LAMB/ラム
羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹…
夜眠れない時は、こうして羊を数えると眠れるなんていいますが、きっと本作を見たら、この呪文を唱えても眠れなくなるかもしれません…(そもそもこれで眠れたためしがないんだけど…)。
今回鑑賞する映画は、子を亡くした羊飼いの夫婦の前に、羊から「羊のようで羊ではない子」が生まれ、我が子のように育てていくというホームドラマ…のようではない!という奇妙で不気味なスリラー映画。
家族にとっては神様が与えてくれた天使のような授かりものなんでしょうが、それが夫婦にどんな影響を与えてしまうのかが恐怖のポイントなんでしょう。
羊は可愛いしフカフカだしモフモフだしメェメェ鳴く愛らしい動物ですが、本作の観賞を機に見る目が変わってしまうのかもしれませんw
早速観賞してまいりました!!
作品情報
「ミッドサマー」、「へレディタリー/継承」などを輩出した気鋭の映画製作会社「A24」が北米配給権を獲得し、カンヌ国際映画祭で上映されるや否や観客を騒然とさせた衝撃の話題作。
アイスランドの田舎地方を舞台に、羊ではない”何か”を育てる若い羊飼いの夫婦が育てていくネイチャースリラー。
「ミレニアム」シリーズや「プロメテウス」に出演したのノオミ・ラパスが主演と製作総指揮に携わり、「ニーチェの馬」で知られるタル・ベーラ監督が主宰するフィルムファクトリー出身のヴァルディミール・ヨハンソンが本作で映画監督デビューする。
本作は、第74回のカンヌ映画祭「ある視点部門」でPrize of Originalityを受賞し、アカデミー賞国際長編部門のアイスランド代表にも選出された。
「ミッドサマー」でも知られるように、アイスランドという土地柄、様々な神話が根付いており、それらを織り交ぜてオリジナルストーリーとして製作された。
見渡す限りの草原に、羊たちの泣き声。
アイスランド特有の雄大な自然に魅了されながらも、どこか漂ういびつさと不穏な空気。
果たして羊ではない”何か”は、夫婦にどんな災いを呼ぶのか。
そして私たちに、何をもたらすのか。
あらすじ
山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァル(ヒルミル・スナイル・グズナソン)とマリア(ノオミ・ラパス)。
ある日、二人が羊の出産に立ち会うと、羊ではない何かが産まれてくる。
子供を亡くしていた二人は、"アダ"と名付けその存在を育てることにする。
奇跡がもたらした"アダ"との家族生活は大きな幸せをもたらすのだが、
やがて彼らを破滅へと導いていく—。(HPより抜粋)
監督
本作を手掛けるのは、ヴァルディミール・ヨハンソン。
「サタンタンゴ」や「ニーチェの馬」などで知られるタル・ベーラ監督のフィルムファクトリー出身で、「ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー」で美術や特殊効果などを担当した経歴を持つ監督は、本作で長編映画監督デビューとのこと。
本作はそのフィルムファクトリーに在学中に構想を練ったそうで、長年映画業界に携わってきたことで監督をしたい意欲の湧いた彼は、主演のノオミ・ラパスに本作の原型とも言えるスケッチブックを見せたことで意気投合、出演を快諾したという経緯があったそう。
本作はセリフがかなり少ないそうですが、それも監督の意図したものだとか。
昨今の「セリフ過多」な作品には疑問を呈してるようで、映像そのものを情報とし、ありのままを受け止めてほしいという願いも込められた作品になっているとのこと。
そこで描かれる夫婦の物語にどんな結末が待っているのかに関しても、「決して主人公に与える罰ではない」にしろ「悲劇」のようなものだ語っています。
とはいうものの、シュールな要素のあるファミリードラマとも語っており、怖いのか笑えてしまうのか一体どっちなんだい!と、色々観賞前から妄想しがいのあるお話をされてました。
キャスト
本作の主人公マリアを演じるのは、ノオミ・ラパス。
「ドラゴン・タトゥーの女」のオリジナル作品「ミレニアム」シリーズでブレイクを果たした彼女は、「シャーロック・ホームズ/シャドウ・ゲーム」を皮切りに、「エイリアン」の前日譚である「プロメテウス」での主演を果たすなどグローバルな活躍を見せています。
スウェーデン出身の女優さんですが、幼少期にはアイスランドにも住んでいたそうで、本作ではその経験を活かしアイスランド語を使って演じられています。
本作はアイスランド北部にあるフラガという地域で撮影されたそう。
なんと20年間誰も住んでいない場所でのロケに加え、高地且つ僻地を理由にスタッフも最小限に留められるという過酷な撮影だった模様。
さらにアイスランド語を使ったり、羊の飼育や出産シーンを撮影するという慣れない演技に、彼女自身も苦労した様子。
そんな努力の結晶とも言える彼女の演技を堪能したいですね。
他、マリアの夫イングヴァル役に、「エンジェル・オブ・ザ・ユニバース」、「たちあがる女」のヒルミル・スナイル・グズナソン。
イングヴァルの弟ペートゥル役に、「イレブン・メン・アウト」、「トラップ 凍える死体」など、国内アカデミー賞で複数ノミネート経験のあるビョルン・フリーヌル・ハラルドソンが出演します。
民話や神話、そして宗教などを組み込んだお話のように感じるので、きっと様々な解釈や考察などができる作品なんでしょう。
ですが、私そういうの苦手なので、感じたままの感想を書こうと思いますが…俺に理解できるのか・・・。
ここから観賞後の感想です!!
感想
#LAMB ラム観賞。
— モンキー🐵@「モンキー的映画のススメ」の人 (@monkey1119) 2022年9月23日
笑うのを堪えた序盤、ツッコミ役がボケに侵食される中盤、そりゃそうだよなぁというオチ。
動物の心の声をアフレコしたくなる。
来るなー!!は心の中で爆笑。 pic.twitter.com/COBYoTYRHk
人間のエゴを突き付ける不思議なファミリードラマ。
犬、猫、そして羊たちの可愛らしい表情から一変していく不穏さは見事だが、お前誰やねん!という隠された真実と「そりゃそうだよな」的オチに心ときめかず。
羊数えて眠れなくなることはない。
以下、ネタバレします。
壮大なコントのよう
アイスランドの大自然を背景に夫婦の救済とそれに伴う代償を3章に分けて描いた本作は、立ち込める霧と不気味なBGMに助けられスリラー映画を保たせるも、壮大なコントを見せられてるかのようなシュールさ、狂言回しになるはずの弟を活かせてない中盤、徐々にアットホームな空気を醸し出すことで怖さが激減し、驚きの結末を謳っておきながら大して驚きもしないサプライズに拍子抜けしてしまう浅はかなプロットなど、期待値を遥かに下回った勿体ない作品でございました。
全体的な感想としては「これ90年代のとがっていたダウンタウンが長尺のコントとしてやりそう」な表面的にはファンタジーだけど中々ブラックな話として受け止めたい気持ちになった作品でした。
単純に言えばいくら羊から生まれた子羊が、人間の形をしたからといって「天からの贈り物」と言って、さも自分たちの子供のように育てちゃダメですよ~って話。
これをのらりくらりとスローペースで不穏さを醸し出しながら、いかにもスリラーチックに描いてみましたってテイストなんですけど、俺からしたら「今にも笑ってしまいそう」なシチュエーションばかりだったんですね。
確かに夫婦にとって命よりも大事な宝物であった子供が亡くなってしまい、いつか時間旅行が出来たら過去に戻りたいねっていうくらい過去に縛られてるくらいですから、半分人間で半分羊の子供が現れたら「おぉ~神さまぁ!!」となりますよ。
なりますけどね、こっちからしたらまずリアクションしなきゃいけないのは「え!?何この子羊!?どういうこと!?」と拒否反応ないし戸惑いの表情を見せてくれないと困るわけですよ。
なのにいきなり抱きしめて体洗って毛布来るんで抱っこするってさ…。
そこまでして子供を欲しがっているのであれば、その過程を見せてくれないとこの夫婦に何の感情移入も沸きません。
監督はなるべく台詞でなく映像で受け止めてほしいと仰ってますが、だったら子供の失った悲しみを後半の墓参りなんかで見せるのではなく、セリフ=コミュニケーションの欠如という形で夫婦間に冷め切った空気をもっと演出すべきだったのではと僕は思います。
まぁ全然なかったわけではないんですが、それこそ「時間旅行が理論上できるそうだ」みたいな会話ではなく、娘の写真立てを見ながら涙ぐむ夫婦を見せるとか、凄く単純なカットを入れることで我々が夫婦に対する見方が全然変わると思うんですよ。
だからアダを見た瞬間抱きしめて保護したくなる気持ちに深みが増すというモノだと僕は思うんですね。
そこを削いじゃってるもんだから、そのリアクション可笑しくね?となってしまうんですよね。
まぁ、喪失感でいっぱいだった彼らの前に奇跡が舞い降りたというエピソードが序盤で描写されるわけですが、明らかにおかしい家族の形ですから、早く誰かツッコんでくれ!となるわけです。
アダ用のベッドを作り、哺乳瓶でミルクを飲ませ微笑む夫婦。
彼らが飼っている犬や猫の視線は、どう見ても人間として見てない様子。
僕は勝手に心の中で動物たちに「え、あんたら何やっとん…うそ~ん…」とアフレコを入れて楽しみましたw
このように明らかに人間ではない他人の子を育てて幸せを噛みしめている夫婦に、序盤は誰もツッコんでくれないわけで、犬や猫たちの表情がそれを担ってるわけなんですが、これではフリに対してのツッコミとして成立せず、もやもやした気持ちのまま第1章を眺めることになるのです。
因みに第1章では、家の外で親である羊がひたすらメェ~メェ~鳴いてるわけです。
それ以前にも小屋の中で自分の子供が見当たらないことに騒ぎ立てる親羊の姿が挿入されてるわけで、明らかにこの親羊は羊飼いの夫婦に怒りを露わにしてることが窺えます。
「おい!そりゃねえだろ!なんでうちの子をお前らのことして育ててるんじゃ!おかしいだろが!か~え~せ!か~え~せ!」と(こんな風に勝手にアフレコ入れて楽しみました)。
夫が子守をしている途中、ぐっすり眠ったからと言って納屋で作業を始めるのですが、親羊はその隙にアダちゃんを連れ去ってしまう事件が勃発。
ようやく見つけたマリアは、アダちゃんを無事保護するわけですが、親羊に何の断りもなく再び連れ去っていく姿に、さすがの親羊も「ちょっとまったぁ~!!」と追いかけるではありませんか。
見てるこっちも「おいおいマリアさんや、そりゃあんまりだぜ…羊飼いのプロならあんたにも親羊の心情ってもんが理解できるだろうに…」と思ってたわけですが、ここはマリアさん既にアダちゃんの母である自意識が強いせいか、親羊に向かって
「来るな~~~~~っ!!!」
と叫ぶではありませんか…
僕は本作のハイライトとしてこのシーンを推したいと思います。
だって明らかに爆笑ポイントでしょこれw
ず~っとボケ倒しといて、そのボケをさらに上塗りしたかのようなボケ。
冒頭でダウンタウンのコントみたいといいましたが、ここに浜ちゃんがいたら「なんでやねん!」とツッコんでくれたろうに、そのツッコミはまだ登場しないという苦しいコント。
さらに物語は不穏さを極めていき、悪夢にうなされ起きたマリアは、夫がぐっすり眠っている最中に親羊を銃で撃ち殺すという驚きの行動に出るのであります。
母の強さは偉大だなんてよく言ったもんですが、どう考えてもマリアがおかしい。
自然の中で生活する人間が、自然を壊してるかのような愚行です。
エゴが爆発しております。
そんな愚行をひっそりと影で見つめている男が登場することで、物語は第2章へと突入。
ようやく待ち焦がれていた「ツッコミ役」の登場に、僕はウキウキしていたんですが…
ツッコミ役さえもボケに回ってしまう中盤
劇中、デカい音楽を鳴らしながら颯爽と走る車が登場。
中にいたパンキッシュな輩がある一人の男を車から引きずり下ろすではありませんか。
その男こそ、マリアの夫イングヴァルの弟ペートゥルです。
タイトなパンツにライダースジャケットを纏った中肉中背でひげもじゃの男は、兄の嫁さんであるマリアが、羊を銃で撃ち殺す姿を壁の影から見ていたのであります。
イングヴァル家に到着したのが夜中ということもあって(おそらくこの舞台は白夜の時期なのかと)、納屋で一晩を過ごすペートゥル。
翌朝兄が動かすトラクターの音で目覚めたペートゥルは、朝食に招かれダイニングへ。
3人のはずなのにお皿は4つ。
はて、他にも来客が?
するとマリアは居間から「ごはんですよ」とアダちゃんを呼び寄せます。
どうやらアダちゃんにとって初めての来客ということもあって、人見知りを発動。
マリアの後ろに隠れてペートゥルを警戒します。
初めて見る羊人間に戸惑いを隠せないペートゥル。
唖然とした表情で兄を見つめるその目から語られるペートゥルの心情は「おい、兄貴、こりゃどういうことだ」と言ってるかのよう。
見てるこっちとしては、車から振り落とされるようなことをしでかしたことから恐らくクズなんだろうと察することができるキャラではあるものの、幾らクズだからと言って羊人間を育てている兄夫婦を容易に受け取るようなバカではないことを期待していたわけで、この時のリアクションから僕としては「待ってました!その表情!」と心の中で拍手。
お願いだから、お願いだから!
早くこの夫婦にツッコんで!!と心躍らせました。
するといよいよペートゥルはツッコみます。
しかしお前どういうタイミングでツッコミ入れるんだよ!というシチュエーション。
兄の外壁のペンキ塗りを手伝っていたペートゥルは、何を思ったか急に室内へ。
するとマリアとアダちゃんがお風呂に入ってるところを覗きに行くのであります。
おそらくこのシーンは、羊と人間のハーフであるアダちゃんをあたかも普通の人間の子供のようにお風呂に入れてるなんて大丈夫かマリア、という意図を組み込んだシーンだと思うんですが、僕からすれば兄嫁の入浴を覗きに行く行為がペートゥルクズだなぁ!という印象が強く、さらにその覗いてる姿を兄イングヴァルが発見してもなぜか怒らないという兄弟関係。
ここでようやくペートゥルが「あれは何だ?」というツッコミを入れるんですが、溜めに溜めたであろう本作の至極まっとうな問いかけを、こんなドスケベ全開なペートゥルの姿に被せて言わせるなんてなんてもったいない!!!
しかもイングヴァルもイングヴァルで「これが幸せの形だ」とか言っちゃうもんだから、ボケが渋滞しております。
幸せの形の前にいうことあるだろ兄ちゃん!「お前何うちの嫁の風呂場覗いてんだよ!!」と怒るのが筋だろう!!
このように肝心かなめの「アダちゃん育てるとかマジで意味わかんないよ!どうかしてるよ!」というツッコミを活かせてません。
ただ、まだペートゥルとしてはアダちゃんに対する疑いの目は消えておらず、納屋の片付けの最中にアダちゃんに草を喰わせるというチャレンジに挑戦しており、さすが容姿がロックなだけあるぜ!と彼のチャレンジ精神に拍手を送りました。
「そうだ、おいしいだろ、だからお前は羊なんだ、おじさんがそれをわからせてやる」
とでも言ってるかのような不敵な笑みに、この後の物語はきっとマリア、イングヴァルVSペートゥルの理想感と現実感による壮絶ないがみ合いが勃発するのだろうと期待に胸膨らませました。
しかしミイラ取りがミイラになる、子供のかわいらしさに骨抜きにされるとはよく言ったもので、そんなペートゥルでさえも見事に姪っ子(甥っ子か?)の可愛さにやられてしまうのであります。
共に生活をすることで抱いた愛情により、マリア夫妻から見ても「良いおじさん」と化したペートゥルは、アダちゃんをトラクターに乗せて魚釣りに出かけるではありませんか。
外でおとなしく家族を見守っていた犬や猫も、ただただ見つめるしかない表情。
きっと心の中で「あぁあのペートゥルおじさんでもダメだったか…」と言っていたに違いありません。
このように、ツッコミ役として登場すべきだったペートゥルですらも丸め込まれてしまうほど可愛らしいアダちゃんはすっかり家族の中心的存在として、それまで不穏な空気だった物語は徐々にアットホームな空気を醸し出していくのです。
皆でハンドボールの試合を見て熱狂したり、酒も進んでペートゥルが当時やっていたバンドのMVを見てはしゃいだり、家の廊下でハンドボールをしたりと仲睦まじい姿を見せられます。
もうアダちゃんが羊と人間のハーフであることや、マリアが親羊を殺してまで母親になったことなどどうでもいい様子。
でもここで再びペートゥルがツッコミの役割を果たします。
しかもクズな姿と一緒に。
やはりあの時アダちゃんではなく、マリアの入浴みたさに覗いたということだったのでしょう。
ペートゥルは酒の力を借りて、マリアに言い寄ります、「もっと楽しもう」と。
抵抗するマリアにペートゥルはさらに追い打ちを掛けます。
「あんたが親羊を殺したことをアダちゃんは知ってるのか?」と。
思い出したくなかったことを言われたのか、マリアはペートゥルの誘いを受け止め口づけをかわしますが、これはマリアの作戦だったのです。
ドアのある壁にペートゥルを追い込み、キスをしたと同時に部屋へ閉じ込めるマリア。
義理の弟の余計な一言で幸せが壊れてしまう、そんなことを恐れたのか、マリアはその後彼の荷物をまとめ追い出すのであります。
ここね、なぜかマリアに従順になるんですよペートゥルが。
もっと抵抗すればいいのにと。
共に生活したことでアダちゃんに愛着がわいたものの、やっぱりマリアのしたことはおかしいと兄ちゃんに言うとか、もっとマリアに詰め寄るとかすればいいのに、兄嫁に手を出そうとしたことに対する罪の意識なのか、普通に言いなりになってバスに乗り込むんですよね~。
ここまで来ると結局お前は何のためにやってきたんだ?と思ってしまうんですよ。
誰かが正論を言わないといけないような題材なのに、その役回りであるはずなのに、機能してないし、大して書き回しもせずに追い出されるという負け犬キャラになってるって、もはや物語に要るか?と。
こんな奴でもアダちゃんは魅力的になってしまうんだ、ってことを言いたかったのであれば、その描写は弱すぎるし、ツッコミ役としても半端。
ただ話を引き延ばすだけの存在でしかなってなかったなぁと。
最後に
物語の最後には、驚きの展開が待ってるという触れ込みだったわけですが、確かにビジュアル的には「おおおぉ~」とはなったものの、そんな気持ちは数秒経てばすぐ収まり、まぁそういうことになるかぁ~と腑に落ちる存在でしたし、その存在がした行いも、まぁそうなるわなぁと。
親羊だけじゃないですよ、アダちゃんの本当の親はってことですよ。
僕としては「ツッコミが全然機能してないコント」に様な見方をしましたが、実際クリスマスの夜に命を授かったアダちゃん、それを育てるマリアという構図は宗教を絡めた物語であることは容易ですが、僕的にはそこに詳しくないのでそういう解説はできませんw
考察専門の方々にお任せしますw
ネイチャースリラーというジャンルに入る作品のようですが、スリラーとしての物語よりもシュールなファミリードラマだと監督が仰ってることから、そっちの視点で見た方が楽しいのかと思います。
怖いもの見たさで見ると「怖くない」で片付いてしまいそうな映画になってしまうので、色々「いやいやおかしいっしょw」と見た方が楽しいかと思います。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆★★★★★★4/10