Fukushima50
2011年3月11日。午後2時46分。
僕は地元のとある店舗で働き、休憩を取っていた。
あ、地震か…いつものことかと何の気なしに椅子に座っていたが、徐々に揺れは大きくなり、同僚がバックヤードに駆け込み、これヤバくない?と不安そうな顔を見せにやってくる。
すると今まで体感したことのない揺れを感じると、売り場の棚が軒並み倒れはじめ、危険を察知した我々は、売り場にいるお客さんに大きな声で「外に出てください!」と叫び、一目散に裏口から飛び出した。
お客さんは半ばニヤケながら外へ出てきたが、まだ精算していない商品を持ち出してきたので、そこは冷静に回収。どさくさに紛れて何してんだ。
ようやく収まったものの、全ての棚が倒れ商品は床に散らばるなど売り場は悲惨な状況。
お客さんが下敷きになっていないか確認したいが、まず自分らが落ち着けない。
これはどういうことだ。
けが人はおらず一安心したが、家が心配になり電話を掛ける。
しかしつながらない。
上司に電話するも、これまた繋がらない。
何とか連絡はつき安堵。
上司も駆けつけ作業に入る。
誰かがNHKの放送をスマホから動画で配信していたおかげでようやく事態を飲み込み、それをのぞき見しながら売り場の修復作業をし、ようやく帰路へ。
地元群馬は福島ほどの被害ではなかったモノの、当日の夜の隣町は道路にヒビが入り、車の販売店の窓ガラスは全て割れ、街灯はおろか家の明かりも信号機もついておらず停電状態。
自宅は無事だったが、今まで体験したことのない一日に疲れ果て夕飯も食べずに朝まで眠り呆けてしまった。
そんな、僕の9年前。
今回鑑賞する映画は、あの未曽有の大地震の中起きてしまった原発事故を防ぐために、命をかけた作業員たちの知られざるドラマです。
当時は正直自分の事で精いっぱいだったので、事故に関してはそこまで詳しくないんですが、ようやく映画にできたのでしっかり目に焼き付けようと思います。
というわけで早速鑑賞してまいりました。
作品情報
2011年3月11日に起きた東日本大震災。
最大震度7という巨大な揺れから起きた津波によって、福島第一原子力発電所の原子炉の冷却機能が停止、東京電力の作業員らが懸命に復旧作業にあたっていたが、その努力もむなしく被害は拡大。
爆発や火災によって放射性物質が飛散した可能性から、多くの人員が非難した。
しかし、これ以上の被害を生まないために、現地にとどまり事故と戦い続けた作業員たちがいた。
国内外のメディアは彼らを「Fukushima50」と呼称した。
今作はノンフィクション作家の門田隆将氏の作品『 死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』を原作に、「福島原発事故」で一体何が起きたのかを、現場にとどまった作業員やその家族たち、苦肉の策で指示をしなければならなかった対策室メンバー、さらには政府や東電本店の人間たちの視点を描き、現場の最前線での緊迫感そのままに、知られざる真実に迫っていく。
もう9年、まだ9年。
決して忘れてはならないあの日の苦しみや辛さを、今振り返る。
あらすじ
マグニチュード9.0、最大震度7という巨大地震が起こした想定外の大津波が、福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。
浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。このままではメルトダウンにより想像を絶する被害をもたらす。
1・2号機当直長の伊崎(佐藤浩市)ら現場作業員は、原発内に残り原子炉の制御に奔走する。
全体指揮を執る吉田所長(渡辺謙)は部下たちを鼓舞しながらも、状況を把握しきれていない本店や官邸からの指示に怒りをあらわにする。
しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまう。
官邸は、最悪の場合、被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。それは東日本の壊滅を意味していた。残された方法は“ベント”。いまだ世界で実施されたことのないこの手段は、作業員たちが体一つで原子炉内に突入し行う手作業。
外部と遮断され何の情報もない中、ついに作戦は始まった。
皆、避難所に残した家族を心配しながら―(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、若松節朗。
2019年は「空母いぶき」を監督。
もし外敵が攻撃を仕掛けて来たらどうすればいいのか、「専守防衛」を原則とする今の日本が武力を行使するべきなのか否か、という問題を、少ない予算ながら濃密に誠実に描いた力作でありました。
僕としては映画的には少々力が入り過ぎたのか、題材の域を超えるような評価を得ることができませんでしたが、よく作ったよなぁこれ、と拍手を送るべき作品でした。
今回も誰もがやらなそうな題材をよく出掛けてくれた、と拍手を送ることになるでしょう。
ただ個人的にはただの美談で終わるような物語にはしてほしくない気持ちがあり、今後我々が考えなければならない問題なども盛り込んでくれたらいいなと思っています。
インタビューでは、企画から5~6年もたったことや順撮りで行ったこと、映像上の説明を抑え、吉田所長と伊崎の関係性から生まれるドラマや、リアリティを追求したとのこと。
そして何より、この「果てしなき絶望」といえる事故を風化させないために作り上げたことを語ってました。
監督に関してはこちらもどうぞ。
登場人物紹介
- 伊崎利夫(佐藤浩市)・・・福島第一原発1・2号機当直長
- 吉田昌郎(渡辺謙)・・・福島第一原発所長
- 前田拓実(吉岡秀隆)・・・5・6号機当直長
- 浅野真里(安田成美)・・・緊急時対策室総務班
中央制御室メンバー
- 大森久夫(火野正平)・・・管理グループ当直長
- 平山茂(平田満)・・・第2班当直長
- 井川和夫(萩原聖人)・・・第2班当直副長
- 加納勝次(堀部圭亮)・・・第1班当直副長
- 矢野浩太(小倉久寛)・・・第3班当直長
- 本田彬(和田正人)・・・第1班当直主任
- 工藤康明(石井正則)・・・管理部当直長
- 内藤慎二(三浦誠己)・・・5・6号機当直副長
- 西川正輝(堀井新太)・・・第1班補機作業員
- 宮本浩二(金井勇太)・・・第1班補機作業員
- 小宮弘之(増田修一朗)・・・第1班補機作業員
- 山岸純(須田邦裕)・・・第1班当直主任
緊急時対策室メンバー
- 野尻庄一(緒方直人)・・・発電班長
- 樋口伸行(皆川猿時)・・・保全部部長(復旧班長)
- 佐々木明(小野了)・・・防災安全部部長
- 五十嵐則一(金山一彦)・・・復旧班電源チーム
- 望月学(天野義久)・・・復旧班注水チーム
- 福原和彦(田口トモロヲ)・・・ユニット所長(副本部長)
官邸・本店メンバー
- 竹丸吾郎(段田安則)・・・東都電力フェロー
- 小野寺秀樹(篠井英介)・・・緊急時対策室総務班
- 内閣総理大臣(佐野史郎)
- 内閣官房長官(金田明夫)
- 原子力安全委員会委員長(小市慢太郎)
- 原子力安全・保安院院長(矢島健一)
- 経済産業大臣(阿南健治)
- 首相補佐官(伊藤正之)
その他
- 福島民友新聞記者(ダンカン)
- 伊崎遥香(吉岡里帆)・・・伊崎の娘
- 伊崎智子(富田靖子)・・・伊崎の妻
- 伊崎敬造(津嘉山正種)・・・伊崎の父
- 滝沢大(斎藤工)・・・遥香の恋人
- 前田かな(中村ゆり)・・・前田拓実の妻
- 松永(泉谷しげる)・・・避難住民
- 辺見秀雄(前川泰之)・・・陸上自衛隊陸曹長
- ジョニー(ダニエル・カール)・・・在日アメリカ軍将校
豪華キャストが揃い描かれる原発事故の知られざる真実。
長い構想からようやく完成された意欲的作品ですが、どこまでリアリティある映像と物語になっているのでしょうか。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
作業員はじめ現場の人間たちが、どれだけ命がけで放射能を防ぐのかを知れただけでも見るべき作品。
彼らがいたから今の私たちがあることを噛みしめた。
以下、ネタバレします。
製作するの遅いよな。
3月11日の震災当日から、2号機の格納容器内の圧力を防ぐまでの、福島第一原発内で起きた事故の模様を、作業現場や緊急対策室、東電本店、官邸、地域の住民らの緊迫した様子を半ばドキュメンタリータッチで描いた今作は、日本を代表するキャストの濃厚な芝居の掛け合いと張り詰めた空気感、津波や地震、爆発などでいかに危険極まりない状況だったかを惜しみなく映し、さらには命をかけてでも東日本を守ろうとした作業員らの勇姿に胸が熱くなると共に、今の私たちがあるのは彼らのおかげであることを改めて感じることができた感謝と最大級の賛辞を与えたい気持ちにさせてくれた作品でございました。
内容に触れる前にまず思ったこと。
この手の作品、特に大作級の規模の作品を、なぜ震災から9年も歳月がかけられてしまったのかということに疑問を感じます。
もちろん被災者の気持ちを考えれば妥当な期間かもしれない。
今もあの震災や原発事故で生活を変えさせられたり人生を狂わされた人、トラウマになった人は多く、そんな方々のために配慮をしたのかもしれない。
または震災をテーマにした作品を直接的に描くという企画自体に、なかなか企業が出資してくれず実現できなかったのかもしれない。
実際この作品も企画が動くのに相当な年月がかかったと監督らが仰っているし、今や国や政府が映画製作に茶々入れたり助成金をくれなかったりと、映画製作をそう簡単にやらせてくれない背景ってのはあるのでしょう。
今作も政府の身勝手な動きだったり現場を無視した行動だったりと描かれているわけですし。まぁ当時は民主党政権だったから製作できたのか?な?なんて。
とはいえ間接的な描写として2016年には「シン・ゴジラ」と「君の名は。」というその年の代表作が生まれ、当時のあの苦しかった状況を思い出させてくれるような作品を作ってくれたのは非常に良かった。
でもやはり間接的でしかなかったわけで、それではあの時何が起きたのかってのを明確に描いてくれる作品は存在しなかった。
何が言いたいのかというと、例えばハリウッドでは「9.11同時多発テロ」が起きてから、わずか5年足らずで映画製作したわけですよ。
それこそ「ユナイテッド93」や「ワールド・トレード・センター」なんてのがあり、「華氏911」なんてドキュメンタリー映画がすぐ製作され世界で称賛を受けた。
あくまでエンタメであり産業であるからいやらしい面も見受けられるわけだけど、文化や記録という面からもっと早く作品にすべきだったんじゃないかなぁと。
事故当時の様々な視点から物語を沢山手掛けることで、未曽有の悲劇があったことや、今後繰り返してはいけないという教訓を植え付けたり、その中で生きていく人たちに勇気づけられたリと、この手の映画を早く製作するってことは大きな意義があり役目があり、もしかしたら誰かを救うことだってできるかもしれない。
ぶっちゃけ原発の作業員のことなんか報道で知ればいいじゃないって部分もあり、スルーしてきた自分が大きな口を叩ける立場ではないんだけど、映画を通じて感じられるものや知ることがあるわけで、僕のように目の前の大きな事件を見て見ぬふりをしてきた人たちにとっては非常に大きなツールだと思うわけです。
今作もこの事故を風化させてはいけない、という大義を抱いて製作した覚悟ある映画だったわけですが、だったら風化させないためにもっと早く製作されるべき映画だったよなぁと感じました。
日本映画産業はこういう題材をスムーズに描けるように製作システムを構築してほしいなと、一ファンとして願うばかりです。
目を塞ぎたくなる。
さて肝心の映画の内容ですが、これがなかなかよくできてるなぁ、というのが第一印象でした。
始まるやいなやいきなり午後2時46分。
体感したことのない大きな揺れに、急いで訓練通りに行動する作業員もいれば、ちゃんとこの発電所はいかなる場合でも事故にはならないという慢心を抱く者たちなど、様々な気持ちを持った人たちがいましたが、事態は大きな津波の出現により打ち砕かれていくわけです。
発電所は海抜10mの場所にあるため、今まで見てきた程度の津波ごときで発電所が覆われれることはないという見立てでしたが、想定外の津波がやってきたことで敷地内にまで海水が侵入、非常用電源がショートしてしまうことから、核を冷やすことができずにとんでもない事態に陥ってしまい、この事態にどう対処しなければならないかを、現場の作業員たちの切迫した表情や、緊急対策室で上にたてつく所長の姿などで見せられてくわけです。
これをこっちが苦虫噛む思いでみることになります。
劇中何度も地震が起きることで胸がキュっと締め付けられるし、大きな津波やその波にのまれて押し寄せるたくさんの車だったり、建屋が爆発する映像を見せられたりすることで、ぶっちゃけ席から離れたくなります。
僕は福島出身じゃないですけど、やっぱりあの地震でイヤな思いや経験をした一人であることから、この直接的な震災の様子を見る耐性がまだついてなかったのかもしれません。
正直直視することは非常に辛かったです。
しかしこの映画は震災の様子でなく、その震災によって起きてしまった非常事態を何とか食い止めようとする作業員たちの映画ですから、何とか持ちこたえることができました。
さて内容に戻りますが、ホントこの事故に関して無知だったので、かなり早い段階で「ベント作業」への計画が急がれているとはつゆ知らず。
「ベント」ってのは劇中でも説明がありましたけど、格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出する緊急措置で、これやらないと爆発して放射能による被害が大きくなってしまうからということで、苦肉の策だったと。
で、まぁやろうとするんだけどここで総理が視察に来るって横やりが入ったせいで、行動するのが凄く遅くなってしまうんですよね。
これ実際にあったことだと思うんですけど、国のリーダーであるがために国民や海外の政府のためにもしっかり対応する姿勢を見せるためのパフォーマンスなんですかね?非常に身勝手な行動でした。
あんたが来るから実行できないの!って誰も言えない状況ねw
それに対して啖呵を切る所長の「決死隊ですから」って言葉がホント刺さる。
原子炉の格納庫はすでに放射能が漏れてるし、気温も凄まじく上がっているという地獄のような状態。
そんな中を耐火服にエアマスク、酸素ボンベを背負って限りある時間でバルブを開きに行くわけですよ。
一つはなんとか時間内に成功したものの、2号機の方はすでに人が入れるような状況でなく、作業員が履いた靴も溶けてしまうんじゃないかというほど熱した現場に。
で、これ失敗するんですけど、担当した作業員が崩れ落ちるように謝るんですよ、すいませんでした!すいませんでした!って。
それと吉田所長の怒号ですよね。
東電の本店や総理ら政府の意向に反対して怒鳴る姿が何度も映し出されるんですね。
何で怒鳴るかって現場の人間を無視した様な命令ばかり下すから。
みんなこの事故を防ぐために命削ってやってる、しかも決死の作業を。
そういう人たちがいることを念頭に置かず、あれやれこれやれ、それはするな今はダメだなどと能書きばかり垂れる。
これが最善の策だと現場の人間が言ってるのに、上の指示通りやれと。
まぁ普通なら上が言ってる事ですから、言う通りにしないとっていう社会人ならではの勘というか反射神経が働くと思うんですが、所長はそうはいかない。
できないものにはできないというし、たとえ相手が上司だろうとお偉方であろうと、ふざけてると思ったらふざけるな!と怒鳴るし、立場関係なく腹が立ったらテメェこの野郎!と罵る。
部下にも行動や実効が遅かったり反発するようなことを言えば容赦なく早くやれよ!とかもたもたすんなよ!みたいな怒号を浴びせるんだけど、みんな不眠不休で働いている、しかも命の危険を顧みず。
特に作業員たちにはねぎらいの言葉をかけるんですね。
部下に目をかけ上にたてつくという理想の管理職だなぁと目を輝かせてしまったわけで。
他にもたくさんの人たちがこの状況を何としてでも食い止めるって姿勢を見せているのと、いつ何が起きるかわからない危険性がずっと続くから、そういう意味でも目を瞑りたくなる現場でした。
不満ももちろんある
あくまでこの映画は危険を顧みず阻止した作業員たちの勇姿を称える作品だったと思うんですけど、どうも余計な描写が多々あったように思えます。
この街で生まれ育ったことから絶対守るんだと言い張る伊崎の幼少期の回想や、在日アメリカ軍将校が過去に育ったという話をこれまた回想にして描く辺り(これ伊崎の父ちゃんの写真の中に彼が映っていたような)、後は伊崎の娘の結婚話でけんかするエピソードなど。
多分伊崎という人物を膨らませるために描いた部分ではあると思うんだけど、これ正直いるかな?と。
前半は結構な勢いで事故の状況をガンガン描いてるんですけど、後半になるとヒューマンドラマ要素が一気に流れ込んでくるんですよ。
この後半から一気に映画自体がダレてくるんですけど、その大きな原因はこの伊崎のエピソードで。
これなしにした方が物語としてスマートだったんじゃないかなぁと。
他にも急にモノクロになって街に灰を降らすような「死の国」を予感させるシーンや、アメリカ、フランス、中国の海外メディアの報道の様子をワイプで見せたりといったショボい視覚効果は、予算の無さが透けて見えたり、せっかくガチンコで作ったセットや作業員たちの勇姿を削いでしまうかのような悪さでした。
そんな後半からの流れのダルさや余計な演出以上に不満なのは、この物語を吉田所長の死で完結し、復興五輪が福島から始まるという文言で締めるというもの。
待て待て、あれで片づけちゃうのか?
結局2号機が爆発しないですんだ原因のその後や、あそこで暮らせなくなってしまった住民の気持ち、本当に原発は必要なのか、政府の対応、などなどあれだけで終わったわけではない問題を蔑ろにして、ピリオドを打ってしまうのか?
この事故を風化させないための作品だったとはいえ、あの事故を決してもう二度と起こしてはならないというメッセージ性、そして所長が伊崎宛に書いた手紙にも記されていた「おれたちが自然をなめていたという慢心が引き起こした」ことへの言及はもっと考えさせるような終わり方にしないとダメなんじゃないのか?
所長の死によって、必死に現場で戦った者たちへのエールと感謝のように締めることで、妙な感動ポルノにしてやしないか?
このように、語り継ぐべき名もなき戦士であることを描いたのは十分に伝わったが、本当にそれだけでいいのか?と大きな疑問を残した作品にも思えました。
最後に
結果的に陳腐な部分もあったモノの、ようやく真正面から震災を描いた実写大作映画が公開されたことにはすごくうれしいことだし、見ない選択肢など僕としてはあり得なかったわけで、こうして好き勝手感想で思いの丈を書かせてもらってます。
現場の困難な状況と上からの圧力で疲弊していきながらも周囲を鼓舞してリーダーシップを図った吉田所長のお仕事映画でもあったし、そんな彼と盟友伊崎との現場で育った人間だからこそ、多少の衝突も理解し合える同志であることを、名優二人が圧倒的な芝居でを映画に注いでくれたこと、さらにはその下で働く人間たちが命を張って阻止する者もいれば、やっぱり自分の命と家族は大事だと一線を退く人間たちと、全員が決死隊でなかったことも中立的でよかったと思います。
余談ではありますが、こういう大きな事故を題材とした映画って、洋画ではよく見かけるし考えさせられるものがありましたけど、どこか他人事のように見ていた節がありました。
しかし今回は我々日本人が体験した、しかもまだつい最近の出来事。
とても他人事では見れない考えられないものがありました。
この映画をもっとたくさんの人が見ることで、第2第3の「震災」を描いた作品が生まれることでしょう。
そうすれば、今作で描かれた陳腐な表現や演出などで盛り上げるようなことなどない、全うな震災映画の製作がスムーズに作られるのかなと。
映画を通じてあの日の出来事をもっと語り継がなくちゃいけない気がするんですよね。
これだけでなく。
風化させないためには、まず我々が今作を見ることからなのかなと。
またフィクションですから、事実と異なることもあるでしょう。それを鑑賞後に自身で調べるのもまた歴史を知る一歩だと思います。
そういう意味ではすごく意義のある作品だと僕は思います。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10