CATS/キャッツ
どうも、ネコよりイッヌ派のモンキーです。
今回は世界で絶賛酷評中の映画「キャッツ」の感想になります。
アメリカで公開するや否や、あらゆるメディアや批評家の評価が否定的過ぎて、かなり驚いています。
例えばどんなレビューかというと、
❝『キャッツ』を0~5点で評価するとしたら、玉ねぎかな❞
とか,
❝知らなかったポルノのジャンルに遭遇したような体験。FBIが劇場に乗り込んでくるんじゃないかと思った❞
とか、
❝猫にとって犬登場以来最悪の出来事❞
とか。
他にも記者たちがこぞって作品に対して罵詈雑言を浴びせているのもあれば、語彙力を失ってしまったかのような抽象的過ぎるレビューもあり、かなりの異常事態となっています。
なんかどこも大喜利みたいになってるようにも・・・。
こうやって見てみると海外の批評は参考になることが多いので、今作はそれはそれはひどい内容なんだろうと思ってしまうんですよね。
確かに予告で感じたクオリティの高さは素晴らしい反面、人間の顔をしたネコがうじゃうじゃ群がって高らかに歌を歌う、っていうのがちょっと恐怖に思えてしまうってのあって、予想通りになっちゃったのかなぁって。
ただですよ、監督はかつて「レ・ミゼラブル」を手掛けたこともあって、ミュージカル映画には定評がある方だと思いますし、「英国王のスピーチ」でアカデミー賞を取った実績があるわけで、そこまで酷評される映画なのか?と疑ってる気持ちもあります。
題材もブロードウェイミュージカルの金字塔ですし、何より「百聞は一見に如かず」の精神で臨もうと思います。
というわけで、早速鑑賞してまいりました!!
作品情報
1981年のロンドン公演以来、今もなお世界中で愛され続けているミュージカルの金字塔「キャッツ」。
選ばれた猫に新しい人生が与えられるという特別な一夜を舞台に、様様な猫たちの宴が描かれていく今作を、「レ・ミゼラブル」の監督とプロデューサーが、映画として新たな「キャッツ」を生み出した。
世界的バレエダンサーや、圧倒的な歌声で魅了する歌手や俳優陣が集結。
レミゼ同様、生歌にこだわったからこそ味わえる、極上のエンターテインメントの世界をあなたへ。
あらすじ
扉の向こうには、何が待っているの——?
満月が輝く夜。
若く臆病な白猫ヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)が迷い込んだのは、ロンドンの片隅のゴミ捨て場。
そこで出会ったのは個性豊かな❝ジェリクルキャッツ❞たち。
ぐうたらな猫、ワイルドな猫、お金持ちでグルメな猫、勇敢な兄貴肌の猫、不思議な力を持つ長老猫・・・
様々な出会いの中でヴィクトリアも自分らしい生き方を見つけていく。
そして今宵は新しい人生を生きることを許される、たった一匹の猫が選ばれる特別な夜。
一生に一度、一夜だけの特別な舞踏会の幕が開く——。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのはトム・フーパー。
「英国王のスピーチ」でアカデミー賞作品賞、主演男優賞、監督賞を受賞し、「レ・ミゼラブル」では助演女優賞含む3部門を受賞した、実績のある監督。
なのにどうしてこんなに酷評の嵐を受けてしまうのか…。
一体何があったのかはとりあえず見ての判断ってことで。
北米での初週の興行収入が約650万ドルという撃沈ぶりを挽回すべく、映像を改善する方向で進んでいるそうです。
人間の役者に猫の毛を生やすためにVFX技術を使って映像化したそうなんですが、ワールドプレミアギリギリで完成されたとされる今作は、どうやら完璧な状態でなかったことが今回の低評価と酷評の原因であると判断したそう。
きっと日本での公開は修正版だと思うので、この話を聞くとそこまでの酷評にはならない、のかも。
監督に関してはこちらをどうぞ。
キャラクター紹介
- ヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)・・・人間に捨てられた若く臆病な子猫。
- マンカストラップ(ロビー・フェアチャイルド)・・・ヴィクトリアを導く勇敢で兄貴肌の猫。
- グリザベラ(ジェニファー・ハドソン)・・・誰からも愛されない孤独な猫。
- オールドデュトロノミー(ジュディ・デンチ)・・・すべての猫たちから尊敬される慈愛に満ちた長寿猫。
- バストファージョーンズ(ジェームズ・コーデン)・・・町一番のお金持ちでグルメな紳士猫。
- ミストフェリーズ(ローリー・デヴィッドソン)・・・すこし気弱だけど優しい心を持つマジック猫。
- スキンンブルシャンクス(スティーヴン・マックレー)・・・汽車をこよなく愛す働き者の猫。
- ラム・タム・タガー(ジェイソン・デルーロ)・・・甘い歌声で雌猫を虜にする自由奔放な猫。
- ジェニエニドッツ(レベル・ウィルソン)・・・昼間はぐうたら夜は元気なおばさん猫。
- ガス(イアン・マッケラン)・・・かつては劇場の大スター。過去の栄光を懐かしむ老猫。
- マキャビティ(イドリス・エルバ)・・・神出鬼没で恐ろしい力を持つお尋ね者の猫。
- ボンバルリーナ(テイラー・スウィフト)・・・マキャビティと行動を共にする妖艶な雌猫。
- マンゴジェリー&ランペルティーザ(ダニー・コリンズ&ニーヴ・モーガン)・・・イタズラ好きで盗みのプロ。悪名高きカップル猫。
人生が変わる、誰も見たことのない世界へ、などという謳い文句がすべて逆の意味に聞こえてしまう、非常にリスクの高そうな作品になってますが、監督の実績を信じ、僅かな望みを胸に抱き鑑賞しようと思います。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
マタタビ嗅いでから行きゃよかった・・・。
選ばれし猫になるために、皆が踊って歌って邪魔をして。
それだけの映画でした…。
以下、ネタバレします。
一体何を見せられたのか。
ありとあらゆる野良猫たちが、老婆猫によって一年に一度決められる天上猫決定戦の模様を、捨てられた白猫ヴィクトリアの視点で描くミュージカル映画の中身は、ひたすら登場ネコの歌と踊りによる紹介を延々と続け、時に消され、時に魔法で解決するというめちゃくちゃファンタジー要素満載で話が進み、どうしてあの猫が選ばれたのかさっぱりわからないまま、急にネコの分際が人間に説明して終わるという、話の時点で「一体何を見せられているのか」状態に加え、いくら猫とはいえ全身卑猥な格好でクネクネ舞って踊っての連発に、果たして俺の表情筋はどこへ?俺の豊かな感情はどこへ?と、猫は犬にあらず、以上に、俺の心ここにあらずな映画でございました。
海外での酷評ぶり、試写で鑑賞した方の酷評ぶり、ようやく意味が解りました。
あ~これか、これなのか…
2020年良作が多々公開され、今年の映画業界は素晴らしいぞ!と歓喜しっぱなしの俺でしたが、世の中そんなに甘くない、これを見ずし今年の映画は語れないのだ!と神さまから雷を落とされたような、そんなカウンター攻撃を食らわされた瞬間でした。
正直、思ってたほどつまらなくはないし、思ってたほどCGもひどくないし、歌も踊りもよくできてる、というのが真面目な感想なんですが、そこまでよくできてるのになぜ表情も心も動こうとしないのか、ときめくことをしないのか、見終わった後一生懸命考えましたが、未だに答えが出てきません。
なので、「俺は一体何を見せられたのか」という状態なわけです。
どの楽曲も猫の出自やキャラ設定によって、様々なジャンルの音楽を巧みに使い分けて魅せてくれますし、どのキャストも歌は完璧。
主役のフランチェスカは細い声でありながらも感情込めて歌い上げるし、コミカル担当であろうジェームズコーデンやレベルウィルソンに至っては、メロディとそうでない部分を見事に使いこなし、作品にユーモアをもたらせた。
ジュディデンチやイアンマッケランといった大御所たちも、声量の衰えはあれど、貫禄と老体だからこそ醸し出せる雰囲気が勝っていた。
イドリスエルバも口元に力を入れながら感情を吐き出すことで、誰よりも天上猫になりたいという強欲な面がよく出た歌を歌ってたし、恐らく映画初出演であろうテイラースウィフトも(ニューイヤーズイブに出演してたそうです、失礼しました)、妖艶で色っぽく歌い上げることで普段歌わないような歌い方で存在感を出していた。
それに合わせたダンスだってものすごい。
ネコらしくない二足歩行でクネクネ腰を振らせながら踊るその姿は、全員控室に脊髄でも置き忘れてきたんじゃないかというほど滑らかだし、そのスタジオは重力を少なくする機械でも設置していたんじゃないかというほど軽い身のこなしに見えたし、実は気持ち早送りしてたんじゃないかというほど早いステップでリズムを刻んでたし、皆が皆動物の形態模写でありながら人間らしさも忘れない動きで、誰も見たことがない世界へ誘ってくれる。
いつの間にかタップシューズをはいた猫が登場したのには驚いたし、スニーカーを履いている猫もいた。そんな不自然な服装であるにもかかわらず、違和感を与えないキレのあるダンスと歌は、「誰も見たことのない世界」としてしっかりと説得力ある映像を作り上げていた。
また背景となる美術や照明などにもたくさんの工夫が施されており、冒頭飼い主に捨てられた人間視点の世界から、捨てられた直後に周りの美術を猫の視点に変換して描かれるあたりは見事でしたし、そこからネコならではの視野で部屋中駆けまわったり、ミルクバーで垂れ流された牛乳を飲み漁ったり、高級レストランのゴミ捨て場で残飯を漁る件は、猫のサイズを想定して作られたであろうゴミ箱の高さを活かして飛んだり跳ねたりする猫たちが妙にリアルでしたし、どのシーンも誰がどう見ても「力が入ってる」と思うでしょうし、キャストは相当なレッスンをしたことでしょう。
その努力は買いますし、生半可に作ったものでないのも理解できます。
ミュージカルの金字塔を映画にしたのだから、製作陣はいけるなら賞を獲りたいとも願ってたことでしょう。
しかし、「俺は一体何を見せられていたのか」状態から抜け出せないのです。
そもそも話が薄すぎる。
確かにCGの荒さは目立った。
猫たちがアップする分には気にならない。
動物ならではのフサフサ感や、動いてる最中に尻尾や耳が動くことで、ただの着ぐるみを着ただけでは表現できない部分をCGやVFX技術がしっかり補ってくれている。
しかし全体のカットを引きで撮った時に、合成だなぁと思わざるを得ない荒さがあった。
いかにも体と顔のバランスがおかしいし、ホントにグリーンバッグで撮ったのか?というほど「はめた」感じが目立った。
とはいえ、物語に支障をきたすような目立ち方ではないから、海外のレビュアーたちが言うような変なモノには感じなかった。
何が一番つらいって、話の内容が薄すぎることだ。
とりあえずこの映画はセリフが少ない。
ほぼ歌と踊りで構成されている。
そらミュージカルだからな、で話は済むが、誰もリクエストせずに「麺片目油多め味濃いめ」のラーメンが来るとは思ってないだろう。普通のラーメンが出てくると思うだろう。
しかしこの映画は「セリフ少なめ歌多め衣装濃いめ」で出てくるのだ。
そりゃ面食らうに決まってるし、出されたものがその割には味が薄いとなるのもきっと納得できると思う。
一体どの程度のものなのかを自分の感覚と合わせて説明するとしよう。
ジェリクルキャッツの新参者ヴィクトリアに、先輩たちがこの世界のルールやそれぞれの生き方を語る、というか歌い上げるところから話は始まり、デュトロノミーというジリクキャッツ界で一番尊敬される猫に選ばれた者が、天上猫とされ、新しい命を与えられることを我々は教えられる。
導入としては簡潔に説明する辺りは好感を持てたし、そこから彼らが一体どんなパフォーマンスとせめぎあいで拮抗していくのか目立っていくのか気になる入り方をしていた。
ところが、ここから各優秀主演ネコ賞にノミネートされた作品を順に見せていくかのような、長い長い道のりが始まる。
新参者ヴィクトリアを優しく導くマンカストラップがお気に入りの猫、ジュニエニドッツは、昼はぐうたらしているが、夜になればまさに自分の独壇場ともいうべき暴れっぷりを見せ、ネズミを手なずけるだけにとどまらず、終いには夜のお夜食としてゴキブリに芸を身に付けさせ、しかもこのネズミもゴキブリも人間が演じているのでまるで進撃の巨人のような捕食ぶりを見せる。
ここで自分はエンシェントワンの力によって、肉体と魂をはがされ、ダークディメンションの世界に放り込まれたドクターストレンジの気分になったのは言うまでもない。
ふと意識が回復したかと思えば、俺はワガママであまのじゃくだぜ!なラム・タム・ダガーの紹介がてらの歌が始まり、どの猫もその甘い歌声にごろにゃ~と転がり落ちる。
これで一旦小休止するだろうと思いきや、すぐさまグルメでおデブな猫バストファージョーンズが登場し、高級レストランのゴミ捨て場に案内され、ここの残飯はうんめぇ~ぞ~!!と高らかに歌い上げる。
正直ゴミ箱を漁る猫の光景など、好き好んでみたくない俺は、ここでも再び肉体と魂をはがされるわけだが、もうこの例えは必要ないだろう。
お尋ね者の強欲猫マキャビティが登場したことで猫たちは全員一斉に逃亡するが、おいていかれたヴィクトリアは、泥棒ネコのマンゴジェリー&ランペルティーザに連れられ、人間が住む部屋に忍び込み宝石や時計といった宝飾品を体中に巻き付けながらベッドで飛び跳ね、羽根をまき散らすお行儀の悪い姿を見せる。
実際こんな猫がいたら確かに外へ放り投げたくなるが、ここまでの猫の行動にくらべればかわいいものだ、と、脳内が寛容な考えになったのは自分でも驚きだ。
その後長老ネコの登場に、ネコなのに汽車が大好きな猫がタップダンスで急に列車の線路へワープしてしまう不可解な場面、毛皮ボロボロで「思い出~あ~思い出~(涙)」と紅白歌合戦でマイクを思いっきり離して歌い上げた和田アキ子の「今あなたにうたいたい」ばりに感情込めて歌い上げるシーンなど、登場する猫たちが紹介がてらに歌を歌い踊る、という場面が次々と押し寄せるのだ。
そして宴もたけなわ、というあたりで、強欲黒猫の部下である、テイラースウィフト演じるボンバルリーナが三日月に背中をもたらせながらマタタビを撒いて登場する。
世界一の歌姫がそんなチートして民衆を熱狂させていたら皆激オコではあるが、これは映画だ、そんなことを一瞬よぎってしまった俺は、その後のずんぐりむっくりな猫の姿に驚き、そして彼女のボスであるマキャビティの姿にさらに驚いた。
海外のレビュアーはこの映画を卑猥だポルノだなんて騒いでいたが、そこまでのポルノ感は抱いていなかった。
ここまでは。
序盤までハット帽と毛皮のマフラーを巻いていたから違和感なかったものの、ボンバルリーナとデュエットするときは、この小道具を全て捨て真っ裸で踊っているのだ。
そうか、これは確かにいやらしい。
しかもオスとメスがクネクネしたりテキパキ動いて寄り添って踊れば、段々視界がピンク色になるのは必然。
再び俺の肉体と魂は・・・
そうこうしていくうちに連れ去られてしまった長老ネコを、信じれば願いが叶うかのように手品から魔法へと進化させたミストフェリーズの力によって呼び戻し、再び和田アキ…でなくグリザベラの再リサイタル披露をもって、全演目が終了。
誰からも裏金をもらわずスポンサーや事務所の忖度もせず、自らの感覚と決断でオールドデュトロノミーは天上ネコを決め、物語は終わりを告げていくのであります。
と、このように、歌と踊りばかりで、その中に説明を加えたのはいいものの、画が圧倒的にパンチが強いので全然頭に内容が入ってこない。
またキャラの多さからどのキャラも深堀をしないために、なぜ彼らはそこまでして天上ネコになりたいのか理由が明確に感じることができず、むしろ今の世界でも全然楽しんでんじゃん、とさえ思ってしましまい、とにかく野良猫たちの宴をただただ見せられた、くらいしか思いが生まれてこないのであります。
だから可もなく不可もない感想になってしまったのかもしれません。
最後に
外の世界を知らないヴィクトリアは、終始目を輝かせながら彼らを見つめ、光の当たらないようなネコにも優しく手を差し伸べる、健気でで汚れのない猫だったわけですが、今回選ばれなかったことや今後野良猫として自由気ままに生きていくからには、きっと次あうときには獣と化しているでしょうw
ないかw
で、最後にすんげ~余計な事言うのがホントこの映画の蛇足。
この猫たちの世界ががまるで人間の世界と同じですよ~、って第4の壁ぶっ壊して歌ってくるわけで、そんなの言われなくとも薄々勘づいとるわ!ボケ!と、初めてこの映画の中で感情を得ました。
どんな動物でも自由は平等にあり、希望を持って生きている、そんな世界ステキやん!ってことですかね。
まぁ実際のミュージカルを見てない上に、知識も背景も知らんからこんな感想になってしまうのも仕方ないと思います。
それ以上に作品には向き不向きというモノがあって、明らかにこれは映画にしたら良さが伝わらないだろう、という意味では大きな教訓になったことでしょう。
見た後、人生が変わる、という謳い文句でしたが、確かに変わりました。
作品の向き不向き、面白い映画ばかりじゃない、時に人間は身も心も固まることがある、世の中見たいものばかりではないということ、それが人生だと思い知らされました。
楽あれば苦あり、山あれば谷あり。
これからも自分の道をしっかり踏みしめて歩もうと思います。
・・・なんだこれ水戸黄門の歌かよw
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆★★★★★★★3/10