モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「生きる LIVING」感想ネタバレあり解説 オリジナルよりも前向きなメッセージになったリメイク作。

生きる LIVING

たくさん映画を見ておきながら「黒澤明」監督作品をほとんど見ていないモンキーです。

 

今回、映画「生きる LIVING」を見るにあたり、さすがにオリジナルの「生きる」は見ておかないとと思い観賞。

セリフがよく聞き取れなくても画で伝わる主人公の心境はもちろん、空間をちゃんと人物で埋める構図、主人公の心境の変化と同時に始まる「ハッピーバースデー」からの遺影、そして個人的に一番面白いと感じた同僚たちによる通夜での会話。

 

前半は孤独感と焦燥感が漂う主人公の姿に悲哀を感じたけど、後半はお役所仕事や官僚主義に浸りすぎている同僚たちの言い分が滑稽で仕方ない。

そしてエンディングの「ゴンドラの唄」は今でも語り継がれるほどの素晴らしいシーンでした。

 

一体こんな名作をどうやってリメイクするんでしょうか。

アカデミー賞脚色賞にノミネートしたこともあって期待値が上がっております。

ビル・ナイの英国紳士ぶりも楽しみ。

早速観賞してまいりました!!

 

作品情報

黒澤明不朽の名作「生きる」を、小説「日の名残り」、「わたしを離さないで」などで知られるノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本により、第二次世界大戦後のイギリスを舞台にしてよみがえる。

 

1953年のイギリス・ロンドンを舞台に、医者から余命半年を宣告された主人公の公務員が、元部下の女性との交流により、それまでの孤独で事務処理ばかりの決まった日常を一変し、新しい一歩を踏み出す姿を、戦前・戦後のイギリス文化への憧れを支えに、現代へのメッセージとして描く。

 

監督には、カンヌ国際映画祭でクィア・パルムを受賞した経験を持つオリヴァー・ハーマナスを起用。

イギリスに関して先入観を持たず、尚且つシネリテラシーに長けた人物としてオファーされた監督は、オリジナルをリスペクトしつつ自分たちの作るものとしてチャレンジした。

 

公務員として淡々とした日常を送りながらも病に侵される主人公を、「ラブ・アクチュアリー」や「パレードへようこそ」などで知られるイギリスの国民的俳優ビル・ナイが、普段コメディ映画で見せるユーモア性を封じ、抑制された演技で魅了。

それが評価され、第95回アカデミー賞で主演男優賞に初のノミネートを果たすなど、数々の賞で受賞をする快挙を成し遂げた。

 

他にも「ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ」のエイミー・ルーウッドや、「シカゴ7裁判」のアレックス・シャープ、Netflix映画「Mank/マンク」でオーソン・ウェルズを演じたトム・パークなど、イギリス映画で活躍する若手キャストが共演。

 

「他人が自分をどう思うかよりも、自分が個人的に何をするかによって、自分の人生が世界に与える影響を認める様々なモデルを見つけることが大切だ」と語るイシグロ。

本作を通じて「生きる」意味とは何かを、鬱屈した現代に再び説いていく。

 

生きる

生きる

  • 志村喬
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あらすじ

 

1953年。

第二次世界大戦後、いまだ復興途上のロンドン。

公務員のウィリアムズ(ビル・ナイ)は、今日も同じ列車の同じ車両で通勤する。

ピンストライプの背広に身を包み、山高帽を目深に被ったいわゆる”お堅い”英国紳士だ。

 

役所の市民課に努める彼は、部下に煙たがられながら事務処理に追われる毎日。

家では孤独を感じ、自分の人生を無為意味で空虚なものだと感じていた。

 

そんなある日、彼は医者から癌であることを宣告され、余命半年であることを知る—。

 

彼は歯車だった日々から別れを告げ、自分の人生を見つめ直し始める。

手遅れになる前に充実した日々を手に入れようと、仕事を放棄し、海辺のリゾートで酒を飲みバカ騒ぎをしてみるが、なんだかしっくりこない。

 

病魔は彼の体をむしばんでいく。

 

ロンドンに戻った彼は、かつて彼のもとで働いていたマーガレット(エイミー・ルーウッド)に再会する。

今の彼女は社会で自分の力を試そうとバイタリティに溢れていた。

 

そんな彼女に惹かれ、ささやかな時間を過ごすうちに、彼はまるで啓示を受けたかのように新しい一歩を踏み出すことを決意。

その意ぽは、やがて無関心だった、周りの人々をも変えることになる—。(HPより抜粋)

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感想

無駄と言うと語弊があるが、シンプルにまとめたことでサクッと見れる。

その代わりオリジナル版の良さは薄まってしまった印象。

とはいえ、この作品の素晴らしさは不変だ。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

英国紳士はかっこいい。

50年代のロンドンを舞台に、末期がんを宣告された市役所職員が再び人生を「生きる」姿を描いた本作は、当時の風景や映像を再現したノスタルジーな演出を施しながら、オリジナル版で描いた官僚主義や登場人物たちの機微、そして「生きる意味」を見出していく過程などをリスペクトしながらも、シンプルな構成に仕上げることで主人公の抑制された演技が際立った作品でございました。

 

日本からイギリスに舞台を変えたことでどういう物語になるのか予想がつかなかったですが、大きく改変したような様子はなく楽しめました。

オリジナルよりも40分も尺が短いので、ディテールの面で原作の良さが損なわれている感覚がありましたが、シンプルに仕上げてもクオリティが落ちるわけでもなく、感動の度合いは変わらなかったなぁと。

 

僕の観点からいうと英国紳士という設定がすごくよかったと思います。

きちっとした身なりとか上下関係とかアメリカとかよりもしっかりしないといけない風潮みたいなものがあるので、設定としては本作にふさわしく感じました。

 

冒頭では新人職員の男性の初出勤を見せるんですけど、同僚たちに挨拶をするんだけど冗談は禁物ってことで忠告を受けるんですよね。

おしゃべりはいいんだろうけど歯を見せるような会話はNGってことなんですかね。

職場での私語は禁物ってならわかるけど、通勤途中もいかんのかい!と当時の紳士たちのマナーに唖然としました。

 

列車内でもどこか重苦しい空気が漂うし、停車駅で乗り込んだ彼らの上司にあたるウィリアムズへの挨拶もどこか壁というか上を敬う態度が露骨というか。

しかもウィリアムズは挨拶を済ませておきながらも、みんなとは別の車両に乗り込む。

そして部下たちは先に降車してウィリアムズが来るのを待ち、もう一度挨拶を済ませて、彼が先に進んだ後距離を取って歩く。

 

上司の後ろを歩くってのはまぁどこの会社でもおなじみの光景ですけど、やはりウィリアムズも部下たちも振る舞いが堅苦しいものになってないのが良いですね。

ウィリアムズも威張ってないし(途中威張ってるやつも出てくるけどw)、妙な隔たりはない。でも部下たちは何となく近づきがたい人みたいに扱う。

 

この関係性が役所というお堅い感じの職場の空気をちゃんと反映させていて、新人職員が初出勤ならではの緊張もあって、職場内は静かな雰囲気でしたね。

 

この辺はオリジナルでも同じような空気感でしたけど、主人公の渡辺はどこか置物というか存在感の薄さが出ていたのに比べ、本作での主人公ウィリアムズは彼の指示が左右するみたいな、置物ではない存在になっていたように思えます。

 

全体的にウィリアムズや男性の登場人物たちは、やはり言葉遣いや挨拶、女性たちへの扱い、帽子を上げる仕草といった所作に至るまで品があります。

 

それが淡々と事務作業を行うお堅い空気の役所と重なって、作品そのものが静かな佇まいを強調させてましたね。

 

大きな改変点

全体としてはオリジナルと同じ展開。

 

会社を早退し医者で検診、胃がんを宣告されそのまま帰宅。

息子夫婦がウィリアムズの貯金を当てにしている話をしながら帰宅するとウィリアムズが電気を消したままソファに座って物思いに更けている。

息子に余命半年を切り出そうとするも、息子はさっさと寝る始末。

息子の幼少期を思い出しながら悲しみに暮れるウィリアムズは、翌日海の近くのカフェダイナーで物書きに出会い、二人で「人生を楽しむ」行動に出る。

 

いろんな店で酒を飲み、歌を歌える店ではつい涙ぐんで最後まで歌えなかったり、途中外に出て吐血したりと、心身共に不安定な状態を迎える。

 

役所の部下だった女性と遭遇したウィリアムズは、新しい職場先への推薦状を出すためにウィリアムズの署名が必要ということで、迷惑かけたお礼にカフェをごちそう。

その後も彼女のあふれるバイタリティに惹かれ、彼女を連れまわしてしまう。

 

彼女と話すうちに「生きる」こととは何かを見出していく。

翌日役所に復帰したウィリアムズは、さんざんたらい回しにされていた主婦たちの嘆願書を書類の山からとり、部下たちを引き連れ現場へ急行。

 

話はウィリアムズの葬儀へと変わり、帰りの列車で部下たちは公園を作ったのはジェームズ卿の手柄となっていることに納得のいかない様子。

ウィリアムズのようにやる気を出せば俺たちも変えることができると自分たちを鼓舞し、彼らはウィリアムズの遺志を継ぐと誓いを立てる。

 

…が、数日たてばいつもの調子で面倒な案件を後回しにしながら、忙しそうに仕事をする姿。

 

新人職員の男性は、そんな上司たちを見ながら、ウィリアムズが親展として遺した「行き詰ったらこの公園で初心を取り戻してほしい」という旨の手紙を読みながら、彼の最後を思い浮かべる姿で終わりを迎えます。

 

 

大きな改変点はやはり歌ではないでしょうか。

オリジナルでは「命短し恋せよ乙女」というフレーズの「ゴンドラの唄」でしたが、本作はウィリアムズ自身がスコットランドの血が流れていることから、スコットランド民謡の「The Rowan Tree」=ナナカマドの木という歌に変更されています。

 

ゴンドラの唄は、死を宣告されたことでタイムリミットが迫っていることの経験から、自分と同じような思いをしないでほしいという願いが込められた、いわゆる他者へ向けた歌と僕は捉えてるんですが、本作のナナカマドの木は、内容的には故郷を想う歌になっていて、これまで人生をちゃんと生きてこなかったけど素晴らしい景色があったと自分を鼓舞するようなニュアンスの歌と感じました。

 

それを途中涙ぐみ声が詰まって歌えなくなるというシーンは、オリジナル同様グッとくるものがありましたね。

 

他にも大きく違う点は、

  • 冒頭ナレーションでの説明がないこと
  • 主人公のあだ名が「ミイラ」から「ゾンビ」に変わっていること
  • 主人公から手紙が送られている

くらいでしょうか。

 

特にゾンビというあだ名は正に「生きながら死んでいる」=「人生を生きていない」ということをしっかり捉えた名称になっていて、これ以上の皮肉なネーミングはないのではないかという点で良かったと思います。

 

実際本作の中での色濃い描写として挙げられる「お役所仕事」は、皆が静かな空気の中、デスクに向かって淡々と事務作業している姿は、まるで楽しそうな姿ではなく、さらには面倒な案件は先延ばしにして日が暮れるのを待つかのようにも見え、ゾンビそのものではないかとさえ見えてしまうわけです。

 

オリジナルでもそうでしたが、こんなつまらない場所で楽しみを見出すにはどうしたらいいかってのを、「あだ名付け」で乗り切るとよさん(オリジナル版の女性の役名)もマーガレットはさすがだなぁとw

俺もよくやるけどw

 

そして肝心の終盤ですね。

葬儀で息子から手紙を預かった新人職員は、皆と帰る列車の中で一人読みふけるんですが、内容は同僚達には明かしません。

この内容がラストシーンでウィリアムズの声によって我々に伝えられるんですが、これがすごく皮肉でもあり、「生きる」意味を示す意味で効果的だったように思えます。

 

オリジナル版では、お通夜の場で故人を悼むことよりも「なぜ彼は最後仕事を頑張ったのか」という疑問を延々と探る同僚たちの姿が描かれていました。

個人的にはこのシーンが凄く好きで、同僚たちが渡邊の心中を少しづつ紐解いてきながら彼の功績をたたえ、自分たちも同じような気持ちで臨もうという姿勢を見せたのち、結局平常運転で仕事をするんですね。

そのシーンをカットバックしながら、渡邊が作った公園で元気に遊ぶ子供たちを見せることで、彼が最後に遺したものがどれだけのものかを伝えるラストになってました。

 

このお通夜のシーンでじっくり時間を割くことで、「どの口が言ってんだw」というような滑稽でありながら皮肉じみた同僚たちの姿を炙り出していってるのが面白いんですよね。

 

しかし本作は、大まかに同じ展開で気持ちを切り替えて仕事に臨もうとするんだけど、尺は短いんです。

案外あっという間に「彼の遺志を引き継ごう」とか言ってしまう。

途中でも書きましたけど、本作はオリジナルの良さを生かしつつディテールに拘らない構成なっていて、そこが僕として物足りなさだったり深みを感じなかったんです。

 

だからこの件はもうちょっと時間使おうよ、とは思ったんですが、ラストシーンはオリジナルとは違った気持ちを得ました。

 

結局上司たちはいつも通りの仕事ぶりをすることで、新人職員は「お前ら列車で言ってたこともう忘れたのかよ!!」と不満を声にしそうになりながら踏みとどまる姿を映してます。

ウィリアムズの最後の仕事ぶりを間近で見て影響を受けた新人職員は、一気に興醒めしてウィリアムズが書いてくれた手紙を思い出します。

 

そこには正に自分の死後の周りの変化について書かれているモノの、皆すぐ忘れてしまうだろうということが書かれており、それに一喜一憂するのではなく、小さな満足感を見つけてほしいという思いを彼に託すのであります。

 

人生は輝くこと。

それを見失いそうになったらこの公園を訪れて思い出してほしい。

 

そう書かれた手紙を思い出しながら公園で佇む新人職員の前に、公園のブランコに乗ってるウィリアムズを見かけた警察官が現れ、何故あの時声をかけなかったのかを後悔していた思いを打ち明け、彼が遺した功績を見ながらどう生きるかを見据えていくという終わり方でした。

 

結果的に、オリジナルは「生きる」ことの大切さを伝えながらも、どこか辛辣で暗い印象を与えることで涙を誘う作品のように感じたんですが、本作はそのウェイトを軽くしつつ、最後に小さな満足を噛みしめたことで「生きた」主人公を祝福しながら、後世に伝えていくという前向きな終わり方を示した作品だったように思えます。

 

これがお国柄だったり、リメイクという意味での差別化だったりという部分でだいぶ作品全体の印象だったり受け取り方が変わるものになっていた気がします。

 

最後に

要するに、ウィリアムズが遺した「公園」そのものがこの「生きる LIVING」という作品で、僕らが今後「生きる」ことに躓きそうになったら、この映画を思い出してほしいというメッセージのようなリメイクになっていたと思います。

 

実際映画としてのクオリティはオリジナルの方が重みがあって深みのあるものでしたが、本作はその重さを軽くし、見せ場の山を小ぶりにし、その分前を向いてほしいという見た人の気持ちを変えたい思いが詰まっているという点では、本作の方が優れていたのではないでしょうか。

 

また、オリジナルの志村僑の全編における切羽詰まった感じってけっこうきついものがあって、そっちよりもビル・ナイの淡々でありながら飄々としてる、でも心の中には静かな炎が大きく灯されていくといった感じの方が見やすかったりもします。

 

いつの時代も生きにくいんでしょうが、ほんとに今は生きにくいです。

他人と比べてしまったり、タスクが山積みの仕事に追われる忙しさもあり、物価が上がっても賃金は上がらない。

色んな点において生きにくいです。

そんな状況でも人生を輝かせることはでき、それは自分次第だと。

死んでるように生きていて、それでいいですか?

いざ死期を宣告されてからでは遅いぞと。

 

現代にこの名作が新しい形で蘇ったということは、それだけ皆が色々「生きる」意味を忘れかけているからじゃないのかなぁとも取れるタイミングですよね。

 

是非本作のメッセージを噛みしめながら見てほしいですね。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10