浅田家!
はじめに
現代のカメラ事情ってどうなってるんでしょうね。
スマホのカメラ機能がどんどん進化していることもあって、ぶっちゃけデジカメも一眼レフも必要ないよね~って思いがちなんですけど、やっぱりガチのカメラはスマホ以上に美しい写真を収めることができるんだろうと。
…いきなり写真好きを敵に回しそうなんですけど、要は僕はあまり写真を撮るという行為自体に重きを置いてない人間なので、こんなことをサラッと言ってしまう奴ですw
お前の心のシャッターは何のためにあるんだ!!
…って一応カッコいいこと言っておきますw
さて、今回鑑賞するのは、家族全員で全力でコスプレ撮影を敢行した写真集で話題となった写真家の、2冊の写真集を原案に映画化された作品です。
自主映画時代から「家族」というテーマを一途に描いてきた監督が挑む最新作。
どの作品でも泣かされた僕は、今回も泣かされてしまうのか。
温かな描写を見るたびに、家族に会いたくなる気持ちにさせてくれるんですよ。
言い方悪いですが、感動ポルノでもいいんです。
胸にグッとくるのなら。
僕は満足するので。
早速鑑賞してまいりました!
作品情報
自分の家族を被写体に「家族がなりたかったもの」、「家族でやってみたいこと」をテーマに、様々なシチュエーションでコスプレ撮影し話題を呼んだ「浅田家」。
東日本大震災で泥だらけになった写真を洗浄し持ち主に返すボランティア活動をする人々を2年かけて写真に収めた「アルバムのチカラ」。
写真界の芥川賞と呼ばれる第34回木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家・浅田政志の2冊の写真集を原案に、「湯を沸かすほどの熱い愛」で日本アカデミー賞を受賞した監督の手によって映画化。
彼の人生と彼の家族との掛け合いをユーモアたっぷりに描きながら、なぜ彼が「家族」という最も身近な人たちを被写体にしたのか。
一人の写真家を通じて、「家族の絆」、そして「写真が持つ力」を色濃く描きます。
あらすじ
幼いころ、写真好きの父からカメラを譲ってもらった政志(二宮和也)は、昔から写真を撮るのが大好きだった。
そんな彼が、家族全員を巻き込んで、消防士、レーサー、ヒーロー、大食い選手権…。
それぞれが❝なりたかった職業❞❝やってみたかったこと❞をテーマにコスプレし、その姿をしたユニークすぎる≪家族写真≫が、なんと写真界の芥川賞、木村伊兵衛写真賞を受賞!
受賞をきっかけに日本中の家族から撮影依頼を受け、写真家としてようやく軌道に乗り始めたとき、東日本大震災が起こる——。
かつて撮影した家族の安否を確かめるために向かった被災地で、政志が目にしたのは、家族や家を失った人々の姿だった…。
「家族ってなんだろう?」
「写真家の自分にできることは何だろう?」
シャッターを切ることができず、自問自答を繰り返す政志だったが、ある時、津波で泥だらけになった写真を一枚一枚洗って、家族のもとに返すボランティア活動に励む人々と出会う。
彼らとともに≪写真洗浄≫を続け、そこで写真を見つけ嬉しそうに帰っていく人々の笑顔に触れることで、次第に≪写真の持つチカラ≫を信じられるようになる。
そんな時、一人の少女が現れる。
「私も家族写真を撮ってほしい!」
それは、津波で父親を失った少女の願いだった——。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、中野量太。
「湯を沸かすほどの熱い愛」で、商業映画デビュー作にもかかわらず、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞と、最優秀助演女優賞を受賞し、その年の話題を掻っ攫った中野監督。
SNSではブロックをしがちな人としてアンチからは話題になってますが、僕はこの「湯を沸かす~」が大好きなので応援しております。
ブログでは書いてないんですけど、監督の前作「長いお別れ」も劇場で鑑賞しており、「湯を沸かす~」同様「家族」と「死」をテーマにし、ユーモアな描写をはさみながら感動のラストへと展開する物語を得意としている方だと思います。
また伏線の張り方も非常に巧く、些細なアイテムやワード、エピソードを最後にきれいに回収していく点も爽快です。
監督に関してはこちらをどうぞ。
登場人物紹介
- 浅田政志(二宮和也)・・・浅田家の次男。子供の頃父からカメラを譲り受けたことをきっかけに、家族や幼馴染の写真を撮ることが好きになり、写真家を志す。
- 浅田幸宏(妻夫木聡)・・・浅田家の長男。政志の兄。なかなか定職に就かない弟・政志を心配し、時に振り回されながらも、浅田家の一風変わった家族写真の撮影に協力する。
- 浅田順子(風吹ジュン)・・・政志の母。政志のよき理解者。影でそっと見守りながら、背中を押してくれる存在。看護師として家計を支える。
- 浅田 章(平田満)・・・政志の父。カメラが好きで、政志と幸宏が子供の頃、よく2人の写真を撮っていた。主夫として家族を支える。
- 川上若奈(黒木華)・・・政志の幼馴染。政志の煮え切らない態度に内心穏やかではないが、プロのカメラマンを目指し上京した彼をやさしく支える。
- 小野陽介(菅田将暉)・・・津波で泥だらけになった写真を洗浄し、持ち主に返す「写真洗浄」」を行うボランティア。被災地を訪れた政志と偶然出会う。
- 外川美智子(渡辺真起子)・・・小野と一緒に写真洗浄を行うボランティア。
- 渋川謙三(北村有起哉)・・・震災で行方不明になった娘を探す父親。政志や小野たち写真洗浄ボランティアにつらく当たる。
- 浅田和子(野波麻帆)・・・浅田幸宏の妻。「浅田家」の新たなメンバー。
(以上、HPより)
家族の素晴らしさはもちろんのこと、写真がどれほど人に影響を与えるのかを教えてくれそうな気がします。
また、ユニークなアイディアと写真が持つチカラを与える写真家・浅田政志を、ジャニーズきっての演技派・ニノが、どのように演じるか。
非常に楽しみです。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
この家族好きだなぁ。
良くも悪くも監督の作風がしっかり出ていた、「家族っていいよね!」な物語でした!!
以下、ネタバレします。
家族の雰囲気がよく出ていた。
浅田家を中心に「家族」と「写真のチカラ」をテーマに描いた本作は、「写真家になる」夢に巻き込まれる家族や幼馴染らが時に嫌々ながらも政志に送る眼差しに、彼の人となりと魅力が惜しみなく出ていたと同時に、家族を撮り続けることの意味、東日本大震災という未曽有の被害の中で、記憶を引き出すという役割を持つ「写真」が、心に傷を負った人たちにどれだけの支えになるかを強く教えてくれた作品でございました。
「家族」を物語る作品を見てると、たまに出る違和感。
それは子供たちが両親に似ているか。
もちろん映画はフィクションなのだから、本当の親子が共演してるわけがない。
だけど本当に家族のような芝居と説得力が必要とされる。
本作はこの「家族」であるという説得力が非常によく出ていた作品だった、というのが大きな感想の一つ。
というのも、平田満、風吹ジュン、妻夫木聡、そして二宮和也という役者に共通するであろう柔和な表情と、優しく包み込むような包容力、穏やかで朗らかな性格が、彼らを「家族」に仕立て上げていたからだ。
どこかのらりくらりだが妻の仕事のために専業主夫になる道を選んだ父の思いやり、男ばかりの家族を束ねる母ならではのユーモア性。
この2人の間に生まれた長男・幸宏演じる妻夫木聡の、長男であるゆえに家族のためなら両親のためならと色々我慢を重ねるも、次男・政志を後押しするサポート力。
そして次男坊ならではの自由奔放さとムードメーカーな性格。
この親にこの子在りといったような両親の面影と雰囲気がとにかく説得力があり、リアルに「家族」であることをスクリーン越しで堪能できた。
また、会話などのコミュニケーションからどちらの親に似ているか、というのも良く見えてくる。
専門学校にもロクに行かず親から将来を心配される政志。
一体何を考えてるかわからない感じや、スッと人の懐に入り込んで巻き込んでしまう人懐っこさから、専業主夫である父によく似ている。
逆に長男だから弟に面と向かって言う立場だったり、家族のことを一番に考えている幸宏は、仕事面で家族を支えたり、時に手を出してまで説教するも背中を押してくれる母親にどことなく似ている。
さらには「一見普通じゃないけどいい家族だな」と思わせてくれる辺りも説得力がある。
普通じゃない感じが両親と政志、それにぶつぶつツッコミを入れつつも内心楽しんでいる幸宏というカタチが、ユーモアを誘うと同時に、仲睦まじい様子を見せてくれる感じが、さらに説得力を増してくれる。
だから「家族がなりたかった職業」をテーマに家族を巻き込んで写真を撮っている風景は、どこか普通じゃないけどいい家族だな、家族って良いもんだなと強く感じさせてくれる。
中野量太監督は上手くまとめた。
これまで「家族」をテーマに描き続けてきた監督は、ちゃんと「家族に見える」ことをちゃんと理解して作られているなぁというのが、本作を鑑賞して強く伝わった。
「湯を沸かすほどの熱い愛」では家族になっていく過程を描いた作品だったが、本作はすでに家族であることを冒頭から見せなくてはいけない。
それをどう見せるか。
父も長男も次男も一緒にケガをして、母親が勤める病院で治療することになる。
母親としての恥ずかしさと、まさか一緒になって病院で世話になるとはという男らの面目なさを最初に出すことで、家族の仲の良さと同じ波長であることを強調させている。
見てるこちらはこの冒頭のエピソードで、なんか可笑しな家族だけど楽しそうだなと没入することができる。
さらにはこの時のエピソードが、後の政志の人生を大きく変えることになることを示唆させ、物語を進めていく辺りも丁寧な運びとして好印象を持てた。
また本作は、2冊の写真集から着想を得た物語であるが故に、どことなく2部構成になっているのを、1つの物語であるように工夫された脚本も巧かったように思う。
前半は、「撮りたい写真が見つかったら撮る」と「俺はまだ本気出してないだけ」と言わんばかりのぐうたらニートを満喫している政志が、防波堤での父との何気ない会話からヒントを得て、家族を巻き込んでのコスプレ撮影を繰り返し、上京した幼馴染の支えや個展に展示した家族写真を痛く気に入った出版社の社長といった、政志の人柄と縁が実を結んで大きな賞をもらうまでの物語。
特に前半はタイトルにもなっている「浅田家」の次男を心配しながらも彼のやることに喜んで参加する家族の温かみが色濃く出た後世になっており、この家族で育った政志の人となりも加え、ユーモアに富んだ内容となっている。
中盤は1st写真集「浅田家」の一番後ろに沿えた「あなたの家族写真撮ります」という記載に食いついた岩手のとある家族のエピソード、様々な家族写真を撮り続ける政志の喜びと涙といった彼の心の内側を覗かせることでさらに人間性が強く出ていく。
そして後半は東日本大震災が訪れたことで、自分を一番最初に依頼してくれた岩手の家族の安否を確かめるために東北を再度訪れ、写真洗浄のボランティアに参加し、如何に写真のチカラがどれだけ影響を与えるかに気付かされていく、という運びになっていく。
前半で描かれていた浅田家の活躍ぶりは後半になると遠ざかっていくが、父の誕生日、そして病に倒れるエピソードを加えることで、終盤にかけて再び前半のエピソードが絡んでいく。
さらには被災地で出会った父を亡くした少女の「家族写真を撮ってほしい」という依頼に、当初困惑していた政志が帰省することで答えを見出していくように持っていく話の流れは、舞台を変えた2部構成でありながら、巧くスライドしつつスムーズにまとめていく形をとっており、決して別の話のようになっていない構成は見事だと思った。
もっとも、政志は家族を使って写真家になるという、写真家としては異色の経歴をもっているが、何故家族を撮り続けるのかという疑問を、震災で出会ったボランティアや少女を通じて、しっかり答えを出している。
それは記憶として眠っている家族との思い出や過去を、写真を通じて記憶を蘇らせる働きを持つことや、蘇った記憶は例え家族が離れていてもそこにいるような安心感と安らぎを与えてくれる、だから自分は写真家である以上、家族を撮り続けるのだと。
ただただ写真が好きで取り続けた政志が、たまたま語ってくれた父の一言からアイディアを生み家族写真を撮っていく。
でもなぜ自分はそこにこだわるのだろう、というアイデンティティの模索と写真家としての成長をしっかり土台にしながら、監督流の震災を撮るという行為、そしてテーマである「家族」を加えることで、今描くべきドラマに仕上げていることが、本作の素晴らしい点のように思う。
二宮和也の涙の使いわけ。
今回のニノ、沢山の場面で泣いている。
涙を流している。
彼のほとんどの作品を見ているわけではないが、ここまで涙を浮かべ流している作品は、きっとあまりないだろう。
そもそも彼自体がクレバーな役者であり、時と場合に応じて頭と心で巧みに演じているというのが僕の彼に対する印象。
今回もそのクレバーさと繊細さがうまく調和した芝居に思えた。
まず言いたいのは「涙のパターン」だ。
まず最初に涙を流すのは、上京を決意し両親に駅で見送られた後、席について兄のプレゼントを取り出した時。
兄が渡したのは「浅田家」の文体を立体化させたフォトアルバムだった。
ただのフォトアルバムではなく、段ボールか木工で象ったであろう「浅田家」の文字をくっつけた手の込み様。
前日に兄から「両親を喜ばせるのも悲しませるのもお前次第だ」ということを肝に銘じられた政志だったが、実は影ながら兄も心底応援してくれていることを、このフォトアルバムを手にした瞬間感じ取った政志は、瞳に微かな涙を浮かべる。
それをすっと堪えて、自分が撮った家族写真をアルバムに収めていく作業に移るわけだが、「うまくはいらねえよ」と愚痴をこぼすことで、政志の兄に対する感謝の気持ちと、兄弟という関係性から照れくさい気持ちとがいっぺんに押し寄せていることを、ニノは表現している。
あそこで大粒の涙を流してしまうと、その後のエピソードでさらに号泣しなくてはいけなくなることや、その後のエピソード自体が弱くなってしまうことを予知していたのかしてないのか、それとも監督の指示なのかはわからないが、あの寸止めの涙からこれだけ想像できてしまうのだから、やっぱりこいつはクレバーだなと思ってしまう。
その後写真界の芥川賞と呼ばれる木村与兵衛賞の授賞式で、「息子に写真を教えたのはこの私であり、今回の賞の半分は自分のものであります、これまで自慢出来る人生を歩んできてはいないが、今日は息子を自慢したい」という父のスピーチを一歩下がって聞いていた政志が、しっかり涙を浮かべている。
ここでも彼は号泣しない。
きっと家族の前だからなのか泣いている姿を見せたくなかったのだろう。
そしてここでの主役は父だ。
一時カメラは政志に向けているが、下を向きはにかむ表情を見せながらもうっすら涙を浮かべるだけ。
自分が大きく泣いたら父のスピーチが霞んでしまうことを察知してかの演技だったように思う。
さらにニノの涙の芝居は続く。
家族写真の依頼が殺到し、全国各地を飛び回る政志が出会ったのは、小さいながら腫瘍を患ってしまった子供を持つ佐伯家。
子供の好きなものを聞くと、虹が好きだという。
そこで考えたのは家族全員が白いTシャツにクレヨンで大きな虹を書き、それを着て家族全員が寝そべっている写真だ。
病院から一時帰宅の許可をもらった息子と自宅で久々の家族との共同作業を間近で見る政志。
絵を描いていることに飽きてきたのか、それとも長い入院生活のせいか母の背中に抱き着いて甘える子供。
母は息子をあやしつつも、しばらく抱きしめていなかった子供の身体の重さと、成長したことの重さに感極まっていく。
その光景を見ていた政志は、俯きながら涙を浮かべる。
微妙に上ずった声で返答するセリフから、政志もまた母親同様感極まっている様子が伺え、ここでも涙を浮かべている様を俯くことで隠している。
あくまで自分は写真を撮るという裏方ということを認知しているからのように思える仕草。
そしてファインダーを通して家族を見つめた時、ようやく政志は感極まり、瞬きをせず大粒の涙を流す。
他人である家族の、かけがえのない瞬間を特等席で見ることができるのは写真家ならではの特権。
普通なら小さい時ほど両親から愛情を注がれ育っていく子供だちだが、病気を患い入院していたことで、愛情を注ぐことができなくなっていた。
逆に親も子供と離れて生活せざるを得ないことで愛情を注ぐ機会を失われていたわけで、自分を通じて親子の愛を受け与え合う姿は、相当な喜びだったことだろう。
その感情をどう表現するかを、たった数秒で魅せるこのシーンは、誰もが涙することだろう。
他にも、被災地で岩手の家族の安否を確かめるため訪れる政志が、役所の掲示板で名前を見つけた時は、カメラから遠く離れた場所にいながらも涙を浮かべていたに違いないし、小野君が友人の安否を知った関係でボランティアを休むもやってきた際に、小野君が始めた写真洗浄が色んな人の役に立っていることを伝える場面でも、にこやかな表情を見せながら涙を浮かべ優しく語りかけるシーンなど、とにかく今回のニノはいろんな場面で色んな表情をしながら涙を浮かべている。
時に涙を流すことで主張し、時には物語の邪魔にならないよう配慮して涙を浮かべる。
しっかり内容を把握し、政志はここでどう感情を表現するかを計算して芝居をするニノ。
大小問わず喜びや悲しみの涙を使い分ける姿はやっぱりクレバーであり、心の中も芝居しているように感じて仕方がない。
またこれらの演技を通じて、政志という人物が両親や家族からどういう愛情を注がれ育ったかも、実は透けて見えたりするのがまた素晴らしいと思うのです。
最後に
ここまで褒め路線で深みのない感想と分析を語ってきましたが、一応不満というかウィークポイントを上げて終わりにしたいと思います。
本作のもったいない所は過剰なまでに観衆に向けて配慮した説明の語り。
それこそ被災地で瓦礫の掃除をしている現地の人にシャッターを押すカメラマンに嫌悪感を抱く政志、というような言葉なくとも感情が伝わるシーンを代表に、沢山言葉要らずのシーンがあるにもかかわらず、序盤は特に幸宏の語りが目立ちノイズになってしまっていて、せっかくの浅田家の仲睦まじい姿が台無しになってしまっているように感じます。
また、テロップで政志が何歳の時の話なのかは特別必要なないですし、語り部も最初は幸宏なのに、途中から政志に代わってしまってる辺りも一貫性が無く、誰視点で語られているのかがブレてしまっている。
そしてこれは前から感じていたことですが、監督の撮る作品には緩急が足りない気がします。
物語の進み具合が比較的緩やかなスピードのおかげでユーモア性が際立つんですが、ひたすら同じペース配分で進んでいくので凡長になってしまってるように感じます。
もっと緩急をつけた編集やエピソード、会話の構成にすればもっといい作品になる気がするんですが、こんなこと余計なお世話ですねw
こんなこと言っておきながら、僕はこの「浅田家」が好きになりました。
自分の年齢的には家族を持っておかしくない立場なので、こういう家族にできたらいいなぁとも思えましたし、なにより役者陣が本当の家族に見える工夫や空気感を、監督がしっかりカメラに収め作品に仕上げている点は、非常に高い満足度です。
写真が持つチカラ、大いに感銘を受けた映画でした。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10