるまで

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いきなりですが、「イスラム教」にどういうイメージを持ってるでしょうか。

中東に多い宗教とか、女性が顔を隠してるのをよく見るとか、パッと思いつくのって宗教としての中身ではなく、「見た目」の方が多いのではないでしょうか。

 そして一番イメージとして湧くのが「戦争の発端」、とか、「過激派のテロリストが多い」ってこと、じゃないでしょうか。

 

ハリウッドの映画見ても、アラーの神様にお祈り捧げて自爆テロやったりとかして、黒幕にされがちな設定、多いですよね。

実際の報道を流し見したり、深堀りせずにインプットしてしまうせいで、僕らは「イスラム教」に悪いイメージを持ちやすい環境にあるのではないか、と思ってます。

 

しかし実際は、平和を重んじる宗教であり、あくまで武力行使するイスラム教信者ってのは、アルカイダやISといった過激派の人たちのみ、なんですね。

 

かつて共存していたはずの教徒たちが、欧米諸国の都合によって翻弄され続けてきた、という歴史的背景が反欧米思想を生み、9.11の同時多発テロ以降過激さを増している、ってのが今でも起こりやすく、欧米では警戒することに余念がないそうです。

 

 

今回鑑賞する映画は、そんなイスラム過激派の思想にのめり込んでしまった少年が、犯してしまった罪を、どう償っていくか、というお話。

ベルギーの巨匠が今作でも歴史的快挙を成し遂げ、いよいよ日本でも公開ということで、この10年監督の新作をかかさず観ている僕としては、非常に楽しみであります。

 

歴史やヨーロッパの現状などわからないことだらけで、解説するにも付け焼刃な部分があるかと思いますが、純粋に思ったことをレビューで来たらと思ってます。

というわけで、早速鑑賞してまいりました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作品情報

カンヌ国際映画祭常連の巨匠が放つ最新作は、善悪の区別もつかない無垢な少年が、世界を知らないまま狂信的な正義に捕らわれ罪を犯してしまう、といった「あるひとつの答えだけが正解」という誤った認識を、監督独自の温かく優しい筆致で解きほぐしていく物語。

 

過激テロが起こりやすい昨今、先進国における格差社会も手伝って、過激な思想に感化されてしまう若者が多く見受けられるが、今作ではそんな過激なイスラムの純潔な思想によって急進化した若者は、どうしたら脱することができるのか、という監督の疑問から生まれた作品。

 

SNSの普及やコロナウィルスの蔓延により直接的な関わりを持つことが難しくなってしまった現在、多くの人との関わりやふれあいや温もりを直に感じることで平和は保たれていくのではないか、分別のつかない未成年に正しい道を示すことができるのではないか、ということを今作で物語っていく。

 

パリ同時多発テロやブリュッセルでの爆発など、今やテロリズムの交差点と化してしまった場所を舞台に、常に弱者の見方である監督が、我々の固くなった心をほぐす様に、今伝えたいことを描いていく。

 

 

 

 

 

あらすじ

 

13歳の少年・アメッド(イディル・ベン・アディ

)。


ベルギーに暮らし、つい最近までどこにでもいるゲーム好きな少年だったが、今はイスラム教の聖典であるコーランに夢中。
小さな食品店の二階のモスク(イスラム礼拝所)で導師が行う礼拝に兄と熱心に通っている。

 

放課後クラスのイネス先生(ミリエム・アケディウ)との“さよならの握手”を「大人のムスリムは女性に触らない」と拒否した夜、それを聞きつけた母親に叱られる。


「イネス先生は識字障害克服の恩人よ。毎晩読み書きと計算を教えに来てくれた」


そんな母の言葉にまったく耳を貸さないアメッド。
父が家を出て以来、母は毎晩酒を嗜むようになっていた。

 

 

ある日、イネス先生は歌を通じて、日常会話としてのアラビア語を学ぶ“歌の授業”を提案する。
「コーランが大切。日常会話のアラビア語は後ででもいい」
「ベルギーで暮らしてるけど、アラビア語ができるほうが仕事の選択肢も増える」
保護者の間でも意見は分かれる。

 

「聖なる言葉を歌で学ぶなど冒涜的だ。あの教師は背教者だ。背教者を見つけたらどうする?」
導師に問われ、アメッドは答える。
「見つけ次第、排除するべき」
うなずく導師。
「その教師は“聖戦の標的”だな」。

 

「アラーよ。僕の行動を受け入れてください」
アメッドは靴下にナイフを忍ばせて歩く練習をし始める。

イネス先生のアパートを訪ねるアメッド。
疑うことなく、オートロックを外す先生。
建物に入り、先生の部屋の前にアメッドは佇む。
出てきた先生に襲い掛かるが、部屋に逃げ込まれ、刺し損ねる。

 

アメッドは導師の元に逃げ込むが、驚いた導師は、
「モスクのため、家族のため、自主しろ」とアメッドを説き伏せる。
「自分はなにも言っていない。そうだな?」

 

少年院に入ったアメッド。
アラビア語を理解する先生もいる。

更生プログラムのひとつである農場作業を手伝うようになり、農場主の娘・ルイーズが牛の世話の仕方などをきさくに教えてくれる。
しかし、アメッドは動物に触れることも、親切にされることも心地悪くて仕方ない。

 

母親との面会日。
「元のお前に戻ってよ」
泣きながらもアメッドを抱きしめる母。

 

信じれば信じるほど、純粋であろうとすればするほど、頑なになっていくアメッドの心。
少年の気持ちが変わる日は来るのだろうか――。(HPより抜粋)

 

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監督

今作を手掛けるのは、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟

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2人合わせて120歳越えの、大巨匠でございます。

 

ベルギーで生まれた彼らは、いつだって弱者に光を当てる作品を手掛け続けています。

僕も彼らが一番大きな賞をもらった作品を見られてないんですけど、「少年と自転車」以降欠かさず鑑賞させていただいてます。

 

 

今作は「幼きテロリスト」という主人公が、他者との関わりやふれあい、温もりを受け、どのように頑なな心を和らげ、元の生活に戻っていくのかを描いたと語ってます。

 

また、少年と少女の恋模様も描かれており、これまで孤独な主人公にスポットを当てる作品ばかり描いてきた監督としては、珍しいエピソードも入っているとか。

 

ヨーロッパの中で「テロの温床」と化してしまっているベルギーの街を舞台にしたことや、新しい種類の人たちが尊師によって感化され、狂信的になりテロを起こしてしまう、自分たちがやっていることは良いことだ、これらの事実に動かされて映画を製作していったとのこと。

 

日本人にとってどこか遠い存在になってしまっている「テロ」。

どうやって新たなテロリストが生まれてしまうのかについても、今作で気づく点が多いのかもしれません。

 

監督に関してはこちらをどうぞ。

 

www.monkey1119.com

 

 

 

 

キャスト

今作の主人公、アメッドを演じるのは、イディル・ベン・アディ。

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今作で映画初出演という彼。

モロッコ系の移民3世としてベルギーのブリュッセルで生まれたそうで、芸術学校で演技を学んでいるそうです。

 

「いいひとじゃない役をやってみたい」と希望していたそうで、親御さんはこの役で彼がテロリストだと思われないか心配もしたとのこと。

今後に期待です。

 

 

 

 

 

他のキャストはこんな感じ。

イネス先生役に、「サンドラの週末」、「午後8時の訪問者」などダルデンヌ兄弟監督に出演している、ミリエム・アケディウ。

教育官役に、「午後8時の訪問者」で研修医役を演じ映画デビューした、オリヴィエ・ボノーなどが出演します。

 

 

 

 

 

 

 

 

監督の作品は、半ばドキュメンタリータッチな作風のイメージがありますが、カットや構図が意外とこだわったものになってることが多いので、その辺もくまなく鑑賞したいと思います。

ここから鑑賞後の感想です!!

 

感想

相変わらずのダルデンヌ節は健在。

少年の背後を寄り添うように回すカメラ、優しさに触れることで少しづつ解きほぐされていく鎖。

唐突のラスト。

純粋な人間を怪物にさせないために、私たちができる事って何だろう。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一つの価値観に捉われてしまう怖さ。

従兄の死によって目覚めてしまった少年の狂信的な思想によって起こってしまった事件から、少年院の更生プログラムの一つである、農場の手伝いで出会った少女との微笑ましいやりとり。

 

今作は「一つしかない答え」以外受け入れようとしない少年の堕落と上昇までの道のりを、ドキュメンタリーのように寄り添うことを徹底したカメラワークにすることで、行動そのものは「危険」かもしれないが、目を凝らせば「普通の少年」であることを気付かせ、怪物と化してしまった少年を止めるために、犯罪を犯してしまった彼を救うために、大人である我々や周囲の人間が疎かにしてしまった「対話」や「コミュニケーション」、そして「ふれあい」や「優しいまなざし」をしていくことの必要性を説いた作品だったのかもしれません。

 

 

始まるやいなや、既に尊師からの教えに感銘を受けたのか、はたまたマインドコントロールなのかはわかりませんが、既に狂信的な少年として出来上がっていることろから始まるオープニング。

 

早く尊師のいる場所で教えをこいてもらおうとせっせと問題を解き、先生とのさよならの挨拶も無視し、「大人のムスリムは女性に触れない」とほざき、イスラムの聖典コーランを一生懸命覚えようとするも、車内で騒ぐ兄弟に本気で怒るアメッド。

 

勉強熱心なのは良いことかもしれませんが、それ以外は目もくれないほどの依存ぶり。

お母さんといえば、夫を失い片親で子供たちを一生懸命育てようと努力してきたのでしょう。

しかしアメッドといえば、今日の学校での出来事で母親に叱られた仕返しに、「この飲んだくれ」とアラビア語で言い返す始末。

 

あ~・・・反抗期か。

僕はかつて勉強に部活に恋に友達に先輩への礼儀によって生まれた「苛立ち」を、母親にぶつけまくり暴れていた、中学生の頃の自分と重ねてしまいました。

 

やがて学校の先生は、アラビア語をもっと理解しやすくできるように「歌で覚える」教え方をやってみたいと提案。

親御さんたちを呼びディスカッションをすることに。

 

いや超いいじゃん!

俺だって英語の先生がさ、わかりやすい英単語や文法が書かれた洋楽をチョイスして、授業中に必ず歌う時間を設けたんですよ。

これのおかげで英語に親しみが持てたし、音楽大好きな俺はカーおえんたーずやらビートルズやらオールディーズな洋楽ナンバーにハマっていったわけよ。

オマケに英語超好きになってずっと英語の成績5でしたから。

 

でもアメッドには僕のような考えを持ち合わせておらず、尊師から「あの教師は背教者だ!なんだ!歌でアラビア語を教えるって!西洋かぶれもいいところだ!こりゃジハード<聖戦>だな」という一言で、絶対的存在である尊師の言葉通りに、足にナイフを忍ばせ殺害しようと試みるのであります。

 

 

 

誰にだって思春期はあり、反抗期は訪れるもの。

確かに僕は荒れて、塾にも行かなくなったり、友達の家に夜遅くまで遊びに行ったり、おかげで成績が落ちて、なんてことがありましたが、両親がめげずに向き合ってくれたおかげで一応まともな大人になれたと思ってます。

 

劇中ではお母さんや学校の先生が彼の宗教に対する考えによる暴走を何とか食い止めようと努力すする姿が描かれてますが、彼のような人物を生み出さないためには大人である僕たちが、もっと寄り添って正しい道へ進めないといけないのではないか、不寛容であることが如何に恐ろしい事かってのを描いていたようにも思えます。

 

 

しかし宗教というモノは難しいもんで、信者は教えに従順であるが故に、教祖は絶対であり、それ以外には目もくれて暮れてくれない、ガチの信者たちがいるわけです。

 

日本でもかつて怪しい宗教があり社会問題にもなりました。

入信した息子や娘を何とか自分の元へ戻そうとしますが、深い洗脳により帰ろうとしない人物もいれば、強制的に拘束し帰してもらえない人もいたりと、我々が介入する術を模索するのにかなりの時間を割いていたように思えます。

 

そんなガチの信者を元の人間に戻すのには、相当な時間がかかるわけです。

あのロックバンドのボーカルも、今ではお茶の間を楽しませるタレント性を発揮して人気者になりましたが、それまでの道のりはかなり長ったと思います。

 

これが心身共に未熟な少年の場合、相当な労力が必要になるのではないでしょうか。

 

確かにアメッドは少年院に入りカリキュラムをこなし、母親の言葉に耳を傾け、農場の少女との初めてのチュウに心を動かされていきますが、そう容易くは変化しないわけです。

 

結果、クライマックスの行動になるわけで。

 

 

 

最後に

今回は短めに自分の過去の体験に軽く触れながら語りましたが、ラストの投げっぱなしにはホント驚きました。

そもそもダルデンヌってこういうことして、こちらに問いかけるよね~って、今思い返せば理解できるんですが、観た当初は、うわ、マジ?ここで終わり?となってしまいまして。

 

彼が最後に放った言葉は「死」への恐怖心からなのか、それとも心の底から出た本心の「謝罪」なのか。

相手に向けた赦しなのか、それとも自らが信じてやまない神に向けた言葉なのか。

 

どっちにしろ、彼は助からない、と僕は思います。

要するにこういう結果を招いてしまった根源はどこにあるのか、を考えるべきではないのかと。

未来ある若者の、未来を作るには、彼らを正しい道に進めなくてはならない親であり先生でありボクらなのではないかと。

そのためにはこちら側の主張ばかり突き付けるのでなく、相手の言葉をいったん受け止めてからなのかな、とも観れた作品だったのかなぁと。

 

相変わらず考えさせられる作品に対して、まともな評論も感想も書けない僕ですが、とりあえずダルデンヌ作品としては、ちょっとパンチが弱い作品だったかなぁ…。

尺をもう少し長くして、彼がどういう経緯で狂信的になったのかを描いた方が、よりドラマになったのかなぁと。

案外そこは大事ではないのかもしれないですけど。

 

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10