望み
Twitterの映画垢たちから「ポスターがパラサイトのパクリだ」なんて言われちゃってる本作。
仮に意識してやったとしても、ヒットさせるための選択だと思うので、特に問題にはしたくないし比較もしません。
多分内容全然違うでしょ?
さて今回鑑賞する映画は、事件に巻き込まれた息子は、果たして被害者か、それとも加害者というもの。
ミスチル脳の僕にとって、加害者か被害者かどっちか、なんて謳い文句を見た途端「タガタメ」が連想してしまって、きっと本作は「どちらだろうが性懲りもなく愛すること」みたいなオチになってやしないだろうな、なんて勝手に勘ぐっております。
原作もあるそうなんですが、いつも通り読まずに映画のみを堪能して感想を述べたい所存です。
というわけで早速鑑賞してまいりました!
作品情報
映像化された「犯人に次ぐ」や「検察側の罪人」で知られる雫井脩介。
執筆時最も苦しみぬいたという作品が、今回映画化された。
「ブクログ」アンケートで驚異の満足度100%や、2016年の「週刊文春ミステリーベスト10」にもランクイン、20万部越えのベストセラーと、読書家たちを唸らせた本作は、とある事件を境に、愛する息子に向けた家族の様々な思いが交錯していく骨太ドラマ。
カルト級の面白さでファンを魅了したドラマを皮切りに、娯楽大作から社会派作品まで幅広くこなす監督の手腕により、息子に対する父、母、妹の葛藤と思いが惜しみなく描かれ、加害者でも被害者でもない≪3つ目の答え≫を導き出していくことで、感動のラストへと誘う。
愛する息子は、家族に何を望むのか。
そして家族は息子に何を望むのか。
世間を騒がせた殺人事件は、一つの家族にどんな「光」を与えるのだろうか。
切なくも温かな希望に、魂を震わされるヒューマンドラマです。
あらすじ
一級建築士の石川一登(堤真一)とフリー校正者の妻・貴代美(石田ゆり子)は、一登がデザインを手掛けた邸宅で、高一の息子・規士(岡田健史)と中三の娘・雅(清原果耶)と共に幸せに暮らしていた。
規士は怪我でサッカー部をやめて以来遊び仲間が増え、無断外泊が多くなっていた。
高校受験を控えた雅は、一流校合格を目指し、毎日塾通いに励んでいた。
冬休みのある晩、規士は家を出たきり帰らず、連絡すら途絶えてしまう。
翌日、一登と貴代美が警察に通報すべきか心配していると、同級生が殺害されたというニュースが流れる。
警察の調べによると、規士が事件に関与している可能性が高いという。
さらには、もう一人殺されているという噂が広がる。
父、母、妹—それぞれの〈望み〉が交錯する。(HPより抜粋)
監督
今作を手掛けるのは、堤幸彦。
ご存じ「ケイゾク」、「SPEC」などのTVドラマから、「20世紀少年」3部作、「BECK」といったコミック原作の映画化、さらには「明日の記憶」や「人魚の眠る家」といった本格的なドラマなど、幅広いジャンルをこなしているお方。
TV上がりのクリエイターの中では、もはやベテランの域に達している方だと思います。
だからということもあって、何か秀でた作家性というものを彼に求めるようなことは、僕はしておりません。
要はこの人が作る映画が面白かったり感動すればいい、程度の期待値です。
…なんか遠回しにディスってるように聞こえがちですが、堤幸彦論とかぶっちゃけあるかい?っていう。
可もなく不可もなく、よく見ますってことが伝わればw
近年では「十二人の死にたい子どもたち」なんてのがありましたが、あれは非常に残念でした。
たまにそういうことしちゃうので、今回は大丈夫な気がしますw
彼の作品はこちらをどうぞ。
キャスト
愛する息子の無実を信じたい父、石川一登を演じるのは、堤真一。
監督も主演も同じ苗字ってのはめずらしいですね。
だから何だって話ですがw
彼のお芝居は、こういうシリアスな時は実はあまり乗り気じゃないな、って時がたまにありまして。
本作でもそういう雰囲気を出してやしないかちょっと心配ですw
多分彼って、アドリブばかりの作品か、アドレナリン出まくりのコメディ色強めの作品とかのほうがノリノリなんですよね。
渋い役とかハマってるんですけどね~。
あんましふざけてる役柄なのは、僕は好きじゃないですw
そんな彼の代表作をサクッとご紹介。
3人の男が命がけの追いかけっこをする羽目になるアクションコメディ「弾丸ランナー」で映画初主演。
TVドラマなどと並行しながら人気を徐々に集めていきます。
その後、傷ついた娘のために復讐に燃えるさえないサラリーマンを演じた「フライ、ダディ、フライ」、昭和30年の下町を舞台に心温まる人間模様を描いた「ALWAYS 三丁目の夕日」では昭和気質で人情に篤い自動車修理工場の男を演じ、御巣鷹山日航機墜落事故を取材する記者たちの狂騒の一週間を描いた「クライマーズ・ハイ」では一匹狼の遊軍記者を、時に冷徹な視線で時に興奮収まらぬ感情で熱演しています。
他にも、冴えない人生を送る天才数学者の無償の愛による殺人事件を、同級生だった天才物理学者が推理に挑む「容疑者Xの献身」や、要人警護にあたるSPの活躍を描いた「SP 野望編」「SP 革命編」、やくざの世界を舞台に送る衝撃の任侠アクション活劇「地獄でなぜ悪い」などで、主要キャストとして出演されています。
近年では、亡き藩主の仇討の準備を進めるも予算がないという現実に苦しめられる赤穂浪士たちの悪戦苦闘をユーモラスに描いた「決算!忠臣蔵」や、大嫌いな父親の死の真相を知った反抗期の娘が、秘書と共に生き返らせようと奔走する奇想天外の痛快コメディ「一度死んでみた」など、コメディ色の強い作品に多く出演している傾向にあります。
久々のシリアスな芝居を堪能したいですね。
他の出演者はこんな感じ。
一登の妻・貴代美役に、「コーヒーが冷めないうちに」、「マチネの終わりに」の石田ゆり子。
一登の息子・規士役に、「弥生、三月—君を愛した30年—」、「ドクター・デスの遺産」の岡田健史。
一登の娘・雅役に、「ちはやふる—結び—」、「デイアンドナイト」の清原果耶。
警部補・寺沼俊嗣役に、「キングダム」、「嘘八百 京町ロワイヤル」の加藤雅也。
貴代美の母・織田扶美子役に、「岳—ガク—」、「神様のカルテ2」の市毛良枝。
週刊ジャパン記者・内藤重彦役に、「イキガミ」、「東京喰種-トーキョーグール—【S】」の松田翔太。
高山建設社長・高山穀役に、「ケイゾク」、「SPEC」の竜雷太などが出演します。
加害者でも被害者でもない、3つ目の答え。
家族が息子に秘めた望みとはどんなものなのか。
そして息子は家族にどんな望みを秘めていたのか。
ここから鑑賞後の感想です!!
感想
被写体にあたる光の演出が「望み」の説得力を増す。
残された家族の様々な息子への思いが交錯していく、上品なヒューマンサスペンスでした!
以下、ネタバレします。
被害者=死んでいる、加害者=生きている。
ごく普通の裕福な家庭に起きてしまった事件の真相を描く過程の中で、父、母、娘が、事件に関わったとされる息子の安否を願いながらも、複雑な思いを募らせていく心理描写を、まるで「望み」を象徴するかのような光の強さ、昨今のネット事情や過度な報道による外部からの圧力、事件前と事件後のエピソードを気にならない程度の説明台詞で語る丁寧さ、佳境を迎えていくにつれ重々しさを加えていく演出など、これまでの堤監督の中ではかなりレベルの高い作品でございました。
多分本作を李相日監督が描いたら、むちゃくちゃ重苦しく長ったらしく、「加害者か被害者か」を社会的な意味合いを含めた賞レース狙いの映画になったことでしょう。
しかしそこは堤監督。
いかにもな演出や過剰な描写やセリフも気になるところではありますが、クセのない程度に抑えた佳作でございました。
テーマはもちろん「息子が加害者になった時、息子が被害者になった時、残された家族はどうすべきか」というところ。
ケガによりサッカー選手の夢を断たれた息子の不愛想な態度や、顔のアザ、購入したナイフの発見による意味深なシーンから、物語はありふれた家族の前に不穏な空気を漂わせていきます。
息子はグレてしまったんじゃないか。
悪い友達とつるんでるんじゃないのか。
何も語ろうとせず部屋にこもる息子を前に、両親は普段の生活を過ごしながらも、心配を重ねていく序盤でした。
ふと付けたTVから流れたのは、近所で起きた息子と同世代の子が殺害されたニュース。
家を出て以降、息子から一向に連絡が途絶えたまま、この報道を見た家族は一気に心配が増す気配に。
間髪入れずにやってきた警察の訪問や、翌朝群がるマスゴミ、強引に入ってくる週刊誌の記者などから、息子が事件に関わっていることを確信し始める家族。
関わってくるとなると、次に心配なのは、息子は事件を起こした加害者なのか、それとも事件に巻き込まれた被害者なのか。
生きているとすれば、息子は加害者になる。
死んでいるとすれば、息子は被害者となる。
二者択一の中で揺れる家族たち。
父親は、自分が手塩に育てた息子だし、過去の思い出を辿っていくうちに、「アイツはそんなことできる人間じゃない、優しい奴なんだ」と、被害者であることを望む。
しかし、母親は、「生きてさえいれば、後のことはどうなってもいい、全てを受け入れる覚悟ができてる」と、何があったとしても生きてさえいればいいと望んでいきます。
そして受験を控えた娘は、もし仮に兄が加害者の場合、自分が描いてた将来設計は水の泡になることを怖がり、兄は被害者であってほしいと望んでいきます。
三者三様の長男への思いが、ありふれた幸せな家族の環境や生活を歪ませていき、さらには憶測で自分の感情をぶつけていくSNSユーザー、金のためなら数字のためならプライバシーなどガン無視ののマスゴミが、石川家を容赦なく追い込んでいく。
このような状況の中で冷静に物事を考えることなど、もはや無理に等しいが、それでも父と母と娘がしっかり息子のことを考えて感情をぶつけていく様は、何があっても家族なのだなと感じます。
父と母の価値観の違い
また父性と母性という点で、考え方が違うという点も、物語の面白い所。
父は一級建築士で自宅内に事務所を作り、お客さんには自分が設計したマイホームを見せるサービスぶり。
正直家族としてはプライバシー丸見えの迷惑な話だが、家長がそれで飯を食わせてくれるのだから、とりあえずニッコリしとけばいいという娘の主張は非常に共感。
さらには家にマスコミが押し寄せても動揺はしているもののインタビューに答える辺り(隣人からの苦情に対応しての行動だけど)、マスコミが置いていったゴミをすぐさま拾う仕草、SNSなどによって加害者と決めつけられ、家にスプレーで落書きされたり、生卵をぶつけられたりとったイタズラを、しかめっ面しながら掃除するあたりから、父はどこか世間体を気にしているように感じます。
積み上げてきたもの=幸せという概念なのかはわかりませんが、それを息子によって壊されることを想像したくなかったのか、仮にそれが建前だとしても心の奥底ではやっぱり外からのイメージを無意識に感じてる証拠が、あの一連の行動だったりするのかなぁと。
実際に顧客あっての仕事という立場ですし、それで家庭を養ってるわけですから、なんとなく世間体を気にしてる感じを捉えました。
だからといって、息子に被害者であってほしい最たる理由がそれになるわけではないですよね。
どちらかというと、半信半疑だったのかなと。
多分自分がしっかり育ててきた自負があるから、過去の思い出から結論してきたわけですけど、決定的な何かがあるわけではなく、加害者よりかは被害者であってほしいという純粋な望みだったのかもしれません。
対して母は、週刊誌の記者から情報を仕入れたり、近所のショッピングモールでお案じ学校の生徒から話を聞いたりといったリサーチを独自に進める姿勢が見て取れます。
自分の家以外での息子はどんな人だったのか。
自分の知らない息子の側面を知りたくて仕方の無い様子でした。
序盤での警察からの話に一気に動揺していた母ですが、捜査や情報が進むにつれ、とにかく生きて帰ってほしいという望みが生まれます。
どこか弱腰な姿勢の父親に比べて、母はものすごい覚悟で一貫した姿勢をとる姿が印象的です。
全くぶれてないというか。
物語は主犯格の存在が明らかになっていくと、過去に息子が関わったいざこざを中心に、加害者なのでは?という流れになっていくんですが、そこからの母親の表情は、自分が望んでいた「生きていてほしい」という気持ちが確信に寄っていくことで、とにかくお腹空かせているから美味しいご飯を食べさせてあげたいと、買い物に出かけていきます。
自分が痛い思いをして生んだ子供に対しての愛なんでしょうか。
そう簡単に死なせたくないし、生きてさえいればこの先どんな面良いことがあっても耐えられるという母の強さを感じさせた「望み」だったように思えます。
第三の選択肢はなかったのか。
単純にこの物語は、加害者なのか被害者なのかという二者択一に選択肢が狭められている点が、僕にとっては大きな疑問でした。
確かに警察から「事件に関わっている可能性が高い」という情報、翌朝以降エスカレートしていくマスコミやSNSなどの憶測だけで広がっていく情報から、加害者か被害者かのどちらかにしか選択肢が無いということに繋がるわけです。
家族はどちらかというと、ここ最近の息子の様子に加え、外部からの情報によって余裕を失っていき、加害者か被害者かどちらかになっていくんですが、待て待てと。
「事件に関わっている可能性が高い」というだけで断定はしてないわけだから、加害者か被害者か以外の選択肢を誰か提示するような描写はあってもよかったのでは?と。
例えば事件現場を見てしまって、犯人から追われていて身を隠しているとか、被害者の接点があるというだけで、実は全く別の案件で家に帰れなかったとか。
とにかく「事件とは無関係」の線は、結末がそうでなくてもあっても良かったのではと。
また、息子が加害者か被害者かを考える時に、何故真っ先に息子の部屋にいって手がかりを掴もうとしないのか。
序盤では、平気で子供たちの部屋をお客さんに見せたり、母親が勝手に子供たちの部屋を掃除したりと、一見風通しの良い家と見せておいてプライバシーガバガバじゃん!な風景を見せられるんですけど、そこまでしておきながら、何故息子が行方不明だと分かった時に、もう一度息子の部屋に行って手がかりを探そうとしなかったのかと。
終盤で父親が息子の部屋に徐に入るシーンがあります。
これは息子から没収したナイフを事務所の工具箱にしまったはずなのに、後で息子が持って行ってしまったことから、息子が加害者かもしれないという疑惑が強まって、落ち込んでしまった父親が、それでも息子はやってないと信じたいが故の行動かと。
そこで息子は以前父親が食卓で話した説教をしっかり胸に刻んでいたこと、夢を失ったとしても次の夢を探し始めていたことなど、息子が考えていたことを知るという感動のシーンなんですが、嫌々もっと早く息子の部屋を漁っていれば色々落としどころがいったんじゃね?
ここまで悩む必要なかったんじゃね?
母ちゃんもちょっと暴走しなくて済んだんじゃね?
娘も落ち着くんじゃね?と思っちゃいました。
とはいえ、あの状態ではここまで冷静な判断はできないでしょうし、息子の安否もそうですが、これからの事とか娘の事とか仕事の事とか色々問題が膨らんでそれどころじゃないってのは理解できます。
最後に
冒頭でも書いた通り、Mr.childrenの名曲「タガタメ」を彷彿とさせるお話だったように思えます。
子供らを被害者に加害者にもせずに、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に加害者になった時、できることといえば
相変わらず性懲りもなく愛すこと以外ない
行きつくことろ、どこにだって誰かとぶつかるような狭い世界で、誰とも関わりを持たない場所など無く。
繋がっているからこそ幸せであり、繋がっているからこそいざこざが生まれる。
そんな狭い街の中で関わってしまった事件。
親は、娘は、関わってしまった息子が、被害者であれ加害者であれ、愛を持って受け入れる覚悟が必要だと謳った作品だったのではないでしょうか。
加害者であることが強くなってく中で、父親は亡くなった倉橋君の葬儀に向かいますが、親族や仕事の取引先から門前払いを食らいました。
しかし後に彼らは終盤のとある場所で頭を下げるんですね。
それを許すわけですよ、父親は。
結局この事件の発端は憎しみが憎しみを呼んで起きてしまった事件。
その事件によって真実を見極めないまま、憶測で物事を判断し過剰に決めつけ分断を作ってしまうわけで。
息子がとった行動も、父親が最後に見せた行動も、外部内部関わらず見せる姿勢だったりするのかなぁと、お門違いな感想ですが感じた次第です。
しかし現代的な描写がいやらしいほど詰まってましたね。
マスゴミのプライバシー無視の張り込み取材や、それによって言いたい放題のSNSユーザー、週刊誌の記者、それらを鵜呑みにして攻撃する人たち。
本作を反面教師にしてほしいですし、何でも言っていい風潮は、果たして何を言ってもいいのか、もう一度改めて考えてもいいのではと。
というわけで以上!あざっしたっ!!
満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10