タロウのバカ
どうも、歳をとってもいつだって青春したいモンキーです。
というか、いくつになってもバカをやっていたいモンキーの方が合ってるか?
何というか、大人なんですけど、大人になんかなりたくない症候群なんですかね。
未だ何者にもなれなくて、生きる意味すら見つからなくて、何か夢中になることが無いと空気を吸えない不器用な男でして。
なんか、自分のそういう闇じゃないけど、欲しているモノがもしかしたら今回鑑賞する映画に現れていたらいいなぁ、なんて、らしくもない出だしですが、ちょっと気になって今回鑑賞してまいりました。
未だに高校生役をやるのかお前たち!というツッコミは置いといて、魅力あふれるキャスト陣の血の通ったむき出しの感情を目の当たりにしてまいりました。
作品情報
ある時は幅広い層から支持を集め、またある時は軽やかでオフビートな作風で若者たちから支持され、そしてまたある時は牙をむくかのような攻めの姿勢で観衆に訴える、多彩な作家性を秘めた映画監督が、1990年代執筆したシナリオに現代性を盛り込んだ作品が「タロウのバカ」である。
社会のシステムからはみ出した3人の少年たちの、純粋無垢でありながら狂気じみた過激な生き様を描いた異色の青春映画として誕生した。
現代の日本における社会の歪みでもある様々な問題を盛り込み、その中で生きることへの渇望と死への恐怖を、3人の姿を通じてダイナミックにつきつける、監督の渾身作です。
あらすじ
思春期のまっただ中を生きる主人公の少年タロウ(YOSHI)には名前がない。
彼は「名前がない奴はタロウだ」という理由でそう呼ばれているだけで、戸籍すらなく、一度も学校に通ったことがない。
そんな“何者でもない”存在であるタロウには、エージ(菅田将暉)、スギオ(仲野太賀)という高校生の仲間がいる。
大きな川が流れ、頭上を高速道路が走り、空虚なほどだだっ広い空き地や河川敷がある町を、3人はあてどなく走り回り、その奔放な日々に自由を感じている。
しかし、偶然にも一丁の拳銃を手に入れたことをきっかけに、それまで目を背けていた過酷な現実に向き合うことを余儀なくされた彼らは、得体の知れない死の影に取り憑かれていく。
やがてエージとスギオが身も心もボロボロに疲弊していくなか、誰にも愛されたことがなく、“好き”という言葉の意味さえ知らなかったタロウの内に未知なる感情が芽生え始める……。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは大森立嗣。
作品情報でも書きましたが、「まほろ駅前」シリーズや、「セトウツミ」のようなオフビートなバディモノを手掛ける時もあれば、「日日是好日」のようなほのぼのとした温かみのある作品も手掛け、さらには「光」や「さよなら渓谷」のような激しい絡みもやるし、「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」のようなバイオレンスも描く。
とにかく全く異なるタイプの作風を醸し出す監督さんだと思います。
と得意げに言っておりますが、僕は「まほろ駅前」と「光」しか見てないのですw
さよなら渓谷は見よう見ようと思って未だに手を出せていないので、そろそろいい加減に見ようと思っております。
今回タロウ含めた3人のはみ出し者から、どんな問題提起をしているのか。
監督の思いになるべく近づけるように、目に焼き付けたいと思います。
監督に関してはこちらをどうぞ。
キャスト
主人公タロウを演じるのは、YOSHI。
聞いたことない方だなぁと思ったら今回の作品で俳優デビューされたとのこと。
ファッションモデルやアートといった創作活動もされている多彩な顔をもっているようで、今後は世界で幅広く活動しそうな予感ですね。
きっと感性が優れているんでしょうから、お芝居の方も期待が持てそうです。
他のキャストはこんな感じ。
高校生エージ役に、「セトウツミ」、「アルキメデスの大戦」の菅田将暉。
同じく高校生スギオ役に、「桐島、部活やめるってよ」、「町田くんの世界」の仲野太賀。
吉岡役に、「3月のライオン」、「アルキメデスの大戦」の奥野瑛太。
タロウの母・恵子役に、「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」の豊田エリー。
洋子役に、「マーマレード・ボーイ」、「日日是好日」の植田紗々。
小田役に、「哭声/コクソン」、「アウトレイジ」の國村隼などが出演します。
予告を見る限り、だいぶ凹みそうなお話に感じます。
でも、この3人に混ざってバカやりたいなぁとも思ってしまう。
光と闇がすごいんだろうなぁ。
ここから鑑賞後の感想です!!!
感想
うん、自分が欲していた眩しい青春映画ではなく、ただただはみ出し者の空虚な叫びを空に投げていただけの映画でした。
以下、核心に触れずネタバレします。
ただただ虫唾が走る
学校にも行ったことのない少年タロウと、スポーツ特待で入学するもケガで部活ができずはみ出し者のレッテルを張られたエージ、そのエージにくっついてビビりながらも悪さをするスギオの3人が、やるせない毎日をバカみたいにはしゃぐ傍らで、その無邪気さゆえに暴力に任せていく様を、手持ちカメラや長回しなどでドキュメンタリー感を醸し出したり、舞台集団による意味深な演出や、シタールと湿ったギターの音で社会に対する怒りや虚しさを奏でることで、3人の少年の心情を映し出した、異色の青春映画でございました。
正直に言うと、誰にも感情移入しないし、ただただ苛立ちしか感じない映画でした。
ひたすら叫び喚く姿を見せられて、惹かれる部分など1㎜もなく、お前ら勝手に暴れて走ってゲラゲラ笑って人を脅して迷惑かけて。
確かに溢れんばかりのエネルギーに満ちた作品でしたが、僕にとってはそんな映画でした。
どうして彼らの非常識で無鉄砲で道徳心も倫理観もない遊びや行動に、そんな気持ちになったのか。
それはきっと僕が大人になったからで、彼らと同じ年代じゃなくて、タロウのようにちゃんと学校にも行って教養や常識を身に着けて社会に適合して生きているから、そんな気がします。
明らかに自分の物差しで見ることが多い映画鑑賞において、これほどまで自分の価値観と合わない映画もそうそうないなと。
でも実際に僕の知らないところで、ネグレクトによるタロウのような存在はいて、エージのような行き場のないやつはいて、常識はあるんだろうけど彼らとしか生きた心地がしないでいるスギオはいて、どうして彼らのような存在が生まれてしまったのか、やっぱりそれは大人が、大人がよくないんだな、その大人が作った社会が彼らを窮屈にさせてるんだな、その社会の隅っこに追いやられても死の恐怖に怯えながら暴れボコられボコり返し時に悪さを働き何か面白いこと楽しいことを探し求める過程での、3人の笑顔は、笑顔だけは眩しかったなと。
どうにか救われるようなラストにはならないものだろうか、そんなささやかな願いはかなうこともなく、命の儚さに狂った気持で天に叫ぶタロウを最後に幕は閉じるわけで。
タロウはこの先どうしてしまうのだろう。
児童相談所が彼に気付くのか、というか今までなぜ気づかなかったのか。
彼らが襲ったサラリーマンは、強姦しようと襲ったOLは、公園のベンチで一休みしていた主婦は、果たして平穏な日々を送れているのだろうか。
社会が生んでしまったはみ出し者の無計画で力任せで欲まみれの行動は、社会に生きる人たちを傷つけていく。
これでいいのだろうか。
タロウの真白さ。
そして何よりタロウが怖い。
冒頭のパンツ一丁で高速道路の下の野原で戯れる姿はとても純真無垢で地上に舞い降りた天使のようだった。
きっと彼はエージと会わなければ、あの銃を持ち歩かなければ、あのダウン症の子たちと仲良く遊ぶだけの毎日でよかったのかもしれない。
幸か不幸か何も学ぶことなく育った少年は、他人の影響力で白にも黒にもなるほど未熟なわけで、正にエージとの付き合いは彼を黒く染めていくだけのように見えた。
それでも好かれることによってできた友達との毎日は笑顔の絶えない日々だったことだろう。
エージが吉岡を殴れば自分も同じことをしていいのだと、それで慌てふためいているスギオをエージと同じように追い詰め、笑う。
とにかくできた友達との時間は彼にとってはかけがえのない物だったことだろうが、一人の時はまるで違う。
公衆トイレでトイレットペーパーを食べながら座る姿、エージが盗んだピザ屋のバイクのカギを野原で探す時の犬と同じ姿勢、そしてバイクの運転操作に戸惑いケガをし、一人の時がどれだけつまらないかを映す。
銃を持ち歩くことで情緒が不安定になる様。強さを手に入れたと勘違いしてるのだろうか、誰もが自分に従う王様のような気分にでもなっているのだろうか。
ベンチに座る主婦に銃を向け、許してと叫ぶ彼女に、それは僕だよと言い寄る。
好きって何?死ぬって何?全てに意味のあるこの社会の中で意味のない奴らがその意味を探して銃を突きつける。
誰に向けてなんだろう、大人?社会?それとも今の自分?
結局虫唾が走るのは、彼らに何の感情も持たない自分の心だった、のかもしれない。
3人の芝居。
いやぁ~いつもより変な感想になりましたw
慣れないことはしない方がいいw
今回の映画、僕の好みではない映画でしたが、冒頭のシーンから「命」や「生死」、そして「社会」に向けての監督なりの怒りを現した作品だったってことでしょうか。
それはともかくとして、この映画の推進力だったのは、なんといっても3人のお芝居だったように思えます。
何者か全くわからないYOSHIは、やはり誰の手垢もまだついていないからでしょうか、言われたことをそのままやってるだろうにポテンシャルが垣間見えたというか。
とにかく善悪の分別などない暴れっぷりと、エージについて回る人懐っこさ、突然核心をつくかのようなセリフを言う時の真に迫った表情、そして頼れる友人の死に、初めて生まれた感情、それを天に向けて訴える姿。
あ~やはり感性の塊だなぁ、そんな印象を受けました。
最近の役者でいうと村上虹郎なんかこの辺に近い存在かなぁと思ったんですが、それとはまた違う存在で。
今後の活躍が楽しみな逸材だったように思えます。
そんな彼とは対照的に、一体いつまで高校生やってんだよwっていう二人ね。
もう中堅俳優として確固たる地位を得ている菅田将暉は、こういう死んだように生きている少年の後先考えない思いつきの行動によって無邪気に笑い、それとは反対にもうどうしようもない闇を見せる演技は抜群にお上手。
それとは別にとりあえずヘコヘコしたり弱さ見せたりビビったり、これ以上は付き合ってらんね!ってなるけどやっぱり俺にはエージが必要!ってなって、もう心ここにあらずな中で本当の気持ちを好きな子に打ち明けて、段々生きていることがどうでもよくなって自暴自棄になってく太賀改め仲野太賀ね。
菅田将暉とは違う闇の部分を醸し出さしてくれると同時に、この2人の関係性が非常によろしく、君たちのバカさ加減にはついていけませんよ!ってのと出来たら俺も混ぜてくんねえかな…って感じさせる空気が大好きです、はい。
半グレ野郎の吉岡演じた奥野瑛太は、ちょっと弱いといいますか。
彼はアルキメデスの大戦でイヤな役をやってのけましたが、ここまで悪い奴をやるとちょっと合ってないかな、という印象。
もっと悪い役を積み重ねないと悪びれた素振りが馴染んでこないのかな。
それと発声練習した方がいい。声が菅田将暉に負けてる。
滑舌ももうちょっとですなぁ。
最後に
死への恐怖ってのをもっと出してもいい映画だったように思えます。
拳銃という非現実的なアイテムを盗んだことで半グレに追われる、それが死への恐怖ってちょっと安易というか、そこから拳銃がただの死ぬための道具にすり替わってしまっていて、なんかもっと別の使い方があってもいいよなぁと。
というか、その出し方が露骨なので、死は生と隣り合わせでいつ突然訪れるかわからないような描写にすることでタロウに絶望をつきつけてもよかったよなぁとも。
あとは冒頭のシーンが結局やりたいだけになってるのが残念。
それをやるならもっと主軸に絡めるような話でないと。タロウがそこを訪れるとか。
結局ダウン症の子もよく分からずじまい。彼らはあそこに住んでいたってことなのか?
2人で?いやいやあり得ん。
色々不可解な部分があるので、説明不足というか取って付けた感しかないというか、もったいなさの残る映画と共に、単純に俺の好みではないってのが結論てことで。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆★★★★★5/10